39 ニセモノ悪女の出番です②
ルウは少し悪女を意識した笑みで、ディーンを見た。
「……そういえば、ディーン様、自分ちの使用人からなんて噂されているかご存じですか?」
「さあ。給料はケチった覚えがないから、悪く言われているとは思えないが」
「『上司の不倫相手を押しつけられた、頼りない男』だそうです。だいたい合っているので、私もつい同意してしまいました」
ディーンはむせた。何か言いたそうにしているが、動揺のあまり喉の調律がうまく行かないらしい。ルウはちょっとキュンとした。
――この方、本当にいじりがいがありますねぇ。
リアクションがいいので話していて飽きない。
ルウは調子に乗ってさらに長口舌を続ける。
「男女関係は双方の問題です。私が『ふたりの男を手玉に取る悪女』だとしたら、ディーン様は『上司に逆らえない情けない男』になりますし、アルジャー様は『妻子がありながら若い娘に手を出して、その後始末を部下に押しつける男』になります。さてここで問題です」
ルウはすっかりノッていた。
「この場合、一番悪いのはどなたでしょう?」
愚問なので、ディーンの回答は待たなかった。
「アルジャー様が悪いですよ。あの人のせいでディーン様は苦労しているんです。そして私は痛くもない腹を探られています。私はアルジャー様になんて興味がありません。だから私がアルジャー様の誘いに乗ることは絶対にありえません」
ディーンはあまり信用していなさそうな、気のない目でルウを見ている。
ルウは落胆したが、めげずに切り口を変えて質問する。
「……ディーン様は奥様とお知り合いなんですか?」
「二、三度会ったことはある。とても感じのいい方だ。ご子息もご息女もとても可愛らしくてな」
「あなたは奥様と恋仲なんですか?」
「はっ……!?」
ディーンが寝耳に水の顔をしているので、ルウはすかさず言ってやる。
「そう、私もそんな気持ちでした。アルジャー様との仲を疑われて。しかも、いくら言っても信じてもらえないようですし」
「私は人様の配偶者に興味などない」
「私もですが」
馬車は主人の言いつけを守って、大通りをまっすぐ郊外に向けて進んでいる。当分家にたどり着かなさそうだ。つまりまだディーンの尋問を受けなければならない。満足するまで家に帰してはもらえないだろう。
ルウは諦めて、もう少し喋ってみることにした。
「……私、実は誰かと付き合ったことってないんですよね」
「いや、それは嘘だろう?」
ルウの悪女仕様な大人のドレスを無遠慮に見るので、ルウは少し口を尖らせた。
「また見た目で決めつけて」
「それはすまないが、しかし」
「相談事をするのに、アルジャー様ならこの方が耳を貸してくれそうだと思っただけですよ。まあ、それはそれとして、悪女なりきりが楽しいというのもありますが。メイドごっこみたいなものです。ディーン様にもありませんか? 何かになりきって遊ぶこと」
「理解できない。メイドなんかになって何が楽しい?」
「分かりませんか……じゃあいいです。忘れてください」
さて、どうしようかと、ルウは少し長く考え込んでしまった。
――もう訂正も大変そうですし、勘違いさせたままほっときましょうか? でも……
彼は正義感が強いので、この先もしつこくアルジャーとの仲を詮索してくるだろう。
――あまり気乗りはしませんが、少しだけ本当のことを喋ってみましょうか。
「ちなみに、私のうち、ソーニー侯爵家の家族構成はご存じですか?」
「いや……」
「実父と継母と、異母妹、そして私の四人でした。継母は継子の私を徹底的に嫌っていました。というのも、実父と継母は身分違いの恋をしていたのに、母との政略結婚で引き裂かれたからです」
「そ、れは……」
ディーンは罪悪感にかられたような顔で何かを言いかけたが、ルウは別に同情を買おうと思ってなかった。彼の言葉を遮って、まくしたてる。
「私はむしろアルジャー様の奥様とお子様に自分の境遇を重ねてしまいがちなので、あの人に魅力は感じないです。こういうふざけた男がいるから、私のような子どもが苦労するんじゃないか、ってね。悪女なりきりは趣味ですけど、弁えるところは弁えてるつもりです。……といっても、信じてはもらえないでしょうけどね。なにしろ、この格好ですから」
ルウはショールで肩を覆い尽くし、巻き付け、首の後ろで結んだ。これで胸元がチラチラしない。実はさっきからディーンが『その格好で?』という目で見ているのが気になっていたのだ。
「……すぐには信じられない。でも、あなたが嘘を言っているとも思えない」
ディーンはよく分からないことを言った。
「どうもあなたは、噂されてるような人物とは思えないんだ。悪女と言われてもピンとこない。今してもらった話の方がよほど真実だと思える」
――あれ、多少は通じました? 私の誠意。
ルウは思わずにっこりした。頭が固そうなので何を言っても無駄だろうと半分諦めていた分、部分的にでも分かってもらえたのが余計に嬉しく感じる。
ルウと見つめ合うディーンの、整いすぎていて温度を感じさせない顔立ちが、かすかな微笑みを浮かべた。
「あなたは悪女というより、そうだな。イタズラ好きの小人みたいだ」
「あは、小人! それは初めて言われました」
「でも、いるだろう? 人の靴紐を引っかけたり、財布を隠したりする小人が」
「あー、あー、そうですね。そのたとえは私もしっくりきます」
――小人かぁ。いいですねぇ。
いいものにたとえてもらった。自分のことを分かってもらえたみたいで、少し嬉しい。
「だから、あなたがどうして悪女だと言われているのか、それが不思議なんだ。あなたは全然、男好きには見えない。むしろ、私に対しても興味がないように見える」
「実際あんまりないですね。でも、ディーン様はその方がいいのでは? 私のように見た目と肩書きだけで寄ってくる女が嫌いなんでしょう?」
「嫌いだ」
ディーンははっきりと言いつつ、目を伏せた。
「でも、ときどき、何もかもうまく行かなくて、自分が嫌になったとき、そういう女性に引きずり込まれそうになることもある」
「……寂しくて?」
「そうだと思う。だから、あなたが同じ理由で聖騎士団長に惹かれたのだとしたら、分かる気がしたんだ。あの方は面倒見がいいから」
「だから、私は興味ないですって」
「分かっている。誤解していたんだ。私がそうだから、きっとあなたもそうなんだろうと決めつけた」
――ディーン様はお節介焼きから寂しい時の心の隙間につけ込まれると弱い、ということでしょうか。
ちなみにルウは人から世話を焼かれると邪魔に感じる。今だって、よかれと思ってアルジャーとの関係にまで勝手にくちばしを突っ込んでいるが、もしも自分がやられたらうっとうしく感じることだろう。
――説得するには有益な情報ですが、私にそんなことまで喋ってしまって、大丈夫なんでしょうか。何か、明日の朝になったら喋ったことを後悔しそうな……
ルウが身の上話などしてしまったせいで釣られたのだろうか。そういえばあれも、あまり人に喋るような内容じゃなかった。口を滑らせすぎているのはルウも同じかもしれない。
――ディーン様は人がよすぎて私とは全然意見が合わないから、つい色々と喋りすぎてしまうんですよねぇ。
ルウはちらりと懐中時計を確認した。ちょうど0時、日付が変わる真夜中だ。一緒にいる時間が長引くと、それだけお互いに失言が増えることだろう。
「そろそろ帰りましょうか」
「もう少し付き合ってほしい。あなたとは一度腹を割って話さなければならないと思っていた」
「何もこんな深夜でなくても」
「嫌なのか?」
「嫌というか……」
「あなたは私に、知りもしないくせに悪女だと決めつけるなと言った」
「それは言いましたが……」
「知る機会はくれないのか? あなたがどんな人なのか、興味があるんだ」
ルウはなぜ彼がそんなことを言うのか分からず、しばらく考えてしまった。
――ディーン様は私を毛嫌いしていたと思っていたのですが。
ルウはそのうち出ていく。長い付き合いにはならないはずなので、深入りされても困る。
「いえ、今日は眠くなってしまったので、帰してください。お話はまた明日、お茶の時間に聞かせてくれますか? 私、最近ディーン様とお茶をするのが楽しみになってきたので」
「……そうか。分かった」
多少のお世辞が効いたのか、ディーンは笑って了承してくれた。
ルウはだいぶ打ち解けた笑みを見せるディーンに同じく微笑み返しつつ、目下の懸案のことを再び脳裏に引っ張り出してしまうのだった。
――この調子で、制服のことも聞き入れてくれたらいいんですけどね。




