82 迫る追っ手②
ディーンはその日、自宅待機で所用を片付けていた。ここのところ危険な魔獣の出没は確認されていないため、呼び出しに応じられるようにしていれば自由行動を取ってもいいと言われているのだ。
聖騎士団から緊急の呼び出しを受けたのは昼過ぎのことだった。
同じく招集を受けたメンバーが慌ただしく集合場所にかけていく中、ディーンだけ別室に呼び出される。
待っていたのは聖騎士団長のアルジャーだった。
「第三王子がまた招集をかけてきた。私用で聖騎士をできるだけ多く借りたいと」
ディーンはこのときを待っていた。以前にルウの居場所をつきとめたときにも聖騎士を連れていったから、きっと次もそうするだろうと踏んでいたのだ。
「また何かソーニー嬢の情報を掴んだのかもしれません」
「私にも立場というものがある。だからお前を支援してやるわけにはいかないが、ソーニー嬢をこのままあのニヤケづらの王子に好きにさせるのも業腹だ」
「人に聞かれますよ!」
ぎょっとしたディーンが周囲を見回しても、幸い誰も聞きとがめなかったようだった。
「とりあえずお前は招集から外しておく。これが指示書だ。見て覚えろ。メモは許さん」
ディーンは隅々まで読んだ後、第三王子の見張りにつくため、外に飛び出した。
◇
ルウはクリストファーを撒いて、仕立て屋に来た。
いつものお店には人だかりができていた。お針子だけでなく、通りすがりと思しき紳士淑女もガラスのショーウィンドウに貼り付いている。
茜色の髪のトゥワイラが振り返った。
「あ! ルウ! いいところに!」
「何か変なやつが来てるんだよ」
「そうそう、ルウを出せって」
――最悪。もうこのお店に来れないじゃないですか。
騒動が収まったらそのうちまた帰ってこようと思っていたのに。
ルウはショーウィンドウの中を覗き込み、聖騎士だらけの店内にうへっとなった。狭い店によくもまあ詰めたものだ。この中に入っていく勇気はさすがのルウにもない。
「変なやつってどんなやつでした?」
「すっごいイケメン」
「キラキラしてた」
「それ金髪だからだよ。おしゃれだったから、服の仕立てに来たのかな?」
ルウは何とか誤魔化そうと、わざとらしく手を打ち合わせた。
「あっ……もしかして、私の名前がルウだから、噂の美女と間違えたとか?」
「えぇー……?」
「でも、そのくらいしか心当たりないですよ」
聖騎士が密集しているのは見えるが、それ以上奥まったところは暗くて確認できない。
ルウは中を覗いてみることにした。拷問されている人がいたら大変だ。なんとか外に誘い出せれば、地の利があるルウならまた撒けるかもしれない。
「たのもーう」
上半身だけひょこっと顔を出すと、聖騎士たちが一斉にルウを見た。数を数えて、勝てるだろうかと思案する。
「私がルウですが、どうしました?」
室内全体に目をこらす。とりあえず凄惨な拷問が行われてる形跡はないが、バックヤードがどうなってるかは不明だ。
「奥でお待ちです」
「いやいや、怖いから行きたくないんですが。いきなり知らない男の人たちに取り囲まれる私の気持ち考えてください」
ルウは向こうの通りを指さした。
「お話があるなら、向こうのカフェで伺います。人のお店を占拠するのは営業妨害なのでやめてください」
ルウは何とか外に引きずり出したかったが、奥からざばーっ! と大きな音が聞こえてきたので、血相を変えた。
バシャバシャと洗濯しているような音もする。言い争う男の声がしたところで、ルウは店内に飛び込んだ。
バックヤードのドアを乱暴に開くと、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。
水が張られた桶があって、そこにひとりの男性が頭を押さえつけられていた。あたりには水しぶきが飛び、もがき苦しむ腕をまた別の男が押さえつけている。王子がその様子を腕を組んで見守っていた。
ルウはまっすぐ拷問係の聖騎士に蹴りを入れた。鎧で覆っているからダメージはほぼないだろうが、転倒させるには十分だ。
「親方!」
激しく咳き込む背を為す術もなくなでさすり、ルウは王子をきっと睨み上げた。
「ひどい……どうしてこんなことを」
「君がもっと早く言うことを聞いてくれればよかったんだけど」
まるでルウが悪いと言わんばかりの口調に、ルウは怒りが込み上げるのを抑えられなかった。
「というわけで、君は連れて帰る」
「馬鹿ですか?」
「君に拒否権なんてないよ?」
王子は身振りで親方や、聖騎士を侍らせた室内を示した。戦闘力の圧倒的な不利に加えて、人質までいる。ルウがどんなにすばしっこくても、手も足も出ない。
ギブソンは立場の圧倒的優位からか、気味悪いくらい優しく親方をソファで休めるよう言いつけ、ルウの手を取って、横に立たせた。
「大人しく言うことを聞いてくれるかな。私も悪いようにはしないさ。君のワガママは何でも叶えると約束するよ」
ギブソンがルウの腰に手を回す。
もちろん大人しくしているようなルウではない。
「……手を離してください」
「ダメだよ。私のそばに置くことはもう決まりだから、大人しくしてね」
犬のリードを引くように、つないだ手を引き、歩かせようとする。
「もう一回言います。離してください。さもないと」
「さもないと?」
ギブソンは面白がるような調子だった。ルウは一切怯まずに言う。
「張り飛ばします」
ギブソンは目を丸くし、やがて大笑いした。
「私はこう見えて最強クラスの『才能』持ちなんだ。聖騎士が何人束になろうと私は倒せないよ。君にどうにかできる?」
「怪我をしても責任は問わない方向でお願いしますね」
力で倒せない相手をどうにかする方法ならいくつかある。
――この人、私が前に蹴り落としたときも、飛び越えたときも、全然反応はできていませんでしたよね。
強いと言っても、武道の型が身についているわけじゃない。ギブソンの身体の捌きはせいぜい非戦闘員クラスだと見積もって、ルウはさっさと勝負を仕掛けることにした。
ギブソンの懐に入った。襟首を掴み、思いっきり前に引く。姿勢が崩れたところを狙って、くるりと転身した。
肩に背負って、渾身の力で、ぶん投げる。
ギブソンはまったく対応できていなかった。無抵抗で投げられ、宙を飛んだ。机と椅子のセットに頭から突っ込んでいき、大きな音を立てる。
「殿下!」
聖騎士たちが一瞬で身を起こし、ルウを制圧しようと迫る。
――その動き、ディーン様の練習で見ました。
基本に忠実な彼の型は盗みやすかった。ルウは中でも一番浮き足立って体勢を崩している騎士に向かって直進した。
足に体当たりをかけ、スッ転ばせる。鎧は重たいので、転ばせれば数秒は無力化できる。
倒れた聖騎士を遠慮なく踏んづけて、勝手口を蹴破るようにして、外に飛び出した。




