詩島さんは、しゃべらない
「詩島さん」
呼び掛けると、大きな瞳を瞬かせて、詩島さんは振り向いた。
「……帰ろっか?」
呼び掛けると、こくんと頷く。ただそれだけ。
席が隣の同級生、かつ付き合ったばかりの無口な彼女は、今日も黙って席を立った。
詩島さんは、しゃべらない。
肩に触れる髪を揺らし、僕の隣をこつこつと静かに歩いて行く。
「最後の日本史、眠かったねー」
「……」
クラスメイトの彼女に対する印象は、『無表情』に尽きる。
滅多に表情を崩すことも無く、かといって表情が無いとも言い切れない瞳。
それが返事に変わって、こちらを見上げる。
「最後うとうとしちゃったよ。詩島さんはどう?」
「……」
こくり、可愛い小さな顎が、控えめに、でもしっかりと上下した。
声は出さないけれど、その分態度が教えてくれる。会話をきちんと聞いてくれるところが、彼女の良いところだ。
「この後どうする? ゲーセンでも行く?」
何気なく提案したら、瞳の奥がきらりと一瞬、輝いた。
そう。クラスメイトも、先生も、誤解していることが、一つある。
それは、彼女は、詩島さんは、皆が思うように『無表情』などではなくて、本当は。
本当は、とても、表情豊か。
「今日は負けないぞ」
二台並ぶレーシングゲームの筐体。
その座席に座り込んだ僕は、同じく右隣に座る彼女へ宣言する。
「……」
こういう時の彼女は、実に得意げな顔をする。
たぶん傍目に見れば「どこが?」と言われそうだけれど、よく見ると眉根が凛々しく寄っている。
そして画面を見つめる横顔に、僕は一瞬ドキっとしてしまう。楽しそうな気持ちも、追加だ。
「よっし! 行くぜ!」
ちょっとだけカッコつけながら、僕もハンドルを握りしめた。
がなるエンジンの振動音にだけ、強烈に鼓動を任せながら。
「……!? ……!!?」
詩島さんは、よくテンパる。
「リロード! リロード! 早く早く!」
「……!!? ……!!?」
特に左右から二体以上、ゾンビが出てくると太刀打ちできない。
ちなみに二丁以上も持てない。ペダル操作もワンテンポ、必ず遅い。
こういう時の詩島さんは、とにかく可愛い。
不安げな睫毛を前へ、左へと向けながら、僕に助けを求めてくる。
その様子は新しい環境へ放り出された小動物そのもので、銃を振り装填の動作を示すと一生懸命真似る姿も非常に可愛い。
「……!!?」
言えないけど、やられちゃってうなだれる姿も、こっそり可愛い。
「いけっ! このっ!」
「……! ……!」
詩島さんは、ぬいぐるみ好き。
キャッチャークレーンを動かす度に、拳を握る癖があることを最近知った。
「あっ」
「……」
あと、キャッチに失敗すると、ガラスに押し当てた額を滑らせて、僕を恨みがましく見つめることも。
「……大丈夫。次は取る」
「……」
ほんとに? と語る拗ねた唇。詩島さんは意外と短気だ。
でも、
「はい」
「~~~!」
柔らかい景品を受け取った時は、必ず、ぎゅっと抱きしめる。
僕の財布は空になる。でも、見る価値は十分にある。
「あー! 遊んだねー!」
夕焼け空に、伸びをして一言。
詩島さんも、ぬいぐるみを抱えながらこくりと頷く。
道に伸びる影法師。それとなく眺めながら歩いていると、ふいに目が尻尾を捉えた。
「あ、猫だ」
道を挟む、ブロック塀の上。大きな欠伸をしながら、ぶらん、ぶらんと縞が踊る。
僕は猫が好きだ。つい声をかけたくなる。
「にゃー」
見上げながら、挨拶をする。
「くるしゅうない、だって」
「……」
笑いながら、意訳を伝えた。
詩島さんも、猫を見た。
詩島さんは猫っぽい、と僕は思う。一見悟らせないけれど、ふとした仕草に垣間見える感情が、知れば知るほど彩を増す。
そんな一人と一匹が、感情乏しく下から、寛大なる目で上から見つめる。
なんだか可笑しくなって笑うと、詩島さんが僕を見た。
怒ってる。
「ごめん。そんなつもりじゃ――」
笑いながら訂正しようとしたら、不意に猫が詩島さんの胸に飛び降りた。
「!!」
「詩島さん!」
猫を受け止めた詩島さんの腰が落ちる。必死で腕を伸ばすと、なんとか身体は支えられた。
「あ……」
「……」
瞳が近い。夕日の輝きが宿って、僕の目をじっと見つめる。
やっぱり、
「好きだ」
「!」
思わず口を突いて出た言葉に、詩島さんは驚くと、視線を逸らして猫を掲げた。
お腹をでんと見せながら、ふてぶてしい目を細める猫は。
「……にゃー」
全く口を動かすことなく、可愛い声ではっきり鳴いた。