22.万年雪の領域
「何じゃ、そう急がずとも良かったものを」
「急ぐわ!!」
北霊山、プラーヴァクトル仙の庵への二回目の来訪には『翼の護符』を使った。彼がこの庵の記憶を刻んだレムリア水晶を幾つか、ヨーディン団長に預けていたため、それらを優先的に使わせてもらったのだ。まる一年経とうとしていたのに、つい先日別れたかのような口ぶりの聖仙の様子には呆れるしかなかった。
ついでと言いつつ持たされたヨーディン団長からの土産というか補給物資を手渡しつつ、この中腹からデウギリ山脈の頂上、いわゆる”万年雪の領域”への登山ルートを確認する。
「頂上には、でかいレムリア水晶の碑と転移魔法陣が据えられておる。もしかしたら雪に埋もれておるかもしれんが、四つの宝珠を揃えたぬしらなら大丈夫じゃ、それらが導いてくれる――とりわけ”風”の宝珠には注意するとよい、それが”空”の宝珠にいちばん近い存在じゃからな」
「暑季って言っても極寒の世界なのよねー……」
「ルチヤ、言い忘れていたが火の魔力を使うのも危険だ。雪崩が起きやすくなる」
「それじゃどうやって登ればいいわけ? 食事とか仮眠とか、火がないと凍死しちゃうわよ」
「少し待て、確か四つの宝珠をこう並べると――」
プラーヴァクトル仙が庭先に宝珠を四角形になるように置き、その中央に入り真言を唱えると、途端に寒さが全く感じられなくなった。
「ストゥーパの結界――本来は五つあって完璧なものになるのだが、四つでも宝珠の所持者をある程度まで守ってくれる。少なくとも”空の宝珠”を手に入れるまではな。何かと使うことがあるじゃろう、覚えておくとよい」
天幕代わりにするには便利すぎる使い方だ。それだけにルチヤには気になることがあった。
「宝珠って、いったい何なのかしらね」
「それはまた、答えるのに難しい質問じゃな。いちおう、儂らには五大の魔力を制御するもの、と聞かされておる。魔帝ドゥルガーは強大な魔力を持っていた、とされているから、これを用いて魔帝の魔力を封じてなお、強大な存在であったと推測できるが」
「それって、つまり魔力を封じた後はガチの殴り合いになるかもしれないってことかしら……?」
「充分あり得る話だ。そうなったら、俺は少しは役に立つかもしれん」
「俺は逆に役立たずになるってことかなー」
ダートゥとヴィロークが思い思いに感想を述べた。シルティは困惑した表情で首を振るばかりだった。ヴィヤーグラとシャルドゥーラの行動が読めない以上、彼女にも自分のなすべきことが解らないのだろう。
「別のことだけど、わたしも気になっていることがあるの。水の宝珠を持っていた竜が、魔帝を”小娘”と呼んでいたわ。魔帝ドゥルガーって……どんな存在なのかしら」
「うむ……竜は、始原の竜カドゥルーの『混沌』の性質を最も色濃く残しているとされる。彼らにしてみれば、取るに足らぬ存在なのかもしれぬな」
「彼らは魔帝のことはどうでもいい、みたいな口ぶりだったのよね。もともと争いが好きだから魔帝が暴れていても大して気にならない、とかとも言っていたわ。ただ”踊らされるのは気に食わない”とも言っていた……何か、引っかかるのよね」
「そのことなんだがな、シルティ嬢ちゃん。少し調べていたんだが”凶暴な娘”ってのが関係してるかもしれない、って俺は思った」
ヴィロークが言うには、夜鬼や雪鬼の群れを統率する雌大鬼はもともと”獣の娘”という意味を持ち、またの名を”凶暴な娘”と呼ばれるらしかった。”凶暴な娘”はそれ以外にも女形の怪物、例えば魚や鳥、獣などのさまざまな動物と入り混じったモノのことをも指すらしい。聞くところによればそういった特別な雌は、雄以上の魔力を持つ脅威の存在である……とのことである。
「魔帝ドゥルガーってのも、そういう類の怪物なんじゃないのかな。確か”黒き翼を持つ”って言われてるから……翼を持つ怪物ってのは、そんなに多くない。もしかしたら……」
もしかしたら。ルチヤ達はその可能性に思い至り沈黙してしまった。翼を持つ、女性の姿をとる種族。それはアプサラスに関係しているのかもしれないのだ。
「……アプサラスらが必死に眠らせようとしている、とも言っていたな。……彼女らは、何かを知っているかもしれない。今のうちに、話すことを整理しておくべきかもしれないな……」
ダートゥが結んだ言葉に、皆は沈痛な面持ちで頷くほかなかった。




