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16.待ち望んでいた時間

タイトル補足

『クリスティーナ以外の誰もがそれぞれの思惑を持って、待ち望んでいた時間』

 

 毎年の年始のパーティーには国中の貴族が集まる。

 中でも今年のパーティーはいつも以上の賑わいと華やかさを見せていた。


 主な理由は2つある。


 1つ目は、第二王子に婚約者がいないこと。

 第二王子の婚約者の家が失脚した。王家の信頼厚い家だったのに、その信頼を無惨にも反故にして罪を犯していた。幸いだったのは、その罪に現当主は加担しておらず、当人が潔く罪を認めて懐に溜めていたお金にも手を付けていなかったことだろうか。

 賄賂を流していた商会は潰れ、本来は領民の為に使われるはずだったお金は着服していた分の返済と粗悪品の交換に充てられた。領地は半分になり、今は隣の元領主で元宰相と共に領の経営を立て直しているらしい。一部の領民からは不満の声も上がったが、深く頭を下げて謝罪し、その後の対応も誠実な元侯爵家に同情的な領民も多いという。


 しかし、罪を犯した家の娘を王族の婚約者でいさせるわけにはいかない。


『第二王子殿下は元婚約者様とこれで堂々と縁が切れたわね。』


 どこかの令嬢は元侯爵令嬢を嘲笑う。

 そしてやっと自分たちの出番なのだと臨戦態勢に入っている。

 去年よりも派手にきらびやかに着飾った令嬢たちが多く見えるのは気のせいではない。


 また、令嬢たちは第二王子の心を射止めるためだけに派手にきらびやかに着飾っているわけではなかった。


 もう1つの理由は、隣国の代理として、去年代替わりしたばかりの公爵家の若い当主がこのパーティーに参加すると聞いたからだ。

 この当主はそれまで不遇な人生を送っていたらしい。公爵家に生まれたにも関わらず、幼い頃に顔立ちが似ていた他人と入れ替えられ、身ぐるみを剥がされて道端に捨てられた。幸いにも通りすがりの商人が拾ってくれたが異国を渡りながらの商売は決して楽なものではなかった。

 しかし、公爵家の執事が跡継ぎである次期当主の顔立ちが年々違ってくることを不思議に思って調べていたところ、ちょうど隣国に商売に来ていた本物の跡継ぎである現当主を発見した。何故執事が本物だとわかったかというと、公爵家の代々の当主に伝わる指輪を持っていたからだ。現当主は生い立ちを聞いてきた執事にそれを見せながら、幼い頃に大好きな祖父がくれたものなのだと言ったらしい。執事はすぐに訳を説明して公爵家に戻ってきてほしいと頼んだらしい。

 しかし、突然思いもよらない事情を説明されて自分が公爵家の跡継ぎなどと実感が湧くはずもなく、商人の跡継ぎとして育っていた現当主にとっては傍迷惑以外の何物でもなかった。だが、執事は更に説得を重ね、公爵家の当主の横暴、跡継ぎを名乗る偽物の酷さを曝して、どうか頼むから正統な後継者である貴方に本来のルチダリア公爵家に戻してほしいと懇願したのだそうだ。

 公爵家の執事が床に頭が付くほどに頭を下げるその姿に心は動き、その様子を見ていた育て親の商人も元の生活に戻るように言われ、現当主は公爵家に戻ることを決め、公爵家をあるべき元の姿に戻すために奔走した。


 そう、この国に留学に来た隣国の公爵令嬢だと名乗ったエルヴィス・ヴィオレット・ルチダリアは偽物の公爵家の跡継ぎだったのだ。


 しかも、ルチダリア公爵家は家のしきたりによって幼少期は女の子として育てる風習があるらしく、現当主が偽物と入れ替えられた時もドレスを着ていた。それを知らなかった犯人が顔立ちの似ていた女児と入れ替え、その子はそのまま女性として育った。

 また、ルチダリア公爵家の元当主、現当主にしたら父親であるわけだが、妻の元公爵夫人と共に悪評の響き渡る人間で、己の子供にすら無関心であったから自分の子供が男の子であることすら認識していなかったらしい。もしくは、その風習を忘れていたのだろうか。女の子として育てられ、女の子として育っていく子を本当に女の子だと認識してしまっていたのかもしれない。


 ルチダリア公爵家の現当主の名前は、エルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア。性別は、立派な男性だ。

 本来はエルヴィス・ヴィオレット・ルチダリアだったが、セカンドネームのヴィオレットは女として育てることに決まった幼少期につけられたものであり、偽物がそのまま使っていたので変名することを許可された。だがファーストネームのエルヴィスはこの代の当主の名前だと決まっていたので変名はしなかった。

 残念ながら祖父は数年前に亡くなっていたが、エルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリアは執事と共に公爵夫妻と偽物の"エルヴィス"の悪事を調べあげ、王家にも秘密裏に接触して協力を得た。そして3人を断罪し、正統な後継者としてルチダリア公爵家の当主になった。


 公爵家当主になったエルヴィスは一躍時の人となり、麗しい容貌も相まってか、国内の貴族からの縁談話が絶えないのだそうだ。

 商人として育ったくせにとやっかみもあるが、商人として育ったからこそ博識で人やものを見る目が養われていた。疲弊しきっていた公爵領が短期間で平和と活気を取り戻しつつあるのはエルヴィスが当主であるからこそだろう。

 そのうえ、王家とも関わりを持っているのだから少しでも関わりを持っておくに越したことはない。


 そんな話は勿論この国にまで届いていて、元侯爵家の話が吹き飛ぶほどにはエルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリアの話題で持ちきりだった。

 国内の貴族から縁談が山程来ているというのに、まだ結婚というものは考えられないと断り続けているというエルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア公爵。

 この国の貴族令嬢が私にもチャンスがあるかもと浮かれるのも無理はなく、一部の婚約者がいる令嬢ですら張り切ってドレスを新調したのだという。またそんな公爵家当主を一目見ようと集まった貴族もいるし、関わりを持ちたいと思っている大人たちも今か今かとその時を待ちわびている。



 会場の入り口に立っていた従僕は廊下の向こう側からやって来る一組の男女に気付き、歓迎するかのようににっこりと笑いかけ、次いでその表情を固まらせた。

 背の高い男性が従僕に一声かけ、我に返った彼は慌てて男性が差し出す招待状2通を受け取って目を通し、会場に向かって新たな参加者の来場を告げた。


「エ、エルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア公爵様のごとっ、ご到着でございますっ!」


 わあっと会場の数多の視線が一斉に入り口の隣国の公爵へと集まる。

 誰もが期待と興奮に彩られる中で、隣国の公爵の到着を告げた従僕の声が裏返っていたことには気付いていても、よほど素敵な人物が来たのだろうと考えていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」


 期待と興奮で彩られていたはずの会場にいる貴族の誰かが、ぽつりと零す。

 色めき立っていた会場からは不自然なほどの沈黙が会場中を支配しているというのに、当の本人たちはそれに気付いていないかのように楽しそうに談笑しながら会場へと足を運んでいる。


「ど、うして・・・・・・・・・・?」


 隣国の公爵当主を必ず仕留めるのだと息巻いていた一人の令嬢は驚愕に満ちた目で公爵当主と公爵当主が恭しくエスコートしている令嬢を凝視した。


 どうして、あの子が隣国の公爵にエスコートされているの?


 それは会場中にいた誰もが疑問に思ったことだった。


 どうしてあの令嬢が?知り合いだったのか?まさか!いつだ?知るかそんなの!何故なんだ!?どうしてよりによってどうしてあんな家の令嬢を?


 会場のざわめきなどものともせずに注目の的であるエルヴィスとクリスティーナは会場を進み、自然と周囲が避けていく中で周りにカーテンなどで隠れることが出来ないような壁の近くで止まった。


〈まるで見世物だね。〉

〈・・・・・わかっていたでしょう。〉

〈いや、本当に君を連れてきて良かったよ。招待状も送られていて良かった。まあ、きていなくても無理矢理連れていくことは決まってたんだけどね。〉

〈本当・・・・・性格の悪い兄妹ですね。〉

〈褒め言葉をどうもありがとう。妹と似てると言われるととても嬉しいよ。〉


 不意にルチダリア公爵が頬を染めて嬉しそうに笑い、それを見た令嬢たちがきゃあ!と甲高い悲鳴を上げて騒いだ。

 いつまでも静寂で満ちているわけもなく、徐々に人々は会話を再開し、元の活気を取り戻した。

 会場の誰もがこの2人の会話を聞こうと密かに耳を澄ましているが、声が小さくて1番近くにいる者でさえも聞き取ることが出来ない。そしてじりじりと無意識に近付いていって、ふとルチダリア公爵が向ける視線にびくっとしてはさりげなく遠ざかるという行動を繰り返している。


 皆が待ち望んでいたエルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア公爵はクリスティーナ・アルデリア伯爵令嬢をエスコートして現れた。


 皆が興味深そうに、ある者は奇異な目で2人を見つめ、ある者は伯爵令嬢を親の敵と言わんばかりに睨み付け、ある者はどんな手を使って公爵に取り入ったのかと嘲笑し、またある者は公爵が落ちこぼれた伯爵令嬢の罠にかかったのではないかと嘆いている。


 その時、音楽が鳴り始めて会場のざわめきは収まり、皆が一様に壇上を見上げた。


 国王陛下、並びに王妃陛下の登場だ。

 その後ろからは第一王子のアルベルトと婚約者のエリザベス公爵令嬢、第二王子のノアが現れた。


 国王は会場を見渡し、ある一点で目を見開きかけたがそれを最小限に留めて何事もなかったかのように口を開いた。


「皆、毎年集まってくれて感謝する。これより、無事に年明けを迎えたことを祝おう。」


 国王の言葉に、パーティーに集まった者は各々新たな年始を迎えたことを祝い始めた。


 ルチダリア公爵とクリスティーナ伯爵令嬢はしばらくにこやかに話続けていたが、やがてルチダリア公爵は挨拶回りのためか2人は分かれて行動し始めた。ここぞとばかりにルチダリア公爵にはあっという間に人だかりが出来る。

  一方、取り残されたクリスティーナ伯爵令嬢は周囲の人間たちに遠巻きに眺められながら、壁の花と化していた。


 先程よりも近付いた令嬢たちに聞こえるように悪意ある言葉を囁かれながらも、クリスティーナ伯爵令嬢は表情も変えずに真っ直ぐと音楽隊が音を奏でる姿を眺めていた。



 クリスティーナは国内の貴族に自分たちがどう思われているのかなど理解している。

 だから、アルデリア伯爵家は今年は年始のパーティーに参加しないと決めていた。国内の貴族全員に招待状は送られているので参加する家は多いが、家のごたつきで他の貴族と顔を合わせにくい者や強制的なパーティーではないからと不参加の家も一部はいるのだ。隣国との国境に位置する辺境伯などは、当主が賑やかな場所が苦手だと言って年始のパーティーには毎年不参加だ。

 そもそもだいぶ落ち着いてきたとは言え、パーティーなどという浮かれた場にアルデリア伯爵家が行くことは許されないだろうし、まだ行けるような時ではないと伯爵家は考えていた。だから、何度も言うが、伯爵家一同は例え何があろうとも年始のパーティーに参加するつもりなど、初めは毛ほども無かった。


 だがその知らせは伯爵家一同に、いや、クリスティーナに衝撃を与えた。

 ある日、迎えに行くから用意したドレスを持ってこい、と伝えられた直後に伯爵家にドレスが届いた。まるで見計らったかのようなタイミングで。

 家族全員から驚愕の目で見られてクリスティーナは居心地が悪い思いをしながら、ドレスを持ってきた使いの者に断りの文句を告げようとしたところで、公爵当主本人がこれまた狙ったかのように現れた。


『命の恩人なのです。』


 と、本当のような嘘のような言い方をするのでまたもや家族から驚愕の目で見られて更に居心地が悪くなった。どちらにしろ貴方の命の恩人ではないと、心の中では言い返していた。


『実は、クリスティーナ様に一目惚れをしたのです。』

『・・・・・・・は?』

『というのは嘘です。率直に申し上げますと、私が当主であるという話題を良くも悪くも大きく取り上げたいのです。ご迷惑をおかけするとは思いますが、命の恩人であるクリスティーナ様にお願いしたくて・・・。それに、ルチダリア公爵家とアルデリア伯爵家は繋がりがあったのだと思わせておいた方がそちらにとっては得なのでは?寄ってくる有象無象を振り分けることは出来るでしょうから。』


 父と兄が訝しがる中で、公爵はお願いしますと頭を下げてしまい、結局は格下の伯爵側がどうぞ娘をお願いしますと頭を下げてお願いする結果になってしまった。ケンジーは最後まで反対していたが、シェリーが公爵を後押ししたからだ。いつまでもこのままではいけないし、転んでもただでは起きないという図太さを批判を覚悟で見せておこうと。


 そしてクリスティーナは使用人たちにあっという間に仕度を整えられ、公爵と共に馬車に乗せられ、公爵が借りているという宿へ向かうことになってしまった。


 宿に着いたクリスティーナは一泊し、そこでドレスに着替えてエルヴィスと一緒に王宮へと向かったのだ。


 クリスティーナはわかっている。

 これはエルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリアの一種の遊びなのだと。


 エルヴィスの最大の目的は、ルチダリア公爵家の当主が自分であることを知らしめることだ。偽の”エルヴィス”がこの国に留学したことがあり、それはついこの前のことでもある。その為、同じ時期に問題を起こしたアルデリア伯爵家のクリスティーナを連れて良くも悪くも話題を大きくして、大勢の人間と話す機会を作って公爵家当主は、”エルヴィス”は自分であると示す必要があるのだ。

 また伯爵家に恩返しというのもあながち間違いではないのだとも思う。確かに現在大注目のルチダリア公爵がクリスティーナ伯爵令嬢を連れ立ってパーティーに赴くなど、一部の貴族に反感を買うことは間違いない。だが、反対にこれまた一部の貴族にとっては伯爵家に関心を寄せずにはいられないものとなる。そこからまた人脈を作ってはどうだと、公爵は伯爵家に暗に提案したのだ。

 それは大変ありがたいとは思うのだが、クリスティーナよりも都合の良い女性などいくらでもいると思うし、連れ立つのなら父か兄の方が良いと思う。


 それをエルヴィスに馬車の中で伝えたら、なんでいい歳をした男が男を連れ立ってパーティーに行かなければいけないのだと嫌な顔をされた。


『言っておくけど、これは本当に好意からなんだよ。』

『・・・・・どこがですか?』


 まるで本当にそう思っているような言い方だったので、クリスティーナは思わず心底不思議そうに聞き返してしまった。


『全てだよ。そして、君の外堀をうっすらと埋めてしまおうという思惑も含めて。』


 クリスティーナはエルヴィスを睨み付けてから、ふいといじけたように横を向いた。

 その様子を可愛らしいものを見るかのように目を和ませて微笑んだエルヴィスは、独り言のように呟いた。


『責任を取ってあげるって言ったのに、強情なんだもんなぁ。』


 クリスティーナは聞こえない振りをして窓の外を見続けた。



 音楽隊を見ているようで見ていなかったクリスティーナがふと隣に立つ影に気付いて顔を上げた。

 遠巻きに見ていた令嬢たちがついにやって来たのだと思ったからだ。


「アルデリア伯爵令嬢。」

「・・・ごきげんよう、第二王子殿下。」


 クリスティーナは軽く瞠目して、けれどもすぐさま微笑んで挨拶をしてからまた音楽隊に目を戻した。


 周囲の人間がこれまで以上に耳を澄ましていくのがよくわかる。


 だが、隣に立つノアが何を考えてクリスティーナに近付いたのかはよくわからない。

 思わずエルヴィスの姿を探して、他の貴族と楽しげに談笑している姿を見つけてこういう時にさっさと来てくれればいいのにと思わず舌打ちをしそうになった。


「公の場で会うのは久しぶりですね。お元気でしたか?」

「ええ。父と兄も母も相変わらずですわ。」

「そうですか。伯爵領は、その後は特に問題は無いようですね。」

「そうですね。けれどもやはり領民からの信用はとても低くなってしまいました。これからはその信用を取り戻さねばなりません。」

「ギルバート殿とケンジー殿なら上手くやるでしょう。」

「はい。私もそう信じております。」


 2人の会話に耳を澄ましている周囲の人間たちは面白い会話をしないかと待っているが、2人は淡々と世間話をしていた。


 1度音楽が鳴り止み、国王と王妃が会場の中央に立つ。

 一同はそれに注目し、国王と王妃は顔を見合せてしっかりと身体を密着させて、音楽が鳴り出すと楽しそうにダンスを踊り始めた。


「おや、ティーナにも知り合いがいたんだね。」


 やがて第一王子とその婚約者が踊り始めたところで、2人の目の前にエルヴィスが現れた。


「エルヴィス・ヘリオトロープ・ルチダリア公爵、ですね。」

「ええ、お初にお目にかかります。第二王子殿下。」


 普通の会話のはずなのに、何故だろうか。

 2人の声音が硬く険を帯びているように聞こえる。


「申し訳ありませんが、挨拶はまた後程。ファーストダンスはクリスティーナ嬢と踊りたいものですから。」


 ノアからクリスティーナに視線を移したエルヴィスは恭しく腰を折って、手を差し出した。


「では、かわいい人。私の誘いを受けてくれますね?」

「・・・ええ、喜んで。」


 クリスティーナはエルヴィスの手を取り、ダンスを踊る人の輪に紛れ込んだ。


 2人は向かい合わせになり、身体を密着させて手を取り合い、エルヴィスがクリスティーナの二の腕をするりと撫でてから彼女の右手を持ち上げた。

 クリスティーナはドレスで隠れたエルヴィスの右足を踏みつけた。


〈痛いなぁ。〉

〈余計なことをしないでくれる?〉

〈余計なことではないよ。申し訳なさを込めて、早く良くなるようにって祈っただけ。〉

〈嘘をつかないで。〉

〈嘘は僕達兄妹の得意技だよ。〉

〈本当・・・・・素晴らしい性格の兄妹だわ。〉


 2人の親密な空気に、ダンスを踊っている人でさえも話の内容に耳を澄ましている。

 しかし、聞き取ることはできなかった。ただでさえ音楽が鳴っているというのに、所々聞こえても2人がどの言語で話しているのかわからず、聞き取ることが出来なかったからだ。


 隣国は、昔は隣国特有の言語を使っていた。しかし、他の国は共通言語を使っているというのに隣国だけ異なる言語で、しかも若者たちの間では共通言語を話せる者が多くなっていた。

 次第に隣国でも共通言語を使う者の方が多くなり、国も共通言語を主言語とするようになって、数十年前には既に古語は廃れていた。誰もが使わなくなっていったのだ。


 その古語で、エルヴィスとクリスティーナは話していた。

 隣国ならまだしも、いや、隣国ですら使われなくなった古語を聞いても誰もがわからない中で、この国の人間が聞いて何を話しているのか理解できるはずがない。王族も、既に古語を聞いて理解することができるぐらいの教育は受けていない。


 しかし、クリスティーナは古語を読むことが出来ていた。侯爵家の屋敷に隣国の古語を使った本とそれを翻訳したもの、そして古語だけの本が幾つかあったからだ。すらすらと読むことは出来なくてもなんとなく何が書かれているのかわかる程度には、隣国の古語について知識はあった。

 そして隣国に行っている間、クリスティーナは古語を教わっていた。やはり話して聞き取って理解するということになると読み取ること以上に難しく、隣国にいる間はほとんど古語で会話をしていた。

 短い間ではあったが、クリスティーナは一応話せるようになり、聞き取ることも出来るようになった。早口で喋られるとわからなくなるため、エルヴィスはゆっくりと聞こえやすいように話してくれている。


〈周りの人間を見てみなよ。本当に、面白いよねぇ。見飽きた。〉

〈黙ってください。〉

〈だってつまらないよ。かわいい妹の為だから、仕方ないけれど。妹の顔をいつまでも覚えられていては困るから、僕は大々的にやって来たのに見世物じゃないんだから。〉

〈嫌なら来なければ良かったのでは?〉

〈そうだね。でも僕は君にお礼を言えないままになる。〉


 エルヴィスがクリスティーナの優雅なターンを受け止めた瞬間に、耳元に口を寄せて囁いた。


〈エルヴィラの命を助けてくれてありがとう。〉

〈・・・エルに言っておいてください。今度あんなことをしたら許さないって。〉

〈大丈夫。僕が1番に大切なものはルチダリア公爵家だから、そこには妹であるエルヴィラも含まれている。”エルヴィス”の為に無理をさせた妹のことを、これからはちゃんと守り抜くと決めたんだ。〉

〈ならいいですけど。〉

〈聞いてもいいかな?どうしてエルヴィラが赤い実の毒を含んでいるとわかったの?〉

〈だって、赤い実の毒を私が誤って吸い込んだ時、エルはそれが毒であることと毒の作用、肩に印が出ることを知ってたんです。もしかしたらって、思うのは当然でしょう?〉

〈だからわざわざ隣国にまで来たんだ?もしかしたら解毒作用のある黒い実をエルヴィラがもう持っていたかもしれないのに。〉

〈でも持ってなかった。エルは解毒できるものがあること自体知らなかったでしょう?〉

〈確かに、ね。あの子に黒い実のことを教えた時、愕然としていたよ。貴女が持ってきてくれたのだと言ったら、余計なことをしてくれたと言って舌打ちしてた。〉


 クリスティーナは最後に会った時の友人を思い出す。

 以前泣きそうになっていた友人は、本当に泣いた。泣きながら、また何度もごめんねと繰り返していた。


〈・・・エルらしい。でも、私は、友達を失いたくありませんでした。友達がその覚悟を持っていたとしても。〉

〈そうだね。僕も、ようやく会えた妹をみすみす失うことがなくて良かった。本当に感謝しているよ。貴女は僕達の命の恩人だ。〉

〈それはどうも。〉

〈だから僕は君をもらい受けたい。一緒に隣国に帰らない?エルヴィラもきっと喜ぶ。〉

〈・・・・・・・・。〉

〈・・・・・・・・。〉

〈お断りします!〉

〈・・・やっぱりか。ま、そうなるよね。〉


 満面の笑みを見せるクリスティーナを見たエルヴィスは、わかっていた答えに苦々しい思いでため息をつく。


 その瞬間にその曲は終わりを告げた。

 ルチダリア公爵はクリスティーナ伯爵令嬢を元いた所とは違う場所へと連れていこうと歩き出す。

 ダンスを踊っている間中、仲良さげに見つめあっていた一組の男女を周囲は終始観察していた。


「あっ!ローナ!」


 会場のどこかから、令嬢の焦った声が聞こえてきた。


 突然、1人の令嬢がクリスティーナ伯爵令嬢に近付いていき、彼女の腕を掴もうとした。しかし、その令嬢に気付いたクリスティーナが振り向いてすぐ近くに迫っていた手に驚いて思わず振り払ってしまった。

 それに苛立った令嬢は、クリスティーナがはめている手袋を掴んで奪った。


「・・・あらら。」


 エルヴィスが、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。


 左手の手袋を奪われ、隠されていた二の腕までが露になった当人のクリスティーナは驚きつつも動揺はしていなかった。

 むしろ動揺したのは手袋を外した令嬢の方だ。

 驚愕に満ちた目でさっきまで苛立たしい思いで睨み付けていた女の左手を凝視している。まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。


 それはそうだ。

 身体に傷など、令嬢にとってはあるまじきものだ。


 会場のほとんどの視線を釘付けにしていると気付いたクリスティーナが、ごめんなさいと断ってから呆然としている令嬢から手袋を取って左手にはめる。


「大丈夫かい?」


 心配そうにするルチダリア公爵に、安心させるようにクリスティーナ伯爵令嬢は頷いて微笑む。


「失礼いたします。」


 令嬢に軽く頭を下げたクリスティーナ伯爵令嬢は、ルチダリア公爵にエスコートされながら会場を出ていった。


 次の瞬間には、ルチダリア公爵と伯爵家の繋がりやもしや結婚間近なのではとか、縁談を断っていたのはこのせいかとかクリスティーナ伯爵令嬢の傷の嘲笑などで会場は騒然となった。

 しかし、すぐにルチダリア公爵が1人で会場に戻ってきたのでその声もやがて小さくなっていったが、こそこそと憶測を話す者は絶えることがなかった。


 そんな注目の的であるルチダリア公爵は平然としながら飲み物を手にしていた。


「ルチダリア公爵。」


 にこやかに、ルチダリア公爵に声をかけたのは第一王子のアルベルトだ。


「これは失礼いたしました、第一王子殿下。何か飲み物でも取って来ましょうか?」

「いいえ、結構です。少し聞きたいことがありますので。」

「そうですか。私に答えられることでしたら、お答えしましょう。」


 公爵と王子はにこやかにしているものの、2人が醸し出す空気は冷えきっている。


 アルベルトが口を開こうとした瞬間、先に視線の先を変えて口を開いたのはエルヴィスだった。


「それにしても、殿下の弟君はわかりやすいですね。素直は美徳でもありますがあからさまな態度は時に人を傷付けます。私は少し心配です。」


 アルベルトが公爵の視線の先を追って、壁際にいるノアを見つけた。


 いつの間にかいなくなっていたノア。

 次の婚約者を決めず、久しぶりの今回のパーティーでもアルベルトに続いて踊ることはなかった。


 ノアはルチダリア公爵を険しい表情で見据えていた。

 そんなノアの視線を、まるで挑むようにエルヴィスは受け止めていた。


 アルベルトは先程この場からいなくなった弟の元婚約者のことを思い浮かべて、再度隣国の公爵に向き直った。


「ルチダリア公爵。明日、王宮へ来て下さいますね?」

「はい、是非伺いましょう。」


 エルヴィスは気付いていた。

 エルヴィスがクリスティーナを連れて会場に表れた時から鋭い視線を向けられていたこと、ノアがエルヴィスがいない時を見計らってクリスティーナに近付いたこと、ダンスをしている間ずっとまるで射殺さんばかりの目でエルヴィスを睨み付けていたこと、ずっとクリスティーナを観察するように見ていたこと。


 ノアがエルヴィスに向ける視線を知っている。

 あれは嫉妬の目だということを。




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