27.夜と夢に巣食う竜
――懐かしき名だ。懐かしく、そして愚かだった同胞の……
大海竜サーガラとの二度目の邂逅は、やはりなんとか穏便な方向に済ませることができそうだった。アプサラスの住まう天空の聖域より帰還したルチヤらのうち、シルティが強く希望したのだった。次になすべきことの前に、彼の話をどうしても聞きたいと。
そういう経緯で雨季に入る前に、様々な場所を記憶したレムリア水晶を使い分け翼の護符を駆使し、急ぎティーラの南端の岬へと降り立った。大海竜は水の宝珠との結びつきが強いらしく、宝珠をかざし水天の祠の近くにてシルティが念じるとそれに呼応した。黒竜ナクタについて知りたい、という旨を伝えると、昔話を語るかのような口調で彼は言葉を紡いだ。
――あれは人と人との間に紛れ、それらの眠るうちに夢に入り込み、意識を喰らうのを好んでいた。儂からみれば、小賢しいひよっ子のような奴だったがの。
――狡猾と言ってもよいものかな、あれに騙されて喰らわれた人の子らがいたとして、彼奴は同情などせぬ輩であったことよ……月の天女に会うまでは、の話だが。
――ドゥルガーなる小娘が産まれるまでに、彼奴の心中で何があったのか。それは我の預かり知るところではないが、彼奴は変わった。
――暴れる小娘は好きにさせておけばよい、我らも好きにする。稀に我らの精神にも干渉しようとするところが厄介ではあったのだが、そんな弱い者の心など、放っておけばよい……そう言う我に、彼奴は応えた。それは娘の母親の望むところではない、とな。
――彼奴は天へと昇り、日輪の天女に膝を屈して手助けを求めた。まことに愚かよの、誇り高き我らが竜のすることではないわ……人に交わりすぎた所以かの。
巨竜は大きく顎を開き、欠伸をするかのように深く呼吸した。
――彼奴が力尽きようとしている、という話であったな。自業自得と言いたいところだが、少しばかり寂しい思いもあるよの。そうやって年老いた同胞らは次々に消えていった。戦を好む輩が次々に……いやはや、面白うない世の中になってしまったものだ。
――彼奴は、自分の力が及ぶ限りは娘に手出しはさせぬ、という約束をしていたようだ。だが今、その約束が終わりを迎えようとしている。そうやって封印の眠りから覚醒した魔帝なるものをそなたらが倒したところで、別段どこからも文句を言われる筋合いはないと、思うがの。
「でも……わたしは嫌だわ。スーリヤにもそう言ったの。そうしたら、他に頼れる最後の手段があるかもしれない、って」
シルティは自分の左耳にそっと触れた。その耳朶には真言の刻まれた、ルピア銀の耳飾りがあった。
「シルロートラの耳環……これはレムリア水晶の振動を聴き分け、特に大きなものの出所を探ることができると言われたわ。これを使ってアヴァニの各地を渡り歩いている『転輪王』チャクラヴァルティンを探し、その知恵を借りるよう頼んでみろ、ですって」
――転輪王……とな。それはまた物騒な、名が出てきたわ。
巨竜の燃えるような瞳がギロリと、ルチヤらを見据えた。
――奴のしでかした業と言えば『転輪王の楔』……ぬしらが『賢王の柱』と呼ぶ、ウーツ鋼の巨大な封印具じゃの。確かあれは属性に関わらず、強大な存在を封じ込めることができたはずだ。
シルティはこくりと頷く。スーリヤはそれも伝えていたからだ。転輪王の英知は、アプサラス以上のものがある。魔帝の乱以前より、アプサラスに頼らず知恵と知識を追い求めた存在の持つものだからだ。
――確か昔、人の王国を滅ぼさんと暴れた同胞、九頭竜ヴァースキがあれによって封じられた。我らの中で最も戦いを求めた、気性の激しい奴であったかの。あれが居なくなって以来、我らもすっかり張り合いが無くなってしまい、小競り合い程度の戦しか起こせぬようになってしまった。
旧ヴェダ王国の三代目の治世のことだから、今から六百年ほど前のことになる。千年ほど前に魔帝を封じ、人間との接触を断ったスーリヤらは、それでも人の世に関心を持ちしばしばその動向に目を向けていた。その中で黒竜ナクタの第六の封印に変わる存在として『賢王の柱』に注目していたのだという。
「当時のアーカルラでの製法は口伝で伝えられていたわ。けれど、ウーツ鋼の量が足りないのですって。だから、今ある『賢王の柱』をドゥルガー用に調整しなおさなくてはならないみたいなの。で、そうなると九頭竜ヴァースキの封印が解ける、ということになっちゃうんだけど……」
話の途中でサーガラはグッ、グッと喉を震わせた。以前にも見た、笑いをこらえている仕草だ。
――それはそれは。面白いことになりそうだ。ドゥルガーが蘇るか、ヴァースキが蘇るかということだな。どちらにしても戦の世が待っている。それは我にとっては朗報やもしれぬな、よう解ったわ――
これ以上の話は無用、とばかりにサーガラは海面へと沈んでいった。最後に大渦とも見まがう波紋を残して、あとには水天の祠より繋がる地底湖の、なだらかな眺めが望めるのみであった。




