60 妹に再会しました②
第三王子との醜聞を流したかと思えば、相手にされるわけがないと不愉快そうに切り捨てる。ディーンに迷惑をかけたかと思えば、やはりルウなどが相手にされるわけがないと怒る。
考えれば考えるほど分からない。
正直に言えば、ヘルーシアには色々といたずらをしたので、恨まれていることは百や二百ではきかないだろうなとは思う。しかし今更ルウがふしだらだったという噂を強調して、何のメリットがあるのだろう?
――行方不明になったせいで私のことを悪く言えない空気ができあがってしまって、それが腹立たしかったとか? 誰かが私に遠慮してお世辞を口にしたのが許せなかった、とか。
ありそうな気がする。ヘルーシアは昔からルウに対抗意識を燃やしている節があった。
――そうすると、私のことをよく言ってくれそうな人物といえば……
ルウは心当たりを探っているうちに、ふと昔のことを思い出した。
ルウが離れに追いやられた直後のことだ。
世話を放棄され、困ったルウはあっちこっちに食べ物をねだって歩いてしのいでいたが、その中の一人にいとこのクリストファーがいた。彼は父のお気に入りで、よく屋敷を出入りしていたのだ。何かの仕事を手伝わせていたらしい。
クリストファーは気の優しい性格で、困っているルウにいろいろと差し入れをしてくれた。のみならず、『もっと肉が食べたい』だの『とにかく砂糖を持ってきて、キロ単位で』だのといったワガママもきいてくれた。
――親切な人ではあったんですけどねぇ。
しかしルウにも最低限の慎みというものがある。食べ物はねだれても、ぱんつと靴下はさすがにねだれなかった。だからルウはバイトに出ることにした。
バイトの収入とクリストファーの差し入れ、そしてこそこそ厨房からくすねてきた食料のおかげで、あのころのルウは一日三食とは言わないまでも、一食か二食は確実に食べられていた。もっとも、調子に乗りすぎたせいで父に見つかってしまったのだが。
――まあ、盗んだご馳走でひとり年越しパーティとかを開いたのはさすがにやりすぎでしたよねぇ。
あれは楽しかった。屋敷から盗んできたチキンにバターたっぷりの保存用ケーキ、ジンジャークッキー、片っ端から机に並べて全部独り占めである。
屋敷では用意させていた料理が全部なくなって、大騒ぎだったらしい。
しこたま怒られて鞭で打たれた。ついでに『ルウに食べ物をやったやつは厳罰に処する』というお触れが出た。クリストファーは気弱で臆病なため、偉い剣幕で怒る父に恐れをなし、以来あまりルウを構わなくなったのだった。
おかげで食事が減るわ背中と肩に鞭打ちの後が残ったわでさんざんだったが、バイト代があったのでそれほど困りはしなかった。あまつさえ性根が図太いルウは使用人を捕まえて『食べ物をやるなとは言っていたが飲み物をやるなとは言われていない』などのへりくつをこね回し、まあまあ何とか生きてこれたのである。
ルウの身の上はともかく。
あのころ、クリストファーから差し入れをもらうとき、ときどき妹のヘルーシアが物陰からじっと見ていることがあった。二階の自室から窓を開けてじっと見下ろしていることもあれば、テラスから様子を窺っていることもあった。
絡みつくような視線がうっとうしかったので、ルウは何だろうと思った物だ。
――お菓子を分けてほしいんでしょうか?
ヘルーシアは生意気で好きになれないが、それでも妹である。姉としては面倒をみてやらなければならなかろう。
ルウがなけなしの砂糖菓子を持っていくと、ヘルーシアが『お姉様の食べ物なんかいらない! 汚い!』と拒絶したので、悲しかったというオチがついた。
何だろうとずっと思っていたが、ここに来てピンと来た。
――もしかして、ヘルーシアはクリストファーが好きだったのでは?
父が彼を気に入り、何やらヘルーシアの婿候補に考えていたらしいことは知っている。ヘルーシアの方も好きだったのだとすれば、いいことなのではないか。
そしてヘルーシアは、ルウがいなくなった今でも、クリストファーにまとわりついて食料を強奪していた(あれは山賊だったと自分でも思う)ルウを恨んでいるのかもしれない。
――なるほど、それで第三王子を利用したというわけですね。
ルウが第三王子に囲われているという噂が流れれば、クリストファーだってルウのことを『図々しいとは思っていたけどここまでとは』と見下げ果てるだろう。
――好きな男の子に近づく女は全員排除したいだなんて、ヘルーシアもなかなか過激ですねぇ。
悪くはないが、姉としてはもの申したい。
――アプローチの仕方を間違っているのでは? 好きなら、正面からそう伝えれば済むことでしょうに。
クリストファーはハッキリしない性格だが、いい人であることは間違いない。自分から積極的に女の子を追いかけるような性格ではないのでもどかしいかもしれないが、ヘルーシアが自分の気持ちを素直に伝えればきっとうまく行くことだろう。
――でも、ヘルーシアには難しいのかもしれませんね。
あの子は気位が高く、何かというとくすくす笑いながら人をからかうクセがある。からかいグセのある人が、自分だけはからかわれまいと本音を隠すのはよくあることで、ヘルーシアはとにかく素直じゃなかった。
その彼女が、はしたないと非難されてでもクリストファーに好意を伝えにいくような真似をするだろうか? おそらくしない。向こうから言い寄ってくるのを待つだろう。もったいないことだ。ほんの少し素直になれば幸せはすぐそこにあるというのに。
――そうだ! いいことを思いついてしまいました。
かくして姉貴風を吹かせたいルウは、一計を案じることにしたのだった。
◇◇◇
ルウはおしゃれ薬局に再びやってきた。
目当てはアーモンド石鹸だ。あらためてテスターの香りをかいでみる。
――間違いない。ヘルーシアが愛用していた石鹸です。
杏のようなほのかな香り。ルウはてっきり軽めの香水だと思っていたが、違ったのだ。
――たぶん、小さく切った石鹸をそばに置いておいて、小物に匂いを移していたんですね。
そんな面倒くさいことをしないで直接香水を吹き付ければいいのではないかと思わないでもないが、きっとこの香りが気に入っていたのだろう。
ルウは石鹸を買い求め、ついでにその足でヘルーシアがよく贔屓にしていた雑貨屋に行った。
――あの子が使っていた便箋は……あった、これこれ。
真っ白な便箋の縁を金箔押しの薔薇のフレームが覆い、中央に金の罫線が引かれている。先日部屋で書くものを借りたときに出てきた便箋と同じだ。
――インクは確か……そうそう、これこれ。
『花束』という名前がついた、淡紅色のインク。万年筆で強く書いたときのダークピンクと、力を抜いたときのスモーキーピンクの移り変わりが、まさにあのときのものだった。
正直うろ覚えだったが、実物を見ると案外思い出せるもので、ルウは着々と必要なものを集めていった。
目当てのものをすべてそろえ、帰宅する。
ルウは何度もヘルーシアの筆跡を思い浮かべながら、いらない紙に練習をした。
文面はだいたいできている。あの子が好きだったロマンス小説のフレーズでもちりばめれば本人らしく見えるだろう。
――細工は流々、さては仕上げをご覧じろ……っと。
ルウは渾身の代筆ラブレターを仕上げ、ブリキの缶に入れて、砕いた石鹸と一緒に寝かせておくことにした。
――三日もすれば十分でしょう。
そうは思ったものの、ルウは楽しみすぎて待ちきれず、結局一晩寝かせただけで、いそいそとクリストファーに届けに行ったのである。
門の前を見張ることしばし。
見覚えのない使用人がひとりになったのを見計らい、ルウは真っ黒な衣装で顔を隠して、突撃した。
「あのっ……こちらをお渡しください!」
それだけ言って、さっと手渡し、逃げ去る。
物陰に隠れて、使用人が不思議そうに封筒の表と裏を確認しているのを見届け、ルウは帰宅することにした。
――顔は見られていませんし、きっとヘルーシアが自分で届けにきたのだと誤解するはず。
ルウは上機嫌に帰路についた。
 




