コレステロールの魔物
エルマリートは朝から最悪な気分だった。
その原因は彼女の先輩にある。
上級神官のノクトンは、その低い声でエルマリートをたしなめていた。
「きみが煽ってどうする。そんなものが市場に出回れば、価格が大暴落することだろう。無尽蔵に手に入る『魔石』など……この世界の冒険者たちを失業させる気か?」
エルマリートからの報告書をうけて、まずノクトンが指摘したのはコニカのユニークスキルについてだった。
つまり、魔石とは希少だからこそ高価に取引されているのである。その供給量がとつぜん増えたらどうなるか、エルマリートにも分からないはずはない。
「勇者コニカが魔石を売ることは禁止とする。君はすぐにでも彼女にそう通達しなさい」
「あの、……はい」
「それからその他の記述についてはまるで進展がないようだな。君の役目は勇者の補佐であり、彼らをよく観察するとこだ。それさえ疎かにしているようならば……そんな神官など必要かな?」
エルマリートはべそをかきそうだった。
たしかにタクマは変わらずレベル上げをしておらず、そのうえトキナとミノルの2名には会えずじまい。
彼女も報告書を埋めるためにずいぶん苦労したものだが、それさえ見透かされているのだろう。
するとノクトンは、白手袋をはめたほそい指で報告書を閉じた。
「勇者たちから目を離さないようにしなさい。彼らがこの世界にどのような影響を与えるのか、それを見届けることもまた神官の義務だ」
「はい……」
そんなわけで責め苦は終わったのだが、市場を歩くエルマリートの表情は冴えない。
今日も報告書をしっかり仕上げなければ、また怒られるのは目に見えている。
「……はぁ。神官の仕事も楽じゃないですよね……」
世界を救うのが勇者の使命なら、そのカゲで苦労している人間もいるのだ。
するとため息をついたエルマリートの鼻腔を、ある香りがくすぐった。
「これは、揚げものの匂い……!」
向こうの屋台に人だかりができつつある。
みな、その刺激的な匂いにつられていたのだろう。
エルマリートもふらふらそちらへ歩くと、屋台を切りもりしていたのは見知った顔だった。
「ミノルさま……? どうしてこんなところに」
「ごきげんよう。これは神官のエルマたんではありませんか」
なにやら初日よりも重量を増していた。
小太りというには恰幅のある勇者ミノルは、しきりに揚げものを仕込んでいる。
まさか、生活費がなくなってアルバイトしているのだろうか。
「あぁ、この屋台でござるね。これは拙者、ミノル印の『うまいん棒』屋でござるよ」
「うまいん棒……?」
「ためしに食べてみるでござるよ。エルマたん」
ミノルから手渡された、熱々の揚げもの。
串に刺さった、まるい棒状の軽食らしかった。
おそるおそる、エルマリートはそれにかじりつく。
「……!」
その瞬間、脳をガクンと揺らす衝撃がつきぬける。
サクサクの表面に、衣の下はパン生地だろうもっちりとした食感。
そして中身は、とろーりとした白色。おそらくチーズとバターの練り物、それに塩気のほか、奥深いダシの風味が加えられている。
まさに脂と旨みの爆弾である。
エルマリートは立て続けにふた口めをかぶりつき、感想をもらした。
「これ! 美味しいです……!」
「そうでござろう、だからこそ『うまいん棒』なのでごさるよ」
ミノルも満足げだ。
しかしながらキテレツな発想である。
まさか無形物を油で揚げるなどと、誰が思いついただろうか。
「この世界では、意外とつつましやかな食事が重宝されているでござるな。豚麺みたいなのはほんの一部で、みなカロリーに飢えているのではと拙者は考えたのでござるよ」
「たしかに、この町にも美味しいものはありますけど……これみたいに手軽に食べられるものばかりじゃありません。これなら食べ歩きながら市場も散策できますし……」
「もちろん、少量だから太らないでござる」
そのささやきはエルマリートには効果バツグンだった。
「拙者は、いたいけな乙女たちの夢を叶えてあげたかったのでござる。もしも美味しいものを罪悪感なく食べられたなら、町中に笑顔の花が咲くはずでござるよ」
「ミノルさま……あなたは素晴らしい勇者です!」
ノクトンも、勇者たちがこの世界に与える影響をよく見ておけと言っていた。
つまりうまいん棒をほおばることも、神官の義務のひとつであるのだ。
「このうまいん棒、ぜったいに流行ります! わたしが保証するからには間違いありません!」
「ではひとつ、宣伝がてらこう言って欲しいのでござるが……」
ミノルから耳打ちされ、エルマリートは素直にうなずく。
往来に向かって、彼女は高らかにこう言った。
「ミノルさまのうまいん棒、とっても美味しいですぅ!」
口の端からはとろーんと、白くてねばねばした内容物が垂れている。
ミノルはそれを見て満足げになんどもうなずいていた。
そんなふたりのやりとりを、遠目からタクマが目撃していた。
胸のむかむかするような油の香りに、むっと顔をしかめる。
「まるでコレステロールの魔物だな」
彼は人知れずそうつぶやき、市場を抜けていくのだった。




