18.注目されない片隅の想い
『犬猿の仲ですよ。しかし、これでもお互いのことは信頼しているんですよ。』
第二騎士団長は豪快に笑いながら、困惑するノアにそう答えた。
翌朝、公務の傍らにリアムが戻ってきたという知らせを聞いたノアは、すぐに研究所を訪れた。
リアムの私室の前にはヴォルグ所長が立っており、廊下の端に見えたノアを見つけた時には扉をノックして開けてくれていた。
まるでノアが来ることを予測していたような動きに訝しむも、本来ならば先触れを出すところを出していなかったとノアはようやく思い出す。いや、出そうかとも思ったが、叔父に逃げられてはいけないと思って出していなかった。
兄が出したのだろうかと考えながら、部屋に入ってすぐに微笑んだ叔父を目に入ってその考えは飛んだ。
それよりもずっと聞きたいことがあったからだ。
「叔父上。」
「やあ、久しぶりだね。我が甥よ。」
「第二騎士団長と結託して、私へのクリスティーナの報告に嘘を混ぜましたね。」
じっとノアはリアムと目を合わせるが、リアムは次第に口角を吊り上げて笑みを深めていった。
肯定と同じ意のそれに、ノアは頭に血が昇った。
「何故ですか!?ずっと不思議に思っていました!優秀な騎士のはずなのにたかだか一令嬢を見失うはずがない!仮に一瞬目を離したとしても彼らならすぐに見つけられるはずだ!」
「だがノアは初め気にかけもしなかっただろう?まるでどうでもいいと言いたげな返事だったと、報告をくれた団長は言っていたよ。」
「それはっ・・・!」
ノアは顔を歪めて押し黙る。
本当のことだ。反論することなどできない。
リアムは椅子に座っており、机の上に置いていた赤い実をいじっていた。それがかつてクリスティーナが吸い込んだ毒の元だと、ノアは知る由も無い。
「それに、結託などしていないよ。少しばかり見逃してほしいと、私が強く第二騎士団長にお願いしたんだ。そもそも学園自体が強固な警備になっているのだから、あまり護衛は必要ないだろう?それに研究所は機密事項を取り扱っているから、あれでも所長は目を光らせているんだよ。」
「しかし!当時はまだクリスティーナは私の婚約者だった!」
「そうだね。今はもう、違うね。」
「っ!そう、ですが・・・!」
「全く関係の無い、赤の他人だ。」
ノアは突き付けられた当たり前の事実に次の言葉を紡ぐことができない。
「ノア、どうして今さら彼女のことを気にするのかな?」
「っ・・・・・。当時はまだ、彼女は私の婚約者でした。遅いとは知っていても、私には真実を知る権利があると思います。」
「うん、なるほど。」
妥当な言い分だと、リアムは納得する。
例え動機が私欲にまみれていたとしても。
「そうだね。ノアが聞こうと思っていたことに答えよう。王族の婚約者の護衛を担当する第二騎士団の団長にお願いして、虚偽の報告をさせたことは多々あるよ。例えばクリスティーナの行動範囲。研究所に毎日いたこととかね。研究所にいる間は安全だからと中には入らせなかったことは今でも悔やんではいるよ。」
リアムの言っていることが、パーティー前夜に起きた事件のことを言っているのだとすぐにわかった。それもずっと疑問だったのだ。夜中とは言え、護衛は付いているはずで夜目も利く彼等がローブを着ていて見えにくかったとは言え簡単に逃すはずがない。
「それに、夏期休暇に入ってもクリスティーナは研究所で過ごしていたよ。このことは知っているけどこれは知らないんじゃいかな?学園の寮は閉まっていたから、客間に荷物を移して過ごしていたね。」
「・・・でもお茶会の招待状は、」
「王妃は侯爵家に送ったのだろう?兄のケンジーが持ってきていたよ。それで1度侯爵家に戻ってからお茶会へ参加したみたいだね。」
侯爵家にずっといると報告させてもよかったのだが、そうすると万が一にもノアが急に訪ねてきた時にクリスティーナの留守と虚偽の報告が明らかになる。
だからノアには朝早くから研究所に出掛けていて帰る時間はまちまちなのだと伝えるように、リアムは団長に言っていた。
「それから隣国へ行ったことだね。職権濫用であることを自白するから巻き込んでしまった彼等には申し訳ないが、あの関所の責任者とは昔一緒に仕事をした仲でね、知り合いなんだよ。クリスティーナたちを先に行かせて、護衛を足止めしてもらったんだ。言っておくけど、関所を通すことは騎士に伝えてあったけど足止めすることは伝えなかったんだ。もちろん、団長にも。だって、君に伝わる時に緊迫した表情の方が君も納得するだろう?騎士は嘘をついていない、クリスティーナが出し抜いたのだと。」
「貴方が、クリスティーナの隣国行きを整えたのですね。」
「他にクリスティーナの隣国行きを決められる人間はいないよ。」
いるのはいるが、その全員が隣国へ行くなどと許しはしないだろう。
王宮でのお茶会で、リアムが所長と先に退出したのはそれが理由だ。そして、クリスティーナに準備が整ったことを伝えた。
「・・・彼女の隣国での生活も叔父上が手配したのですか?」
暗くて澱んだ声に、黒い実をいじっていたリアムがちらりとノアを見上げる。
怒っているのかやるせない気持ちなのか知ることを恐れているのか悲しいのか、全てが混ざったような曖昧な表情をする甥はまるで子供のようだ。
1人、クリスティーナに置いていかれてしまった子供。
「それは違うな。知っているだろうが、クリスティーナが隣国へ行ったことは侯爵家は了承済みだった。私はただ隣国へ行くための口利きをしただけで、必要になるお金を用意したのは侯爵家だ。私も手配しようかと言ったが、1人旅だから全て自らが準備すると言ったんだよ。」
リアムは平然と嘘をついた。
クリスティーナは、友人に会いに行くから口利き以外は必要ないと彼に言った。
リアムも1人旅には慣れているけれど、女性の1人旅が危険であることは重々承知している。侍女1人を連れて行くと言っても女性2人の力でも男1人にすら満たないだろう。
だからクリスティーナから護衛も引き離してほしいと頼まれた時はさすがに渋った。クリスティーナから道程を聞いていたので、街や村がある場所を通ると知ってはいたが危険とは予測しない時に図らずもやってくるものだ。
友人と合流してからはいいとしてもそれまでに何かあったらどうするのだとクリスティーナを何度も説得した。
『でも、なんだか・・・大丈夫な気がするんです。なんていうか・・・信頼、ですかね。』
誰のことを言っているのか察してはいてもそんな憶測で何もなかったらどうするのだと、リアムは本当に怒りそうだった。
この子、あらぬ方向に度胸がついたんじゃないだろうか。
それを所長に相談すると、学園長の悪影響をついに受けてしまったと頭を抱えて嘆かれた。
いや、リアムの悪影響ではないのだと声を大にして言いたかった。どちらかというと、明らかに友人という名の悪友のせいだろう。王女は大雑把な性格だし、元公爵令嬢も事細かそうに見えて抜けている部分がある。そして、どちらも行動力は大いにあるのだ。
明らかにあの2人の影響だ。
「けれど君への報告の後は、騎士にはちゃんと説明したよ。隣国では場所を把握していなかったから護衛という役目からは外していたけれど、帰る時には連絡をしてくれと伝えていたから合流場所で待機させていたよ。」
「・・・クリスティーナが傷を負ったことは?」
「あれは私も帰国してから知ったんだ。だがどうしてあの傷を負ったのかまでは知らない。ちょっとした不注意で、としか彼女は他に何も言わなかった。」
絶対に無事で帰ってくる、とクリスティーナは侯爵家の家族にそう説得したらしい。
しかし、その約束は守られなかった。
思えば、クリスティーナは夏期休暇前も所長と絶対に守れよと念押しされながらそれを破ってあんなことになってしまったとか。
あいつの絶対は信用できないと、毒の件を聞いてリアムの元に飛んできた所長は怒りを露に文句を言っていた。
ノアはリアムを真っ直ぐに見つめたまま視線を逸らさない。
嘘をついているのか見極めようとしているのだろう。
リアムも昨日のパーティーでのことは聞いている。
クリスティーナが隣国の公爵当主に伴われて現れたこともノアがずっとクリスティーナを見ていたことも、クリスティーナの傷がある令嬢によって露になったことも。
「ノアは、今のクリスティーナをどう思う?」
ノアの瞳がわかりやすく揺れる。
「どう、思うとは・・・どういう意味ですか?」
「それとも気が付かない?彼女、明らかに変わったよね。そもそも研究所に入りたいと、それをノアには秘密にしてくれと頼んできたのは本人なんだよ。」
ノアの目が驚愕に満ちる。
クリスティーナがリアムに連絡を取ってきたのは、入学する1ヶ月前のことだ。
翌日から学園を留守にする予定だった彼は突然の面談の希望を面倒だと思いながらも、珍しく甥の婚約者が連絡を取って来たことに驚いて空いている時間を指定して学園長室で待っていた。
リアムがクリスティーナに会うのは数年ぶりのことだった。
初め、彼女は何か病気にでもかかったのかとリアムは疑った。それほど記憶の中のクリスティーナと現在の姿や雰囲気が違っていたからだ。
『学園長にお願いがあります。私を研究所の一員にさせてください。学力は既に講義を必要としないくらいには持っています。そして、王弟殿下にお願いがあります。私が研究所にいることは、第二王子殿下には秘密にしていただきたいのです。』
第二王子殿下と言った瞬間少し目を伏せて震わせながらも、最後にはしっかりとリアムと目を見てから深く頭を下げた。
『どういった心境の変化かな?』
『心を決めただけです。大切なノア様に幸せになってもらおう、って。』
2人は暫く目を合わせたまま、沈黙していた。
数年前まで知っていたクリスティーナではなく、今のクリスティーナを見てリアムは決めた。
『そうか。学力検査はしてもらおう。本当に卒業できるほどの学力を持っていたら、研究所へ入ることを許すよ。』
『ありがとうございます。』
クリスティーナを研究所へ入れると決めた時から、第二騎士団長には話を通していた。
犬猿の仲と評され、喧嘩っ早いことも本当なのだがその喧嘩にだって訳があるのだ。確かに、昔こちらは虫の居所が悪かったのにあちらは大好きなお菓子が携帯食に持たされたとかで嬉しそうな顔をしていて、目が合った瞬間に物を投げつけて喧嘩を始めたことはあったが。
喧嘩するほど仲が良いわけではなく、喧嘩をするほどお互いの気が合わないことを周囲に知らしめていったが、実はそれほど仲が悪いわけではないのだ。
物珍しそうにクリスティーナのことを聞きながら、最後にリアムをニヤニヤと見ながら聞いてきた。
『お前にしては随分な厚待遇じゃねえか。』
『そう、かもしれない。だってねぇ、彼女、これが初恋だったわけだし。言葉では綺麗事言ってても、逃げたくなる気持ちわからないわけじゃないから。』
『お前の初恋も長かったもんな。』
『はっ!あれは気の迷いだね。』
ノアへ虚偽の報告はさせていてもリアムへは本当の報告をさせていた。勿論、何かあってはいけないからなのだが、クリスティーナはほとんど研究所へ行っていたので問題は無かった。
あのままノアだけがいる世界の中で生きるよりも今のクリスティーナの方がリアムは素敵だと心から思う。
初めの頃はそれでも暗く沈んで物思いに耽ることが多かったが、所長の助手に任命してから与えられる仕事もあって実験のやり方を教えて1人でも出来るようになった。自然に笑い、軽口を叩き合える友達も出来た。
今のクリスティーナならば、自然と惹かれる男も出てくるだろう。
「今のクリスティーナは、美しい。」
ノアが浮わついたように呟く。
今のクリスティーナは美しい。本人の見る世界が広くなって心にも光が差し始めた。
仄暗く陰鬱な影を差していた青い瞳は、それらを全て失って澄みわたり、屈託なく笑うとまるで星屑が煌めいているかのように魅せられる。
「まさかノアの口からそんな言葉が出るとは思わなかったな。」
ぎくりとノアの身体が強張る。
そんな言葉とは、クリスティーナに向けて好意的な言葉のことだ。
「年始のパーティーでも、君はあの2人を嫉妬の目で見ていたそうだね。」
誰が言ったのだろう?まさか研究所の誰かが来ていたのだろうか?
ノアの心の片隅で疑念が募るが、それよりも心臓が早鐘を打っている。
「まさか今頃クリスティーナを気になり始めている、いや、惹かれ始めているなんて言わないよね?」
「・・・・・そ、んな、ことは」
口元が震えているノアを、机に肘を乗せて手を組んだ上に顔を乗せたまま、リアムはずっと見据えている。
「そうだね。例え君が万が一にも想いを寄せるようなことがあったとしても、もうクリスティーナとの婚姻は無理だ。」
それはもう素晴らしいほどのスキャンダルではないだろうか。
誰もが嗤うに違いない。もし、今からでもノアがクリスティーナに言い寄ったなどと噂が立てば、その後の一生を晒し者にされながら生きるしかないだろう。
リアムは立ち上がって窓を開き、外の爽やかな風を感じながら温室を見下ろす。
「ノアはこの国の第二王子で、国の状況によっては情の無い婚姻をしなければいけないということはちゃんと理解しているね?」
「・・・もちろんです。」
「でも、もしかしたら実感は無かったのかもしれないね。だって君の周りには仲の良い夫婦や恋人ばかりで、あからさまな政略結婚をした仲の悪い夫婦なんていない。だから現実味を持てずに、現状に不満を持って夢を見ていたことを批判するつもりはないよ。」
リアムから見ると、アルベルトは国王似でノアは王妃に似ている。
どこか無邪気で愚かで、それを憎くも愛しいと思える様が。
『私が育てた、私の為のカトリーナだ。』
いつの日かの国王の、兄の言葉をリアムは思い出す。
リアムが初恋が終わった翌日に言われた言葉だ。
そんな王妃に育てられた2人の王子は、どんな風に育つのだろうと秘かに気にはなっていた。
王族に生まれ、物心つく前から厳しい教育を受けたとしても、周りから学ぶこともある。周りに一組でもそういう夫婦がいたら、何か変わった見方をすることが出来ていたかもしれない。
例えば、クリスティーナの祖父母であるユージニアとテレサは有名な仮面夫婦で完璧な政略結婚だった。テレサは使用人との恋に落ちていたが、唯一の侯爵家の子供で身分差もあったため、当主の父親から強引に別れさせられてユージニアと結婚させられた。表面上は笑っていても、テレサがユージニアを嫌っていたことは皆が知っていた。
「叶えられた恋の裏には、必ず報われなかった想いがあることも知っているよね?アルベルトを好きだった、辺境伯の娘とかね。」
辺境伯の娘はアルベルトよりも1つ年上で、いつも大人しくて男性には黙って付き従っているような女性だ。彼女は既に5歳年上の伯爵家の長男と結婚して子供を産み、一児の母になっている。
彼女の恋は最初から終わっていた。何故なら彼女がアルベルトに初めて会った時から、アルベルトとエリザベスの婚約は決まっていたからだ。それでも恋した相手に少しでも近づこうとする勇気も想いだけでも伝えたいという気概も彼女には無かった。いつも会場の隅から、焦がれる目でエリザベスと踊るアルベルトを見ていた。
しかし、婚約が決まり、婚約者と会って親密になっていく内に婚約者と心を通わせるようになった。今はもう、夫となった婚約者とその子供と幸せに暮らしているという。
「昨日、クリスティーナの手袋を奪った令嬢もそうだ。あの子、ノアを好きだったんだよ。いや、もしかしたら今も未練があるのかもしれないね。」
泣きそうに眉を寄せているノアは口元をぎゅっと結んでリアムの話を静かに聞いている。
「私は彼女ではないから本当のところはわからないが・・・、察するにクリスティーナに文句を言おうとしたんだろうね。事情を知らない者からしたら学園でのクリスティーナの行動は訳がわからないから、我が儘か気分屋の暴走とでも思われたのかもしれない。」
「・・・・・・・。」
「ノアがクリスティーナを嫌っていると誰もが知っていた。なのに初めてのパーティーでノアはクリスティーナを理由に踊ってくれない、婚約破棄したと思ったらノアは婚約者は探さない、クリスティーナは平然と公爵当主にエスコートされて現れる。そして、彼女の積もり積もった怒りはクリスティーナに向けられた。」
元は心優しい令嬢なのだろうと思う。
でなければ、クリスティーナの傷が露になった瞬間に声高だかに嘲るだろう。
リアムはゆっくりとノアに振り向き、困ったように微笑んだ。
「ノアは恋がわからないと言ったね。じゃあ、その恋情をいつまでも拒絶される気持ちもわからない?僅かな思いすら打ち砕かれて、期待も希望も持つことを許されないと知った人間はどれだけ絶望したんだろうね。」
ノアの心臓がぎゅっと引き絞られる。
「君がクリスティーナと出会った当初ぐらいから彼女を何故か毛嫌いしていることは知っているよ。それを隠しもせずに接しているくせに、本人には言葉では決定的に伝えていないことも。どこか彼女に怯えていることにもね。」
毒の件を伝えた時、ノアは瞬時に顔色を変えた。
理性を失って平常心を保てていないことは明らかだった。こんなにも動揺するものだろうかと、少し不思議に思ったものだ。
そして、昔のことを思い出した。
まだノアとクリスティーナが小さかった頃の話だ。王宮に来ていたクリスティーナが呆れた表情を隠しもしないノアを引っ張って、庭園に行こうとして、迷子になったのだろう。とある場所へ向かう廊下の入り口できょろきょろと辺りを見渡して、廊下の奥へと向かおうと足を踏み出した。
普段なら騎士が立っているはずなのに誰もおらず、リアムは慌てて2人を止めようと駆け寄って声を出そうとした。
するとノアがぎょっとしたようにクリスティーナを止め、好奇心を抑えられない彼女の視線を自身に集中させると一生懸命笑顔を浮かべて、今まで引っ張られるままだったのに打って変わってノアが強引に引っ張るようにその場から離れていった。
近くの柱の影から見ていたリアムは、ノアが酷く怯えた表情をして廊下の奥を、牢屋を見てからクリスティーナを見てぎこちなく笑う甥を不思議に思った。クリスティーナの腕を掴むノアの右手が食い込むほどに力が入っていた。勿論その後、人通りがないからとサボっていた騎士は減給処分にして配置替えを行った。
あの時と同じような表情をしていた。
酷く怯えていて、けれども目の前にクリスティーナがいることに僅かながら安堵していた。
「クリスティーナは己がどんな存在なのか理解していたはずだ。ノアも、気付いている事実を理解する時間ではないかな?もう彼女の存在に縋ってはいけないよ。」
恋とは認めたくないリアムの恋も、クリスティーナの長すぎる恋も、既に終わりを告げている。
「ノアを置いて彼女は一歩踏み出したんだ。ノアもクリスティーナへの思いにけじめをつけて、新たな道を歩みなさい。」
ノアがふらふらと出ていった扉から所長が部屋に入ってきて、渋い顔をしながらリアムを見た。
「ちょっといじめすぎじゃないですか?」
「盗み聞きとは嘆かわしいな。」
「ええ、少し間抜けですけど使える人間には研究所にいてほしいものですから。」
「そうだね。やっぱりクリスティーナはそのまま研究所で働いてもらおう。隣国の古語が使えるんだ。あの言語は難解だから、一部の商人とか未だに使ってるんだよね。」
「うわ・・・。貴方の後釜ですか。」
古語が使えるとは、所長は初耳だった。
それが本当なら尚更研究所で働いてもらいたい。
「嫌な言い方だなあ。あの子にとっては、それが最善だと思うよ。」
「どちらにとってですか?」
クリスティーナにとってか、それともノアにとってか。
「もちろん、どちらにとっても、だよ。」
いや、ノア王子にとっては苦い思いをすることは間違いないだろう。
所長はそう思うが、楽しそうな笑みを浮かべているリアムの前で口に出すことはなかった。




