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15.恋の病を患っていた元婚約者が気付いた事実

 

『クリスティーナ様は侍女を1人連れて隣国に行かれました。』

『・・・・・・・・・・・は?』

『追っていたのですが、関所で問題が起こってしまったようで止められてしまって少し離れてしまい、現在は捜索中です。隣国の関所から出ている乗り合い馬車に乗ったと思われますので、御者たちに話を聞いております。』


 クリスティーナに付けていた護衛から報告を受けたノアに起こった衝撃は凄まじいものだった。


 王宮の騎士団の中でも近衛騎士は王宮の至る所に配置されている。第一騎士団は王族の護衛を担当し、第二騎士団は王族の婚約者または婚約者候補と国王の兄弟姉妹の護衛を担当している。そこから第三第四と続くのだが、言わずもがな第一騎士団と第二騎士団は騎士団の中でも花形の部署だ。

 基本的に第一騎士団と第二騎士団の団員たちは対象が王都を離れない限りは王都にいる。だが、王宮で毎日鍛練をしていても身体は鈍ってしまうので、他の騎士団員と共に数ヵ月置きに辺境や森の深い領に行って実地訓練を行っている。


 ノアの婚約者であるクリスティーナも、婚約者に決まった当初から第二騎士団の者が秘かに護衛に当たっていた。学園内でも、対象の視界には勿論のこと他の生徒にも気付かれないようにいざという時には守れるように。

 彼女の兄であるケンジーも第二騎士団の所属で、学園に妹が入ってくるまではアルベルトの婚約者であるエリザベスの護衛に当たることが多かった。


 花形の部署であると同時に国にとって重要な人物を守る2つの騎士団であるからこそ、他の騎士団とは違って入団するには格段に厳しい試験が待ち構えている。武力や頭脳に優れた者たちの、いわゆるエリートの集団なのだ。


 その護衛たちが、クリスティーナが学園に入ってからというものミスが多くなった。


 いや、彼等には非がないのかもしれない。

 彼等はとても優秀で、ノアがいくら挑んでもノアの剣は彼等には敵わない。良くも悪くも普通の人間であるノアがどんなに努力を怠らなかったとしても、それこそ到底兄のアルベルトになんて敵わない。

 それにクリスティーナの護衛の報告を、何年も変わらないような言葉を聞き流していたノアにも責任があった。


 クリスティーナが突然領に戻った時には侯爵家が何か計画しているのかと考えて少し護衛もとい監視を増やしたが、侯爵家の屋敷に入ることは出来ないし、使用人に通りすがりを装って話を聞いても何も変わった様子などはなかったようだった。

 しかもアルデリア侯爵領にいるユージニアの右腕であるマイケルがそれは仕事の出来た人物だったので、屋敷の周りに見知らぬ者がいると警戒を怠らない。クリスティーナの護衛と気付いてはいるのだろうが、何か思うところがあったのだろう。余所者には手厳しかった。


 しばらくアルデリア領に戻っていたクリスティーナが王都に戻ってくると、今度は学園に入ってから姿を見かけることすらなかった。

 護衛を担当する者に聞いてみると、いつの間にかいなくなっているのだと言う。誰にしろ唐突な行動はするもので、曲がり角や物陰に潜んでいると一瞬目を離した隙にいなくなっているらしい。

 しかし、夜には必ず寮に戻ってきている。


 その報告を聞いて、どこか疑問を持たなかったわけではない。

 何故どんな手段を使っても探さないのだろうか、とか。


 けれどその疑問を解決するよりも、クリスティーナがまた勝手な行動をしているのだろうと呆れてしまった。昔はよくあったのだ。ノアに探してほしくて、クリスティーナが突然ノアの前から駆け出して勝手にかくれんぼをすることが。


 どこにいるのか不思議には思っても学園からは出ていないはずで。

 寮に入っている彼女は必ず外出届の提出と正門で記録を取らなければならないから、クリスティーナは学園の外には出ていないと判断した。外出届はともかく、正門での記録は王族でも必ず取らなければならないのだ。

 ノアはクリスティーナが護衛から逃げているのだろうと考え、学園内にいるならいいだろうと高を括って、学園の外に出ることがなければ好きにさせておけばいいと言ってしまった。



 それが崩れたのは、婚約者の護衛の報告をきちんと聞いて指示するようになったのは、クリスティーナが毒を吸い込んで倒れたと聞いた後からだ。

 変わったことがあれば必ず連絡をするようにと護衛に言い聞かせ、クリスティーナから絶対に目を離さないようにと命令した。


 あの日見たクリスティーナの瞳をノアは一生忘れることは出来ないだろう。


 クリスティーナはノアを好きで、それは例え天変地異が起ころうとも変わらない事実なのだとノアは思っていた。自惚れていた。ノアはクリスティーナを嫌っていて、それは言葉にも態度にも出ていただろうにクリスティーナは変わらないのだと。

 あの日だけのことなら、クリスティーナはまだ起きがけで目が完全に覚めていなくて夢現にノアを誰かと何かと間違えたのだろうとか、彼女が焦点を当てようとしたのをノアには違う様に見えてしまったのではないかとか言い訳が出来たのかもしれない。


 だが、そんな自分でも違うとわかっていた思いは、叔父の恋とは何かという問いによって跡形もなく消滅してしまった。


 クリスティーナの言葉を一言一句間違えることなく覚えている。


『恋とは病です。勘違いから始まって思い込みという過程を経て真実になってしまう病です。』


 何を勘違いしてどんな思い込みから何が真実になったのだろうか?

 もしかするとクリスティーナがノアに恋をしているという事自体が勘違いだったのだろうか?本当は違う感情だったものを、幼い子供だったから、勘違いをして今それが恋とは別物の感情であることに気付いたのだろうか?


 それこそ何か違うと思っていても、そうだと考えなければ、ノアはクリスティーナから憎しみをぶつけられる理由がわからない。


 一瞬見惚れて美しいと思った表情の中にあった瞳はあの日と同じくらいかそれ以上に鋭く禍々しい憎しみを湛えてノアをしっかりと映していた。

 それがわかっても、ノアは次の瞬間にはクリスティーナの美しい表情に見惚れていた。


 帰りの馬車の中でノアはクリスティーナの瞳を見ることが出来なかった。これまで何度も見たことがあるはずなのに、何故だか無性に気恥ずかしかったのだ。

 それでも下手くそな話題でどうにか話している中、ちらりと見かけたクリスティーナの微笑みはノアが見惚れた柔らかくて楽しげな笑みとは全く違っていた。

 穏やかで優しくて慈愛に満ちていた、淑女の微笑み。


 ノアがこれまで見ていたクリスティーナの微笑みは、笑顔は、偽りのものだったのだろうか。


 ふとした疑問が浮かび上がると、今まで見てきたどれにも当てはまるような感覚がしてきて何が何だかわからなくなった。


『殿下、本日はありがとうございました。』


 そうだ。名前を呼ばれた記憶がない。

 いつから、クリスティーナはノアの名前を呼ばなくなったのだろう。



 クリスティーナが夏期休暇に入っても研究所にいることはノアも報告を受けて知っていた。


 お茶会の日も研究所に迎えに行こうと思っていたが、侯爵家に帰ったことを聞いて侯爵家に迎えの馬車を遣った。

 帰りはどちらに送るべきか迷いながらも、ようやく帰省したのだろうと考えて侯爵家に送り届けた。


 王女を迎えに温室に向かった日は、何故かクリスティーナが王女の案内をしていて、初めて会っているはずなのに妙に親密そうだと遠くから2人の様子を見えてそう思った。

 本当は近くの植物に隠れて2人が何を話しているのか聞きたかったが時間がなかったのでそれが出来ず、2人の前に現れたらクリスティーナは何を考えているのかわからない表情で俯いてしまってノアを見なかった。


 ああ、そうだ。

 いつの間にか、クリスティーナの頭ばかりを見ている気がする。


 あの時わざわざ耳元で言わなくてもよかったのに、こちらを見ないクリスティーナに苛立って、ノアからは決して近付かなかった距離で王妃からの伝言を伝えた。肩をぴくりとさせて少し後ずさる彼女の行動に、ノアは自分でも気付かない程の心の隅で傷ついていた。

 身体が強張りながらも頬を染めるクリスティーナを見て、ノアは少しの満足感と安堵と気まずさを覚え、すぐに背を向けて王女の元に戻った。

 けれどクリスティーナから足早に立ち去りながらも彼女のことを考えて、王女に知り合いかと訪ねると、そうだと答えられた。


 ノアの知らないクリスティーナがまた存在している。


 クリスティーナを知らなくては、とノアは唐突に思った。

 それでもクリスティーナを拒絶していたのはこちらなのに、どうして今はノアの方がクリスティーナを気にしているのだろうかという葛藤があってクリスティーナの元に躊躇してなかなか行けなかった。


 そして、そんな葛藤を抱えている間に、クリスティーナは隣国に行ってしまった。

 国境を越えるには関所を通る必要があり、関所を通るには通行手形が必要だ。それをノアの婚約者であるクリスティーナが手にするには国への、国王の許可が必要だった。

 クリスティーナの護衛を担当する団員たちのリーダーである第二騎士団の副団長から報告を受けたノアはすぐに国王の元に向かった。

 だが国王に聞いてもクリスティーナの隣国行き自体を知らなかった。ギルバート殿に聞いてくると言ってすぐにその場から立ち去り、財務室に行っても生憎入れ替わりになってしまい、その後すぐに側近がノアを呼びに来たので侯爵家に行くことも出来なかった。

 そして、次の日からノアは王都から1番遠い辺境の領での公務が入っていたために結局すぐに訳を聞くことができなかった。


 クリスティーナが1人で行方不明になったと聞いた時に捜索を続けるようにと副団長に命令して、その都度知らされる遅々として進まない捜索に日々不安と苛立ちがノアの心を占めていった。

 ようやく王宮に帰って来てからは、ギルバートとケンジーに会ってクリスティーナのことを聞いてもはぐらかされ続けてしまった。


 まるで何かに取り憑かれたかのようにクリスティーナの行方を追う鬼気迫るノアを見かねたアルベルトとエリザベスには、もう少し落ち着きなさいと窘められた。

 だがそれはノアの焦燥を更に掻き立てる結果となった。


『貴方たちはお互いが行方不明になっても同じことが言えるのですかっ!?』


 感情が高ぶって怒鳴ったノアに2人は驚いて目を丸くした。


 ノアは我に返ってばつが悪そうにその場を立ち去ったが、彼の心がその後も冷静さを取り戻すことはなかった。


 関係のない2人に八つ当たりをしてしまったことに罪悪感を抱いてもノアの不安は膨れ上がるばかりでいっそ自分が隣国に探しに行こうと。

 本気でそんなことを考えていた時。


 クリスティーナが、やっと帰って来た。

 いつもと変わらない元気な姿で帰ってきたと、休暇を終えて王宮に出仕して来たケンジーはノアを訪ねて教えてくれた。


 ノアはほっとしつつも、何故クリスティーナ自身が伝えに来ないのだろうと苛立った。


 ケンジーは珍しく父親のギルバートと共に出仕して、ケンジーは第二騎士団の服をきっちりと着込み、ギルバートも侯爵家当主としての正装をきっちりと着て、隣には前財務大臣のユージニアを連れて王宮へと来ていた。

 その3人の組み合わせを、通りすがる誰もが不思議そうに興味深げに見ていた。


 今日、クリスティーナに会いに行こう。

 ケンジーだけしか会っていなかったノアは、そう思って仕事を早く終わらせようとしていた。早々に執務室に籠っていたため、王宮内の異変をいち早く感じ取ることが出来なかった。


 焦る心を執務で落ち着かせる中、突然、宰相がノアの執務室にやって来て国王の執務室へと連れていかれた。

 そこには既に王妃とアルベルトが神妙な顔をしてノアを待っていて、その場の4人の雰囲気から、ノアは嫌な予感がしていたのだ。


 クリスティーナに早く会わなければ、と理由も無しにそう思った。


 そんなノアの内心を知ることのない国王は、重い口を開いて先程まで起こっていたことを簡潔に伝えた。


『アルデリア侯爵家のユージニア殿の不正が明らかになった。だがギルバートとケンジーはそれに関与はしていないし、ユージニア殿も自ら罪を認めた。そのため、侯爵家は伯爵に降格することにした。また領内を一掃するにも一部を隣の領の管轄にすることに決めた。そして、』


 嫌だ。聞きたくない。

 次の言葉がわかっていても、それを拒絶するようにノアは下を向いた。

 アルベルトはそんな弟の様子を表情を変えることなく窺っていた。


 国王である父親は、国王として言葉を発した。


『第二王子であるノアとアルデリア侯爵家の長女であるクリスティーナの婚約を破棄する。』


 国王の言葉は既に決定されたものだった。


 ノアは呆然としてしばらくその場から動けず、アルベルトに手を引かれるがままに歩き出して気が付けば私室に戻って立ち尽くしていた。

 はっと我に返ると、考える間もなく王都のアルデリア侯爵家の屋敷に向かった。しかし、その時にはもう屋敷の中には誰もおらず、家具さえも片付けられていて、綺麗な空き家になっていた。

 アルデリア元侯爵家の全員が領に帰っていった後だったのだ。






「あら・・・まあ、これは第二王子殿下。このような時期にこのような家にお出でになるとは如何されたのですか?誠に申し訳ございませんが、父と母も兄も現在領地内を駆け回っているのです。本日もきっと遅くなるでしょう。せめて先触れを出していただければ、兄か母だけでも残らせましたのに。」


 クリスティーナの形の良いふっくらとした薄紅が引かれた唇からはすらすらと言葉が流れ出ている。

 困ったように微笑んでいても、その言葉からも瞳からもノアを歓迎していないことは明らかだ。


 クリスティーナは既に婚約者としてノアに接しているのではなく、もはや自分たちからは遠い存在の頭を垂れる者としてノアに接していた。


 テーブルを挟んで向かいに座ったクリスティーナに、ノアは無理矢理笑みを浮かべようとして上手くいかず、結局自分自身でもどんな表情をしているのかわからないままに喋り出した。


「クリスティーナに会いに来たんだ。」


 クリスティーナの完璧な淑女の微笑みが崩れることはない。


 ノアとクリスティーナがいる客間の外、屋敷の中では執事のヘンリーや王都から来た使用人たちが慌ただしく動き回っている。

 クリスティーナたちが元侯爵領、現在は伯爵領に着いてから1週間も経っていなかった。


 騎士団によってユージニアに賄賂を渡していた商会の人間は捕らえられ、ギルバートとシェリーとケンジーは領内を駆け回り、領民を集めて今回の経緯について説明と謝罪を続けている。

 一方のクリスティーナは、屋敷内の不正の全ての証拠とユージニアが隠し持っているお金の捜索をしていた。

 これから祖母の部屋を捜索しようとしたところで、困惑を顔に映し出したままのヘンリーがクリスティーナを見つけて眉をぎゅっと寄せて口ごもり、意を決すように息を吐いて一息で伝えた。


 第二王子のノア殿下がお嬢様を尋ねていらっしゃっています、と。


「クリスティーナに、聞きたいことがあるんだ。」

「誠に申し訳ございませんでした。」


 微笑みから一変して悲しげな表情をすると、クリスティーナは即座にノアに頭を下げた。


「お祖父様の不正を今まで野放しにしてしまったのは、明らかに父と兄の怠慢です。そのせいで私たちが守るべき領民には迷惑をかけてしまい、元侯爵家を信用していただいていた国王陛下並びに王妃様、第一王子殿下と第二王子殿下には面目次第もございません。以後、このようなことがないように伯爵家一同、精一杯努めさせていただきます。」

「・・・・・クリスティーナ。」

「第二王子殿下にも、このような家の娘が仮にも婚約者であったことさぞかしご不快だったでしょう。けれど、もう安心なさってください。私はもう殿下の婚約者などではなく、これから先2度と関わることのない人間でございます。」

「っ・・・・・!顔を、上げてくれ。」


 感情を抑えつけるようなノアの声を聞いて、クリスティーナはゆっくりと顔を上げてしっかりと目の前の元婚約者を見つめた。


 元婚約者の第二王子は、中途半端に光が入ったエメラルドの瞳を揺らしながらも元婚約者だとわざと認識させる言葉を使う、一切の表情を消したクリスティーナを見つめた。

 その肩には力が入っていて膝に置かれたそれぞれの手は固く拳を作っている。


「クリスティーナに、聞きたいことがある。」

「はい、伺います。」


 ノアはしばらくクリスティーナを見つめた後、1度目を閉じて、吐息と共に目を開いた。


「クリスティーナは、俺が婚約者でなくてもいいのか?」


 首を傾げながら酷く緩やかに笑みを浮かべて、今度はクリスティーナが口を開く。


「どのような意味なのかわかりかねます。」

「そのままの意味だ。」

「ではどのような意図を持っているのかお教えいただけますか?」

「意図などない。」


 ノアが腰を上げて、笑みを浮かべたままのクリスティーナに近付いても、クリスティーナは表情も視線の先も変えなかった。


 ノアの右手が優しく彼女の頬に触れようとしている。


「ただ、クリスティーナは俺を好きで俺と結婚をしたかったのではないかと聞いているだけだ。」

「貴方は私を嫌っているのに?」


 冷たい笑みを浮かべたクリスティーナの口からは冷たくて堅い声音が心底不思議そうに問いかけた。

 紙1枚分くらいの距離を残して、ノアの右手は動かなくなる。


 今にも触れそうなその距離からはノアの手のひらの温度がクリスティーナの頬に伝わってくる。

 クリスティーナは、ふふふっと無垢な少女のような笑みを零す。


「私はね、これでも結婚に夢見る乙女なのです。お父様とお母様のように、国王陛下と王妃陛下のように、愛し愛される幸せな結婚をしたいのです。そんな夢物語のような結婚が、貴方と出来ると仰るのですか?貴方は嫌いな女性を愛すことのできる奇特な方だったのですね。」

「・・・・・それは違う。」

「どこが違うのですか?貴方がいずれ自分も手に出来ると思っていた結婚とはそういう結婚ではなかったのですか?」


 クリスティーナが無情にもノアの右手をパシッと払いのけた。


 クリスティーナは下を向いて自嘲するが、ノアには泣きそうにも見えた。


「私は貴方と、ノア様と結婚したかったわけじゃない。私はノア様を好きになったから、ノア様の側にいたかった。好きな人の近くに、誰よりも、どんな存在よりも、ノア様の近くにずっと在りたかった。ねえ、」


 クリスティーナが顔を上げて、ノアをその瞳に捕らえる。


「報われない想いをいつまでも抱き続けなければいけない者の辛さや寂しさを想像できる?実感できる?無理よねごめんなさい。だって、知らないしわからないんだものね。あのね、悪いのは私だってわかってる。嫌われる理由を作ったのは私で嫌われ続ける理由を作り続けたのも私だもの。私がノア様の1番近くにいて同じ感情を同じ世界を誰よりも1番に共有して理解したくて、他人と話すノア様が許せなくて縛って他人に近付いてほしくもなくて威嚇して、私は私の気持ちを1番に考えて押し通してしまっていた。」


 ノアを見つめたまま喋り続けるクリスティーナの瞳から涙が零れ始める。

 目尻に溜まる透明な涙は、瞳の奥の青と共鳴してノアの心を支配していく。


「でも私はノア様を好きだった。ノア様が好きで、1番にずっと考えていて、ノア様にも私のことで心をいっぱいにしてほしいって思った。・・・ノア様にずっと幸せでいてほしいと願ってた。出会った時からずっとずっとずっと!ノア様が私の唯一の人で私がこの人を幸せにするんだってっ!あなたが私の唯一の運命の人で私が誰よりもあなたを好きなんだから誰よりも幸せにできるんだって勘違いして、ずっとそう思ってたからいつしかノア様の唯一の運命の人なんだってっ!そんなのっ、私が何の理由もなく思い込んだだけなのに、私が・・・私だけがノア様を幸せに出来るんだって信じて・・・ずっと、ずっとそう思ってた・・・・っ!」

「っ・・・・・クリスティーナっ!」


 ノアは悲痛な声で元婚約者の名前を叫ぶ。

 しかし、その後に続く言葉が見つけられず、無意味に口を開きかけては閉ざしてしまった。


「例えノア様の運命の相手が私でなくても、私がノア様の運命の相手になりたかった。もしも他に定められた相手がいたとしても、私はそれに成り代わってでも性格とか外見とかが全く別のものになったとしても私がノア様の好きな人になりたいって思ったの・・・!!」


 クリスティーナはノアと初めて会った時に思ったのだ。


 この人が好き。

 直感で強くそう思った。


 好きだから、好き。

 幼いクリスティーナにとっては、ただそれだけで、ノアを想うには十分な理由だった。


 ノアに好きになってもらうには、クリスティーナ自身を変えなければいけないということに気付いてはいた。でも口では別物になってもノアの好きな人になりたかったと言っても、それはもう”クリスティーナ”ではない。

 素のクリスティーナ自身を振り向いて好きになってほしいと思っていた。

 今の自分が本当の自分だともわかっていたから、自らを偽り続けることができるほどクリスティーナは器用ではなかった。


 初めて出会った日から、クリスティーナは毎日毎日ノアのことを考えない日はなかった。

 ずっとノアのことを好きでいるのだと、それは未来永劫変わらない事実なのだと、根拠も無く思っていた。

 クリスティーナの世界にはノアという存在は必要不可欠な存在なのだと、いつしか思い込んでいた。


 ノアがいなくなるならクリスティーナがいなくなるし、ノアが生きていて幸せであってくれるのであれば死さえ厭わない。

 真実そんな人間であることができるほど、クリスティーナはノアを好きでありたかった。


 クリスティーナはノアを好きだった。

 だから、ノアがクリスティーナの唯一の運命の人であってほしいと思っていた。


「私は!本当は、私がノア様を幸せにしたかった!!でももう無理だから、だから幸せであってほしいって・・・・・、ずっとずっとこの先の人生も死ぬ間際だって死んでからもずっと生まれ変わったって、永遠にずっと。」


 クリスティーナはノアに恋をしていた。

 でも、クリスティーナはノアを幸せには出来ないし、どれだけ近くにいてもクリスティーナはノアと幸せになれることは出来なかった。


 ノアを幸せにするのはクリスティーナではないのだとやっと理解することができた。

 けれどこれまでノアを想っていた過去が嘘だったわけではない。

 クリスティーナは確かにノアが()()()()()

 だから、他の誰かが、誰よりもノアを幸せにしてくれることを願って。


 クリスティーナが笑う。

 心から、本当に幸せそうに。


「ノア様の唯一の運命の人が私ではなくて、私の唯一の運命の人もノア様ではないと、気付くのが遅くなってしまって本当にごめんなさい。婚約破棄、おめでとうございます。心から、ノア様の幸せを祈り続けております。」



 ノアの心臓は今にも壊れてしまうほどに激痛を訴えている。





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