76 顔のない女③
◇◇◇
ディーンはやっと掴んだルウの『才能』の手がかりらしきものを分析してもらうべく、精神操作系のスペシャリストに話を聞くことにした。
彼は小柄でやや肥満した陽気な男で、何事も豪快に笑い飛ばす。ディーンの相談事にも、さも面白そうな大笑いで答えた。
「あっはっは、君の恋人が精神操作系の才能持ちかもしれない、だって? そいつはそうだろうよ。恋人の影響力ってのは、精神操作を疑いたくなるほどにでっかいもんだ。相手が若くて魅力的な女性なら特にな」
「そうではないんです」
容姿の評価がてんで食い違ったことを説明すると、男はまた大爆笑した。
「人の記憶なんて案外当てにならないもんだが、お前さんが思い出せないってのは異常だねえ。惚れ込んでいる女の容姿は忘れたくても忘れられないもんだが」
「惚れ込んではいませんが」
「ムキになるなよ兄弟! どっぷりハマってるって言ってるようなもんだぜ!」
あっはっはっは、と豪快に笑い飛ばされて、ディーンは決まりの悪い思いをした。このデリカシーのかけらもなさそうな男が精神の機微を操る『才能』の専門家とは。神の采配はよく分からないものだ。
男はひとしきり笑ったあと、陽気に言う。
「しかしお前さんはラッキーだな、今のは大ヒントだぜ! 見た目の証言が食い違うのなら、『幻術』関係の可能性がある! 手品の一種だ」
「……カードゲームは得意なようでしたが」
「幻覚を見せることができるのなら朝飯前だ」
「異様に器用なのは」
「幻術を取り混ぜて、器用に見せかけることもできるだろうよ!」
「なるほど……」
しかしそれでも説明のつかないことはある。幻が裁縫をするだろうか?
「だが、考えられるのはそれだけじゃないぜ! 『記憶操作』や『変身』などでも可能だ! もしくはもっと上位の才能の一部かもしれない」
「上位の」
「お前さんの『耐久性』は自分の精神にも作用するが、本来は肉体にかかるものだろう。複数の効果を持つものは少なくない」
「そうすると、できることが多すぎるのは――」
「かなり強力な才能なんだろう」
ディーンも、おそらくそうだろうと思う。ルウは並大抵の才能では説明がつかないほど多芸だった。
「しかし、ちょっとまずいかもな。何となく心当たりがないでもないが、あまり人に知れると大変なことになりかねん」
「どういうことですか?」
「命を狙われるかもしれないってことさ! あまり人に触れて回らないようにするのが賢明だろうな」
ディーンはごくりと唾を呑んだ。
「心当たりとは……?」
精神操作の専門家は、陽気な口調で告げる。
「それはな――」
◇◇◇
ルウが冒険者を志してからしばらく経った。
採取の仕事はルウに合っていて、午前中でほとんど終わる。残った時間で、ルウはカフェのバイトをしたり、厨房の手伝いをしたりした。
――あれから追っ手もありませんし、お金も順調に貯まっていますし、順風満帆ですねぇ。
秘訣はやはりこの、人の印象に残らない平凡顔なのだろう。特徴らしい特徴がなく、覚えにくい顔だから、服装を変えただけで誰にも見破られない。
バイトとバイトの間に空きが出来たある日、ルウはふと思い立って薬局に足を運んだ。
――そろそろ新作が出たでしょうか? 一、二週間くらいで開発が終わりそうと言ってましたが。
ルウはネイルの棚をチェックして、目を丸くする。
『悪女』
とラベルが貼られた新作を発見したのだ。色味は少し暗めの赤ワインで、斜めにすると茶色や、黒に見える。添え書きにはこうあった。シーンに合わせて大胆にドレスアップする悪女をイメージしました。遊色効果で七色に変化します。
ルウはその色が気に入ったので、すぐに買うことにした。
――バチルダ様のしたことはまだ許してませんが、このネイルは使わせてもらいましょう。
さらに新発売の商品がテーブルにディスプレイされていた。
新開発のスライムジェル。肉や魚の成分を吸着してかけらも残さず吸収します。
「結局スライム」
思わず声に出てしまった。慌てて口元を抑えたが、聞きつけた店員が近寄ってきた。
「こちらのジェル素材、従来は衣服などの洗濯にしか使えなかったのですが、このたびうちの薬師が新開発しまして、人体にも使える商品になりました」
「ちょうどこういうのが欲しかったんですよね」
「さらにこの商品と合わせてお使いいただけるハンドクリームが」
「全部推せる。まとめてください」
ルウの買い物はけっこうな金額にのぼったが、懐に余裕があったので気にならなかった。
――買ったなら、さっそく試してみたいところ。
ルウはいつもの厨房に行って、今日の仕事はないかと尋ね、暇なら入って良いとお許しをもらった。
「お前さんがいると何かと助かるからね」
「ありがとうございます。がんばります」
思いがけずに褒めてもらったので気をよくしながら厨房に入る。
すると、先に来ていたホイットニーが顔をあげた。手はおそろしい速度で野菜の皮をむいている。
「あれ、ルウちゃん。どうしたの? もう肉食禁止の斎日終わっちゃったから、しばらくお魚担当は必要ないって言ってたけど」
「あとでゆっくり説明します」
ルウはひとまず目の前の仕事を片付けることにした。それほど時間は要しない。
「もう終わっちゃった! ルウちゃんに手伝ってもらうとすぐ終わるから好き」
「いやあ、ホイットニーさんこそ。ふたりでやると一瞬ですよね」
することがなくなり、ふたりで帰ることにした。基本的に厨房の仕事はそれぞれ持ち場があるので、雑用係がそれ以外のことに手をつけると叱責される。だから、下処理が終わったらそれだけ早く帰れるのだった。
ルウはさっそく新商品を取り出した。
「こちら、お魚の成分を目に見えない単位で吸着して落とすスライムジェル素材だそうで」
「え、すごい、便利そう!」
「ミョウバンとハンドクリームでも結構においはマシになったのですが、こちらもなかなかよさそうじゃないですか?」
「うんうん! これって、こないだのお嬢様の?」
「そうなんです、相談したら作ってくれて」
ルウはフタからにゅるっとしたジェルをすくいとり、手にすりこんだ。ホイットニーも興味あるようだったので、使ってもらう。「いいの?」と確認されたが、ふたりで分け合う約束をしていたので構わないというと、嬉しそうに手に取ってくれた。
手を擦ると、みるみるうちに真っ白になり、ぽろぽろとした固形になる。そのうちに、大きな塊になった。
「これ、どうするの?」
「燃やせるらしいです」
いえい、と、ぴかぴかになった手を空にかざしてみた。
「どうかなー? とれたかなー?」
「どうですか? 分かりますか?」
くんくん、とにおいをかぎあう。ホイットニーと顔を見合わせたら、おかしそうにしていた。
「分かんないや!」
「鼻がきかなくなってるから全然分かんないですね」
「油と煙と魚と腐りかけの食べ物のにおいでほんとぐっちゃぐちゃだもんね」
それでもホイットニーは嬉しそうにはしゃいでいた。
「使い心地は悪くないから、続けてみるのはありかもね」
「そうですね。しばらくやってみましょう。これはシフトが多いホイットニーさんが持っていてください」
ルウはこっそりと心の中で付け足す。
――私はいつこの国を出るとも限りませんからねぇ。
お別れだからといって挨拶はしない。縁があればそのうちまた会えるだろう。




