63 ネイルはがし魔の正体
ヘルーシアの偽手紙事件からしばらく後。
ルウは連日、アルバイトの隙間時間に、ひとりで街をうろちょろしていた。
例のネイル落とし魔を捜すためだ。
真っ赤なネイルをあちこちで見せびらかしながら練り歩き、気まぐれに裏路地に入る。うっすら泥のたまった道をひょいひょいと避けながら、歩いて行った。
すると後ろから、男性の声がかかった。
「ルウ」
振り返って、ルウは目を見開く。
「クリストファー……!」
意外すぎる犯人に、ルウも動揺を隠しきれない。
「ネイル落とし魔はクリストファーだったんですか!?」
「何ソレ?」
「ネイルを塗った女の爪が大好きで、落とすことに命をかけているとかいう」
「え? ネイル?」
「この赤い爪が目当てなんでしょう?」
「いや、私が捜してたのはルウだけど。どうしたの、真っ赤じゃない。怪我でもしてる?」
「これはこういうお化粧品の……おしゃれの一種です」
クリストファーは何が何だかよく分からない、という顔をしている。どうやらネイルという概念自体が彼の中になかったらしい。犯人ではなさそうで、ルウもちょっと安心した。
これまでのやり取りなんてなかったように、ルウはにっこりする。
「お久しぶりです、クリストファー。よくここが分かりましたね」
「うん……小さい子がバイトなんて危ないと思って、ときどき見に来てたから」
ルウは一歩退いた。
「うわ、気持ち悪い……そういうところですよ、クリストファー」
「え? え? なんで? 普通は心配するよね?」
「心配なら正々堂々様子を見にくればいいじゃないですか。影からコソコソするから気持ち悪いんですよ。今まで覗かれてるなんて知りませんでしたので今すごく気持ち悪いです」
「ルウは言葉に容赦がないから嫌いだよ」
クリストファーが疲れた顔で肩を落としている。
「何か用ですか? 覗き魔のクリストファーさん」
クリストファーは嫌そうな顔をしつつ、怒りはしなかった。温厚な人柄なのである。
「葬式は出さないから、いつでも好きなときに戻っておいでよ」
ルウはもう一歩引いた。
「どうしてクリストファーが妹宛の手紙を知ってるんですか?」
「会議になったんだよ。私も呼ばれた」
「反対しちゃったんですか? うわあ……そういうところですよ、クリストファー」
「今度は何?」
「私の味方なんかしたらヘルーシアが不機嫌になるって分かりません?」
「いや、分からないけど……」
「ヘルーシアはクリストファーのことが好きだったんですよ」
「あー……やっぱりあの手紙、ルウの仕業だったんだ。そうじゃないかと思った」
先ほどにもましてぐったりしているクリストファーが、うめき声を上げる。
「ルウのせいで、私はヘルーシアに『お前なんか大嫌いだ』って罵られるし、ルウには『気持ち悪い』って何回も言われるし、踏んだり蹴ったりだよ……ねえ、私なんかした? ルウは私に恨みでもあるの?」
「山より大きな恩を感じてますね」
「じゃあどうしてこんなことするの……? 泣きそうだよ」
クリストファーが手紙をルウに返してくる。ルウはびっくりして手紙とクリストファーの顔を交互に見比べた。
「ヘルーシアの好きな人は、クリストファーではなかったんですか……?」
「うん……まずどうしてそう思ったの? そこから詳しく聞かせてくれる?」
ルウはひとしきり鋭い考察を喋った。話が進むにつれてクリストファーがどんどんうなだれていくが、そんな小さなことを気にするルウではない。
「ごめん、ちょっとよく分からなかった」
「もう一回説明……」
「いやいいよ。君のことも分からないけど、ヘルーシアのことも分からないや……何でまだルウの評判にこだわるんだろうね」
「それが解せませんよね」
「それに第三王子もだよ。否定すればいいのに、どうも広まるのに任せてる感じがするんだ」
「遊び人だから女の影ぐらいではダメージ受けないのでは?」
「どうだろうね……」
クリストファーは考えるポーズを解くと、伸びをした。
「まあいいや。元気そうでよかったよ。いつまでも待ってるから、そのうち帰っておいでね」
「絶対嫌です。私はこの暮らしが合ってるので、家には戻りません」
「ルウ……」
クリストファーは悲しそうに眉を下げた。
「色々と不満はあるだろうけど、君みたいな子がひとりでふらふらしてるのはやっぱり心配だよ。ルウは調子に乗ると後先考えずに危ないことをするから」
「うっ……」
「私がうまくやるからさ、うちで一緒に暮らそうよ」
ルウは即座に首を振った。
「断固としてお断りです! 私は危ないこと、悪いこと、ふざけたことをするのが生きがいなので! 心配性のクリストファーと一緒に暮らしたりしたら息が詰まって死にます! 勝手に監視とかほんとに嫌です!」
クリストファーは、はぁ、とため息をついた。ルウに呆れているのだろう。
「分かったよ。でもときどきでいいから顔は見せにきてほしいな。ルウのトンデモ話、たまに聞きたくなるんだ」
「そうですね、月末にお金がなくなって、食費に困ったら行くかも知れません」
「とりあえずそれでいいよ。月末にルウの好きなもの用意して待ってる」
そして彼はもう一枚手紙を取り出した。
「これはルウが持っているべきだと思うから、返すよ」
受け取ってみて、目を瞬かせる。宛名には何も書いていない。
「人に見られないように、帰ってから開けて」
クリストファーは「またね」と言い残して、表の街道に戻っていった。
――親切でいい人なんですけどねぇ……
ルウはなんだか過保護すぎるクリストファーが少々苦手だった。
どんなことも『それはダメ』『あれもダメ』『とにかく危ないからダメ』と、まるでルウを五歳児のように見做してどんどん行動を制限しようとするので、息苦しくなってくるのである。
――冒険者はダメだよ。ああいうのは高度な戦闘の『才能』持ちの人がやるもので、ルウなんか序盤のスライムでやられちゃうよ。
それもそうかなと思ったので諦めた。
――薬師のバイト? ダメだよ、高度な専門知識が必要だし、知識のない雑用係に回ってくるのは危険なものばかりだよ。ほんの少しの量で人が死ぬ劇薬なんて、大雑把なルウに扱えるの? うっかりして手とか足とかが溶けたらどうするの?
考えすぎじゃないかと思ったが、それでも当時のルウは、クリストファーが言うのなら、と思った。
――酒場のバイト? 絶対ダメ、客層が最悪だよ。お酒が入った乱暴な人たちを相手にしないといけないのは子どもには危なすぎるよ。三つ星のレストランとかにするべきだよ。カフェでもいいけど。
ルウは大人しく調理場とカフェの仕事についた。
バイト先の助言はありがたかったが、それだけに留まらず、彼はあらゆることに口を出してくる。
――男装なんてダメ、必要ないよ。女の子はスカートをはかないとみっともないよ。
カフェの制服を見ては小言を言い、
――ナイフの練習なんてやめなよ、怪我をしたらどうするの? 生兵法は大けがのもとって言うんだよ、中途半端に使えるって自信をつけたら非力な女の子はかえって危ないんだよ。
ルウの趣味であるナイフにも文句を言う。
――屋根に登っちゃダメ、落ちたら危ないよ。通りの真ん中を走ったらダメだよ、馬車に轢かれるからね? 見知らぬ猫に餌なんかあげちゃダメ、変な病気をうつされたらどうするの? 爪を切るときはお昼に、馬車で移動する前には蹄鉄にお祈りして、魔獣に出会ったらこの鈴を鳴らして――
やたらと細かいことまで口を出す。
ルウは息苦しくなってしまい、どうしたものかと思っていたのだが、父が睨みをきかせるようになってからはめったに顔を出さなくなったので、正直助かったと思っていたのだった。
なのに、まさか後をつけられて監視されていたとは知らなかった。ルウ一生の不覚である。
――全然気配を感じませんでした。クリストファーの才能は『事務』だか『帳簿』だかのはずなので、尾行なんてできるわけがないのに。
今後は気をつけようと思いつつ、ルウはその後もしばらくうろうろしていたが、その日はネイルはがし魔に会えずじまいで帰宅したのだった。




