閑話 エルヴィス
隣国の兄妹についてのお話です。
エルヴィスは嫡子であり、エルヴィラは庶子だ。
エルヴィスの実の親は正真正銘あの頭の弱い愚かな両親であり、2歳年下のエルヴィラは父親が使用人に手を出して妊娠させた、エルヴィスとは半分血の繋がった兄妹だ。
だが、世間的にルチダリア公爵家の子供は1人しかいない。
ルチダリア公爵家の跡取りは、本来はエルヴィス・ヴィオレット・ルチダリアという男の子だった。しかしルチダリア家には、男の子を女の子として育てるという忘れ去られた慣習があった。だから、セカンドネームはヴィオレットという女性名をエルヴィスの祖父が付けた。
エルヴィスを女の子として育てると決めたのは、エルヴィスの祖父だった。
祖父が何を考えて唯一の跡取りを女として偽って育てると決めたのかはエルヴィスにもわからない。けれど、その決定が後のルチダリア公爵家の命運を分けたことは確かだった。
ルチダリア公爵家の祖先は初代国王の双子の弟で、この双子は互いを信頼し合い、お互いの為なら命をかけて戦って守り合うほどに仲が良かった。
双子の兄が国王になると、弟は兄に永遠の忠誠を誓った。いついかなる時でも王家の為に在る、と。
絶大な権力と広大な土地を与えられ、常に王家と共にあり、王家を正しい道に導く役割を持った家だった。
しかし与えられた力に酔いしれ、歪な形を取ってしまったのはいつだったか。
3代前の当主は密かに武器を作り、クーデターを起こそうと画策していた。元の血筋は同じなのだから自分たちにも国を治める権利はあるのだと、表向きは王家に忠誠を捧げつつも軍事力を高めながら虎視眈々とその機会を狙っていた。
それに気付いたのは、それまで国に尽くしていた父親を尊敬していた祖父だった。
『お前も国が欲しいだろう。』
既に当主になっていたエルヴィスの祖父は、まさかと思いながらも父親に思惑を聞いて、その言葉を聞いた瞬間には心を決めた。
すぐさま王家に訳を話し、父親の目論見に賛同する振りをしてできる限りの情報を聞き出した後、毒を盛って殺した。表向きは心臓発作ということにして。
それから祖父は父親の後片付けをし始めた。
その時、前当主であるエルヴィスの父親はルチダリア公爵家の歴史について祖父から習い始めたばかりだった。祖父は高潔な人物であったから、自分の息子も王家に忠誠を誓う、初代のルチダリア公爵当主のような人間たらんことを信じていた。
『何故格下の人間のことを大事に考えなければいけないのですか?』
公爵家当主としての仕事を見せようと息子を連れて領内を回っていた時に聞かれた内容に、祖父は絶句した。だから、丁寧に説明した。本来の貴族とは自分たちより弱い存在を守るために強い力を持っていること、公爵領を任された自分たちには領の安全を保って豊かにする義務があること、領民1人1人の平和を気にかけることが大切なこと、それがすなわち王家の為にあるということ。
息子はその時は、わかりましたと言って理解していた。否、本当のところではわかっていなかった。
息子の思考は既に祖父とは全く違っていたのだ。
王家からの信頼が厚いこと、未だに絶大な権力を持っていることを盾にして好き勝手にしていた。
長引く後片付けに手を焼いていた祖父がそれに気付いたのは、祖父が見つけていた婚約者とは異なる女性を妊娠させた時からだ。当然、婚約は破棄になった。祖父は息子の婚約者の家に謝り倒し、渋々その女性との結婚を許した。その女がエルヴィスの母親であり、良い噂を聞かない伯爵家の出で、財産目当ての狡猾な女だった。
そして、この2人は自分たちの子供だというのに、全くもって子供に興味のない人間たちだった。
祖父としてはすぐにでもこの2人を始末したかったが、生憎自分はもう子供を作れるような年ではないし、ルチダリア公爵家の血を引く子供は息子だけだった。だから、女が子供を生むまで待つしかなかった。その孫は、ルチダリア公爵家の跡取りは、必ず自分が育てると決めていた。
出産に関わる者たちには祖父の息がかかった者だけを選び、エルヴィスを取り上げた時、男の子であったのを女の子だと偽って教えていた。子供に興味はなくとも、男の子を生まなければいけないと思っていた女はがっかりして、顔を見るなり後の世話は乳母に任せたと言って子供と関わりを持とうとしなかった。
子供はすぐに祖父の屋敷へと連れて行かれ、祖父は喜んでエルヴィス・ヴィオレット・ルチダリアと名前を付けた。
この頃から息子に、父親と関わりのあった商人が近づいていると聞いていた祖父はルチダリア公爵家の一掃を考えていた。
それから1年後のある日、公爵家から知らせを受けて祖父はとある使用人の行方を探していた。
『 現当主様が奥様が雇われた侍女に手を出されたのですが・・・、子供が出来たと言われて奥様が着の身着のままで屋敷を放り出してしまわれたのです。』
幸いにもその侍女はすぐに見つかったが、元々気の弱い女で当主の強引な迫り方に抵抗も出来ずにこんなことになってしまったのだと嘆いていた。
その後、その侍女は祖父の屋敷に匿われ、無事に子供を生んだが、産後の肥立ちが悪くすぐに息を引き取ってしまった。
侍女が生んだ子供は女の子だった。
それが昨年まで本物のエルヴィスに成り代わって”エルヴィス・ヴィオレット・ルチダリア”として存在していたエルヴィスの妹であり、本名はエルヴィラという。
エルヴィスは幼いながらに弟か妹が出来るのを楽しみにしていて、寝たきりだったエルヴィラの母親とも仲良くやっていた。子供を生んで弱々しくも嬉しそうに抱いていた女性は、赤ちゃんをじっと見つめているエルヴィスに名付けてほしいと頼んだのだ。自分の妹だと認識していたエルヴィスは、エルヴィラがいい!と元気良く叫んだらしい。
『ぼくがおにいちゃんのエルヴィス!このこがいもうとのエルヴィラ!』
祖父はエルヴィラの存在を誰にも知らせなかった。月に1度、両親と会っていたエルヴィスにもエルヴィラのことを言ってはいけないと固く禁じていた。
エルヴィラはエルヴィスよりも2歳下だったが、背は早く育ち、顔立ちはとても似ていてまるで双子のようだった。
そこで祖父はエルヴィスとエルヴィラの入れ換えを行った。
エルヴィスが本来、男の子であることは祖父を含めて数人しか知らない事実であり、息子夫婦でさえ女の子と信じて疑っていない。幸いにもエルヴィスとエルヴィラはとても似ている。入れ替わっても気付くことはないだろう、これから顔立ちが変わろうとも比較対象はおらず、成長過程なのだから多少の変化は仕方ない。今のまま息子夫婦を始末しても、また数年後には同じ商人が現れるかもしれない。王家からの信頼も簡単には取り戻せないだろう。
ならば、これを機に膿を全て綺麗にしよう。
その為に、エルヴィラは2年という時間を埋めるために厳しい過酷な教育が強いられた。そしてエルヴィスはその時自分が話せることや出来ることよりも、外では成長が遅いように見せていた。
エルヴィスが8歳の時、6歳のエルヴィラと完全に入れ替わった。そして、エルヴィスは異国へと旅に出され、異国の情勢を祖父へ教え続けた。
エルヴィスとエルヴィラはそれ以降会ってもいないし、手紙のやり取りもしていない。祖父はエルヴィスがエルヴィラの状況を聞いても決して知らせることはなかった。
祖父が呼び寄せるまでエルヴィラはエルヴィスを演じ、エルヴィスはその日が来たらエルヴィラに代わって”エルヴィス”に還り、ルチダリア公爵家を継いで領内を綺麗にし、再度王家に絶対の忠誠を誓うこと。
それが、祖父がエルヴィスとエルヴィラに課した命令だった。
『これだけは必ず守れ。その為には全てを犠牲にしろ。』
息子にも厳しく接していたはずなのに失敗作を作り出してしまったと2人の前で嘆いて罵ることもあった。孫たちは二の舞にならないようにと、彼は飴と鞭を使い分けて、厳しい時には酷く厳しく例え怪我をしても手当てすることもなく次の訓練へと向かわせることもあった。
しかし、勉強や訓練の時間が終わると1人の祖父としてかわいい孫たちに優しく穏やかに両親からの愛情を与えられない可哀想な孫たちに愛情深く接していた。
エルヴィスとエルヴィラにとって祖父は絶対の存在であり、祖父の命令は絶対だ。
それは祖父が死んでも尚、心の奥底には染み付いて消えることはない。
その祖父が1年前に亡くなったと、祖父が信頼していた執事から連絡があった時、エルヴィスは1度国へと帰ろうとしていた。しかし、執事に祖父からの遺言書を送られ、まだ帰るべき時ではないとして帰らなかった。祖父へ定期的に送っていた手紙はそのまま執事に送るようになった。
執事がエルヴィスに帰国するように促したのは、半年前のことだ。
用意されていた小ぢんまりとした家に着いて、翌日に執事がエルヴィスの元を訪れた。
うろ覚えな頃よりも年老いた祖父の友人はエルヴィスを見るなり涙を浮かべて懐かしそうに微笑んで、お帰りをお待ちしておりましたと言った。
『あの子は元気?』
『はい、お嬢様のことでお話をしに伺いました。その前に、指輪は持っておりますか?』
エルヴィスは首から少し長めのチェーンを取り出して指輪を見せた。
国を出る前に祖父から、決して無くさないようにと貰った大切な指輪だ。この指輪は見た目は何の変哲もないが内側に文字が彫られていて、もう一対の指輪と合わせると文章が読めるようになっている。代々のルチダリア公爵当主が受け継ぐ大切な指輪だった。
お父様には?と幼かったエルヴィスが聞くと、あれには偽物を渡してあるし指輪の秘密など知らんと祖父は言っていた。
執事は指輪が本物であることを確かめて、決して手離すことのないようにと言い含めた。
そして、エルヴィラのことを語り始めた。
エルヴィラは完璧に”エルヴィス”を演じて、実の両親も未だ気付いていない。エルヴィスでさえ、あの頃2歳下と知らなければ妹とは双子なのだと勘違いしていたと思う。それを月に1回だけ本当に顔を見に来るだけで、ドレスを着たエルヴィスを見ながら男の子だったらと大袈裟に嘆いて帰る両親が入れ替わりに気付くはずはない。
物心が着く前からエルヴィスは祖父に、両親共々ルチダリア公爵家から排除しろと言われてきた。だから幼いながらに、自分の両親は世に言うクズな存在なのだと思っていた。
祖父の教育がどこでねじまがってしまったのか、父親は平民や爵位の低い相手に傲慢になり過ぎ、税を重くしては欲しいもの全てを手に入れる人間だった。3代前の当主と関係のあった商人に唆され、同じように国王になれる権力があるのだとクーデターを起こそうとも考えていた。
馬鹿でクズなのだと率直に思った。
母親は憧れの公爵夫人になれたことをよほど誇りに思っているようで、頻繁にお茶会や夜会を開いてはその都度ドレスや装飾品を買い漁っているらしい。また、類は友を呼ぶのか夫婦は似てくるというのか、夫と同じく身分の低い人間にはあからさまに馬鹿にした態度を取っているらしい。
『旦那様が亡くなられたと同時にそれまでいた使用人を辞めさせ、新たな使用人を雇われました。ですが・・・商人と繋がっている者が多いので手癖が悪いようです。ご夫婦はそれにも気付いていないようですが。』
執事は絶対に、あの夫婦を公爵当主とも公爵夫人とも口にすることはなかった。認めていないのだと、エルヴィスは口振りからすぐにわかった。
『我が主からの手紙は読まれましたか?』
『ちゃんと頭に入ってるよ。どんな事になろうともどんな手段を使ってもルチダリア家を元に戻せ、と。』
『はい。それが主の悲願でございます。』
『けれど、お祖父様なら僕達よりも上手くやれたのではないかと考えていたんだ。だからこれは、僕とエルヴィラがルチダリア家を継ぐための課題なんだよね?』
『エルヴィス様がそう思われるのでしたら、きっとそういうことなのでしょう。』
『ふーん・・・。で、エルヴィラはどんな計画を立てているのか教えてもらっていい?お祖父様の意思を継いでルチダリア家と領内の一掃を考えているはずだけど。』
執事はエルヴィスに微笑み、エルヴィスは眉を顰めた。
だが執事の顔はなんだか悲しそうにも見えた。
『エルヴィラ様の意思を、どうか尊重してあげてください。』
この国での”エルヴィス”は両親と同じように派手好きで散財していて、目下の者には高飛車な態度で目上の者には媚びるような態度で接していて、とてつもなく評判の悪い令嬢だった。この親にしてこの子ありと、誰もが思うような。
エルヴィラは世間にわかりやすく本物のエルヴィスが正義であって両親と偽の”エルヴィス”が悪なのだと示そうとしていた。そしてその後、本物のエルヴィスが公爵家と公爵領を見事に立ち直らせれば不満を持っていたとしても誰もがエルヴィスを歓迎し、公爵家の真の当主だと認めざるを得なくなる。
その為に、悪の権化として両親と偽の”エルヴィス”は処刑されなければならない。
エルヴィラはそう考え、そうなるように行動していた。
元からの悪評に加えて、最近のルチダリア公爵家には不正の情報が次々と流れ出ているらしい。どれもが確固たる証拠は見つかっていないが、王家も本格的に調べを進め始めた。”エルヴィス”の酷い行動はここ最近更に悪化していて、それまで両親なりに警戒しながらの行動は人の目も気にせずに大胆になってきたのだという。
執事は3代に渡る領の経営に関するものと両親が使ったお金の内訳、いつどこで誰と会ってどんな話をしていたのかなどが記された資料をエルヴィスに渡すために、王都の外れにある一軒家に呼び出したのだ。
これらの資料はエルヴィラが調べたものでもあるのだと言った。
エルヴィラには従者が1人付いているらしく、いつどこに出掛けようともその従者は必ず付いていく。たまに離れて行動している時もあるが。
そして、最後に執事はエルヴィスに伝えた。
『お嬢様は毒を飲まれています。その毒はこの国にはなかったもので、どこで見つけてきたのかいつの間にか口にしておりました。少量ですと問題は無いそうですが、毒は身体に溜まっていくので致死量に達すると死んでしまうそうです。従者が、ウィリアムと言うのですが、毒を含んだ証が肩にあると言っていました。解毒薬は、見つかっておりません。』
『・・・エルヴィラは、何て?』
『お兄様は優しいから、と。』
そうか、とだけエルヴィスは呟いた。
執事はエルヴィスに頭を下げて、その一軒家から去っていった。
エルヴィスはその後すぐに王家と連絡を取り、ルチダリア公爵家のことを任されていた王子たちと面会して、協力し合うことになった。エルヴィスはエルヴィラの計画に乗っ取って執事から聞いていた”エルヴィス”の設定を王子たちに説明していた。
エルヴィラが”エルヴィス”を演じていることも、エルヴィラとは本来どんな関係なのかということも一切言わなかった。言ったとしても簡単には信じないだろうとも思った。
何故ならエルヴィスはプラチナブロンドに琥珀色の瞳だからだ。父親と同じ髪の色に瞳の色、そして祖父とも全て同じだ。
それに対して、エルヴィラ演じる”エルヴィス”は髪の色は何故かダークブラウンで瞳の色はグレーだった。
そして今やもう、顔立ちは全くと言っていいほど似ていなかった。
執事はエルヴィラにエルヴィスが帰国したことを伝えていないらしく、それを逆手に取ってエルヴィスはエルヴィラの外出を王子たちに教えていた。
その、ある日のことだ。
その日、離宮である人物と会っていたエルヴィスは王宮に帰ってきた王子たちに事の成り行きを聞いた。
“エルヴィス”と従者が追跡している王子たちに気付いて路地裏に逃げ込んだ。王子たちはそれを迷わず追いかけ、捕まえようと剣を抜いたが従者を逃がした”エルヴィス”が応戦した。一対二の攻防戦の末、エルヴィスの背後を第一王子が取った。その途端に逃げたはずの従者が現れて”エルヴィス”を庇い、どこからか投げられた煙幕に噎せている間に2人に逃げられてしまった、と。
第一王子は言った。
『いつもエルヴィス嬢に付いている従者ではなかったな。足は遅くて明らかにエルヴィス嬢の足手まといになっていた。深くマントを被っていたが、腕を切りつけた時に目が合ったし、服も見えた。あれは女性の使用人のような服だった。突然現れたからこちらも驚いてしまって加減が出来ずに・・・いくら敵とはいえ女性に対して申し訳ないことをしてしまった。』
エルヴィスは一瞬、ウィリアムという従者が女装をしていたのではないかと思った。もしくはウィリアムも本当は女で普段は男装をしているとか。
その翌日、一軒家に来た執事にエルヴィスは聞いた。
『エルヴィラに女性の従者がいる?』
普段は顔色を変えない執事が珍しくはっとして焦ったような表情をした。
『リズ様がお怪我を負ったことと何か関係があるのですね!?』
執事は慌てたようにエルヴィスに言い募り、現在エルヴィラの隣国で出来た友人が滞在していることを教えてくれた。
隣国の侯爵令嬢が1人で来ている。
エルヴィラの友人というのも、エルヴィスは心惹かれた。
エルヴィスはすぐにその侯爵令嬢に会いに、執事が住んでいる屋敷へ、祖父の屋敷へと向かった。
『リズ様は、クリスティーナ・アルデリア様と仰います。お嬢様とはご友人で、お互いに正体が知られてはいけないからと秘密の名前で呼び合っているのです。クリスティーナ様はリズ様、お嬢様はエル様と。』
昨日はエルヴィラがその友人を普通に王都を案内していたのだそうだ。王子たちは気付かなかったみたいだが、エルヴィラも”エルヴィス”としての濃い化粧ではなくて軽く調える程度だったらしい。
2人は王都で平民に人気の装飾品店に行った後に、友人が普段は立ち入らないような路地に入ってみたいと寄ろうとした直後に追跡者に気付いてそのまま路地裏に入った。
怪我を負ったのは、クリスティーナ・アルデリア侯爵令嬢。隣国の第二王子の婚約者。左腕の肘から二の腕にかけて剣先が入ってしまい、運良く筋は痛めなかったが傷痕は残るだろうと医師は言ったらしい。
ああ、失敗したな。
エルヴィスは心の中で苦笑した。
王子たちを差し向けたのがエルヴィスだとエルヴィラは知らない。でも妹の初めて出来た大事な友達との時間を潰し、怪我を負わせ、妹に罪悪感を抱かせてしまった。執事も友人が来ているのだと教えてくれてもよかったのに、ここ暫く忙しくしていて執事と会うことすら出来ていなかったのはエルヴィスの方だった。
エルヴィラに嫌われるかもしれない。
エルヴィスは不安を抱きながら、隣国の侯爵令嬢の元に執事に案内させた。
令嬢が使っている部屋の前で立ち止まり、初めに執事から少し事情を説明してもらい、中からエルヴィスを呼ぶ執事の声が聞こえて深呼吸をしてから中に入った。
『こちらが、クリスティーナ・アルデリア様でございます。』
執事が紹介したエルヴィラの友人は、腕を怪我してもっと弱々しくなっているのかと思っていたが、案外と元気そうに動いて表情も明るかった。
『貴方が本当にエルのお兄さんなのですか?』
『ああ、そうだよ。』
『私はエルの全てを知らないから、例えどんな事情があったとしても、個人的には死んでほしくないんです。だから隣国に来ました。』
ん?とエルヴィスは思う。
執事を見て、腕の怪我の原因はエルヴィスなのだと伝えていることを確かめる。だから今日謝罪するために来たのだと。
『エルにどう切り出せばいいのか迷ってて、ちょっと安心しました。エルがどれだけ侵されてるかわからないのでもしかしたらもう効かないかもしれないけど、一縷の希望を持って、お兄さんがエルのことを大切に思っていることを信じて、これを託します。』
クリスティーナがずっと手に持っていた小袋をエルヴィスに差し出した。
黒い物体が入っているのを見て、エルヴィスは顔をしかめる。
『エルが含み続けている赤い実の毒を解毒するとってもとてつもなく苦くてくそまずい黒い実です。大丈夫。私の身体で実証済みですから。これで肩に出来る花の形をした赤い跡は消えました。』
そう自信ありげに笑うクリスティーナを見て、エルヴィスはその黒い実が入った小袋を受け取ってじっくりと眺めた。
ここ最近忙しくしていたエルヴィスがずっと探していたもの。遠い昔に出会った植物好きな男にこの前偶然出会って解毒するものがないか聞かれた。その時は知らないと答えたが、今度はこちらが探す番になっていた。
『ありがとうございます。』
後ろから声が聞こえて、執事が深く頭を下げたのがわかった。
クリスティーナは照れくさそうにしながら、自分で編んだ三つ編みからはみ出ている髪を耳にかけ直した。
『私にとって、あともう1人いるのですが、とても大事な友達なのです。お願いいたします。どうか、エルを助けてあげてください。』
今度はクリスティーナがエルヴィスに向かって深く頭を下げた。
エルヴィスはぎゅっと小袋を握り締める。
『言われなくても、僕は妹を助けるよ。』
『っ!ありがとうございます!!』
ばっとクリスティーナが顔を上げて喜色満面に綻んだ。
エルヴィスはそれを見て、ふっと微笑んだ。
『だから、君の腕の傷の責任を僕に取らせてほしい。』
『・・・・・これは、貴方が付けた傷ではないと思うのですが。』
あれだけ喜んでいたのにさっと顔色を変えて、クリスティーナは曖昧に微笑んだ。当然、声は硬くなっている。
エルヴィスは楽しそうに口元を歪ませる。
『でもあの者たちは僕がけしかけたんだ。僕が付けた傷だよ。それに、どのみち君は婚約者の座から降りるつもりだろう?その後に誰か探したって傷物の令嬢を欲しがる奴なんていないし、いたとしても碌な奴じゃない。』
クリスティーナ・アルデリア侯爵令嬢の基本情報は執事から聞いていたので知っていた。
侯爵家の動きから考えて、近々何か起こすだろうというのは容易にわかる。
『なら、僕で手を打つのもありだと思うけどな。』
エルヴィスは首を少し傾げて、どうかな?と聞く。
クリスティーナはそんなエルヴィスを無表情でじっと見つめて、同じように首を傾げた。
『本心じゃない言葉で私がその求婚を喜んで受けるほど馬鹿に見えますか?』
『・・・・・・・・・・あっはっはっ!ははっ!いいね!!君、リズは最高だね。』
途端にクリスティーナは顔をしかめる。
『貴方はリズと呼ばないでください。』
『そうだね。では君のお兄さんと同じようにティーナと呼ばせてもらうよ。』
『いえ、結構です。貴方と会うのはこれが最初で最後でしょうから。』
エルヴィスはにやりと笑い、それを見たクリスティーナの顔が強張った。
『とりあえず、今日はもう失礼するよ。本当に申し訳なかった。後で良い薬を持っていかせる。それからわかっているとは思うけど、今日のことはエルヴィラには内緒で頼む。』
エルヴィスがクリスティーナに会ったのは、そのたった1度きりだ。傷によく効く薬は執事に届けさせ、国に帰るという日も会いに行くことはなかった。
しかし、布が巻かれて手当てがされていても少し動かしただけで痛みを伴うのか、時折顔を歪ませて腕をさすりながらもエルヴィラのことで心から喜ぶ姿は思った以上にエルヴィスの心に刻まれたのだ。
自らの不注意で友人に傷を付けてしまったという出来事は、これまた思っていた以上にエルヴィラを傷付けていたらしいとエルヴィスは報告を聞きながら実感していた。
計画を早めたエルヴィラが両親をけしかけ、大勢の貴族が集まる議会の場で失態を犯させ、彼等はすぐに捕らえられて牢に入れられた。
その場にいた王子たちによると、当時の公爵家当主はまるで酩酊に近い状態で、真っ直ぐ歩くことも出来ずにふらふらしていた。口を開いて動かしてはいるが呂律が回っていないため、何を喋っているのかわからない。だが、聞き取れる箇所から推測していくと、準備は万端だとかもうすぐ国王になれるとか王家など敵ではないとか、どうやら反乱を企てているような内容だった。
その日の議会では、新たに見つかったルチダリア公爵家の不正について、当主と夫人に話を聞こうとして開いていた。
その日のうちに、王都の屋敷にいたルチダリア公爵家の人間とルチダリア公爵領の屋敷にいた人間はすぐに捕らえられ、王宮から人員が派遣されて屋敷の捜索が行われた。
翌日にエルヴィスは王子たちと合流し、今わかっているものだけでも処刑できると確認してすぐに場を整えることに決めた。
ルチダリア公爵家の当主が犯した罪は重かった。
出来ることなら、エルヴィス自身が当主と夫人を殺してやりたいほど。
平常に戻った当主は己の失態を覚えているのか顔色を悪くしながらも毅然とした態度を保っていた。それに比べて夫人は顔色は青ざめて身体は小刻みに震えており、見開かれた目はキョロキョロと忙しなく動いていた。
そんな2人の後ろに立っている”エルヴィス”は、まるで聖女のように優しい笑みを浮かべたままずっと正面を見ていた。
王子がルチダリア公爵家の悪事とその証拠を明らかにして、罪状を読み上げた。
『現ルチダリア公爵家の当主とその妻、そしてその子は斬首の刑とする。』
当主と夫人は、嘘だそんなことはしていない誰かに陥れられたのだとみっともなく叫びながら喚き散らした。
そんな2人を静かに見下ろしていた王子たちは顔を見合わせ、第一王子が口を開いた。
『ルチダリア家の当主よ。お前が右手に填めている指輪は、本当にルチダリア家当主の指輪なのか?』
第一王子の問いに、当主は当たり前だ!と叫び返す。
『ルチダリア家当主と夫人に聞く。そこにいるお前たちの子供は、本当にお前たちの子供である”エルヴィス嬢”か?』
突然の問いに当主と夫人は勿論のこと、静かに成り行きを見守っていた者たちでさえ驚いてざわめきだした。
“エルヴィス”は、未だ聖女の如き微笑みを浮かべたままだった。
『お前たちの子供は、本当に女児だったのか?』
問いを重ねた王子の傍らに、エルヴィスは颯爽と現れた。
本物の指輪を填めた右手を見せつけるように掲げながら。
前当主と当主と同じプラチナブロンドに琥珀色の瞳をしたエルヴィスを見た全員が、言葉を失って沈黙した。
『私が本物のエルヴィス・ヴィオレット・ルチダリアだ。幼い頃に不届き者の手によって入れ換えられ、長い間異国を旅していた。この度、祖父がくれた指輪が王家の指輪と対を成していることによって、私が本物のルチダリア家の跡取りであることが判明した。』
突然の出来事に、皆が呆然としてエルヴィスを注視している。
当主と夫人でさえも口をぽかんと開けたままだ。
『祖父の執事が私を見つけてくれた。そして、ルチダリア家では10歳まで男の子を女の子と偽って育てる風習があるのだとも。よって、本物の”エルヴィス”は男であり、この私だ!その女は偽者だ!』
途端に、それまで微笑みを保っていた”エルヴィス”が鬼のような形相をして私が”エルヴィス”だと叫びながら罵倒し始め、エルヴィスに向かって突っ掛かっていった。騎士に止められてはいるものの、その存在が見えていないのか偽者の勢いは増すばかりだった。
第一王子はそんな”エルヴィス”を傍目に、信じられない事実を突き出されて呆然としている当主と夫人に目を向けた。
『お前たちの子供だ。親ならば、子供の性別はいの一番に知るはずだろう。さて、”エルヴィス”を生んだ公爵夫人に聞く。貴女が産み落とした”エルヴィス”は男の子か、それとも女の子か。』
夫人は夫の腕に抱きついたままプルプルと身体を震わせて俯いたまま何も答えなかった。
『まさか公爵家の風習を知らなかったのか?当主よ。お前はルチダリア家の血を引くものだ、ならば知っているだろう。”エルヴィス”は、男なのか女なのか。』
当主の証であるはずの指輪をしきりにさすりながら当主すらも黙りこくったままで、その場にいた全員の冷たい視線が突き刺さっていた。
尚も偽の”エルヴィス”は自分が本物で公爵家の人間なのだと言い張っていた。
そんな時間に終わりを告げたのは、執事が連れてきた”エルヴィス”の乳母だ。1年前に祖父が亡くなると同時期に解雇された、夫人からエルヴィスを取り上げた当人でもある。
『エルヴィス様には左の首筋に黒子が3つ並んでおりました。』
王子が隣に立つエルヴィスの首筋を確認すると、確かに黒子が3つ並んでいた。
偽の“エルヴィス”を止めていた女騎士が首筋を確認すると、そこには黒子などどこにもなかった。
“エルヴィス”は愕然として、それまでの勢いはどこにいったのか、その場に崩れ落ちてしまった。
その途端に態度を変えたのは、それまで子供の見分けが付いていなかった当主と夫人だった。
彼等はエルヴィスに精一杯の笑顔を見せて騙されていたのだとか同じ被害者なのだと言い募って、子供ならば親を見捨てたりしないでしょうと泣きついた。
彼等は、周囲からの冷たい視線などものともしない、面の皮の厚い人間だった。
その姿を冷酷に見下ろしながら、エルヴィスは言い放った。
『私はある日、暗い場所に閉じ込められ、連れ去られ、売り飛ばされて辛い生活を送っていた。それをある商人が助けてくれて養ってくれた。偶然この国に来て私が公爵家の人間だとわかっても、自分の人生なのだから自分で選べと励ましてくれた。私を息子同然に思っている、と。なのにお前たちは今まで我が子が入れ替わったことにすら気付かなかった愚か者だ。そのうえ私を愛してくれた祖父に毒を盛り、病気と偽って殺した殺人者だ。お前たちは私の親などではない。罪人を助ける謂われなど私には無い。お前たちに許された処刑で罪を償え。』
その1週間後、ルチダリア家当主とその妻、”エルヴィス”を名乗っていた偽者は広場で斬首の刑に処され、罪人たちの共同墓地にその身は投げ飛ばされた。
その日、エルヴィスは処刑を見送った後に離宮へと向かっていた。離宮には、現在王太后が住んでいる。
エルヴィスが王太后のいる部屋に向かうと、既に困惑した表情の王子たちが待っていた。
王太后に促されて目の前の席に座ると、薄汚れたドレスを着て、手首は拘束されて口には布を押し込まれ、目隠しをされた”エルヴィス”が騎士に伴われて現れた。
王子たちに動揺が走った。当たり前だ。ついさっき、首を落として処刑したはずの人間が生きてこの場にいるのだから。
だが、王太后とエルヴィスは目を合わせて笑いあった。
エルヴィスの足下に座らせられた“エルヴィス”の目隠しが外され、笑みを浮かべたエルヴィスを視界に入れた当人は驚きを隠せなかったようだった。だが、さすが状況を理解しきれていなくてもエルヴィスを睨み付けた。
エルヴィスは騎士に口と手首の拘束を外すように命じ、”エルヴィス”が自由になった途端にドレスの裾に手を持っていったことを確認して口を開いた。
『本当はシナリオ通りにいこうかなと迷っていたんだけど、決めたんだ。偽の”エルヴィス”はもうこの世にはいない。すでに彼女の首は切り落とされている。』
眉がぴくっと動くが、動揺を外には出さない。
しかし裾の中へと入れられた手がゆっくりと外に出されていく。
『君への罰はこれだよ、エルヴィラ。』
エルヴィラの右手が口元に行く前に、エルヴィスはテーブルに置かれていたクッキーを妹の口へと詰め込んだ。最後にはクッキーにも入っていた黒い実をそのまま詰め込んで吐き出させないように手で蓋をした。
その際にエルヴィラが隠し持っていた赤い実が入ったクッキーを全て回収するのは忘れない。
『んー!!っ、んーー!!』
『くっそ不味いよね。僕も少し味見したんだけど苦みが酷くてすぐに吐き出したよ。だからクッキーにしてもらったんだ。』
『っ!!んーーー!!』
『そうそう、早く飲み込んで。やっぱりさ、お兄ちゃんとして無実の妹の自殺を見過ごすわけにはいかないからさ。』
ほとんど飲み込んだだろうと確信して手を離すと、エルヴィラは形容し難い表情をしながら口元に手をあてて、おえっ!と中身の無い口から何かを吐き出そうとした。エルヴィスはそれを苦い思いで見ていた。
エルヴィラ・・・、女の子としてそれは無いよ。気持ちはよくわかるけども。
エルヴィスも黒い実を口にした瞬間、おえっ!と吐き出した。クリスティーナの言う通り、くそまずい解毒薬だと思った。
足下でうずくまる妹のドレスを軽く引っ張って、肩にあるだろう跡を確認した。
花の形をした跡は、真っ赤に咲いていた。
あと一粒で死に至っていたかもしれないと考えてしまうほど。
その様子を大して驚きもしないで見ていた王太后がゆっくりと口を開いた。
『さて、エルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア。そなたがその妹と企んだ今回のルチダリア家の本当の事の顛末を話してくれるな?』
『━━━━ええ、勿論です。その前に、エルヴィラ。その真っ赤な痕が完全に消えるまでこの黒い実を食べ続けるように。』
未だ何かを吐き出すように大きく口を開けたまま、呼吸を繰り返す妹に念を押す。
その時のエルヴィラの表情を言葉にするとしたら、まるで絶望したかのように目は死んでいた。こんなことになるならさっさと死にたかったと、呟いたほどに。
祖父の死因は、赤い実の毒だった。
エルヴィスの父が商人から仕入れた毒だ。本人にも他人にも毒とは気付かれないまま殺すことが出来ますよと、商人の売り文句に惹かれて、兼ねてから価値観の違いで衝突の多かった親を殺そうと秘かに土産物の中に潜ませていた。
だが、祖父は息子からの珍しい土産物に何か良からぬものが入っているのではないかと勘繰り、その土産物である菓子を作った料理人を捕まえて入っているものを確認した。すると当主からこれは絶対に入れてくれと赤い粉末を渡されたらしく、祖父はそれを商人が渡したものだと確信して裏の商品を調べ上げてそれが毒だとわかった。
祖父は数年前から心臓の調子が悪かったようで、けれども孫に全てを任せたままただでは死ねないとも言っていたようだった。
エルヴィラを呼び出した祖父は、彼女にこう言った。
『私はこの毒を飲んで死ぬ。正真正銘、息子が父親を殺したのだ。昔の私のようにな。さあ、この事実をどう使うかはお前に任せよう。エルヴィラ、お前には兄の代わりとして辛い思いをさせている。だが、私はエルヴィラをエルヴィスと同じように愛しているよ。』
祖父はエルヴィラの前で赤い実を口に含み、エルヴィラの目の前で死んだ。
その祖父の肩には花の形をした真っ赤な跡が出来ていた。
エルヴィラは赤い実を仕入れている商人に近付いてそれを融通してくれと頼んだのだ。
『邪魔な人間がいるからそれを始末したいの。』
と、そう言って。
商人は面白がってすぐに大量の赤い粉末を売り渡した。その時エルヴィラがこれは元はどんなものなのかと聞くと、ちょうど原物を持っていたようで、植木鉢に植えられていたその植物の姿を頭に刻み付けた。
解毒できるものはないのかと聞いたエルヴィラに、そんなものは知らないと商人は言った。それを本当に知らないのか、それともあると知っているが必要ないだろうという意味で言ったのかはわからない。少なくとも商品として扱ってはいなかった。
しかし、エルヴィラは処刑されるか自殺するかの二択しか考えていなかったので、解毒できるものを探そうともしなかった。
目の前でエルヴィラが黒い実を食べ続けるのを見届けて肩の跡が消えかけ、ダークブラウンに染めていた髪から色が落ちて元のプラチナブロンドに戻り始めた頃。
エルヴィラはエルヴィスにこの黒い実をどこで見つけたのかと聞いてきた。
『これってもしかして腐っているんじゃないですか?』
味から想像すると確かに腐っていると思っても仕方ない。
エルヴィスは空になった刺繍が施してあった小袋を取り出して、ふっと笑った。
『ティーナがね、わざわざ持ってきてくれたんだよ。』
『え?』
『クリスティーナ・アルデリア侯爵令嬢が、もしかしたら赤い実の毒を含んでいるかもしれない友人の身を案じて持ってきてくれたんだ。』
まさか今この時聞くとは思っていなかった友人の名前を聞いてエルヴィラは暫く口を開いたまま驚いていた。
しかし、ふてくされたような嬉しいような表情に移り変わって、でも舌打ちをしてから余計なことをしてくれたと呟いた。
エルヴィスは真正面から妹に向き直って、頭を下げた。
『すまない。』
『・・・それはどれへの謝罪かしら?』
エルヴィラの恨みがましい声に思わず笑いが零れる。妹としては色々とあるのかもしれない。
しかし、エルヴィスが謝るべきことはたった1つだ。
『エルヴィラの大切な友人を傷付けてしまった。あの場に王子を向かわせるよう仕向けたのは僕なんだ。だから、あの時起こった事の全ての責任は僕にある。』
『クリスティーナには謝ったのでしょう?』
『謝る代わりに責任を取らせてほしいと言った。』
『・・・・・・・・はい?』
エルヴィスは頭を上げて、兄を驚きと共に怪訝な目で見ている妹の肩に手をあてた。
『そうしたら本心からの言葉じゃないって見破られて断られたんだよね。どうしよう?』
『お兄様・・・・・、最低だわ。』
『うーん、どうしようか?でもティーナのお陰でエルヴィラの命は助かったのだから、お礼を言いに隣国に行かないとね。さーて、どんなタイミングを見計らって行くかなぁ。』
『・・・・・・・。』
『とりあえず、あちらはもう婚約破棄になったみたいだから僕が近付いても大丈夫だね。となると、僕が当主になったことを大々的に取り扱ってもらうことを優先しようか。いつがいいかな?』
楽しそうに今後の計画を立てる兄を、エルヴィラはまるで奇妙な生き物を見るような目で見ていた。
アルベルトとノアとの会談を終え、エルヴィスは研究所へと向かっていた。
研究所に着くと、扉の前に立っていた研究員と思われる男性が頭を上げて下げ、殿下から案内するように仰せつかりましたと言った。
その研究員に案内されるまま、2階のとある部屋の前まで歩き、扉の両側にいたローブを被った者たちが扉を開いてエルヴィスに中へ入るように指示した。
1人で中に入りながら、あれは研究員ではなくて騎士なのだろうと推測する。ここの王弟は、第二騎士団の団長と幼い頃からの知り合いであり、色々と優遇してもらっていることは調べがついている。
「やあ、久しぶり。」
「お久しぶりです。貴方は年始のパーティーにすら来ないのですね。」
「用事があったのは君だけなんだ。わざわざ不愉快になる場所へ出向く必要があるかな?」
「それは確かにそうですね。」
数年前に異国で出会ったこの男はエルヴィスにとって、初めて正体を見破られた人物だった。
屋台が集まっていた通りですれ違っただけ、たったそれだけなのに、ルチダリア家の血を引く者かと疑われた。油断していたエルヴィスは何も言えず固まってしまい、それが本当なのだと言ってしまったも同然だった。
ただそれからエルヴィスの移動を手伝ってくれるようになったのは幸いだった。
直近で会ったのは、エルヴィラが留学していた時に、突然隣国のエルヴィスの元にやって来て解毒薬は本当にないのかと怒鳴り込んできた時だ。
「クリスティーナ様のおかげで助かりました。」
「それは良かった。で、本題は?残念ながらあの子は君の元へは行かないと思うよ。」
本題を聞きながらもリアムは先手を打って答えた。
エルヴィスは思わず苦笑する。
「リアム殿はクリスティーナ様と仲がよろしいようなので、許可を取れるようなら取っておきたかったんですけどね。研究員としても優秀な方なようなので、いずれ本格的に働いてもらおうと考えているみたいですし。」
「そうだね。でもそれはいずれの話で、最終的に決めるのはあの子だよ。」
「僕は、クリスティーナと結婚したいです。」
リアムが背もたれに背をかけて、悠然とエルヴィスを見る。
「どうして?」
「クリスティーナに僕で手を打つのもありだと思うと言ったのですが、嘘だと見破られてしまいました。僕が彼女で手を打とうとしたんだって。」
「最低だな。」
「彼女自身に惹かれたのも本当なんですよ。それに気付いたのが、断られた後だっただけで。」
エルヴィスは初めて会った時のクリスティーナを思い出して自然と笑みが零れる。
思わず飛び出た自分でもどうかと思う求婚の言葉に同じような表情で返事をされた時から、これから何度言葉を変えて求婚しても良い返事は貰えないだろうということはなんとなくわかっていた。
だからその場ではお礼を言わず、いつかお礼を言いに行かなければならないという理由を残して、それをクリスティーナにも示唆した。そうすれば、クリスティーナの心にエルヴィスが残るからだ。
「それに、僕は僕自身の子供が欲しくないんです。他の令嬢と結婚すると子供は作らないといけなくなるし、エルヴィラには会えないから面倒じゃないですか。」
「君の妹か。」
「そうです。クリスティーナだったら全て説明しても問題ないし、エルヴィラだって喜んでくれるでしょう。それに彼女なら、僕の考えを理解してくれるのではないかと。」
「子供が欲しくない理由?」
「はい。僕とエルヴィラは腹違いの兄妹で、確かに父親は同じですが母親は違います。幼いながらに、あの子の母親が気弱でも心優しい女性だったことは覚えてます。なのに僕の母親は全く違う。半分同じでも、半分も違っていれば十分違いが出てきます。あんな人達の血を受け継いだ僕は、僕の血を残したいとは到底思えません。だから、妹の子供をルチダリア家の子供として育てられたらなって。」
隣国での事件を、リアムは嘘と真実が織り混ざっているなと思いながら聞いていた。何が嘘で何が本当なのか、詳しいところは知らないが、ルチダリア家にも特有の事情があるのだろう。
目の前の青年はたった17歳なのに色々な物を背負い込んでいて、己の血を嫌悪している。その嫌悪が一生消えることはないのだろう。
「クリスティーナを口説きたいなら、自力で頑張ってくれ。私はあの子は君の元へは行かないに1票だ。」
リアムの思いやりの欠片もない言葉にエルヴィスは思わず鼻で笑った。
「勝算の無い賭けですね。でも、僕もクリスティーナは僕の元へは来てくれないと思っています。」
「もし成功したら、特別な祝いの品を贈ってあげるよ。」
「それはどうも。少し喋りすぎたので、そろそろお暇します。やるべき事がまだたくさんありますから。」
エルヴィスが立ち上がって扉に歩きかけて、ふとリアムを振り返った。
「そう言えば、王弟殿下が異国から帰ってくるのは明日でしたね。」
リアムは笑みを深めて頷いた。
「明日、ノア様がやって来るかもしれませんよ。」
「そうか、歓迎しないといけないね。大人への第一歩だ。」
エルヴィスは慇懃にお辞儀をしてから研究所から出ていった。




