1.『月の恋人』
王都の午後は穏やかだ。
朝に勤めを終え、昼にぎらつく陽射しを避けて休憩した人々が、家路に帰る途中で露店の品々に目を留める時。ルチヤは噴水広場の前で興行を始めた。
薄青色の布を全身に巻きつけ、ルチヤは広場の中央に陣取った。相棒のシルティは脇で二人分の荷物を見張りながら、手に持った鈴輪を鳴らし、少女特有の澄んだ高い声で聴衆に語りかける。
――月は降り立つ 人の地へ
あたりは暗く 心細く
恐る恐るに 手を伸ばす――
そう、自分は月だ。昔話に伝わる月の精。姉の太陽が休んでいる時を見はからい、そうっと地上に降り立った天女。銀の髪をなびかせる儚げな乙女として表されるが、生憎とルチヤ自身は銀髪でも儚い乙女でもない。やや赤みの強い鳶色の髪ごと、全身を月の色の衣で覆い隠し、優美だが控えめな、ゆったりとした動きで自分と全く違う女を演じる。
薄青の表地の布には、白蝶貝のビーズが随所に縫いつけられていて、陽光を照り返して輝く月の柔らかな美を表現していた。心もとなさげに彷徨う月の乙女。正直、この舞の出だしはもどかしいと思うことも多い。だが彼女はだんだんと動きを速め、最後は満面の笑みでもって観客を魅了する――それは、恋する乙女の幸せを掴んだ直後を意味するのだ。
――差し伸べられたは 大きな手
掴んだ腕は ゆっくりと
月の乙女を 支え抱く――
ルチヤは覆い布を大きく翻し、裏の黒無地が見えるように、布を肩に巻きなおした。下に身に着けていた男物の旅装束が、わかりやすく見えるように大仰に、大胆に動く。
ここからは月の精が出会った、人間の男の役だ。男舞は優美さよりも勇猛さを表現することを要求される。ただこの『月の恋人』の演目に限って言えば、あまり武骨な動作は好まれない。やや中性的な男性像がイメージされるらしい――だからこそ、ルチヤのような女一人での演じ分けも可能とされているわけだが。
わたしが踊りもできれば、月の役と分けることもできるのにね。シルティは幾度か残念そうにぼやいたことがあるが、ルチヤにしてみれば、彼女が歌やその他の仕事をこなしてくれているだけでも充分なのだ。舞くらい、ひとりで演じきれなくては踊り子の名が廃る。ここは譲れないところなのだ。
――愛の歓び 大きけれど
それは静かに 月を食む
命の光は 頼りなく
ゆるりと揺れて 消えかける――
再び月の役へと。ルチヤは衣を表に返し、その場に蹲った。原因は伝えられていない、月の精に起こった謎の異変。息も絶え絶えに喘ぐさまをも演じきる。
一説には、月の満ち欠けを再現しているとみなされている。本当にその解釈で合っているのだろうか、とルチヤは訝ることもあるが、上演中はそんな迷いを見せられるものではない。恋とはそんなに大変なものだろうか、漠然としか感じられないルチヤではあるが、理想の踊りを追求する辛さなら理解できる。毎回そういった気持ちにすりかえて、この場面はなんとかやり切っている状態だ。
はらり、はらりと柔らかいものが顔を上げたルチヤの頬を掠め落ちる。シルティが小物袋から振り撒いた、ひとつかみの白い羽根。鶏の羽根を、安物の染料で黄色に染めたものも混じっている。
黄金の羽根は、月の姉である太陽を象徴する。ここは太陽の乙女からの声が届いたシーンだ。
――妹よ 儚き月よ
お前は天に戻りなさい
其処は安息の地たりえない――
――いいえ いいえ 眩き姉よ
例え天に戻ろうとも
この痛みは拭えない――
この後の展開は、解釈が別れるところだ。月は天へ戻ったのか、戻らなかったのか。恋人と添い遂げたのか、別れたのか。ただひとつ解っていることは、アヴァニの月は常に形を変え、昼も夜も空あるいは地の下を彷徨っている事実だけだ。
それらを想像させるため、ルチヤは最後をこう結んでいる。蹲った月の姿からゆっくり衣を引きはがし、再び人間の青年の姿をとって立ち上がり、あたりを永遠に彷徨う。最後は男姿のまま、静かに聴衆に一礼して跪いた。
ぱちぱちと、まばらな拍手が上がりルチヤはゆっくりと顔を上げた。王都なだけあって人通りは多く、いくばくかの観衆を惹きつけることには成功したようだ。シルティが毛皮の帽子を持って聴衆らの合間を縫い、差し出された小銭を帽子の中へと収めてゆく。ルチヤもそれを手伝おうとした、その時だった。
「――なあ、姉ちゃん、ちょっといいか?」
ほんの微かに嫌な予感がしたものの、ルチヤは振り向かざるを得なかった。