71 噂の人と出くわしました④
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バチルダはルウのデザイン画から詳細を確認したあと、自信ありげに言う。
「そうね、このドレスなら、わたくしが手を貸せばなんとかなると思うわ。これを交渉のカードにできれば、あるいは……」
「言うことを聞かないのなら全部の服飾店から出禁にするとでも言うのはどうですか? 実際、すでに出禁みたいですし。これが公爵家の力かと勝手に勘違いしてくれるかも」
「……はっきり言うのは問題だけれど、そのように誘導してみましょう」
打ち合わせを入念に行い、日を置かず、すぐにふたりを引き合わせた。お茶会の名目で、ゲラルディンをバチルダの屋敷に呼びつける。
ルウは服飾師のふりをして、何食わぬ顔でふたりの会談を見守ることにした。
ゲラルディンは化粧っ気のない肌と自然におろした髪、それから無難な仕事着という出で立ちで参上した。
――この人、どうして派手なドレスなんか欲しがってるんでしょうか。
見たところ、自然派のようではある。こってりしたドレスよりは質のいい布に地味なデザインで、自分の美しい肌を目立たせるように着こなすのが性に合っていそうだと思ってしまう。
――その辺、突っ込んで聞くべきでしたね。
質問する機会を窺うルウの横で、公爵令嬢のバチルダが丁寧に説明を続ける。新作のネイルリムーバーの製法を渡してもいいこと。そしてゲラルディンの欲しがっているドレスを手配してもいいこと。
「毒を入れたという噂だけは残念だけど、もしも和解に応じていただけないようであれば、もう結構よ。服飾のパーツとして売る算段を立てたから、あなたがたの認可に拘る必要がなくなったわ」
バチルダは目の前に、平べったい宝石のチップのようなものを出した。キラキラした七色の反射光がテーブルに影を落とす。
「こちら、スライム樹脂を応用して作った人造宝石よ。おそらくネイルの販売利益など軽く吹き飛ぶでしょうね。でも、あなたに売ることは絶対にないわ。服飾業界は二度とあなたの服を仕立てない」
ゲラルディンは表面だけにこやかだった。
「それは恐ろしいですわね。でも、薬師ギルドから離反して、困るのはバチルダ様ではなくて? せっかくの『薬師』の才能を発揮できずに終わってしまいますわよ? ハズレの令嬢として、ずっとね」
攻撃用の『才能』を持たない令嬢はハズレ。心が痛い陰口だ。でも、バチルダ様は怯まなかった。
「そうね。貴族の出自から薬師に落とされたあなたのようになってしまうのかしら?」
ルウはあっと声をあげそうになった。
――ゲラルディン様も元貴族だったんですか。
ならば、行動原理もおのずと絞られそうだ。
「薬師ギルドの長にまで登り詰めたあなたの努力を賞賛するわ。それを、たかだかネイルのちっぽけな利益で台無しにする必要があって?」
「あらあら怖いこと。ハンブルトン嬢に何ができるのやら? ハズレの才能のせいでつまはじきに合う身分で強がっても空しいだけよ。魔女と呼ばれる前に、手を引くべきなのではなくて?」
「魔女認定がなんだというの。薬師ギルドの長にまでなれるのに?」
「何のことやら」
ゲラルディンは鼻で笑ったが、その目は笑っていなかった。
「魔女認定を受けたなら、わたくしは薬の販売業から手を引かなければならないでしょうね。処刑されたくなければ、薬師ギルドの門戸をくぐる必要がある。ギルド入りするのなら、貴族令嬢としての身分はもう捨てたも同然――」
バチルダはゲラルディンよりも冷静だった。
「あなた、わたくしを引きずり落としたいのね? かつて自分がそうされたように」
――なるほど、動機は妬みでしたか。
同じ薬師の才能を持ちながら、自分は迫害されたのに、公爵令嬢は認められている。
不平等だと感じたから、私的な制裁を加えたくなった。それがことの真相だったのだろう。
「無根拠の勘ぐりで侮辱しないで。公爵家のご令嬢といえどもそれ以上は容赦しないわよ」
抑揚のない声が、かえってゲラルディンの本音を雄弁に物語っていた。
「名誉を取り戻したいというお気持ちはよく分かるわ。わたくしには、微力ながらあなたをお手伝いする用意があるのよ。それで手を打ちませんこと? 来し方に失われた栄光を再び取り戻すために、ぜひともわたくしを利用なさいませ。ただし、お互いに利益のある方法でね」
ルウは黙って成り行きを見守りながら、ゲラルディンがこの要求を呑むだろうかと考えていた。
それはきっと、彼女の過去にかかっている。
「あのドレスは、誰かに見せるためにデザインしたのですか?」
黙考していたゲラルディンが、ルウの方を向いた。
「失礼ながら、あまり似合ってはいないと感じました。ゲラルディン様なら、もっとシンプルに、御髪や玉のお肌を引き立たせるよう、首回りに視線を集めるデザインがよろしいのではないかと」
――おそらく、本人の好みもナチュラル志向のはず。
「おそらくこちらの公爵令嬢のお力を借りるのがもっともお客様を輝かせると確信してご紹介いたしましたが、よろしければあのドレスでなければならなかった理由をお聞かせ願えませんか」
ゲラルディンは気が進まない様子で、しばらく黙っていた。
教えてはくれなさそうか、と諦めかけたころ、彼女が口を開く。
「……元婚約者の男が来るの。私に才能がないと分かるや、すぐに私との婚約を破棄した。その不道徳を責められたら、私を魔女認定して、社交界からも追放した。今では誰も私のことなんて思い出さない。だから――」
かつて、自分が一番輝いていた頃と同じドレスを着て、彼の前に出たい。
昔とほとんど変わらない姿を見せて、溜飲を下げたい。
ぽつぽつと語るゲラルディンの肌は輝くように美しい。どんな思いで磨き上げたのかなど、聞くまでもなかった。
「じゃあ、見返してやりましょうよ。ゲラルディン様のお肌は十代にしか見えませんもん。こんな美女を逃したなんて知ったらきっと悔しがると思いますよ」
「そうよそうよ。最高の生地と素材を使って、最高の髪結い師を呼びましょう」
ダメ押しのお世辞といたわりが効いたのかもしれない。
ゲラルディンは穏やかな顔で、「そうね」とうなずいた。
認めさせればあとは早い。バチルダが贔屓にしている最高級の服飾店にドレスを任せることで話がまとまった。ルウもふたりの和解を見届けてから、そろそろ姿を消そうと考えていた。
「ではバチルダ様、私はこの辺で。ネイルポリッシュの新発売、楽しみにしています」
立ち上がったルウを、バチルダは身振りで制した。
「待ってちょうだい、もう少しこちらにいらして? 服のことは何も分からないの」
「いえいえ、もう私に出来ることはすべて済みましたので――」
「お礼ぐらいさせてちょうだい! 何か欲しいものなどはなくって? 用立てるから、もう少しいてほしいの」




