73 追いかけっこが始まりました②
嫌われると は思わないのだろうか? 不思議でならない。クリストファーは子どものルウを心配してくれていたというからまだ納得できるが、ギブソンのは不気味だった。
「骨折り損ですねぇ。何も面白いものなんてないのに」
「いやいや、十分だったよ。掃除、洗濯、裁縫、それにカードゲームも得意だというじゃないか。おまけに今の逃走劇! 『体操』の能力持ちでもなければあの大立ち回りは無理だろうね。君の『才能』はいったいいくつあるんだい?」
ルウはくだらないとばかりに、首に手を当てた。
「さあ……単にスーパーアルバイターとかかもしれませんよ」
「ああ、それはいいところをついてるかもしれないね。でも」
王子が顔を観察するように見つめてくる。
「何を隠しているの?」
「だから何も……疑うなら私の鑑定記録でも探してください。そのくらいは朝飯前でしょう」
突っぱねても、王子は困ったように笑うだけ。
「どうすれば吐かせられるかな」
幼子に手を焼かされていると言わんばかりの落ち着き払った態度だ。
「そういえば、君は私宛の紹介状を持っていたのに来なかったそうだね。王子付きの使用人には魅力を感じなかった?」
「ええ、まったく」
「でも、ディーンにはメイドになりたいと言っていたそうだね。お金持ちの家で」
「それは『誰も私のことを知らない遠方で』と、条件をつけました」
「誰かに身元を知られていたらまずい?」
「好奇の目線に晒されてうっとうしいでしょう」
「不思議だね。悪女と言う割に、君は派手なことを好まない。うちの女官なら、悪女としては最高のステイタスなのではない?」
彼は一体何を探ろうというのだろう。ルウは警戒しつつ、肩をすくめた。
「飽きちゃったんですよ。悪女ごっこはもうおしまいにして、静かに暮らしたいんです」
「君が本当にそうしたいのなら、手を貸さないでもないけど」
ギブソンは「でも」と続ける。
「私は始め、君の素性を疑っていたんだ。侯爵家の娘にしては卑俗なスラングをよく知っていて、父母からもどうやら大切にはされていない。しかも、しきりと廃嫡の申請が出ている。血が繋がっていないのではないか? どこかからの拾い子、もしくは不義の子……才能なしというには多才な能力。君は実力を買われて、何かの目的で、本物のルウ・ソーニーと入れ替わったのではないか、等々、色んな可能性を考えたんだ」
ルウは吹きだした。
――大真面目に何を言うかと思えば……
ずいぶん過大評価されたものだ。
「作家にでもなったらどうですか、王子様」
「笑い事じゃないんだよ。君の素性がはっきりするまで、野放しにはしておけない。分かるだろう? 稀少な『才能』持ちは、しかるべきところで活躍させるというのがうちの方針なんだ。君の母親のように」
「私の特技はどれも修業すれば身につくものですし、稀少なものとは思えません。『神託』が下せるぐらいになったら、王家が放っておかないのも分かりますが」
ルウが平行線の意見を出すと、ギブソンは埒が明かないと思ったのか、そこで会話を打ち切った。
ギブソンは笑いながらルウの肩を叩く。
「まあ、そんなに警戒しないでよ。別に君を痛めつけようというわけではないんだ。むしろ、できる範囲で援助をしていきたいと思っている」
「代わりに、鳥籠に入れと?」
「そんなことはしないよ」
「嘘つき」
ルウが肩にはりついたギブソンの手を払い落としながら言うと、彼はちらりと不快そうにした。
「現状で満足なの? 見たところ、贅沢はできていなさそうだけど」
ルウは彼の不快を煽ろうと、もっと嘲笑的になった。
「この世には贅沢よりも贅沢なことがあるんですよ。私は自由を奪われるくらいなら、死んだ方がマシです」
ギブソンは不快を押し隠した笑顔でルウにニイッとしてみせた。
「じゃあ決まりだ。君から自由を奪う。それで、秘密を洗いざらい喋りたくなるまで、ずっと閉じ込めておく」
「殺す気ですか?」
「きっと君も気に入るよ。私に飼われる生活から抜け出せなくなる」
「気持ち悪い」
「ハッキリしているところも好きだよ。いつ気を変えてくれるか楽しみだ」
ギブソンはこれで話をつけたつもりらしかった。
馬車から身を乗り出して、馭者に声をかける。
「行き先の変更を。右の道に離れの城館があるから、そちらに――」
ルウは反対側の壁を背にして、肘置きに手をついた。力をこめ、縁をぎゅっと握り締める。
背中と腕を支点に、足を振りかぶる。
真横に伸び上がるようにして、ルウは王子を両足で蹴り飛ばした。
反動を利用した蹴りはそれなりの威力があったらしく、王子は馬車の外に蹴落とされた。受け身を取れなかったらしく、頭から地面に突っ込んでいるのは見えた。
自身もシートから滑り落ちそうになりながら必死によじ登り、ルウは馭者に向かって叫ぶ。
「行ってください!」
「しかし――」
「付きまとわれて困ってるんです! 早く出して!」
ルウがせかすと、彼はひとまず馬の足を速めようと、手綱を握り直した。
ギブソンは頭を押さえながらようやく身を起こすところだった。
走り始めた馬車を見て、後を追ってくる。足取りに不確かなところはない。
――無傷ですか。けっこういい手応えがしたんですが。
ルウは隠し持っていたナイフを取り出し、ついてくるなら斬る、と言わんばかりに、王子に見せつけた。
彼はそこでようやく、足を止めた。諦めたのかも知れない。
ルウは彼の姿が遠く見えなくなっても、ずっとナイフで警戒していた。
田園地帯の郊外に着いてようやく、ルウは安堵に胸を撫で下ろしたのだった。
◇◇◇
ルウは農家で野菜の泥払いを手伝っていた。採れた野菜は明日市場に持っていくのだ。
「いやあ、ワッサさん、すみません、急にお邪魔しちゃって」
「いいけど、どうしたんだい」
「ちょっと追われてまして」
「自首するなら早いうちがいいよ」
「いえ、犯罪はしてないのですが、モテる女なので」
「金に困ってるのならあたしに言えばちょっとくらい貸してやるのに、馬鹿なことしたもんだねえ」
「盗賊だと思われてます?」
「あんた手癖悪そうだからねえ」
「生まれてこのかた盗みはしたことないんですよ」
「ルウお姉ちゃん来てるの? あれ作って!」
八歳の女の子が帰ってくるなり、ルウにおねだりをする。ワッサに台所を借りて、砂糖の飴細工を作ってあげることにした。以前にも披露して以来、とても気に入ってもらっているのだ。
どろどろになるまで煮詰めた砂糖のシロップを細い棒でからめとり、高速で振り回す。
シロップが白い糸を引き、きらめく細い線となる。ぐるぐると一通り作ると、綿飴ができあがった。
「すっごい、綺麗! 雲みたい!」
「これはね、こうして紅茶に入れるとふわーっと溶けるんですよ」
「わーーー、私の飴なくなっちゃったぁ!」
「また作ってあげますから」
こうして、ルウはひとまずワッサの家に一泊させてもらうことにしたが、どうしたものかと考えていた。
――私にお針子のスキルがあることはもう完全にばれてますし、そうすると早晩服飾店にもガサ入れが入るかも知れませんね。
しばらく別のバイトをしながら潜伏するしかない。しかしそこもいつ捕捉されるか。
――一応、王都の外に出られる算段もつけた方がいいかもしれません。でも、旅券を発行してもらえるかどうか。
旅から旅をする人に必須の職業といえば、やはりアレしかないだろう。あの団体は世界中にネットワークがあり、王族だからといって簡単に介入できる場所ではない。
――明日は職安に行きましょう。流れ者に紛れてしまえば、なんとかなるはず。
ルウは身近な人間に目の色すら覚えてもらえない、究極の平凡顔だ。よほどのことがなければ見つからないに違いない。




