9.矢のない弓と剣の舞
「とりあえず、廃墟の基礎を把握できたらその中でも東に注目してくれ。ヴァーストゥ・シャーストラ……風水としては東が書庫の可能性が高いんだ。次は北東――礼拝部屋だな。貴重品が埋まってる可能性が高い」
「貴重品って……盗掘になんないの?」
「国が買い取ってるから、まあセーフだと思うぞ。そもそも期待外れなことも多いけどな」
ヴィロークの指示にて廃墟の探索を続けることしばし、ルチヤらは比較的荒れていない一家屋の廃墟を調べていた。
「……そろそろ食事時かな。俺が支度しているから皆はそのまま続けていてくれ。台所は、確か……」
「南東だと思う。竈の跡とかを使ったほうがやりやすいだろうから、そっちは頼むわ」
ダートゥが火を起こすうち、日も低く沈み赤みがかってゆく。
「……ちょっと、これ以上は暗くて無理かしらね。そろそろ晩御飯に……」
「! 静かに、何かいる!」
ルチヤが呟いた時、ヴィロークが鋭くそれを静止した。彼は弓を構え、近くの木陰へと向き直る。
「……松明を用意しておいてくれ。俺は気配を探る」
言うなりヴィロークは瞼を閉じ、矢は番えずにただ弓の弦を弾く。ヴン……と弦の唸る音が、暗い廃墟に響き渡った。
「どういうこと……?」
「”気配暴き”だ。『英雄王の試練』の一節にもある。ミトラの義兄弟である賢者が弓の弦を鳴らし、暗闇に潜む敵らの気配を露わにする場面が」
戸惑うシルティに冷静に語りかけながら、ダートゥは竈で起こした火を松明につけた。シルティも急ぎランタンを用意して、彼から火を貰う。ルチヤ達は廃屋を背にヴィロークを囲み、四方を警戒しはじめた。
再びヴン、と弓の弦が鳴る。暗がりに一瞬だけ、いくつもの小柄な人影がぼうっと浮かび上がった。
「何……?」
「たぶん、夜鬼だわ。……数が多そうね」
小声で問うシルティにルチヤがやはり小声で応える。敵の気配は七、八つ。夕暮れ時の今を狙って襲おうとする連中と言えば、夜の小鬼ヤクシャと相場は決まっている。恐るるに足る相手ではないが、数が多いのは注意が必要だ。
それにしても、とルチヤは驚嘆する。当代随一の魔法使いと謳われた『英雄王の試練』の賢者と同じことを今、ヴィロークは成し遂げているのだ。敵の気配を読むだけなら、一端の戦士にもできなくはない所業だ。しかし魔法を隠れ蓑に忍びよる連中の、その姿隠しの術を解くというのは並みの魔法使いにできる芸当ではない。ヴィロークの術者としての腕前を、ルチヤ達は嫌というほど見せつけられた。
シルティは牙の護符に手をかけ、声を出さずに獣を呼び寄せる念を放つのに集中していた。これも高度な技だが、召喚するまでには術者に大きな隙ができる。ダートゥが彼女を庇うように半歩前へ出た。
「シャ――――ッ!!」
「来るぞ!」
ヴィロークの合図とともに、ルチヤは前方へ躍り出た。人より小柄なその怪物を、ルチヤはひと薙ぎ、ふた薙ぎで切り裂く。反対の方向を任せたダートゥのほうはといえば、蹴りや肘鉄を食らわせてやはり小鬼らを薙ぎ倒しているようだった。
「ヴィヤーグラ! シャルドゥーラ!」
シルティの高い声が響くと同時に、横から襲いかかろうとしていた小鬼が衝撃とともに吹き飛ぶ。彼女が召喚した獣の体当たりが効いたのだ。ついでもう一匹、ルチヤの手の届かない所にいた小鬼に獣の影が襲いかかった。
それは二匹の虎だった。それぞれ金と銀の体毛を持つ、アヴァニの地上では最強との呼び声も高い獣。
文字通りの”虎の子”を呼び出したシルティは、緊張が解けたのか、その場にがっくりと膝をついた。小鬼らもこの猛獣を前にしては、恐慌をきたすのも致し方ない。奇声を発しながら逃げ散ろうとする何体かのうちの背中を、白い一筋の針のようなものが貫いた。
その出所はルチヤの背後、ヴィロークからだった。矢で仕留めたのかと一瞬ルチヤは訝ったが、彼は矢筒を取り出してはいなかった。ただ弦を引き絞る動作。それに合わせて弓からヴィロークの指先に白光の針のようなものが見え、彼の動作に合わせて放たれたのだった。
二発、三発とその光の矢は放たれたが、弓の射程よりも遠くに逃げられてしまったものもあった。
「すまん、何匹か取り逃がした!」
「大丈夫! あとは多分、コイツだけ」
ルチヤの眼前にいた、ひとまわり大きい夜鬼が襲いかかってきた。ルチヤはギリギリまで引きつけ精神を集中し、裂帛の気合とともに刀を一閃させる。
炎の”気”を込めた刀の軌跡は、深紅の布のように翻り夜鬼を一刀両断した。ズズッと沈み込むその様を見て、最後まで残っていた他の小鬼も、もはや完全に戦意を喪失し逃げ切ってしまっていた。
「これで全部……かな?」
「多分な。雌大鬼を仕留めたんだ。もう一度強襲をかけてくるような連中ではない」
ダートゥのいつもの冷静な声に安堵したルチヤも、ほっと一息ついた。今になって膝が震えている。見世物の一対一の戦いに慣れ過ぎていたのだと、ルチヤは改めて思うほかなかった。数が多いことが、こんなに怖いだなんて。先にへたり込んでしまったシルティを笑えない。
「大丈夫だ……よくやってくれた、助かった」
少しだけ柔らかい、いつもの声。それはズルいと思ってしまった。褒めてほしい、安心させてほしい。そんな気持ちまで見透かされてしまっているようで。
「あーもう、ひと暴れしたらお腹空いた! はやくご飯にしよ!」
強気を装って注文をつけると、食事管理担当の彼はさっそくその場を整えようと動き出した。
日干し煉瓦の転がる廃墟の一画。火を囲んで。ダートゥが取り出したのは刻んだ大根の漬物を混ぜ込んだ握り飯と、水牛肉の串焼きだった。続いて出されたホーリーバジルの煎じ茶は癖がなくほのかな甘みがあり、それより甘い水牛乳の練り菓子を舌の上で溶かして喉の奥に流し込むと、ほっと一息つける。
「まあ、いちおう反省会ってやつでもやるかね」
ヴィロークは無精髭をさすりつつ、脇の弓へと手を伸ばした。
「……あんな感じで、俺がまず敵の気配を察知するのが最初になるわけだ。そんでもって呪矢――呪力の矢を創り出して、それを撃つこともできる。だから、俺の攻撃を抜けてきた奴らを相手にしてほしいって感じだな」
ルチヤは深く頷いた。このチームで先制権を握っているのが彼だと実感できたからだった。
「わたしは……獣の召喚に、だいぶ時間がかかってしまったわ。もっと早くから準備していないといけなかったのに」
シルティは牙の護符を握りしめながら呟いた。虎の牙とともに連ねられた虎目石の玉が、焚火の炎を照り返し金色に煌めく。
「まあ、そこが獣使いの弱いところだな。しっかし二匹も一度に呼んだのはすげぇな、無理しないで、一匹でもよかったのに」
「違うの。あの二匹、一緒に生まれた兄弟だから一緒に呼ばないともう一方が拗ねるのよ。……でも、交代で呼ぶのも大事かも。これからできるように試してみるわ」
「俺は、護身と治療はできるが遠くの敵を狙うことはできない。率直に言って、この中でいちばん役立たずだな」
「……別にいいのよ、あんたには美味い料理作ってもらえれば、あたしはそれで充分」
変に慰めるのもどうかと思って、いちおうルチヤはわざと突き放したような言い方をしたのだが。そのセリフで他の三人が硬直した。
「……おい」
「ルチヤ、あのさー……それって、まるで旦那さんがお嫁さんに言うような感じ」
「?! べっ、別にそんなつもりで言ってないから! 違うってばー!!」
「……一応、俺としてはそれも仕事のうちだとは思っているんだが、そうだな。ルチヤは食事で”火の気質”ばかり高めていたから、おそらく今回使う魔法も火の属性だろうと読んでいた。今後敵に合わせて属性を変えるとなると、やはり普段からの食事管理が大事になってくるわけだが」
「そ……そうかな。じゃあ、やっぱりご飯お願い……」
「いやぁ、嫁の尻に敷かれている旦那ってこんな感じなのかねぇ」
「それ、男女逆になってるってば!!」
冷えこむ北の平野の夜に、賑やかな声が響きわたっていた。