6.新しい朝
王都の朝は早い。何故かといえば動きやすい時だからだ。
酷暑に苦しめられる昼を免れるため、人々は暁を待ち切れずに起床する。ルチヤもその習慣に倣って起き出し、ガーナ傭兵団の営舎の中庭で稽古をはじめた。
男舞を舞うことも多いルチヤは、普段から帯剣している。見せるための動きは実用的でない、と嘲る者もいないわけではない。だが一人で旅することの多かったルチヤは、我流を貫いていた。シルティと二人連れになって以後は、彼女を守るために、あえて派手な動きで敵を惹きつけることも多かった。いっそう実用的ではなくなってしまっているかもしれない。他の者と組んだ時、彼らの目にはどう映るだろうか。
「早いな」
平淡な低い声に、何故かドキリと心臓の鼓動が強まった。よくわからないが、自分は彼の声が苦手なのかもしれない。振り向くと僧衣の男ダートゥが、朝露を帯びた薬草の入った籠を、井戸の脇に降ろしたところだった。
「あんた達ほどじゃ、ないと思うけどさ。朝からご熱心ね」
「ちょうどいい、聞きたいことがあった――入団の誘いを受けたそうだな。もう一人の少女もか?」
「ええ。何か都合が悪いかしら?」
「お前はそこそこ、剣が使えるようだな。だが彼女には任務は厳しいんじゃないのか」
「平気よ。……私が護るもの」
誰かに言われるかもしれない、と考えていた問題だった。だが彼女はきっと、ルチヤから離れない。そう確信していた。
「それでも、見てるこっちは心配だ」
「……じゃあ、確かめてみる? あたしがどの程度の腕なのか」
井戸水を汲んだ桶と、薬草籠を両方持ち上げようとした彼の目と鼻の先に、ゆっくりとした動作で剣先を突きつけた。彼は作業の手を止めて、黄褐色の瞳でルチヤを見つめ返してくる。
「確かに、それもありかもしれないな。……今なら少し、時間がある」
そう言ったダートゥではあるが、荷を下ろし距離をとったところで動きを止めてしまった。ルチヤのほうに向きなおってはいるが、無造作に両手を下げたままで、自ら動く気配はない。
「……抜かないの?」
「これは、薬草の採取用だ。俺は無手での戦い方を学んだ」
随分と舐められたものだ。ダートゥが腰に帯びている短剣は確かに、本格的な戦いの道具ではないのだろうが、ルチヤの刀剣はちゃんとした実用的なものだ。彼のほうがわずかに背が高いとはいえ、リーチが違い過ぎて話にならない。
動いたのはルチヤからだ。この状況で待ちに徹するものではない。一般には先に動いたほうが隙を突かれて負けやすいものだが、それを遵守できる時ばかりでもない。負けたら負けたでその時だ。
片手用の緩い反身の剣は、斬るのも突くのも自在であるが、ルチヤは突きを主体にして攻めた。振り回して大仰な動作になってしまい、嘲笑われたくなかったからだ。我ながら変な見栄を張っている、とは思うものの、女一人の旅を続けてきた意地がそうさせた。
無手ではそうそう受けることはできまい、横に避けられて脇から反撃を受けるだろうと踏んでいたが、その予想は外れた。彼はわずかな動きで突きを躱したのち、拳の甲でもって剣の背を受け、そのまま滑り込むように懐に入り込んできたのだった。
態勢を立て直す間もなく、すべり込まれた後に脇腹を掌で軽く押された。それが終了の合図だと、嫌でも思い知らされた。
「実戦なら、これで肋骨を折っていた。前線に出るのは構わないが、至近距離に入られると隙が多いな。防御の型ではない」
「……どうも、ご丁寧に」
ルチヤはそれだけ言うのが精一杯だった。
「どちらかというと、俺のほうが得意なところだろう――人手が足りなければ、俺を呼べ」
ダートゥは籠を担ぎ水桶を提げ、中庭から出ていった。
小麦の産地でもある王都の朝食は、チャパティ――無発酵の薄焼きパンが主流だ。そこにヒヨコ豆のカレーをのせて食べる。『羚羊亭』の食事はルチヤやシルティの舌を満足させるものが多く、それもガーナ傭兵団に入団することを決意した理由の一因でもある。
バナナの葉皿に乗せられた、これらの料理に舌鼓を打っているといきなり横からスッともう一枚、バナナの葉が差し出された。赤蕪と壺草の千切りサラダにヨーグルトソースがかかっている。
「よっ」
「ああ、ヴィロークのおじさん」
「おじさん言うなー」
シルティとヴィロークは何故だか馬が合っているらしく、他愛もないやりとりで食事の場を和ませている。緊張するのは一緒に来たもう一人、ダートゥのほうだった。
「……これ、あたし頼んでないんだけど」
赤蕪のサラダをそっと押し戻そうとすると、相変わらずの平淡な声で告げられた。
「これは俺からだ。昨日もそうだったが、辛い料理を食べ過ぎている。少し身体を冷ましたほうがいい」
ルチヤが思わずヴィロークのほうに目を向けると、彼は苦笑いしながらこう言い添えた。
「治療士は、団員の食事管理もしているんだ。面倒なのに目をつけられちまったな、ダートゥはこの件に関しては、なかなか譲らないぞ」
……仕方なくサラダを胃袋に収めたルチヤだったが、ヨーグルトソースの爽やかな後味はまあ、悪くないものだった。