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勇者レベル1、経験値より筋肉を求む  作者: 倉矢あきら
第4話「それぞれの決戦前夜」
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はじめては未経験

 タクマはエルマリートを部屋に通す。

 室内はだれもいない。

 同居人のコニカはこのごろ帰らないことが多くなっていて、今夜もまた魔術師のところに泊まっているのだろう。


「先に飯にするか?」


 タクマがたずねると、エルマリートはぶんぶんと首を横にふる。

 あんな盛大に腹時計を鳴らしたというのに、どうやら彼女の悩みとは空腹よりも優先することのようだ。


 なんにせよ、エルマリートが満足するような夕食はタクマにも用意できなかっただろう。

 この日は豆のサラダに、ゆで卵、赤身肉のソテー。そしていつものオートミール。

 味つけは塩のみ、とくればまた文句のひとつでも言ったはずだ。


「タクマ様、あの、お頼みしたいことがあってきたんです……」


「俺に頼みか。まさか筋肉のことじゃないよな?」


 彼女に限ってそれはないだろう。

 しかしエルマリートのこたえは沈黙だった。それはつまり、まさかの肯定ということではないのか。


「わたしに、懸垂をおしえてほしいのです」


「なに……!」


 はたして、エルマリートはこう言った。

 トレーニングについてご教示いただきたいと。

 タクマの耳にはそう変換されていた。


 すぐさま上着を脱いで、準備にとりかかる。

 立派なハリが、柱のあいだに渡してあった。

 その太さはちょうど握り込めるくらいで、強度も申し分ない。

 タクマがこの部屋を選んだなによりの理由でもある。


「チンニング、いわゆる懸垂だな」


 ひょい、と飛びついて梁を掴んだ。

 タクマはフォームの解説をしていく。

 懸垂とは主に背中の筋肉を鍛えるためのトレーニングであり、自重トレーニングでいえば広背筋に効かせられるほとんど唯一の種目だろう。


「手幅は、肩幅よりも広く。握り方は順手、つまり手の甲が上を向くように。そしてなるべく胸を張って、脚は揃えるか折りたたむかして、なるべく動かさないように……」


 スタートポジションから、タクマはゆっくりと体を持ち上げた。

 肩甲骨を下勢して、背中に負荷を感じながらまっすぐに挙上する。

 アゴがバーを越えたら、また同じようにして体をおろす。


「……とまあ、これが基本動作だ。なにか質問はあるか?」


「あの、タクマ様はそれを何回できますか?」


 予想外の質問である。

 てっきり広背筋を意識するコツは? ときかれるものと思っていたので、ふと考えこんだ。


「いや、筋肥大を目的としたトレーニングならば、10回で限界がくるように行うのがいいだろう。俺はネガティブにもしっかり効かせるよう意識して、10回から12回を3セットといったところだな」


「はぁ、そんなに出来るんですね……」


 エルマリートの表情はさえない。

 なにやら解説についてもうわの空なようだが、ではいったい何が知りたかったのだろう。


 すると意を決したように、エルマリートは口をひらいた。


「わたし、今度また下級神官の定期試験があるんです。そこでは筆記試験と体力試験が課されていて、結果によっては減俸になったり、中級神官に昇格できたりするんです」


「はぁ、学校のテストみたいなものか……?」


「筆記にはけっこう自信があるんです。こう見えて頭がいいんですよ、わたしって」


 たしかにそうは見えないが。

 なんて言って話のコシを折るのもなんなので、タクマは黙っていた。


「ただ体力試験の内容が……懸垂が5回以上できないと、欠点になってしまうんです」


「ほう、5回か。エルマリートは何回できるんだ?」


「わたし、1回もできません!」


 堂々とした宣言だった。

 しかしながら決して胸を張るようなことじゃない。エルマリートも、小さくなって顔を赤くしている。


 するとタクマは、そんな彼女の肩に手を置いた。


「べつに恥ずかしがることじゃない。大の男でも懸垂が1回もできないなんてザラにあることだ。……俺だってさいしょは同じだった」


「タクマ様でもですか……?」


「あたりまえだ。誰だってはじめては未経験なんだから」


「言葉の意味はわかりませんが……わたしにも出来るってことですか?」


 その問いに、タクマは揚々とうなずいた。

 なにせ腕立て伏せも嫌がった彼女が、自分からチンニングを教えてほしいなんて、感慨深いものがあったのだ。

 エルマリートがかつて必要ないと言い放った筋肉を、今こうして欲しているのだから。


「任せろ。俺がおまえの背中をバッキバキに鍛えてやる」


「いえ、それはお断りします」


 こうしてタクマとエルマリートの、臨時の師弟関係が結ばれたのだった。

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