26.銀の翼のウル
「そう、だからこそ最後の封印が最も重要なのです。今は一人、識属性に特化した術者がその封印にかかりきりになっている状態です。魔帝の復活の前兆というのは……彼の力が尽きようとしている、ということです」
「その術者とやらの代わりになる者を、探さなきゃならないのか?」
ダートゥの問いにスーリヤはゆるく首を横に振った。
「残念ながら、その術者の代わりが務まるほどの力を持った者は、人の中にはいません……我らの中に、かつて、一人だけおりました。その者のところにお連れします」
ゆったりと立ち上がったスーリヤに続き、ルチヤらは地下へ通じる階段へと導かれた。先ほど閉じ込められていた迷宮に近いつくりの、白い大理石が薄暗く映る礼拝堂へと通される。
祭壇は黄金の羽根――スーリヤ・アーリア・サラスの象徴で飾り付けられているが、その前に据え置かれた棺は水晶のように透き通っていた。シルティが近づき目を凝らして見ると、銀の翼と髪を持つ女性が横たわっている。その瞼は閉じられ、眠っているかのように見えた。
「太陽のスーリヤ、月のウル。わたくし達はそう呼ばれておりました」
月のウル。『月の恋人』の登場人物を……ルチヤははじめて目の当たりにした。自分が演じていた姿が吹き飛ぶほど、神々しく神秘的な”気”を放っていた。
「彼女はドゥルガーの出現以来、ずっと眠り続けたままです。理由はわたくしにも解りません……いえ、解ってはいるのですが、どうしたらいいのか、わたくしにも解らないのです。彼女が……ドゥルガーを産んでから、ずっと。……そうして、千年の月日が経ってしまいました」
棺に寄り添い、泣き崩れたスーリヤを、ルチヤは不思議な気持ちで見ていた。人間たちに女神と称される、偉大なるアプサラスの長。気高く芯の強い人柄であろうと勝手に思い込んでいた彼女が、こんなにも弱さを見せる存在だったのかと。
「……父親は、誰なの? 『月の恋人』では、ほとんど何も明かされていないわ」
「先ほど……お話しした、識属性に特化した術者です。ですから他に代わりになる者がいないのです。おそらくこの世で最も強大な、識属性の術者ふたりの間に生まれた娘……それが、ドゥルガーなのです」
その後の話は、混乱を極めた。スーリヤが取り乱しかけるのを必死で制して話し続けたのだった。
「わたくし達アプサラスは、本来は非力な種族です。ですが、様々な生物との混血を残すことができたのです。そのうえで親の種族を上回る魔力を持つ子供たちが生まれました」
「ですが、その子供たちは強い力とともに、不安定な精神をも持ち合わせていました。我々はその子らを”凶暴な娘”、特に獣らとの子が多かったために”獣の娘”とも呼びました」
「このため、私は不用意に他の種族と交わらぬよう、全てのアプサラス達に告げました。ですが、人間との間の子だけはその凶暴な気質が現れなかったため、人間と交わることだけは禁じていなかったのです」
「……ウルの振る舞いを見過ごしていたのも、そのためです。彼は出会った当初、人間の姿をとっていましたから。……もし、彼の正体が最初にわかっていれば、もっと早くに手を打ってしたでしょうに」
「……ですが、彼は彼なりにわたくし達に誠意を見せました。破壊の衝動に駆られる娘を眠らせるために、自らの命が尽きるまで娘を封印し続けると。そう誓ったのです……」
「『魔帝争乱記』に記されている無名の勇士も、彼のことです。彼はストゥーパの宝珠でもって五大の魔力を封じた後、娘の”識”の魔力も封じて眠らせ、地底世界ムドラーに閉じ込めました。そして自らはそこへ到達する最後の門を守る番として、そこから動かず半ば眠りながら、ドゥルガーを制し続けているのです」
口を差し挟まれるのが躊躇われる中、ルチヤがようやっと重い口を開いた。
「『月の恋人』、魔帝を封じた無名の勇士……一体、そいつは何者なの? 人間じゃない、アプサラスでもない……どんな奴なのか、まったく思い浮かべられないわ」
シルティは何かを察したようで、躊躇いがちに口を挟んだ。
「識属性の力を持つ、強大な獣か魔物かってところなのよね。世界中が脅威に震えるような存在……わたしは、ひとつしか思い浮かばないわ。確かその種族は、一種類の属性を好んで食しその力を強め、戦う力を高めるのが好きな種族。それは……」
スーリヤは聡明な少女を見つめ、深く頷いた。
「そうです。それは”竜”です。かの竜は黒竜ナクタ。人の意識と夢を好んで食す、闇夜を統べるものでありました……”水”の属性を極めた大海竜サーガラと同様に、”識”属性を極めたただ独りの、孤高の存在であったのです」




