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勇者レベル1、経験値より筋肉を求む  作者: 倉矢あきら
第4話「それぞれの決戦前夜」
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筋肉の悪魔

 たとえばここに一般的な社会人男性がいたとする。

 運動経験は学生時代のみ。

 身長は平均値、体重はここ数年で増加して70キロ。

 そんな彼に、はたして懸垂が1回でもできただろうか。


 おそらく無理だろう。

 70キロの体重を持ちあげるためには、筋肉量が足りないはずだ。

 とくに背中は鍛える方法が少なく、現代人が不足しがちな部位なのである。


 では、エルマリートはどうだろうか。

 神官であるためには運動能力を問われる試験があったような口ぶりだが、彼女の言うように優秀な頭脳でカバーしてきたのかもしれない。


 師弟関係を結んだ翌朝だった。

 動きやすい格好に着替えてきたエルマリートは、いつものゆったりとした神官服ではない。

 薄手のシャツにハーフパンツといった体操着風の装いだ。


「なんかタクマ様の目がイヤなんですけど……」


 女性らしい丸みを帯びた肩のラインに、着痩せするタイプなのかボリュームのある胸。

 前より太ったな、とタクマは思っても口にしなかった。


「とりあえずやってみてくれ」


「わかりました……」


 エルマリートは踏み台に足をかけ、ハリを掴む。

 試験では腕をのばした状態から、あごをバーの高さまで持ちあげ、休まず5回その上を越えればいいとのこと。

 軍隊式のような細かい規定はもうけられていないようだ。


「それじゃ、いきます……っ!」


 気合いじゅうぶんに、エルマリートが力む。


「くぅ、うぅぅぅ……!」


 声が出ることはしかたない。

 じっさい、発声することは大きな力を発揮するうえでも重要だ。

 ハードなトレーニングジムに行けば男たちの雄たけびがこだましていることだろう。


「むぅぅっ……ぬおぉぉ……!」


 ただ、女の子が出していい声ではなかった。

 エルマリートは顔を真っ赤にして、力のかぎりいきむ。


「……もういいぞ」


「はぁっ……うぅぅ、やっぱりダメでした……」


 タクマの見立てどおりだった。

 予想したまま過ぎて彼は頭を抱える。

 ベッサも、自分に剣を教えているときはこんな気持ちだったのだろう。


「これは、長い目でみなければダメだな。まずは低い位置でナナメ懸垂をすることからはじめないと」


「そ、それじゃ間に合いませんよ。だって試験は明後日なんですから!」


「……処置なしとさせてくれ」


 タクマはさじを投げる。

 筋肉とは一朝一夕で手に入るものではない。ただひたすらこつこつネチネチとやってきたものだけに、与えられる証なのだから。


「そこをなんとか……この際どんなズルでもいいですから……なにか裏ワザみたいなものってないんですか……?」


「トレーニングに裏ワザなど……いや、あったな」


 エルマリートの言葉に、タクマはあるひとつの方法を見いだす。

 これさえやれば彼女でも懸垂5回は夢じゃない。

 そんな裏ワザが、たしかに存在していたのを思い出していた。


「ちょっと見ていてくれ」


 そう言ってタクマは、昨日とはまるで違うフォームの懸垂をはじめる。

 握り手は左右あべこべに、手幅を若干せまくして、踏み台を思いっきり蹴りあげる。

 例えるならば逆上がりをするような。

 下半身の反動をつかい、そこに腕力も加勢して、するりと彼の上体は持ちあがった。


「これが、いわゆるチーティングだ」


「わぁ、そんな簡単に……」


 チーティングとは、言葉のとおり筋トレにおける反則行為である。

 本来ならばターゲットの筋肉のみを使うようなフォームで、負荷をかけ続けていなければならない。

 そうでなければ筋肉は育たないだろう。


 たとえばはじめにあげた一般男性に懸垂ができるとしたら、十中八九そのチーティングを使用していると断言できる。

 ただしトレーニング目的であるならば、タクマはもったいないなと思うだろう。

 反則行為とあるように、そんなフォームでいくらやっても遠回りをしているだけなのだから。


「ほんとうならおまえにこんな教えを授けたくなかった……せっかくトレーニングに目覚めてくれたというのに」


「いえ、しかたなくやってるだけですから」


 エルマリートの反応は冷淡だった。

 そして彼女は、ふたたびスタートポジションにつく。

 はたしてその効果は劇的なものだった。



「す、すごいです……!」


 感激している。

 そりゃ、さっきまで一度も懸垂ができなかったのに、ものの数分で体が持ち上がるようになったのだから。

 額に大汗をながしながら、上気した顔でタクマをみつめる。


「あなたは本当に筋肉のことをよくご存知なのですね! わたし、タクマ様がレベル1の勇者でも尊敬します……!」


「よしてくれ……」


「これで明後日の試験はバッチリです! あなたは筋肉の神さまですよ……!」


 タクマは罪悪感に苛まれていた。

 その筋肉神に背をむけるような行いなのだ。

 それほどチーティングとは罪深い。


 しかし、一方ではあえてチーティングをつかい高重量に挑むという方法論もある。

 なにより出来ないことができるという成功体験は、トレーニングをするうえで重要なモチベーションになるだろう。


「……筋肉の神も、こんな俺をゆるしてくれるだろうか……」


「はい! 神官であるわたしが保証します!」


 おまえは違うだろ、というツッコミはなかった。

 それどころか、タクマにはまだ確かな手ごたえが残っている。

 トレーニングのことを無視すれば、筋肉ゼロのエルマリートでも懸垂が可能なのだから。


「どうしてタクマ様は、楽な方法を知っているのにあえてやらないんですか?」


「楽なトレーニングなどなんの意味もない」


「ですが、疲れなければもっとたくさん鍛えられるじゃないですか。まして、あなたは午後から剣術をやっているのだし、影響も少なくなると思うのですが……」


「筋トレと剣術は別だ……!」


 そう口にした瞬間だった。

 タクマの脳裏に、ぱっと光がまたたく。

 まさにこの瞬間、自ら答えを見出したのではないだろうか。

 そう、筋肉を鍛えることと剣術はまったく別なのである。


「エルマリート!」


 タクマははたと顔色を変え、エルマリートの手をがしっと握る。


「えっ、あの……いくら尊敬するといっても、そんな急に……!」


「おまえは、筋肉の悪魔だ!」


「……へっ?」


 タクマはその悪魔と手を結んだ。

 きっと筋肉の神さまも笑ってゆるしてくれただろう。

 なにせタクマの罪は、神官であるエルマリートが保証してくれていたのだから。

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