進むべき道
「あ」
「お」
街をふらふら、市場からすこし通りを逸れたところでタクマは見知った顔を目にした。
向こうから歩いてきたのは前髪に片目を隠した、黒髪の少年。
おなじ勇者のトキナである。
彼はタクマと目があうと、右向け右をして扉を開けた。
どこかの飲食店らしい、その建物からすこし顔を覗かせて、トキナは手招きをする。
「ついてこい」
「あ、ああ……」
店内はうす暗い。
落ち着いた照明に、静かなフロア。
正面にあるカウンターでは白髪の老紳士が店番をしている。
そして店内にたちこめる香ばしい匂い。
トキナにならってタクマも席につくと、「いつもの」と頼む様子を真似した。
「この香り、コーヒーか」
「ああ、わかるのか」
「俺もよく飲む方だからな。特にトレーニング前後はカフェインによって集中力を増し、脂肪燃焼にも効果がある」
「……過去に勇者が持ち込んだそうだ。この街で唯一の喫茶店だ」
しばらくして湯気の立つカップがふたつ運ばれてきた。
てっきりブラックコーヒーかと思えば、薄茶色の水面。
おそるおそる啜ってみると、ねっとりした舌への刺激に顔をしかめた。
「……めちゃ甘いな」
「なんだ、ブラックコーヒーもあったんだが」
トキナもまた、眉をしかめながらそれを口にしている。
どうやらかなりの甘党なのかと思えば、彼も我慢しているらしい。
「カフェオレ……俺が頼んで甘く作らせたんだ。本当は美味い店だ」
「なんだそれ、罰ゲームか?」
「……そうなのかもしれない」
トキナがなにか口をひらこうとしている。
幸いにも、店内は静かで遮る物音もない。
タクマも黙ってカフェオレを口にした。
「寡黙な父だった。なにかひとつでも与えられた記憶すらない……ただひとつだけ覚えていたことがある」
それは寒い冬の朝だったという。
いつもより早く目覚めたトキナがキッチンに行くと、そこには朝食をとる父親がいたという。
おなじ時間になったのははじめてだった。するとなにか会話をする代わりに、父親はおもむろに牛乳鍋を火にかけた。
『勉強は辛いか?』
『……え? ううん』
『知識はひろい世界を見て回るための足になる』
そのとき作ってもらったのがカフェオレだった。
それも激甘の。
ただトキナはその甘ったるい味を思い出すたび、胸に苦い思いが広がった。
「この店に来るのも最後になるかもしれない」
「街を出るのか?」
「オレはこの世界を見て回ることにする。この世界でなにをすべきなのか見極めるために」
そう言って甘すぎるカフェオレを飲み干す。
どこか名残惜しそうに、トキナはカップを見つめていた。
「おまえはどうするつもりなんだ?」
「俺は……」
いつもなら、筋トレだ! トレーニングだと即答していただろう。
しかしタクマは迷っていた。
この世界で為すべきことは、本当にそれだけなのだろうか。
「ここはオレがもつ」
「あ、ああ。すまないな」
「ひとつ貸しだからな。次会うまでにこの世界から逃げるなよ」
店を出たトキナは、そこからまっすぐ南へと足を向ける。
もうすでに出発するつもりなのだろうか。
なにか声をかけようとするタクマへ、振り返ってトキナはこう言った。
「つぎオレと戦うまで、だれにも負けるなよ。勇者レベル1」
迷いの晴れたような顔だった。
まるで自分の進むべき道が見えたかのように。
そんな彼の後ろ姿を、タクマはただ黙って見送るのだった。
夕飯をどうしようかと歩いていると、ちょうど足はいつか食べた豚麺の店へと向いていた。
クレイジーな塩分と脂質の暴力。
店先にはあいかわらず獣の出汁の匂いがただよっている。
「たまになら食べても毒にはならないだろ」
言い訳するようにタクマが店に入ると、大盛況の店内。
ほとんど満席な中、キョロキョロしていると誰かがこちらに手を振った。
「おーい、こっちでござるよー!」
遠目にも圧倒的な肉体のボリューム。
その隣にいるメイドがまた目をひいた。
ありがたく相席させてもらうと、ちょうど注文した品がメミの前に届いたところらしかった。
「やはりタクマ殿もこの味に魅力されていたのでござるか」
「いや、来店はこれで二度目だ。ミノルこそしょっちゅう来ていたんじゃないのか?」
「それが、拙者もずいぶん久しぶりだったのでござるよ。……そしてこれが最後になるかもしれないでござる」
ミノルも、30日目までは拠点を他所に移していたのだとか。
そしてまた、この街を出るのだろう。
すると彼の隣で麺をふぅふぅ食べる褐色肌の少女が、声にならない歓喜の声をあげる。
とんこつ風スープの旨みが全身に染み渡っているのだろう。
「メミたん、美味しいでござるか?」
「は、はい! ミノル棒にも負けるとも劣らぬ美味でございます!」
「それは良かったでござるよ」
いつもの警戒心の強い野良猫のような顔を崩して、ニコニコしながらラーメンを食べるメミ。
その様子を穏やかに見つめるミノル。
「やっぱり、美味しいものは人を幸せにするでござるな」
「たしかに、栄養だけでも肉体は生きていけるかもしれないが……」
「味がなければ心は死んでしまうのでござるよ」
タクマにも覚えがある。
減量末期の、あの塩気すらないぱさぱの胸肉。
粘土でもはんでいるような無味な食感。
それに同意するように、メミもうなずきながら食べている。
彼女の場合は本当に土くれでも食べさせられていたかもしれない。
「この街ではこうして美味しいものが食べられて、人たちも穏やかに暮らしているでござる。ただ世界にはどうやらそうではない場所があるようなのでござるよ」
「ミノルは、この世界でなにをするつもりなんだ?」
「拙者、この世界に美食を溢れさせたいのでござる。そのためには魔王を倒す必要もあるのかもしれない、でござろうが……まずは各地で美味しいものを見つけて、それを広めるのが拙者の目的でござる」
「そうか。おまえのことは本当に、心の底から尊敬するよ」
「わ、わたくしの方がミノル様のことを尊敬しております。あなたには負けません」
とつぜん会話に入ってきたメミは、タクマを敵視するように見据えている。
ただ頰を膨らませていて、どこか毒気の抜けた表情だったが。
「わたくしも、ミノル様の崇高な目的のためにご助力させていただく所存です。この豚麺なる美食としばらくお別れなのは残念ですが……」
「メミたん、世界は広いでござるよ。さらなる美食が拙者たちを待っているでござる!」
「ああ、ミノル様……地の果てまでお供いたします……!」
ところでタクマの注文だけなかなか運ばれて来なかったが、このふたりのやり取りを眺めているだけで胸焼けしそうだった。




