47 タイムリミットの訪れに
◇◇◇
次の日、月曜の夕方。
ディーンはいつもより早く帰ってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。お茶になさいますか?」
メイド服姿で出迎えると、ディーンはすまなそうにした。
「これから訓練をしようと思うんだ。あなたとお茶をしている時間はない」
「訓練ですか?」
「ああ。団長閣下から、少し練習を控えるように言われてしまって、今日は騎士団内で時間を取れなかったんだ」
「騎士団内でできなかったから……うちでしようと?」
ルウは愕然とした。それでは進言してもらった意味がない。
「アルジャー様のお言いつけは守った方がいいのでは?」
「閣下が私を心配してくれる気持ちはありがたいんだが、ちょっと大げさだと思うんだ。このとおり私はなんでもないし、練習を一日でも欠かすと勘が鈍る。だから、こっそり練習しようと思って」
――そうきましたか。
アルジャーの言いつけは素直に聞くはずだと計算していたが、アテが外れた。
若干悔しくなっているルウの気持ちも知らず、ディーンが柔らかな口調で言う。
「ただ、私は、団長閣下が私に休めと言ったようには思えなくて。もっと別の誰かが、私の手の震えを見て、過剰に心配してくれたように感じたんだ。たぶん、あなたが頼んでくれたんだろう?」
ディーンはルウに、ことさら元気をアピールするような笑顔を見せた。
「……すまなかった。私は『才能』があるから頑丈だと、もっと早くに話しておくべきだったな。心配させたことも申し訳ないが、私はまたあなたを誤解していた。あの日の晩は、きっとこのことを相談しにいっていたんだろう。直接言ってもらえれば、心配無用だと言えたんだが」
ルウはこれまた失敗したことをまざまざと感じ取った。
「アルジャー様も、剣の腕は確かなんですよね? 彼も療養した方がいいと思っているのなら、本当にしばらく休むべきでは」
「あの方はあなたにお願いされればカラスも白いと言うだろう」
「いや、えっとですね……」
「本当に大丈夫なんだよ。パンを食べるようにして以来、全然震えなくなった」
そしてディーンは、嬉しそうに微笑んだ。
「でも、あなたが心配してくれたと思うと、悪くはない気分だった」
ルウはもうそれ以上の説得を諦めた。というか、何を言えばいいのか分からなかった。
――また別の手を打った方がよさそうですね。
「それにこれは、剣の訓練だけでもないんだ。こうしていると心が落ち着くから、私にとって欠かせない日課になっているんだよ」
――つまり剣を振る行為自体が精神的なよりどころ、と。
となれば、もう何を言っても自主的に療養させるのは難しいだろう。
かくなる上は医師にワイロでも握らせて、強制入院でもさせるべきだろうか。そうなると、根回しがいる。
――お医者様とはまだお会いしたことがありませんね。まずは探すところから……
ルウはまた遠回りしなければならないことを悟って、ちょっと気が滅入ったのだった。
◇◇◇
ルウはメイドごっこの合間に、今まで通りのバイトもこなしていた。ディーンの屋敷を出たあとはこっちがメインの戦場になるので、繋がっていないといけないのだ。
――さーて、お次はどうしましょうか。
ルウが日中にカフェのバイトで思案を巡らせていると、暇になった時間帯を見越して、店主のおじいさんが話しかけてきた。
「そうだ、お前さんが探していたアパートだが、ここなんかどうだ」
家賃と住所を確認して、ルウは歓声を上げる。
「破格の好物件! なんですか、近くに殺人犯でも住んでるんですか?」
「上の階にピアノがご趣味のお嬢様が住んでおられてな、まあ独特の演奏をするそうなんだ」
「ああ、それは厳しいですね」
「しかもこれはカフェで掴んだ極秘情報なんだが、お嬢様は近々結婚されるらしくてな。いなくなれば借り手も増えて家賃も上がるだろうが、家主はまだそのことに気づいてない」
「じゃあ今のうちってことではないですか」
「ああ、そうだ。来週に婚約の発表があるだろう。それまでに契約を済ませるべきだ。頭金が足らんのなら融通してやらんでもないぞ」
「わお、太っ腹。それは乗るしかありませんね」
ルウはうなずいた。
「なんとかしてみます。二、三日以内には」
気持ちとしてはそうしたい。しかし彼女にはやり残したことがあった。
◇◇◇
ルウは机に向かって今後の構想をノートにまとめながら、悩んでいた。
ディーンの制服のこと、ダメな大人のアルジャーを罠に嵌める計画、そして出奔後の身の振り方。もう少しじっくりことに当たりたかったが、タイムリミットが迫っている。計画を大きく変更する必要が出てきた。どこかで妥協して、落とし所を作らねばならない。
――もういいですよね。
ディーンの屋敷を出てもいいころだ。ルウはよくやった。制服を脱ぐべきだと再三警告したし、練習を控えるようにも一応はアドバイスした。聞く耳を持たなかったのはディーンではないか。
ディーンにはディーンの価値観がある。本人がそれでいいというのなら、好きなようにするべきだ。ルウは自由が何より好きなので、ディーンの自由意志を奪うことにもためらいがあった。
それでも、と思ってしまうのは、どうしてなのだろう。
――もしも大事な服をめちゃくちゃにされたら、ディーン様はきっと怒りますよねぇ。
せっかくルウに心を開きかけていたのに、裏切られたと知ったら、ディーンはどんな顔をするのだろう。
どれほど悲嘆させたとしても、本当にディーンのためを思うのなら、やってあげるべきなのではないか。
ルウはしばらく悩んでいたが、やがて決めた。
――やりましょう。
そして、その日のうちに決行することにしたのである。




