58 ルウの捜索②
「彼女はどういう人たちと付き合っていたんだ?」
詳細を詰められて初めて気づく。そういえば、姉があっちこっち野良猫のように外泊を繰り返していたことは知っているが、誰と浮名を流していたのかはまったく知らない。
「そ……そんなの、どうでもいいことではありませんか。それより」
「今はどんな些細な情報でも欲しいんだ。絶対に見つけ出さなくては」
「ディーン様が責任を感じることなんてありませんわ。姉はどうしようもない人なのです。ディーン様のことだって、『騙して付き合うように仕向けた』とはっきり言っていましたもの。わたくしたちソーニー侯爵家こそ、こんなことになって面目が立ちませんわ」
「いや、彼女は素晴らしい人だった。行き違いがあって、出ていってしまったんだよ」
ヘルーシアは聞き間違いであってほしいと思った。
ヘルーシアは表向き、母親の連れ子ということになっている。そうでなければ不義の子として白い目で見られるからだ。男爵家の母親の連れ子であるからには、法律上はやはり男爵家の孫娘ということになる。すなわち、身分が低くて、持参金も少なく、結婚する旨みはないが、外見は美しいので遊び相手としては最高の娘。
だからこそ、へルーシアは人一倍令嬢らしさに気を遣ってきた。
“卑しい身分のくせに――“
“血は争えないのね”
社交界で囁き交わされる噂にヘルーシアが巻き込まれないよう、きちんとしてきたつもりだった。
姉なんかに負けるものかという気持ちも手伝って、今では侯爵家のご令嬢といえばヘルーシアだと思われるまでになった。本妻の子であったルウなんかより、ヘルーシアの方がずっと本物の令嬢らしいはずなのだ。
それもこれも、すべてはいつか嫁ぐ日のため。
何恥じることのない綺麗な経歴で、完璧な令嬢として幸せになりたいからだった。
生まれは選べないが、自分で変えられることなら全部やってきたつもりだ。
なのに、どうしてよりによって、ずっと好きだった相手をルウなんかに取られないといけないのだろう?
本妻の子だから?
あんな、何も努力なんてしてこなかったような人が?
歌もダンスもファッションも何にもなっていない女が、こんなに努力してきたヘルーシアより幸せになるなんて、話が違う。そんなの許せるわけがない――!
ヘルーシアは悔しい気持ちがあふれ出しそうになるのをこらえながら、平静を装って言う。
「ディーン様、姉のことをそんなにかばっていただかなくとも大丈夫ですわ。わたくしたちも、ディーン様にはお詫びをしなければならないと思っておりますの。素行不良の姉に代わって、わたくしがディーン様のところに嫁ごうと思うのですが、いかがでしょうか?」
ディーンはわずかも逡巡しなかった。
「それには及ばない。私は彼女に帰ってきてほしいんだ」
「でもディーン様、姉はたくさんの男とも平気で付き合う悪女ですのよ? そんな女、ディーン様にはふさわしくありませんわ。わたくしなどディーン様が被った風評被害の埋め合わせにはほど遠いでしょうが、姉のようにだらしない行動はしないと誓って申し上げられます」
ディーンは不愉快そうにヘルーシアを見た。びくりと、ヘルーシアの身がすくむ。
「私は君の姉と婚約しようとしていたんだ。一緒に暮らしていた。一度は義理の妹になるはずだった相手との婚約なんて、私の常識では考えられない。あなたも、そのような悪評をわざと被る必要はない」
聖騎士らしい潔癖な回答。
「でも、だからって、あんな人のせいで、ディーン様まで悪く言われるのを見過ごすわけには――」
「心配しないのか? 君の姉君だろう? 今こうしている間にも恐ろしい目に遭っているかもしれないのに」
ディーンの冷ややかな質問に、ヘルーシアは息を詰めた。
なんとか呼吸を整えて、口を開く。
「もちろん案じておりますわ。でも――姉は、わたくしに意地悪ばかりしてきた、ひどい人なんですよ。忘れてしまったのですか? わたくしたち、ずっと昔に、子ども会のパーティで出会っておりますの……ほら、鬼ごっこで、帽子をたくさん集めた人が勝ちというルールで……」
ディーンは冷たく『覚えがない』と言ったものの、ヘルーシアはとにかく姉の悪行を吹聴したかったので、構わずに全容を話した。
「――わたくしは最後のひとりになるまで、執拗に追い回されたのです」
ディーンは思い当たる節があったようだ。
「もしかして、氷の飴細工が優勝賞品だった?」
「そう、そのゲームですわ!」
ディーンは美しい顔をほころばせた。
「ああ……覚えている。そうか、あのときの女の子がソーニー嬢だったのか……」
ヘルーシアは期待に目を輝かせる。思い出してもらえたなら話が早い。
「姉は本当に意地悪で――」
「昔から優しい人だったんだな」
ヘルーシアは今度こそ聞き間違いであってほしいと願った。
「わっ、わたくしを虐めていたんですよ!?」
「何を言っているんだ、君を最後まで守って、優勝させてあげていたじゃないか」
「でも、わたくしは怖い思いをしたのです!」
追い回した姉が悪いはずだと確信していたが、ディーンは分かってくれずに、微笑ましそうに笑った。
「そうか……昔っから変わっていなかったのだな。本当は誰よりも優しいのに、誤解されるようなことをしてうやむやにしてしまう」
「過大評価ですわ! 姉はその場その場の思いつきで行動しているだけ! 現に、ディーン様も」
ヘルーシアの評価は本質を突いていた。
しかしディーンは不愉快そうに顔をしかめた。
「パーティ会場で絡まれていたあなたを助けてくれたのも姉君だったろう。多少の手品が使えるとしても、か弱い女性が男性に立ち向かうのは勇気のいることだったろうに」
「あっ、姉にそんなまともな感性なんてあるはずが――!」
「何度も助けてもらっているのに感謝もせず、いなくなって心配をするどころか自分の押し売りか」
ヘルーシアはそれ以上何も言えなくなった。
「もういい。私はこれ以上彼女の悪口を聞きたくないんだ。悪いが帰ってもらおう」
ディーンはそう言い残して、本当に応接間を出ていってしまった。
執事から追い払われるようにして屋敷を出、馬車に乗せられる。
ヘルーシアは泣くものかと思ってこらえたが、姉への憎悪はいや増すばかりだった。
――ディーン様はお姉様に騙されているのよ。
絶対に暴いてやる。姉があんな女で失望したと――好きになるなんて見る目がなかったと言わせなければ、ヘルーシアの腹の虫が治まらない。
――お姉様の行方なら心当たりがあるわ。
部屋の中に裁縫道具とたくさんの布類を持ち込んでいるのは知っていた。あれは針子の内職だったと思う。ならば、針子のツテで交友する男性と出会っていた可能性がある。
具体的に誰なのかは不明だが、この際どうでもいいことだ。
――そういえば、ギブソン殿下もよく服を注文しに下町へ出向いているという噂ね。
そこでようやく点と線が繋がった。あの夜、ギブソンがルウに肩入れしていたのは、ふたりが特別な関係だったから?
真実かどうかは関係ない。要は姉がふしだらな人間だとディーンに思い知らせてやれればいいのだ。
ヘルーシアは急ぎ友達を集めて、お茶会をすることにした。
――さっそくあることないこと言いふらしてやるわ。
三年前、姉を悪女だと吹聴してみじめに孤立させる作戦はうまくいった。姉は誰からも求婚を受けられず、次第にパーティを堂々とサボるようになっていった。きっと、何年も行き遅れているのが恥ずかしかったのだろう。
以前だってうまく行ったのだから、今回だって。
ヘルーシアはギブソンにも恨みがあったので、ちょうどいいと考え、彼を巻き込んでゴシップを流しまくることにした。
 




