8 悪女の装いを見せましょう①
◇◇◇
そしてパーティ当日。
ルウがパーティ会場のエントランスホールに一歩足を踏み出したとたん、ざあっと全員の注目が集まるのを感じた。階段の踊り場から、ホールの隅にある休憩用の椅子から、石膏像の影から、人々が顔を覗かせ、ルウを見ている。
――どうです、この悪女コスプレ!
ルウは襟ぐりが大きく開いたドレスを着ていた。オフショルダーで二の腕と背中も大きく開けたそのドレスは、着るのに少し……いや、大分勇気のいるものだった。妹など、馬車の中で大いに笑ったものだ。
「なんってダッサい格好かしら……! その野暮ったいのに露出が高いへんてこドレス、どこから発掘してきたの? 古物市場? 演劇の舞台衣装?」
「あら、よく分かったわね」
「それ、おばあちゃんの頃に流行してたやつでしょう? 見てられないわ!」
「そうかしら?」
――ヘルーシアがこんなに喜ぶなんて、私のセンスもなかなかということですね。
現在流行している悪女風のドレスはとにかく布が薄くスケスケで、ルウにはとても着る勇気がなかったが、このドレスは大昔の伝統ある衣装をアレンジしたものなので、ものはしっかりしている。そのため、なんとかルウにも着られる範疇で収まった。
予想以上によくできたので、ルウはすっかり気に入っていたのである。
しかもこの、ホールに一歩踏み込んだ瞬間からの注目の嵐、嵐、嵐。
皆がひそひそと噂するほどなら、ルウの悪女コスプレはかなりの仕上がりとみていいだろう。
衣装に合わせて、お化粧にもこだわった。わざと肌よりも二段階くらい白いおしろいを塗り、昔の、照明が乏しいころでも美しく映えるようにと計算された、はっきりしたバラ色を頬紅とまぶたの化粧顔料に選択した。
ルウはひとりでご満悦だった。
ヘルーシアはルウの隣で、優越感を隠しもせずもったいぶった仕草で淡紅色の髪をかきあげた。袖口から涼やかな音を立てて流れる絹は色気たっぷりのつややかなサテン地で、百合の花のように胴体を細く絞りながらも裾で緩やかに広がる白と黄色のドレスは、ヘルーシアの細い腰をこれでもかというほど強調していた。
「ねえ、せっかくだから挨拶回りに行きましょう? お姉様の晴れの衣装、皆さんにもじっくり見ていただかなくちゃ」
「望むところよ」
ルウはヘルーシアに引っ張り回されて、様々な貴族に挨拶することになった。
最初に捕まえたのは、父の古くからの知り合いである初老の伯爵様だった。どっしりと落ち着いた雰囲気の黒服を身にまとい、しゃれた片眼鏡を灰色の眉が備わった眼窩にはめている。
「おや、ソーニー侯爵家のご令嬢がた」
「ごきげんよう、伯爵さま。ご無沙汰しております」
「おふたりとも少し見ない間にずいぶんとおきれいになって」
「わたくしも今夜の姉は格別だと思いますわ」
くすくす笑いながら当てこする妹に気づいているのかいないのか、伯爵はダンディな笑いじわのある目元を細めてルウを見た。
「いやはや、すばらしいお衣装ですな。今ではなかなか手に入らないでしょう」
「あら、お分かりになりますか?」
「もちろん」
妹はくすくす笑いながら、次の貴族のところを目指す。
「伯爵さまも『ダサい格好』ってお笑いになっていたわね!」
「あれって笑ってたのかしら?」
「当たり前じゃない、お姉様ってほんっと鈍い人ね! そんな化石みたいな衣装、もう誰もしていないってはっきりおっしゃっていたじゃない!」
「そういうものなんだ……」
なんだかルウが意図していた方向とは違う部分で笑われているようだ。
――悪女なりきり、失敗だったんでしょうか。でも、よくできたと思うんですけどねぇ。
ルウは落ち込みかけたが、自信作のドレスを見て、気を取り直した。誰に笑われても、自分さえカッコいいと思っているのならそれでいいではないか。レトロな雰囲気もまた味である。
他人の評価など関係ない。大事なのは自分がどう思うかだ。
ルウは鋼の精神の持ち主だった。
次の貴族からも、そのまた次の貴族からも、ルウの衣装は褒めそやされた。
公爵家の年齢不詳な大奥様が、生き生きとした真っ赤な口紅を上品に微笑ませ、穏やかに言う。
「いいものをお召しですね」
「ありがとうございます」
「ああ、なんと懐かしい……私がほんの小さいころは、宮廷にあなたのような粋な装いをした美しいご婦人が集まっていたものです。憧れたものですよ」
「美しいだなんて、そんな」
服飾業界で名を馳せる裕福な男爵家の紳士とそのご令嬢が、ルウのドレスに目を光らせた。
「まあ、そのドレスはどちらでお仕立てになりましたの? レトロで素敵ね!」
「そのドレスを仕立てられるメーカーに心当たりがありませんね。今ではもう失われた技術です。ずいぶん高くついたのではないですか?」
「それほどでもありませんわ」
ルウは褒められて有頂天だったが、ヘルーシアは姉が嫌味を大量に浴びていると思い、いつも以上にいやらしく微笑んでいた。ビスクドールのように整った美貌も、下卑た笑みで歪めていては台無しだ。
そうこうするうちに、おしゃれと名高いマダムが近寄ってきた。
「ねえ、あなたの色使い、とても素敵ね。古いようで新しいわ。もっとよく見せてちょうだい」
貴婦人の絹手袋に包まれた指がそっとルウの頬に触れる。
「アイシャドウとチークがシームレスに繋がっているのね」
「独特のお化粧方法ですわよねぇ。わたくしも姉の個性には驚きましたわ」
ヘルーシアが何か言っているが、貴婦人は黙殺した。
ルウに向かってだけ話しかける。
「まぶたから頬骨にかけてのC字型の顔料は今期のモードですから、同じようにしている方は見かけたわ。でも、ドレスと合わせての古風で大胆な発色、大変よくお似合いですこと。斜めから見たときの美しさに目を奪われてしまったわ」
「ありがとうございます」
――モードだとは知らなかったですが。
妹もよく知らなかったらしく、決まり悪そうにしている。
この薔薇色は、野暮ったくならないよう頬の中央を避け、横顔からななめにかけて、流し目をしたときに一番よく映えるようにした。
――悪女といえば黒、薔薇、そして流し目ですもんねぇ。
古くさい原色を使いつつ、それだけじゃない工夫をしたつもりだ。それがモードだったというのは偶然であるが、褒められているのだからよしとしよう。
ルウは全力で乗っかることにした。
「モードにただ乗るだけではつまらないですもの。自分なりの個性を出してこそのおしゃれですわ」
「その通りよ。あなた本当に素敵ね。今度わたくしのサロンにも来て頂戴。ぜひお話がしたいわ」
「ええ、ぜひ」
ルウは適当な約束を取り付けて、またヘルーシアとふたりになった。
「ねえ、ヘルーシア、実はこれモードだったの。知ってた?」
「……分かるわけないじゃない、そんな下手くそな化粧じゃ」
ルウはちょっとニヤリとしてしまった。先ほどからヘルーシアにさんざん馬鹿にされていたので、溜飲が下がる思いだったのだ。