21.風の英雄の血筋
「……とは言ってもね、父親は放浪癖の旅人だったらしくて、詳しいことは解ってないのよ。ただ母さんと、舞踊巫女の仲間がそう言ってたってだけで」
ルチヤは懐から半月形の黒曜石の護符を取り出した。父から与えられた唯一の物だったらしい。
「確かに、そりゃニルヴァー族の奴らが身に着けるもんだ……いやぁ参ったね、道理で占いでお前さんに白羽の矢が立ったわけだ。アヴァニの民が力を合わせるのに、相応しい身の上の者が選ばれたってわけか」
「そんなの……本気で信じてるの?」
「俺は占う時はいつだって本気だぜ」
ヴィロークの根拠のない自信はさておき、ルチヤらは現ニルヴァー族の頭領ヴィーラと直接会って協力を仰ぐこととなった。動きやすい乾季ではあるが、北東からくる風は乾きのせいか強さのせいか、ひときわ寒く感じられる。毛織の外套をしっかりと羽織り、カリヤム河から海岸沿いに南下していった。
「間違いない。それは私の弟のシューラのもの」
ニルヴァーの領土にて、褐色の髪と髭の族長ヴィーラはミトラ王からの親書を受け取り、ルチヤをまじまじと見つめた。彼の話では、ルチヤの父らしき人物は占いで、虎や獅子などの獣狩りの試練を受け続ける、という神託を受け各地を放浪した挙げ句の果てに亡くなったとされている。
「弟は、勇猛さだけなら私よりも勝るところもあった。彼は、自分は政よりもその力において国々の民を助けるべき、という運命にあるのだろう……と私に話してくれたことがある。立派な男だった」
寛大な態度で迎えられたルチヤ達だったが、そこで終わりという話でもなかった。
「”風の宝珠”には心当たりがある。先祖より代々受け継がれてきた品だ。私は我が息子らのうち、最も勇敢なマルゥトにこれを預けようとしていた。彼を認めさせることができるのなら、譲ることにしよう」
もしできなければ、宝珠を集める務め自体を彼に委任するように、とまで言われた。
「けっこうな脅し文句ね……いいわ、乗ってやるわよ」
手合わせのための舞台が整えられる間、ルチヤらは手厚くもてなされた。鶏や羊の肉をたっぷり使ったカレーやふっくらと柔らかく焼きあがったナン、人参の漬物や胡瓜のヨーグルト和え、カルダモン入りのチャイなど濃厚な品々を味わいご満悦のルチヤだったが。ダートゥはひとり、黙ったまま落ち着かなさそうな顔をしていた。
「今回は本当に、お前ひとりの戦いになる。助けてやれないから十分に注意しろ」
……何と言うのか、彼は至極真っ当なことを言っているだけなのだが、それがかえってルチヤの癇に障った。そんなことを言われると、いつも助けられてばかりのようではないか。
「まあ、そんな顔するなよ。俺たちも何もしてやれなくて居心地悪ぃんだ」
「ルチヤ、あたしも何となく心配なの。気をつけてね」
各々から激励の言葉を受け取り、ルチヤは試合のための舞台に足を踏み入れた。
四方に木製の柱――様々な動物の彫刻が施されている――が立ち、その間に布の紐が張りめぐらされていて、幾つもの鈴が結び付けられていた。この鈴を先に三回鳴らしてしまったら、負けを認めたことになるのだそうだ。
ルチヤにとっては従兄弟となるらしいマルゥトは、族長をそのまま若くして、少し筋肉を増したような屈強の青年だった。得物は金剛杵――力任せに殴りつけるタイプらしい。持久戦に持ち込まれたら負けだ、長引かせるのは得策ではない。
「それでは――――始めっ!!」
対峙してすぐにわかった。彼の頭上、やや斜め後ろに女性の像がダブって見えた。長い黒髪の、軽やかな動きの女性。彼女――風天の動きに合わせてか、大柄なマルゥトはルチヤと同等かそれ以上の素早い動きを見せていた。
同じだけ動いたら、こちらは不利だ。振り下ろされる金剛杵を紙一重で避けたルチヤは、最も得意な戦法でいくことに決めた――”火”の気を込めたひと薙ぎを、あえて相手の急所を外して抜き放つ。続けて抜き放っていった火炎の衝撃波はすべて躱されていたが、それらは舞台の布紐や木造の柱に移り燃え上がった。結ばれていた鈴が地に落ち、ガランガランと不吉な音を立てる。
「おい、ちょっと待てよ! これじゃ、どっちが勝ちかわからねぇじゃねぇか?!」
文句を言う若者を尻目に、ルチヤはこれも馴染みになっていた”地”と”水”の気を合わせた濁流の一撃をお見舞いした。火の斬撃より重みのあるこの渾身の一撃を喰らい、マルゥトは後ろに仰け反り昏倒する。濁流の余波は舞台に広がり、燃えて崩れかけていた柱や布紐の火を消し止めた。
「っつつ……」
なんとか起きなおそうとしたマルゥトだったが、その鼻先にウーツ鋼の刀が向けられ、勝敗は決した。
「……ってぇ、なんてぇじゃじゃ馬娘だ。こんなのに乗りこなせる気がしないね、完敗だ」
大声で負け惜しみを言い放ったマルゥトだったが、人と人との戦いを凌駕した世界を見せつけられ、綺麗さっぱり諦観したようであった。彼は腰帯から黒い半球状の石を取り出し、ルチヤの手を取ってそれを乗せた。
「ありがとう。生きて戻れたら、返しに来るから」
「待ってるぜ。正妃の座を開けておいたほうがいいかな」
「遠慮しとくわ。あたしは何人も妻を持つ気の人には興味ないの」
男女の仲になるかどうかはともかくとして、ルチヤは族長の一族から、好意的な支援を取りつけられるよう、漕ぎつけることができたのであった。