70 噂の人と出くわしました③
そんなものはよそを当たってほしいと思う。せっかく公的には失踪しているのに、会ってしまっては台無しである。仕方なくルウは、バチルダを適当に言いくるめることにした。
やれやれ、話にならない、という仕草で、ふーっとため息をつく。
「バチルダ様はこれからどうしたいんですか? ネイルを薬師ギルドから殿下の販売ルートに移して、それでおしまい?」
「そんなはずないわ! わたくしは自分に授かった『薬師』の『才能』を生かして、生活に密着するいい薬を流通させていきたいの。薬が十分な量出回るようになれば、それだけ助かる人も増えるわ」
優等生の回答。これではダメだろうとルウも思う。相手が悪いことをしてくるという前提でものを考えられないのは、愛されて育った貴族令嬢の宿命なのかもしれない。
「じゃあ今からギブソン殿下の言いなりになっていたらダメじゃないですか? 私が殿下に会ったとして、その次は? 交渉というのは、双方に力があって初めて成り立つんです。ギルド長にもギブソン殿下にも商品を流通させる力があって、バチルダ様の新規参入を阻む権力もある。じゃあバチルダ様は? 何の力もないガチョウは、金の卵を産んで、毎日それを取り上げられておしまい? 自分の卵を守る方法を考えましょうよ」
「……っ、そんなこと言われても……」
庶民の間であれば尊重される職人系の『才能』。しかし、貴族ならハズレだと言われる。貴族に必要とされるのは敵を効率的に討伐するための力だからだ。敵とは、魔獣だったり、外敵だったり、はたまた国内の敵対勢力だったりする。
「どうすればいいの? わたくしには分からないわ」
ルウは愚問だというように、肩をすくめる。
実は何も考えていないが、ルウはこういう話術だけは得意だった。
「バチルダ様にはもうお分かりのはずです。ギルド長と、ギブソン殿下。どちらに取り入っても大なり小なり搾取されます。ならば――」
ルウはたっぷりと長い時間、沈黙した。なにしろ、その先を考えていない。
――どうしましょう。
本当に何も考えていない。バチルダとの沈黙が気まずいが、ルウはそんなことで動揺するようなタマではなかった。
――この人、真面目で賢そうなので、自分で何とかしそうなんですよねぇ。
ルウはお茶を飲みながら悠々と待った。
バチルダは紅茶の水面をじっと見つめ、深く考え込んでいる。
ルウは邪魔をせず、ひたすらクッキーを食べて待った。まったく関係はないが、このクッキーはおいしい。
「……そうね。どちらか片方に依存するから搾取されるのだわ。両方に競争させたらいいのよ」
ルウも思わず「そういう手が」と膝を打つようなつぶやき。
バチルダはひとり合点したように何度もうなずくと、ルウに潤んだ瞳を向けた。
「すごいのね、あなたって。私、ひとりでずっと悩んでいたのに、あなたのおかげで色んな道が見えたわ」
「いやぁ、そんな」
――なんだか勘違いしてくれてます! ラッキー!!
ルウは偉そうにしつつ、内心でほっとしていた。実に危ないところであった。
「そうしたら、まずはゲラルディン様との交渉の糸口を見つけなければいけないわね。あの方の弱点なり何なりを見つけられればいいのだけれど……」
そこでルウはゲラルディンから半端に聞くだけで放置していた注文を思い出した。
「実は、ゲラルディン様が服飾店に注文を出そうとして、どこからも断られているドレスの図面を持っているのですが」
「何それ、使えそうなの?」
「それは分かりません。バチルダ様次第です。ただ、ゲラルディン様は貴族にしか許されない素材を使った豪勢なドレスをお望みだとか」
バチルダはわずかに顔を上げた。何かを思いついたらしく、瞳の色は明るい。
「……そのデザイン、見せていただけて?」
「では、さっそく明日にでもお持ちします。本日はこれにて」
ルウは約束を取り付けると、しずしずとバチルダの部屋をあとにした。誰にも見られない曲がり角まで退いてから、弾んだステップで家路につく。
――よっし、うまく誤魔化しました!
とりあえず公爵令嬢をギルド長に紹介し、ふたりの仲を取り持てれば、ギブソンには会わなくても済むだろう。
しかしルウはそろそろ引き際だと感じていた。なぜだか知らないが、ギブソンはルウに会いたがっているというし、うかうかしていると見つかりかねない。
――ゲラルディンとバチルダ様を引き合わせたら、姿を消しましょう。
この橋渡しが成功すれば、またルウの好きなネイルポリッシュが売られるようになるだろう。




