疑惑の手入れ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
先輩は剣道から離れて、もう何年になりますか?
私も学生時代は、よく稽古に打ち込みましたけど、仕事をし始めちゃうと、ダメですね。めっきり竹刀や木刀を握る機会がなくなっちゃいました。
ああやって道具をもって、相手に打ち込むという機会、現代じゃなかなかありませんよね。普段の時間でやっていたら、暴力沙汰もいいところです。そのとき、その環境で許されているからこそ、一歩間違えればケガをしかねない武道が認められている。
私個人の意見としては、ストッパーのような役割を持っているんじゃないかと思います。
武道は精神の錬磨を目的のひとつにあげることが、たびたびです。これってルール上とはいえ、相手を打ちのめし、あるいは打ちのめされて、暴力行為に対する欲求不満が解消されるからじゃないかと思うんですよ。
身も蓋もありませんか? 高潔であるべき武道家らしくない発言であると?
そりゃ、ロマンときれいごとにあこがれた時期もありますが、仮にも社会へ出た身です。そればかりがまかり通らない世界だと、うがった見方が養われちゃったみたいなんですよ。
高尚で大切に思えることでも、それは別の側面も備えている。卑しくて、俗っぽいかもしれませんし、もっと別な方向性のこともあります。
私が少し昔に聞いた話なんですけど、耳に入れてみませんか?
私たち一家は、男も女も一度は武道をたしなむ家系です。この伝統は数百年前から続いていると聞きますが、そのご先祖様のひとりが不思議な体験をしたと伝わっているんですね。
そのご先祖様が、とある道場で修業をしていた時期になります。当時の師範にあたる人は、よく稽古日に姿を見せますが、上座に座り、稽古風景を見ているのがほとんどだったとか。
指導は師範代に任され、ご先祖様もそれを受けての乱取りに臨みますが、ときどき師範が、上座に座ったままで、真剣の手入れを始めることがあったそうです。
刃を外し、布で入念に拭ってから打ち粉をかけていくんですが、その様子が少し妙だったんですね。
やけに黄ばんでいるように見えたそうです。打ち粉から刃へまぶされていくたび、刀身が元の銀色から、わずかに黄色いものへと変わっていく。
その後の拭いに関しても、少し妙なのです。
手入れをする際、刃を拭う紙は2枚用意するのが通例。その一枚が打ち粉をまぶす前に使われ、もう一枚が打ち粉をまぶした後に使われます。
一枚目は刀の根元たる、はばきもとから切っ先へかけて、汚れを取り去っていく「下拭い」。二枚目は打ち粉と一緒に、古い油をとっていく「上拭い」ですね。
その上拭いの手入れは、下拭いのやり方とほぼ同じなはずなんですが、師範のものは異なりました。
本来、力を抜いて拭うべきなのに、刃のところどころで手を止めては、ぐっと強くつかむような動きを見せていたんです。
稽古中ゆえ、じっと凝視できたわけではありません。それでも何度か目にするうちに、ご先祖様はその、奇妙な手つきが気になったのだとか。
また、早くに道場へ来た日には、師範がその真剣で型稽古をしている姿を見ることもありました。
さすがは師範というべきでしょうか。ご先祖様も教わっている型ですが、そのキレと完成度は段違いです。所作のひとつひとつに、身震いを覚えそうな鋭さを伴っていました。
他の門下生の証言からして、稽古のある日は欠かさず行っているようです。そして門下生が集まり出すころには、ぴたりと止めて鞘へと納めてしまいます。納める鞘は白木のこしらえですが、鞘の先がやや緑ががかっていたのが、印象的だったと聞いていますね。
そして、更によくよく道場の空間を見回してみると、浮かんだほこりの粒に混じり、黄色く色づくものが漂っているような……そんな気さえしたのだとか。
師範の刀には、どのような意味があるのか。ご先祖様は気になりますが、師範が自らおおっぴらにしない以上、尋ねるのもはばかられます。あくまで観察にとどめました。
数カ月たつ頃には、ご先祖様も少しおかしな点に気づいたようですね。どうも白木の鞘が、少しずつですが大きくなっていたのです。かの先端、緑の部分に塗った部分の色合い、面積の違いから、その鞘が異なったものだと、気づいたのだとか。
それに伴い、刀身もまた太くなっているようでした。正確に測ったわけではないですが、いまの刀は刃物というより、細身の鉄棒とでも表した方がよい格好だったとか。
――まさかとは思うが、あの打ち粉に原因があるんじゃなかろうか。
そう思ったご先祖様の判断、半分くらいは合っていたかもしれません。
以前よりも、早めに来るようになった道場。
そこでやはり師範が真剣を振るっているのを見ました。しかし、ある型の最後で、残心を取ったとたん。
刀の峰から、「ひゅっ」と音を立てんばかりの勢いで飛び出し、ご先祖様へ向かってきた影がありました。
ギリギリを通り抜けていったのは、羽で身体を包んだ、ガのような生き物。
それに続き、先ほどの峰――厳密には、そこに開いた穴――や切っ先、はばきもとからも。同じような影が二匹、三匹と現れて、道場の各所のすき間から飛び出していってしまったのです。
師範は穴だらけになった刀を鞘へ納めると、ご先祖様へ話をしてくれます。
この刀は姿こそ真剣に似せてあるが、目的は斬るためにあらず。あの生き物を育てるための住処として用いられるためと。
あの打ち粉はエサ。そして型稽古として振るうことで、刀身内に空気を取り込み、あれらの成長を促すのだとか。
師範の家に代々伝わっている仕事らしく、師範が親から聞いた話では、この世の「帳尻」を合わせるのに、彼らの存在が必須とのこと。
翌日より師範は、また新しい刀を用意して、あの手入れを行い始めたとのことですよ・