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6.婚約破棄の訳

 


『クリスティーナ。・・・ノア殿下を、愛してるのだろう?』


『ええ、勿論。いつも想っているわ』



 故意に変えた表現の意味を、あの兄は理解したのだろうか。










「この度はお招きをありがとうございます。まさか、殿下ご自身からお招きがあるとは思いませんでしたのでとても嬉しいですわ。」


 雲1つない澄んだ青空が広がる昼下がり。

 クリスティーナは王宮にいた。


 目の前に座る第二王子は、クリスティーナの言葉に少し顔をしかめただけで無表情をあまり崩すことはしなかった。


「貴女が5ヶ月も領に戻っていたから、母上から学園に入る前に会っておけと。」

「あら・・・、学園に入ればお目にかかる機会も多いでしょうに。王妃様にはご心配をおかけして申し訳ありませんとお伝えください。」


 ノアから王宮へと招待状が届いたのは1週間前。

 1ヶ月後には、クリスティーナは学園に入学する。貴族の令息と令嬢が入学して、様々なことを学ぶ。幼い頃から家庭教師を付ける習慣がある貴族たちには入学するかどうかは任意だが専門的なことも学べ、あるいは貴族社会の縮小版の世界とし大いに活用されている。

 また、学園では希望者のみ寮に入ることができ、クリスティーナもその予定だ。


「貴女が寮に入るとは思わなかった。」


 クリスティーナとあまり話をしたがらないノアが、向かいで紅茶を飲む姿をちらりと見やる。


 久しぶりに会うクリスティーナは、心なしか以前よりも落ち着いて見えて表面に感情を張り付けているかのように思える。

 今日のこの日が憂鬱だったノアにとって、クリスティーナが駆け寄って抱き着いてこないで、僅かにノアを拒絶するような雰囲気を醸し出しているのが不思議だった。


 どうして彼女の方がまるでこの呼び出しが迷惑であるかのような口振りなのか。


「当たり前ですわ。婚約者ですもの。学園では様々な方がいらっしゃるのです。寮の方が、距離も近くなり、自然と会話をする機会も多くなります。殿下が寮に入っていらっしゃらない代わりに、私が寮に入って皆様との仲を深めますの。」


 クリスティーナの返答に、ノアが隠しもせずに眉を潜めて不快感を露わにする。


「貴女の我が儘のおかげだね。」

「あら、そうでした?」


  嘘だ。

 ノアに寮に入らないでと懇願したのはクリスティーナだ。


 届け出を出せば外出はできるものの、ノアに今まで以上に距離を取られることを恐れたクリスティーナがノアに頼んだのだ。内容は忘れたが、ノアが更に辟易するような言葉をさんざんに言って。


 第一王子のアルベルトは寮に入っている。

 ノアも同じく寮に入りたがっていた。ノアはアルベルトを尊敬しているから、少しでも兄に近付くため同じような行動をしていることは知っていた。


 ずっと、見ていたのだから。


「ところで、」


 クリスティーナのすっとぼけた返事に内心舌打ちしながら、ノアは本題に入ろうとした。

 以前まではあからさまな思いをぶつけてくるクリスティーナの視線が穏やかで、逆に不躾にならない程度に目線を下げていることも苛立ちの微かな原因だ。


「領に戻るので家への訪問は無くて結構と手紙だけで寄越されたのは驚いたよ。以前までなら私に会いに来てくれていたのに。どこか体調でも崩されたのでは?」


 嫌味か、とクリスティーナの心が固まる。

 前に体調を崩した時に見舞いのカードすらなかったくせに。


「王宮へと会いに行く時間すら無かったので、泣く泣く、手紙をしたためました。それに、殿下のお時間はとっても貴重ですから。」

「へぇ・・・。貴女にしては変わった考えだな。」

「お褒めのお言葉ありがとうございます。学園に入るのですもの、これまで以上に領に戻ることが出来なくなりますのでゆっくり時間を使いたかったのです。」

「毎月会っていた時間が突然無くなったんだ。寂しかったものだよ。」


 クリスティーナの、カップを持つ指先が知らず震えた。


 以前ならきっと喜んでいた。貴公子然とした笑みで嘘をついているとわかっていたとしてもそれに気付かない振りをして、ノアにもきちんと思われているのだと。


 今のクリスティーナにとっては、たかだかそれくらいで勘違いをしてくれる令嬢だと、馬鹿にされていたのだと実感できる。


「貴方にとって都合が良くて良かったですね。」


 今まで真正面から見ていなかったノアの目を見て言った。


 ノアの表情は変わらない。

 何を考えているのかわからない。


 久しぶりに真正面から見るノアは、クリスティーナが恋をしたあの瞬間からいつもかっこ良かった。


 クリスティーナよりも鮮やかな金色の髪にエメラルドを嵌め込んだかのような輝きを放つ瞳。

 誰もが夢中になる中にクリスティーナの姿もあった。


 ノアの心がクリスティーナに向いていないことはわかっていたから、どうにか振り向いてほしくて自分が知っている方法でしか、わからなかった。


 アルベルト第一王子への尊敬、国への真摯な思い、そのために必要な勉強への姿勢━━クリスティーナがノアに惹かれたのは、最初は見た目からだが、王族としての自覚を持ってその責務を果たそうとしている姿を見てから益々恋い焦がれた。

 そんなノアに見合うべく、淑女教育にいっそう力を入れ、貴族として役割を理解し、淑女としては必要のない勉学にも少しずつ手を伸ばし、王妃やエリザベスとの仲を良く保つために頑張って・・・いたのだ。

 

 クリスティーナの想いにノアが応えていないなど意地でも信じたくなかった。理解したくなかった。実感したくなかった。


 ノアの隣に立つ存在として、クリスティーナの存在はそれ相応の価値があるのだと信じていたから。


 ━━━もう、無理だけれど。


 今年の学園にはある子爵令嬢が入学することも知っている。相手がその令嬢ではなくても、ノアはいずれ自ら選んだ相手を隣に並ばせる。

 昔の”これまでのクリスティーナ”の記憶、その隣に立つノアはクリスティーナに向けては1度も見ることの出来なかったとても幸せな表情をしていた。クリスティーナの隣では見ることのない笑顔。自業自得とは言え、その光景がクリスティーナの心をどれだけ地獄の底に落としたのか。


 記憶を整理していく中で、愛憎とはきっとこのことなのだと思った。

 好きで大好きで愛しくて愛しくて、それと同じくらいに自分を見てくれないことが憎い。わかっているはずなのに、その想いが邪魔であるかのように扱われることがどんな罵詈雑言を言い尽くしても足らない。相反する感情が瞬く間に燃え上がり、心の蓋を灰にしてでも口から飛び出ようとする。


 それを、一生懸命に抑えて。


 久しぶりに心から笑える。



「きっと、私は殿下の為に役に立ちます。」



 以前は不敬にも許されていないのに、ノアと呼び捨てにすることもあった。


 だがあの日以来、敬称を付けて名を呼ぶことはおろか、殿下としか呼んでいないことに気付いているのだろうか。


 いいえ、気付いていてもきっと喜んでるはずよ。


 嫌いな女から名前を呼ばれるなんて、余程耳障りだったに違いない。


 今回がどんな結末になるかはわからない。どんな過程を辿るかはわからない。子爵令嬢と恋に落ちて結ばれるかもしれない。他の令嬢と婚約して、温かい家庭を築くのかもしれない。けれど、クリスティーナはノアに婚約破棄をされ、家族が窮地に立たされる。


 何故なら、その理由がいつもあるからだ。

 祖父であるユージニアは領のお金を横領している。父と兄はそれに気付いていながらも決定的な証拠が見つけられていなかった。この事が今後、見過ごしていたとして父親も罪に問われる可能性がある。そうして、罪人の娘であるクリスティーナが王族の婚約者に相応しくないとされる。家族が娘を捨てて爵位が下がって辛い生活を強いられるか、あるいは他の貴族から罪を重ねられて一族郎党の処刑となるか。


 だから、クリスティーナは兄のケンジーに協力を申し込んだ。覚悟は出来ているから、と。


 父親と兄はすでにユージニアに少し警戒されていて、自由に領を動けない。必ずユージニアの部下がついて回る。

 クリスティーナは甘やかされていたから少しは領を自由に動くことが出来る。無邪気を装って、どこかの部屋に入るくらい何でもない。


 駒はこちらに揃えてある。

 あとは、学園で学びたいことを学びながら状況を窺うだけ。


 父親と兄にもクリスティーナの考えを話し、クリスティーナが言うまでに誰にも知られないようにしてほしいと頼んである。

 また、父親と兄にとってもユージニアの部下に代わる人材を揃える為にも準備期間は必要だ。




 ノアに言った言葉は、嘘じゃない。





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