74 顔のない女①
◇◇◇
ルウ・ソーニーが見つかった。
ディーンはその話を同僚から聞いた。第三王子が彼女を捕まえようとして、逃げられたのだと。
――無事だったのか……よかった。
真っ先にそう思った。まったく足取りが掴めないので、死んでいるのではないかと、悪い想像ばかりが膨らんでいたのだ。それからギブソンに怒りが湧いた。
――居場所を掴んだなら、どうして私を呼ばなかったんだ?
ディーンを出し抜いて、ルウを囲い込もうとしたからに違いなかった。結局捕まえられずに、逃げられたというが。
ともかくルウの無事は確認できた。
――生きていて……戻ってこないのなら、それは……
帰る気がないということなのだろう。包囲網をかいくぐって逃げきったというのも実にルウらしい。
情報を教えてくれた同僚たちは、わいわいと雑談をし始めた。
「でもあれ、本当にルウ・ソーニー? イメージと大分違った」
「パーティのときは盛ってたんじゃね? 人相変わるレベルの厚化粧ってあるよね」
「そうかも。ディーンから見てルウ・ソーニーってどんなだった?」
ディーンはおぼろげな記憶をたぐり寄せる。どうも彼女は掴み所がない。それなりに綺麗な子だと思ったような記憶はうっすらとあるが、しかしどんな顔だったかと言われると思い出せないのだ。
「素顔はそれほど派手じゃないんだ、彼女は。本人は悪女のつもりらしいが、普通のご令嬢だった」
「普通――」
「そう、そんな感じ。そこそこ可愛いけど、悪そうな感じじゃなかった」
「綺麗な感じじゃなかった?」
「よく思い出せない……すごく普通だったのかも。どこにでもいそうな茶髪で」
「え、黒髪じゃなかった?」
「金髪だったと思うけど……」
口々にてんでバラバラのことを話し合う同僚たち。ディーンもそこに加わる。
「黒髪だったはずだが、髪は染められるからあまり当てにならないだろう」
「あー、カツラをつけかえてたのかもね」
「それはありそう」
彼らの話を聞きながら、ディーンはふと違和感を覚えた。
――そういえば、彼女の目の色は何だったか。
よく思い出せない。目立たない色合いだったのだろうか。服装は地味だった気がする――しかし、赤いルビーのようなものをつけていた気もする。それがネックレスだったのか、指輪だったのか、もう覚えていないが。
――あれ? おかしいな。どんな顔をしていたのだったか……
つり目だったか、丸い垂れ目だったか? 唇の形は? 面長、丸顔、ハート型、顔の形はどうだっただろう。何か特徴的なパーツはあっただろうか。すべてあやふやだ。
――おかしいな。何も思い出せない。
そもそも、彼女はどんな人だっただろう。優しくて気持ちのいい子だったことは覚えている。何か家族と確執があったはずだが――どんなものだっただろう。家族構成は?
彼女との会話を必死に辿る。冗談が好きで、ふざけたことばかり言っていた。それから主義信条にかかわることも多少言い残していた気がする。同情を引く人間には注意しろだとか――恋愛はまだいいだとか。
ぼんやりとした記憶を辿るうちに、急に頭がはっきりしなくなってきた。だんだんとすべてがどうでもよくなってくる。ルウ・ソーニーなど、別に思い出さなくていいのではないか。ごく普通の、取るに足らない娘だった――
ディーンはとっさに剣に手を伸ばした。致命傷を避けて、ざっくりと手に切り傷をつける。
「お……おい、ディーン? どうした?」
「精神操作系の魔獣にやられたときのやつじゃん」
「なんかいた? お化け?」
「いやっ怖い! あたしお化け型の魔獣苦手なのよぉ!」
急に幼い娘のようにあわあわとうろたえだす同僚たちに、ディーンはため息まじりに言う。
「ルウ・ソーニーだ。彼女、おそらく精神操作系の『才能』を持っている」
「えぇっ!? うそぉ!?」
「あれって保護観察対象になるんじゃないの!?」
「ディーン、何か耐性持ってなかったっけ?」
「肉体精神ともに頑丈だ。多少の呪いならはねのける……が、彼女の方が強かったようだ」
「やっべえじゃん……それは本物だよ」
「え、でも待ってよ。あの子、すごい身体能力してたけど。塀の上を走れるなら、『体操』とかの方がしっくりくるんだけど」
「もしかして」
と、同僚が両手を前に垂らしながら言う。
「本当はお化けだったりして。塀の上も走ってたんじゃなくて、宙に浮いてすーいすいと」
「きゃあ! 怖いわ! 誰かあたしの手を握って!」
「見てこの鳥肌! もう夜はお外出歩けない!」
「今日はパパに馬車で迎えに来てもらうわ!」
くだらない冗談に脱線し始めた同僚を尻目に、ディーンは考え込んでいた。
――彼女は一体、何なんだ?
考えるそばから頭がぼうっとしてくる。それ以上は踏み込むなと、何者かが警告してきているかのようだ。
ディーンは必死に頭を働かせながら、聖騎士団の宿舎を走り出した。
精神操作系なら、専門の同僚がいる。彼に話を聞けば、何かが分かるかもしれない。
◇◇◇
同時刻、王子に追われたあくる日の朝。
ルウは人目を忍びながら、こっそりと王都のやや外れにある大きな建物にやってきた。大昔の要塞を思わせる無骨な石造りの建物で、住み心地は悪そうだが、敵襲には強そうだ。
冒険者ギルドの王国本部だった。
酒場兼待合のロビーには多種多様な人々がたむろしている。全身鎧で身を固めた無骨な騎士、魔術師を思わせるローブの女性、フィールドワークに向いていそうな服を身にまとった少年。
――いいですねぇ。昔、憧れてたんですよね。
クリストファーに猛反対されて諦めてしまったが、せっかくなので雰囲気だけでも味わいたい。超初級の雑用であればそんなに危険ではないので、それを主な生業としている人もいるほどだ。
ルウはロビーをくぐり抜け、奥の受付嬢に話しかける。
「すみません、初めてなんですけど」
まずは冒険者のメンバー登録をして、冒険者証を作らないとならないらしい。
渡された登録用紙にファーストネーム、年齢、住所を書き記し、最後に『才能』の欄には『才能なし』と書いた。
――偽名は……まあ、ルース、とでもしておきましょうか。
加えてサーネームを名乗らなければ、まず誰だか分かるまい。
見とがめた受付嬢が眼鏡を直しながら言う。
「あの、才能のない方は登録ができないことになっていますが」
「あれ、そうなんですか?」
出だしでいきなりつまずいてしまった。
「でも、薬草集めくらいなら才能なくてもなんとかなると思いますよ」
「うーん……あまり割りに合わないですよ。『薬師』や『図鑑』の才能がある人向けです」
「そのうちできるようになります。できなくて取り分減らされても文句は言いません」
「じゃあ、ですね……ここから先は独り言なので、後から聞かれても『そんなこと言ってない』とお答えしますが、そういうときは皆さん適当な『才能』を書いて提出してるみたいですね」
「うそ。チェックなしですか?」
「Cランクぐらいからちょくちょくチェックが入るようですが、下級のものなら特に問われません」
「じゃあ『短刀術』で」
ルウは実際にナイフが得意なので、そう簡単に嘘だとばれはしないだろう。
「外見の特徴を記録することになってますので、そちらの椅子にかけて少しお待ちください」
「そんなのあるんですね」
少し焦りながらルウが返すと、「身分証はだいたいそうですよ」と言われた。
「国外に出るときの身分証は、犯罪歴と顔の特徴が書いてあるものなんです。冒険者証も外に出るときの証明になるので」
「冒険者なら自由に出入りできるんですか?」
「ある程度のランク以上からですよ。だいたいCランクくらいから許可が出ます」
受付嬢はルウの顔を手に取り、近くでまじまじと見ながら、さらさらとメモを書く。黒髪、赤い目、大きな瞳、耳にピアスの穴が三つあり。歯並び良好、虫歯なし。中肉中背。
ルウは思わずピアス穴に手をやった。庶民の娘に擬態するため、三つとも一目で分かる安物のリングをはめている。
――外してくるべきでした……!
何かあったときに本人確認の材料にされてしまうではないか。
悔やんでいるうちに、調査は終わった。




