エピローグ
伯爵令嬢であるクリスティーナが第二王子のノアと出会ったのは、ノア王子の婚約者を決めるために催されたお茶会が初めてだった。
ノア王子は第一王子のアルベルトと王妃と共に現れ、現れた次の瞬間には他の令嬢たちが周りに集まってあれやこれやと話をしようと躍起になっていた。しかし、一部の令嬢たちはそれを遠くから眺めていて、いつか話す機会は回ってくるだろうと美しい庭園で友達と過ごせる時間を楽しんでいた。
クリスティーナは後者だった。
初めて会う王子がどんな人間なのか見たものの、さしたる興味も湧かずにすぐに目を逸らし、仲良し3人組で端のテーブルで談笑していた。
伯爵令嬢のクリスティーナ、侯爵令嬢のエルヴィラ、男爵令嬢のカメリアは自他共に認める仲良し3人組だ。以前、令嬢だらけの遊びの場で出会った時から交流を続けている。
周りに群がる令嬢の隙間からノア王子がその様子を見ていることなど気付きもしなかった。
ノアはその夜、王妃に今日のお茶会で誰が気に入ったのかと聞かれて返答に困っていた。
誰も気に入るような令嬢がいなかったからだ。
婚約者は要らないと告げると王妃は困った表情をして、今すぐに決めなくてもいいから候補だけは決めておきなさいと言われた。
『アルベルトは海の向こうの王女と婚約が決まっているから、貴方は国内の令嬢と縁を結んでおきなさい。そうだ。宰相の娘はどう?宰相と同じように頭が切れるのだと評判よ。』
今時政略結婚が珍しいとはいえ、王族はやはり国内外の情勢を見ながら婚姻相手を選ばなければならない。
しかし、婚約者にと望んでも、その後の交流で上手くいかなければ双方が話し合って解消することは可能だ。
宰相の娘とは、端のテーブルでノアに目もくれずに仲良く話していた3人の中の1人だ。
男爵家、伯爵家、侯爵家の長女たちの集まり。
その3人は幼馴染で、とても仲が良くて、けれど初めて会う者にも気さくで、周囲の空気を読んで行動しているのだと言う。緊張して上手く喋れない令嬢に気軽に話しかけて緊張を解したり、誤った作法のフォローなどをさりげなくやってみせるらしい。
ノアは1日考えて、翌朝、王妃に告げた。
婚約者候補として、あの3人を指名したいと。
王妃もその3人のことはよく知っているのか、ノアの答えに満足そうに微笑んだ。
それから3人は第二王子の婚約者候補として、それまで以上に多くの時間を共に過ごしていた。
仲が良い3人は王子妃教育を受けてもその仲に亀裂なんてものが入ることはなく、時々第二王子をそっちのけにして談笑することすらあった。4人でテーブルに座っていてもノアは蚊帳の外で、3人が帰る時にしか言葉を発さないという出来事もしばしばあった。
宰相の娘である侯爵令嬢がそんなノアを大層面白がっていることは知っていたので、この令嬢とは気が合わないと早い段階から婚約者にはしないと決めていた。
そして、ノアには心が気にかけて止まない令嬢がいた。
友達2人はクリスティーナに言う。
『ノア殿下は婚約者にティナを選ぶわよ。』
『そうそう。殿下が気にするのはいつだってティナのことだもの。』
そんなことはないと、クリスティーナは思う。
クリスティーナからすると、ノア王子から気にされるようなことなんてしていないし、気にされていると感じたこともない。
クリスティーナは、 侯爵令嬢で宰相の娘でもあるエルヴィラが婚約者に選ばれると思っている。
王子は2人しかいないので第一王子が国外の王女を妃に迎えるとなると、必然的に第二王子は国内の令嬢を妃に迎えるだろう。となると、宰相の娘が1番の有力者だ。
『私は、全く興味ない。そりゃ、お父様に指示されたら従うかもしれないけどね?』
男爵令嬢であるカメリアは、いくら昔から細々と続いている武人の家だとしても身分差からあり得ないと言っている。
クリスティーナとエルヴィラより1つ年上のカメリアは、ガーネットのイヤリングを揺らしながら2人に宣言した。
『今どき政略結婚の方が珍しいと言っても、恋愛結婚ができるかと聞かれたらそれはまた違うでしょ?でも、好きな人と一緒になりたいって思うのは当然のことだと私は思うの。どうしてもっていうなら仕方ないけど、私は自分で好きな人を見つけるから!』
立ち上がって右手の人差し指を空高く突き上げたカメリアはニヤリと笑いながら、ノア王子が3人のいるテラスに近付いていることに気付きながらも宣言した。
驚いて立ち止まったノア王子に、背を向けているクリスティーナもエルヴィラも気付かぬままに拍手をしている。
『私も、今度こそ好きな人に想われたいな・・・。』
クリスティーナ自身も気付いていないだろう、ぽつりと呟いた独り言はその場にいる全員に聞こえた。
それから3人が集まる日はどんなに空気になろうとも絶対に来ていたノア王子の顔を出す回数が減っていった。
カメリアによると、今まで以上に公務に勤しんでいるらしい。慈善活動も積極的に回り、今は使われていない異国の言語の勉強も始め、宰相にも頼み込んで仕事を教えてもらい始めたのだという。あまり得意ではない剣術も、毎日かかさず鍛練を積み重ねているのだとか。
そして、その年からクリスティーナの誕生日にはいつも花束と贈り物が、ノア王子から贈られてくるようになった。
エルヴィラとカメリアの元には贈られていないと聞いて戸惑ったが、笑いを堪えている2人の言うとおりにノア王子には何も聞かずにお礼だけは言い続けた。
それが数年続いた、ある日のことだった。
「貴女を想っている。生きている時も死ぬ間際も幸せにしたいと思うし、必ず幸せにするとクリスティーナに誓う。今はもう結婚してくれとも、婚約してくれとも言わない。けれど今の婚約者候補としての距離ではなくて、もっと近くでクリスティーナのことを知りたいんだ。そして、俺のことも知ってほしい。」
王宮の庭園に1人呼び出されたクリスティーナはノアに告白された。
その手にはクリスティーナの1番好きな花の花束が抱えられていた。
婚約者になってくれと言われて、初めは考える前に思わず断ってしまったクリスティーナに、ノアは改めてそう伝えた。
「クリスティーナという人間を知って、気持ちを理解して、貴女にも皆にも恥じない人間になりたいんだ。」
「公務に励んでいらっしゃると、お聞きしております。」
「だが、精神的に成長しているかと問われたら、まだ自信を持って答えることはできない。」
「殿下はちゃんと、立派な王子に見えますが。」
ノアは目を丸くして、次の瞬間には苦笑した。
「それは良かった。でも、気を抜くとすぐに落ちてしまいそうになるような駄目な人間なんだ。俺よりも王族に相応しい人間はいるよ。・・・ああ、本当のことを言っているだけだから慰めは要らないよ。」
口を開きかけたクリスティーナを手で制したノアは花束を抱え直した。
「俺は、なさけない人間なんだ。正直に言ってしまえば、俺はクリスティーナに恋はしていない。けれど、俺が、自身の全てを使ってクリスティーナを幸せにしたいとあの時思ったんだ。」
「あの時・・・?いつの時ですか?」
「思わず零れたような呟きだったから覚えてないのかもしれない。いつか、カメリア嬢が王宮で好きな人は自分で見つけるのだと宣言していた時があったんだ。その時、貴女が好きな人に想われたいと言った呟いた。」
クリスティーナは少し俯いて考える。
カメリアが宣言した時のことは覚えている。でもその後呟いたのだろう言葉は一切覚えがない。
その不思議な表情をしたまま顔を上げると、その様子を見ていたノアの口から思わず笑いが零れる。
それをムッと思いながらクリスティーナは言うべきことを伝えようと、ふっと息を吐いた。
「恋をしていないと殿下は仰いました。なので私も言わせていただきます。言い切ってしまうのは不敬なことであると重々承知していますが、私もそういう意味でノア殿下に想いを向けることはないと思います。」
「構わない。俺が貴女に見てもらえるように努力をするし、例え俺に気が無いとわかっていても、俺と一緒にいてもらえる間も必ず幸せにするという誓いに嘘偽りはないから。」
ノアはその場に跪いて黒薔薇の花束を差し出した。
「クリスティーナに永遠の愛を誓う。」
その姿を暫くぼーっと見つめていたクリスティーナはやがて緩やかに微笑みながらそれを受け取って、その中から1輪抜き取ってノアに差し出した。
「1輪、ノア様に返しますね。」
ノアは黙ってそれを受け取り、胸に抱いた。




