29 執事とひと悶着です③
◇◇◇
ルウは馬車の音を聞くなり、ぞうきん片手に玄関ホールへとかけだした。
気まずそうな執事などまるっきり無視して、タラップを降りるディーンに、元気よくぞうきんを握った手を振る。
「ご主人様ーっ、お帰りなさいませーっ!」
ディーンは異常事態を察したのか、固まってしまった。
ルウはなんだか楽しくなってきた。
――この人、からかいがいがありますね。
何をしても大騒ぎしてくれる。いたずらする身としてはやりがいを感じずにいられない。
「どうですか、似合いますか?」
弾みをつけてくるりとその場で一周してみせると、ディーンはひらひらするスカートを見つめて、生返事をした。
「とても似合っ……いや、そもそもなぜメイドの格好を……!?」
よくぞ聞いてくれましたと思いながら、ルウは媚びるように身体をくねらせた。
「執事さんが、お昼ご飯も外出の馬車も出せないって言うんですよ。それで私、ゲストじゃなくてメイドとして家に置かれてるってことに気づいたんです。ごめんなさい、私すっかり勘違いしてました」
ディーンが信じられないものを見る目で執事を見た。
「……私は今朝、ちゃんと昼にはパンを出すように言ったはずだが」
「い、いえその、ちょっとした手違いで」
「どんな手違いがあったら立派な侯爵家のご令嬢にメイド服を着せて雑用をさせるんだ!? こんなことが外に知られてみろ、私は社交界中の笑い物だぞ!?」
怒鳴っているうちにだんだん怒りが増してきたのか、ディーンの顔は真っ赤になっていった。
執事が雷を落とされつつ、ルウをちらりと見る。
ルウはくすりと鼻で笑ってやった。
執事の目に屈辱の色が浮かぶ。『このままでは済まさないぞ』という反抗心がありありと表情に出ていた。
――まあ、私の評判を考えれば、冷遇されるのも分からなくはないですけどね。
そんなものはとっくに実家で経験済みなので、ハミルトンなど少しも脅威だとは感じない。
ルウはもう少し執事をからかってやりたかったので、ことさら丁寧に膝を折った。
「ご主人様、もうそのくらいにしてさしあげてくださいませ。わたくしメイドごっこがとても気に入りましたので、全然怒っておりませんわ」
「しかし……!」
「お詫びをしてくださるのなら、しばらく身分を隠してお屋敷でメイドごっこをしとう存じます。いかがでございますか?」
ディーンは顔を引きつらせた。
「冗談じゃない、こんなことが騎士団長に知れたらご家庭が崩壊してしまう」
「そんな大事になるはずがありませんわ。いやしくも執事という、家を預かる大変な要職の方がわたくしにメイドごっこをお許しくださったのですもの、まったく大事にはならないとお思いだったに違いありません。そのご判断を信じてさしあげてくださいませ」
「ハミルトン……!」
執事はディーンからきつくにらまれ、とうとうしどろもどろの口調で「も、申し訳ございません……」と謝罪を口にした。
「ディーン様、この家にはまだまだわたくしを悪女だと蔑んでいる使用人が潜んでいるかもしれませんわ」
「そ、そんな大馬鹿者はいない、と思いたいが……」
「でも、執事さんがご覧のご様子でございますし」
執事は再三の辱めに、顔面蒼白だった。
「わたくし彼らの懐に飛び込んでみとう存じます。メイドごっこ、お許しくださいますわよね?」
「いや、それだけは認められない。今日のことは私からも謝罪する。どうかゲストとして歓待を受けてほしい」
許可は出なかった。
しかしルウは問題ないと思っていた。勝手にメイドとして紛れ込めばいいからだ。勝手な行動をして叱られたくらいでは反省しないのがルウだった。
ルウは遠くないうちにこの屋敷から出奔するつもりではいるが、楽しそうな寄り道を見つけてしまっては仕方がない。
ルウは当初の目的を少々変更し、もうしばらく居座ることに決めたのだった。




