人形の死後、生前を振り返って絵画の前に立つ。
世界情勢を一気に書き換えた人形の如き女が死んだ。
同時に彼女が存在していた証が悉く消えた。彼女の遺体は勿論のこと、彼女が使用していた衣類や小物、数多の書類に記されていたはずの名、軍事日報に記されていたはずの行動記録や彼女について書かれていた個人の日記からも、彼女に関する事項が全て消えていた。文字を記されていた痕すら、確認できないほど完璧な消滅に、彼女が世界に課した制約がこれだったのだろう、と察する。
最初は傲岸不遜な知恵が回るだけの小賢しい小娘だと思った。王家からは最後の切り札の様なものとして扱うように、と与えられたが、その能力に期待などしていなかった。だが、戦いが進むにつれ少しずつ、彼女の価値を皆が理解していった。それが良いことだったのか悪いことだったのか、今でも判断に迷う。ただ、そうあるべきだと判じたから、歩み寄ろうとしたらしいことと、本心では欠片も打ち解けてはいなかったことを、最後の戦いの前に知った。だがそれは、彼女から人間らしさを奪ったが故に浮き彫りになった事実だった。
親友だと思っていた男が彼女の補佐となった時、彼女は笑っていた。この国が好きで、守りたいものがある人が傍で監視してるって逃げ場がなさすぎて笑うしかない、と。だけど、だから雑事みたいな諸事も任せられる、と。
親友だと思っていた男が彼女の立てた戦略に反論した時、彼女は驚いた顔をして怒った。そんなことも出来るなら、なんでもっと早く教えてくれなかったの!?と。意見があるなら余すことなく全部言うべきだと思うんだけど!?と。
親友だと思っていた男が唯一の家族だった弟の訃報を受けとった時、側にいた彼女は迷うことなく休みを言い渡した。お別れぐらいきちんとしてこい、と。少しぐらいなら、戦線離脱したことを誤魔化しておいてあげるから、と。
親友だと思っていた男が 休暇から戻ってきた最初の会議の時、彼女はホッとした様に笑って珍しく冗談を言っていた。潤滑剤が戻ってきた、と。調整役がいないせいでほんと大変だった、と。
二人の間に信頼が生まれている様に感じた。二人もその様に振舞っていた。だから判断を誤ったのだ。時折物言いたげに此方を見る男の救援サインを見逃して、裏切りを許してしまった。男が何を思い、どういう経緯で裏切るに至ったのか、終戦後に知った。それを見つけてきたのは彼女だった。世界を見限り、己すらも見限り、何もかもを手放して自分で決めた事を成すだけの人形の様に成り果てた彼女は、手に入れた経緯に欠片も反応しなかった。ただ、知りたいかと思ったから教えとく、と静かな声で告げた。
最後の戦いの直前、彼女はどういう基準でそう判じたのか周囲に告げぬまま、作戦の根本に携わっていた男の裏切りを察知して作戦を大幅に変更した。そして、作戦の調整のためという名目で男が砦を離れている隙に、彼女は全てを破棄して僅かな戦力で持って帝国の軍を迎え撃った。そこで自分の命すら守ることをやめた人間の恐ろしさを知った。
砦は、最初から破棄するために壊した後、燃やす予定だった。だが、彼女は主要箇所を壊した後、少数精鋭で編成した部隊を各所に配し、自分は砦の一番高い場所に座り、進軍してきた帝国軍に真っ向から対峙した。両手を広げ、声高らかに「ようこそ」と告げた声に温度はなかった。ご存知かとは思うが、私の首を落とせばそっちの勝ちだ。好きに打ち取りに来るといい、と。そう宣った彼女の言動を警戒したものもいた。それでも彼女の首を討ち取るに帝国軍は砦に入らざるを得なかったし、彼女はそれを許した。そして、砦は爆心地となった。砦どころか周辺一帯を根こそぎ更地に変え、彼女は反撃の狼煙とした。
彼女だけではなく、全滅と予測されていた残留隊が一人も欠けることなく生き残れたのは運が良かったからだ。残留隊の機転と彼女の予測から僅かにズレた爆破のタイミングのお陰で、少々の火傷や打ち身などの軽傷で済んだ。この結果を経て、彼女は帝国の主要軍事施設を幾つか破壊した。自らを捨て駒として配する軍師が何処にいる!?と各所から非難されようとも彼女は躊躇わず、自らを木馬と称し、爆薬の運送役として帝国軍の主要施設に近付き、己が巻き込まれることを恐れることなく爆破するのだ。その死を恐れぬ在り方に狂気を覚えるものは少なくなかった。自らを捨て駒とした爆撃だけではなく、彼女が打ち立てる作戦の何れもが有効だった事もあり、彼女を恐れるよりも利用する事を誰もが選んだ。大事なものを守るために、自らが死なぬために。
親友だと思っていた男と最後に見えた時、女は笑顔の仮面を被った。男に裏切られたと判じるまでに見せていた表情に一番近い貌だった。彼女の仮面にたじろいだ男に無防備に近付き口づけ、彼女は己の腹部に仕込んだ爆弾のスイッチを入れた。予め爆弾を作成した者から仕込んだ爆弾の仔細を聞いていなければ、瞬時に彼女から爆弾と男を引き剥がすことは出来なかっただろう。彼女が起動させた爆弾と連動し、施設に幾つか紛れ込ませた爆弾が破裂した音を聞きながら、男の首を男の護衛諸共落とした。
そして、彼女は最後の舞台に足を進めた。裏切った男の首を国旗で包み、大事そうに抱えたまま、帝国の宮廷へ乗り込み、爆撃した。諸所が崩れ落ちた謁見の間で、言葉を失った帝国の王侯貴族の前で、彼女は血濡れたままの白いワンピース姿で、男の首を手にしたまま、軽やかに舞った。表情が抜け落ちた人形の如き彼女がターンする度、ひらりと揺れる血濡れた国旗とその上でころりころりと転がる生首は恐怖以外の何者でもなかった。
そちらの舞台で舞ったご褒美はもう貰った。ねぇ、拍手を下さる?貴方方が描いた必勝のシナリオを知識と技術で覆した私に、そして、壊れた私を今日まで生かし続けた其処の将軍に、舞台の終わりに相応しい、盛大な拍手を。そう、舞の終わりに告げた彼女に、人々は恐怖し、頭を垂れた。
帝国宮廷の謁見の間に鎮座する玉座、明け渡された其処に彼女は座った。
片足を立て、足を覆う様に血濡れた国旗を掛け、その上に載せた男の首を抱える様に腕を回し眠る様に瞼を落とした姿は漏れ入る光と相舞って息を呑むほど美しかった。
人種の差か、結婚適齢期を終え掛けている己とさして変わらぬ年齢と知っているのに、眼前に見えるのは子どものようにあどけない顔で、纏った白いワンピースや膝に掛けられた国旗が血濡れていなければ、そしてその膝に生首が添えられていなければ、とても心温まる光景だっただろうに、と思わずにはいられなかった。
その光景を見ていた者が、後に当時の光景を寸分の狂いもなく描き上げた絵画を見て、彼女は言った。コレと、目の色までは残すことを許すよ、と。そして絵画の裏板に自らの血をインクとして何事かを書き残した。
彼女の死と、彼女の存在した証がほぼ全て消えたことを報告しに来たのは、彼女を描き残した者だった。彼は言った。彼女には言いませんでしたが、あの絵にはタイトルが有ったんですよ、と。
絵画はその後、宮殿の一室に表も裏も見えるように飾られることとなった。彼女の知らないタイトルと共に。