6 悪女とは何か調査します③
夕方になり、カフェのお客が落ち着いたあとは、レストランの厨房でお皿洗いと、仕込みの手伝いをする。
裏側はディナーの開始を控えて、仕込みの見習いが忙しく行ったり来たりしていた。厨房の壁に整然とかけてあった大きなお玉やフォークやトングが歯抜けになって、かまどの上の寸胴鍋に浸かっている。パンを刻んでパン粉を作る人、肉を刻むテーブルで大型の挽肉機を手回ししている人、大量のレバーミンチにタマネギとハーブを混ぜている人、様々な人が怒号を飛ばして行き来する横を、ルウは慣れた足取りで避け、押し通った。
ルウは白い帽子とエプロンとマスクに身を包み、大量に用意された洗い立てのにんじんやラディッシュなどを前に、手を軽くわきわきとさせた。
「遊んでんな、早くしろ!」
チーフからの叱責が飛ぶが、ルウはそんなことで自分のペースを乱すようなタイプではない。
横でもうひとりの仕込み担当の女の子、ホイットニーがひたすらナイフで牡蠣貝を割り、中身を取り出す作業に専念している。
ルウも包丁を持ち、しゅるるるるっと調子よく野菜をかつら剥きに剥いていった。
野菜をお花の形に飾り付けたら終わりだ。
すぐ終わったのであがろうかとも思ったが、今日のルウは聞いてみたいことがあったので、殻割りを手伝うことにした。
「え? 悪女になる方法? そんなのわたしが聞きたいよ」
「意外……悪女志望だったんですか?」
ホイットニーは可愛い感じで、悪そうな雰囲気はない。
「そりゃあこんなところで毎日毎日お魚をさばいてるわたしからしたら、このお皿を食べる女の人たちが羨ましいに決まってる。ルウちゃんなら分かるよね? わたしなんか、悪いことでもしないと一生あちら側にはいけないんだろうなって」
「あちら側だってろくなもんじゃないですよ」
貴族令嬢のルウが思わずつぶやくと、ホイットニーはちょっと眉をひそめた。
「移民で、魚臭いからって学校でイジメられるようなわたしよりマシでしょ?」
「貴族だってイジメられますよ。人の幸せって、同じグループの中での比べ合いで決まるところもあるので。孤独はどこの階層でも発生します。そのつらさは、どんな階層であろうとも共通です」
ホイットニーは牡蠣貝の殻をやや乱暴に投げ捨てながら、ため息をついた。
「でも、悪女って、イジメられる方じゃなくて、人をイジメる方じゃない。やっぱり羨ましいよ」
「人をイジメる方……」
「イジメっていうのかな? かわいい、きれい、やさしい……いろんな見せかけで騙して搾り取るのって、みんなより格上って感じ」
「みんなより格上……」
「貴族なんてきっとみんな悪い人たちに決まってるもん。平民からあんなにお金を搾取してるんだからさ。悪い人たちを手玉に取るのって、なんかカッコいいじゃん」
「悪人を手玉に取るのはカッコいい……」
ルウは感心してしまった。
「確かにそういう悪女はカッコいいですね。憧れてしまいます」
「でしょ? なれるもんならなってみたいなぁ……」
そのとき、表で大きな音がした。
「……なに?」
「レストランの方?」
耳をすませていると、女性の叫び声と、たくさんの食器が割れる音がした。
「何事だ、おい、ウェイター!」
チーフの怒鳴り声に、慌てて戻ってきたウェイターが答える。
「お客様が急に暴れ出したんですけど、騎士だから誰も取り押さえられないんです」
「何人かやられて怪我しました!」
ルウは牡蠣貝の殻をいくつか掴み、厨房の出口に向けて走った。
「あ、おい! 何してるんだ、戻れ!」
シェフの悲鳴を後ろに聞きながら、ルウは厨房を飛び出した。
上品に着飾った男女が、凍り付いたようにフロアの一角を見つめている。
テーブルから立ち上がり、男性客が何かを喚いているのだ。顔を真っ赤にして叫んでおり、「無能が!」だとか「死んで詫びろ!」という声がルウにも聞き取れた。
その手が剣に伸びて、鞘から抜き放った。店内で人を斬るつもりなのだ。
――制圧は……距離がありすぎて間に合いませんね。
ルウは牡蠣貝の殻をまっすぐ投げた。
騎士の腕にヒットし、大きな悲鳴が上がる。
「なっ、何だ……!?」
不意打ちを警戒してか、飛んできた方――ルウに向かって剣を構える。その腕にもう一発当てるつもりで残りを投げたが、すべてはたき落とされてしまった。なかなかの使い手だ。
「何だお前、止まれ! 来るな!」
警告を無視して距離を詰めきると、ルウは手に持っていた包丁で、服の真後ろを壁に縫い付けた。ダン! と激しい音が響き渡り、詰め襟に首を吊られる形になった騎士が苦しそうにもがく。
「次は首をかき切ります。大人しくしてください」
そのときになってようやく、周囲がざわざわし始めた。
「なんだあれ」
「シェフ……?」
「騎士に勝ったのか?」
「ナイフの『才能』持ちかなんかじゃないか?」
「すげえな……戦闘関係の『才能』ってあんなに強いんだ」
『才能』。
この世の人はすべて、神様から才能を与えられて生まれてくる。厨房の人間がナイフや包丁の『才能』を持っていることは珍しくなかった。
ルウはもっと大騒ぎになる前に、さっさと厨房に引っ込んだ。
大喜びで迎えてくれたのはホイットニーだった。
「ルウちゃんすっごい! やっぱりナイフの『才能』があったんだね!」
「いやぁ、それほどでも」
適当にごまかすルウに、ホイットニーは興奮した顔で言う。
「脅しをかけてるルウちゃん、すっごく悪女っぽかった! わたしもあんな風に強い悪女になりたい! ナイフ投げ、習ってみようかなぁ……? わたしにも包丁さばきの『才能』があるんだもん、きっとルウちゃんみたいになれるよね? ね?」
「え、ええ、きっと……」
ルウはちょっと罪悪感を覚えた。ホイットニーの将来計画にものすごい悪影響を与えてしまった。あとで何かしらのフォローをしないといけないだろう。
ともかくも、彼女の意見はとても参考になった。
――悪い人をこらしめる悪女はカッコいい、かぁ。
そういう悪女にルウもなりたい。