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終章


 金色の長い巻き毛が翻る。紫の花の咲き乱れる丘で。

 そこは、呪われて土をむき出しにしているはずの場所だった。

 だから目に映るものが信じられない。低く地を覆う聖なる花が、一面に広がる美しい場所に変わっていることが。

「ねえ、綺麗な場所だって言った通りでしょう? 呪いなんかないって!」

 紫の花、アイアンスィの中で金色の妖精が笑う。

 かつてここで喪った紫の瞳の乙女は、ギルロイの前でこんなには、朗らかに笑わなかったことを思い出す。白く見えるほどの淡い色の唇を薄く開き、微笑みを形作る。眼裏に焼き付いているそれは――心から笑っていたものではないのだ。

「最初はアルフレイとお出かけの途中で来たの」

 事実は「お出かけ」と称して迷子になったスウェンが、ここで賢者に捕まっただけである。前後の記憶はすでに改竄されていた。

「その時アルフレイが伝説を話してくれたのよ。大きな獣が……ここで、ずっと許されるために何かを探してるって。でもそれが何か分からなくて、さ迷っているっていうの」

「歴とした呪われた土地のように聞こえるが?」

「だって危なくないもの。会ったのよ。黒くて大きくて、わたしのことなんか見えていないみたいによろよろと歩き回って……怖くなかった。とても寂しそうだったの。それで持っていたアイアンスィをあげたら、大事に抱えて哭き止んだのよね」

 だからいつでも獣が花を見られるように、行く度に植えたのだとスウェンは胸を張った。

「アルフレイは……ここに行くことを怒らなかったか」

「お……お花が一杯あると綺麗ですねって褒めてくれたわ」

 目を逸すスウェンから察するに、内緒で来ていたらしい。共謀者はどんぐり下僕と呼ばれているはちみつ色のお守役か、もしかしたら闊達な姉姫もいたかもしれない。

 しかし、露見した頃には一面の花畑となっていたのだから、秘密を保つには向かない乙女がすいぶんと長く頑張ったものである。

「それでね、ギル。まだ続きがあるのよ? しばらくしたら獣はいなくなったの。その代わりに、踊る女のひとの亡霊が現れるようになって……それを目にすれば美しさに魅入られ、何も喋れず、何も見えず、獣のように心を失うというの」

「うん? 見た者は喋れない獣となるようだが、何故亡霊が女と分かったのだ?」

 しかも伝説となるには近時すぎないか。ぴたりと止まったスウェンが冷汗をかいていた。

「おっ……女の子は見ても平気なの! 亡霊が、女のひとだから!」

「今決めたのか」

「意地悪言うならもう教えてあげない!」

 金色の羽毛が紫色の花々の奥へと駆け抜けて行く。その隣に紫の瞳の乙女の姿が見えた気がして、ギルロイは目を瞬かせた。

 だがそこにはスウェンと、アイアンスィの野だけがある。

「亡霊か……一体、何を思い残し、さ迷っていた? 獣か? 獣は、そなたをずっと探していたのだな」

 乙女を神の暗き一族の長から奪った時、紫の瞳もまた、愛しているからギルロイの手を取ったのだと思っていた。だがそれは、幻だったのだろう。

 報われない恋をしている乙女への憐憫を愛と思い込み、紫の瞳からの愛を信じようとしない愚かな男に、代償のような報復をしていたのだ。

 楽しげにくるくると回っていたしなやかな少女の躯が、真っ直ぐにギルロイの腕の中に飛び込んできた。

「ギル」

 はにかみながら名を呼ぶ、温かな唇をギルロイは口づけで塞ぐ。

 愛されることを知っていたら、間違わなかった。あの男もギルロイも、戦いに生きすぎていたのだ。

 いつまでも続く柔らかな強奪は、スウェンが仔猪のように暴れ出してから終りになった。

「ギルっ」

「スウェン、俺はその名を使わぬ」

「え……?」

「ヘアルドに言っただろう。返上せねばならぬ、と。俺は契約の騎士ではなく王の友となり、今はただ、お前のウィアード……守り手だ」

 青い瞳が空の色を映して瞬いた。

「ウィアード」

 ささやくスウェンの声に何かが重なる。

「ウィアード?」

 もう一度聞こえた。ギルロイの低い声ではなく、草を揺らすような優しい声が。

 微風に金色の巻き毛が広がり、スウェンの視界の隅に、透き通るような肌の女性が立っているのが見えた。

 アイアンスィと同じ紫の瞳、輝く灰色の長い髪、すらりとした肢体でありながら豊かな胸と腰を持ち、美しさの中にたった一つだけ凶々しい――喉を切られた痕を見せた、東の丘に現れる亡霊。

「スウェン? どうした?」

 何も見えていないのか、ギルロイは首を傾げている。

「彼には見えなくていいのよ。幻と知ったから」

 出せないはずの声を出し、ふっと乙女の亡霊が笑う。その後ろから小さな影――ころころとした幼い男の子がいきなり飛び出してきて、乙女に似た髪を恥ずかしげに押さえ、スウェンを丸い目で見つめる。

 さらに横から這い出してきた裸の幼子は、すぐに乙女に抱き上げられ、丸々とした手を振ってはしゃいだ。

 悪戯っぽくスウェンに片目を瞑り、乙女はアイアンスィの花の中から黒い影を引き起こした。

 眠そうに欠伸をした端整な顔の男は、裸の幼子を乙女から押しつけられ、ぎこちなく抱き締める。幼子の目は男と同じ、夜色をしていた。

「分かるでしょう? もう忘れても構わないの。ここはわたしの、あのひとの、彼の土地だった。でも……これからはあなたのもの。あなたがアイアンスィの咲く丘の一族をつくるの。彼のために……」

 乙女が踊るように紫の花の奥に向かう。面倒くさそうに男が続いて、足に飛びついた男の子によろめく。ぐらりと揺れる背中は、哭きながら丘をさ迷っていた獣にそっくりだった。

「スウェン!」

 目の前に心配そうなはしばみ色の瞳が見え、代わりのように幻が消える。

「どうした、眠いのか? まだ日暮まで時はあるが、城に戻るか。賢者達もそろそろ食事……」

「ウィアード」

 スウェンは両手で騎士の首に抱き着き、ささやいた。

「わたしが一族をあげる」

 ギルロイ――ウィアードが息を呑む。

「あなたはわたしの守り手……ウィアード。だからわたしは、あなたのスウェン、女王になる。あなたに子ども達を、一族を与えるために」

「スウェン……俺は、子ども達が大きくなるまで生きては」

「わたしを一人にしないって約束したのよ。じきに紫の丘には、古き戦士達の血を引くひとびとが戻ってくる。彼らと彼らの子ども達を導く長は、要らないの?」

 緩やかに膝をついた男の、目の下の僅かな傷跡をスウェンは指先で辿る。

「欲しいと言って。嘘はつかないで」

「ならば……新たな一族の名が要るな。何が良い、女王よ? 金色どんぐりか、悪戯妖精か」

 我儘に負けた男の声は、軽やかな笑いにかき消された。

「約束を守る一族になるんだから、ギル……ギリングに決まってるじゃない」

「ギリング……」

 頷いたウィアードの暗褐色の髪が揺れる。

 青い澄んだ瞳が冬前の淡い日差しの中で輝き、祈りと祝福の口づけをその髪にした。

「誓いをあなたに。わたしの愛する者に長き幸いを」

 アイアンスィの花々が風に頷き、唱和する。

 幸いを。

 そして古き一族の終りは、新しき血への繋がりを祝う物語となった。


                        終



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