勇者レベル1
トレーニングにおいては3つの動作がくりかえされる。
ポジティブ。
ネガティブ。
そしてスタティックである。
ポジティブとは動作の起点から、重りとなるものを動かすまで。
ネガティブとはふたたび起点の位置に戻るまで。
スタティックにおいては、その間の静止した状態を指す。
たとえば懸垂だと、腕をのばした状態から体を挙上し、アゴがバーを越えた段階で静止、またスタートポジションに戻る。
ポジティブ、スタティック、ネガティブの順に動作が行われている。
この3つの動作のあいだ、もし筋肉から負荷を抜かなければトレーニングとして最大限の効果を発揮するだろう。
しかし理論上そうであっても、実践することは難しい。
負荷をかけ続ければ筋肉は疲労し、無意識のうちにどこかで力が抜けてしまうからだ。
ただしタクマの場合、類まれなるマッスルコントロールによりそれを可能としていた。
もはや呼吸するように、最大強度のトレーニングを行う癖がついている。
たとえその習慣は、剣術であろうともそれをトレーニングとみなす限り忘れることがないのだった。
タクマは斧を手に、スタートポジションに構える。
肩の真上にまっすぐ振り上げて、肘は軽く曲げている。
骨盤をさげて、足の裏はしっかり地面を踏みしめている。
そして起点は足からだ。
座った状態のトレーニングでは、通常なら脚は使わないだろう。
たとえばダンベルカールならば下半身の反動によるチーティングを防ぐため、ベンチに腰かけて行うことがある。
しかしタクマは一度、ベッサが薪割りする姿を見ていた。
あのとき、彼女が足首を庇っていたのだとしたらそれでは説明がつかない。
上半身だけを使っていたのであれば、痛めている左足は無関係なのだから。
タクマは地面を蹴り、エネルギーを生みだす。
それはハムストリング、大臀筋を伝い背中に向かう。
その勢いを殺さないよう、脊柱起立筋から広背筋、僧帽筋へとまるで電気信号のようにもれなく送りだし、やがては肩、そして上腕へ。
しなやかに筋肉を連動させながら、斧を振りおろす。
そしてここで重要なのは、負荷をなくすことである。
エネルギーはじゅうぶん斧に伝わった。
あとは1.25キログラムの重りが、落ちる勢いそのままに任せればいい。
そして薪に当たる瞬間。
そこでまた力を込める。
静止しようとする腕がさらなる筋肉のしなりを生み、パワーを加算させる。
タクマは悪魔と手を結んだのだ。
下半身の加勢によるチーティング、さらには負荷を抜くことによるなめらかな挙動。
それはトレーニングとしては正しくなかったのかもしれない。
しかし、それと剣術とはまったく別ものだったのである。
インパクトの瞬間。
思ったよりも手ごたえはなかった。
斧の刃先は木目にそって食いこむ。
その勢いのまま、土台の丸太に深々と突き刺さった。
かこーん。
抜けのいい音がひびいた。
両断された薪はややあって二手にわかれ、ころんと地面に落ちた。
「やった……!」
さきに声をあげたのはベッサだった。
彼女もタクマの中で、なにか意識の変革があったことを感じとっていたのだろう。
強く握りしめていた杖から力を抜き、その場にへなへなと座りこむ。
「ベッサ、きいて欲しい」
そんな彼女へと、タクマは斧を置いて対面した。
いつかは痩せっぽちな少年だった。
それが斧をふり続けたことにより、たくましい広背筋、僧帽筋、三角筋と、それにともなう首の太さを手に入れていた。
なにより彼の目には、力強い光が宿っている。
「俺はこの世界に召喚された勇者なんだ。……なかなか言い出せなくて、ゴメン」
「べつに謝ることじゃないよ。あんたのことははなから特別だって……変なヤツだって思ってたからさ」
思えば初対面のときから、タクマはその異才な存在感を放っていた。
ベッサにとっては勇者にしろ、変なヤツには違いなかったということだ。
「ありがとう。勇者のことをよく思っていない冒険者は多いらしいから……ただホルガもベッサと似たようなことを言っていたよ」
「あいつと同感だってのかい、それは心外だねぇ」
「ただ、このタイミングで言いだせてよかったよ。明後日、俺は勇者同士の模擬戦闘をしなければならない。その結果によっては、もとの世界に帰されることもあったから」
「……」
ベッサはすくっと立ち上がる。
傍にあった薪を掴み、それを大きく振りかぶった。
「痛っ……?」
「なんでそれを早く言わないんだいっ! この馬鹿弟子が!」
ベッサの投げた薪は、タクマの頭にクリーンヒットしていた。
そして彼女は遠くへ口笛をひびかせる。
ピューイと。それを受けてか向こうから大男がのっそりやって来た。
「姐さん、オイラは犬じゃないんだぜ……?」
「予定変更だよ、ホルガ。あんたの出番が思ったより早くきちまった」
どうやらなにか打ち合わせしていたらしい。
ホルガはその巨体に似合わぬ、小ぶりな剣をふたつ握っている。
その片方をタクマに投げ渡し、自分はホルダーから刃を抜いた。
「もうすこし時間を置くつもりだったけど、……もう日数がありゃしない。こっからは実践編だよ」
「タクマ。オイラもおまえさんには限定ジャケンの件で苦汁を飲まされたんだ……手加減すると思うなよ」
ホルガは腰をひくく落として、どっしりと構えている。
油断も、力みもない。得物こそ違うが『剛腕の斧使い』の本領発揮といったところだ。
タクマもそれに相対して、あわてて中段に構える。
その身にはすでに剣術の型が染みついている。
まぎれもない、舞踏剣士の流派である。
「こりゃハードなトレーニングになりそうだな」
タクマは嬉々としてそう呟いた。
決戦の日まであと2日。
剣をにぎる手の甲には、レベル『1』の刻印。
とうとう勇者レベル1が、その実力を示すときが目前に迫ったのである。




