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14.黒い実が誘った結末

意味は同じですが『いざなった』と読んでください。


 学園が夏期休暇に入ってもクリスティーナは研究所で過ごしていた。

 そして、目付役でもあった所長がいないことをいいことに新たな実験を始めていた。


 毒のことをエルヴィスから聞いた時、クリスティーナは混乱も動揺もしなかった。


 なるほど、まだ時間はあるから大丈夫かな。

 そう思っただけだ。


 だから、あの赤い実が毒を持っているということを知っていたエルヴィスが泣きそうになりながら謝るなんてことはしなくてよかったのだ。

 あの時、危険が伴う実験においてミスを犯したのはクリスティーナ自身なのだから。

 それに彼女が事前に教えてくれていたとしても、赤い実がどんな過程で毒を持つようになるのかまでは知らなかった。エルヴィスが見たことがあったのは、すでに毒を生成している乾燥させた赤くてしわしわになった実を粉末状にさせたものだった。


 クリスティーナはきっと知っていてもあの赤い実を乾燥させて、自分で食べてみるか様々な毒の耐性を持つ学園長であるリアムに食べさせてみただろう。


 あの時は疲れていてすぐに眠ってしまったけれど、ノアが夜中に少しの時間だけでもお見舞いに来てくれた事実に気付いて歓喜に震えたのは毒のことを聞いて1人になってからだった。

 きっと、リアムから毒を吸ったと聞かされて半信半疑で来てくれたのだろう。まさか婚約者が毒を自ら吸い込むなんて事が、普通は起こりうるはずがないのだから。


 あの赤い実はたった1つでは死に至らない。

 致死量に至るまでには大量の実が必要で、けれど毒を含んだ者には必ず肩に花の形をした赤い跡ができる。含んだ毒は体内で蓄積されていくので、死に至る頃にはその跡は真っ赤に咲き誇る。

 クリスティーナは毒の耐性を持っておらず、しかも一気に大量の毒の煙を吸い込んでしまった。少量であれば薄い跡のはずなのに、誰の目から見ても花の形をしているとわかるほどに毒の証が出来ている。


 致死量ではなかったが、もしこの状態で他の毒を少量でも摂取してしまったらどうなるかわからない。

 エルヴィスはそう言った。


 もし、このまま、毒に侵されて死んでしまったら、まだ婚約者のノアは今までとは異なる最期を迎えるクリスティーナをどんな令嬢よりも馬鹿で憐れな令嬢として覚えていてくれるのだろうか。何十年後かには、クリスティーナという婚約者が死んでくれたから今の幸せがあるのだと思ってくれたりするのだろうか。


 それをエルヴィスがいなくなった医務室でアンジェリカにぽつりと零した時、彼女は真面目な顔をしてクリスティーナに言った。


『貴女、病んでるわね。ヤンデレ・・・ではないか。デレじゃなくて、なんかもう侵されてるって感じ?』


 アンジェリカの言葉の半分は理解出来なかったが、病気ではないかと言われていることはわかった。


 普通の人からするとクリスティーナのほんの些細な思いもおかしいものに見えるのかもしれない。

 だから、これまでノアにはクリスティーナの想いが伝わらなかったのだろうか。


 アンジェリカの言うように、もし病んでるのだとしたら、それこそ一目惚れをしたあの時からずっと病に侵され続けている。


「・・・・・ああ、わかった。」


 クリスティーナは首元を(さす)りながら呟いた。


 ある日偶然出来上がったそれを、ふと思いついて1つだけ口に含み、あまりの苦さに翌日になっても口内の不快感が消えなかったのはクリスティーナが隣国に旅立つ1週間前の出来事だった。


 今日はとてもいい天気で、ローブを被ると更に体温は上がって熱を感じていた。


 クリスティーナが温室から居候させてもらっている研究所の客間に戻り、ローブを脱いでハンカチで汗を拭いている時に鏡に映った左肩を見て気付いた。


 首元の、花の形をした赤い跡が消えている。


 クリスティーナは机の上に置いていた小瓶を思わず見た。

 その中には赤い実が熟れて黒色に変わった実を乾燥させたものが入っている。







「ようこそいらっしゃいました。クリスティーナ様、心よりお待ちしておりました。この度はお嬢様の為にこの国に来ていただいたこと、誠に感謝しております。」


 柔和な笑みを浮かべた老執事がクリスティーナに深く頭を下げる。


 旅行という目的で隣国にやって来たクリスティーナを辺境の宿屋まで迎えに来たのは、エルヴィスの従者だった。年は同じ頃で均整の取れた体躯の良い青年で、若干窮屈そうに服を着ているように見受けられた。


『お嬢様よりクリスティーナ様はご友人と伺っておりましたので、今回お会いできるのをとても楽しみに待っていました。』


 それまでの無表情から一変して微笑んだ時は、軽いときめきをクリスティーナは覚えたものだ。


 その場にアンジェリカがいたならこう言ったことだろう。

 それはギャップ萌えなのよ、と。


 その従者はウィリアムと名乗り、彼はクリスティーナを隣国の王都のとある屋敷まで送ってくれた。

 クリスティーナが乗った馬車は一見すると普通の馬車と変わりなかったが、内側からは窓が空けられないように釘で打ち付けて閉ざされていて、外の様子が見えないように弄られていた。


『窮屈だとは思いますがこれもお嬢様からの指示ですので。』


 扉を閉める時に言ったウィリアムにクリスティーナは笑って、


『大丈夫、何度か乗ったことがあるから。』


 と言うと、彼の眉はほんの少しだけぴくっと動き、僅かに目を逸らしながら扉を閉めた。


 そしてクリスティーナが馬車に揺られて舟を漕いでいる間に老執事が待ち構えていたその屋敷へと着いた。


 屋敷の玄関の前に立っていた老執事は馬車から降りたクリスティーナを見るなり、嬉しそうに破顔させて屋敷の中へと案内した。

 2階の客間へと案内され、長椅子にほっと息を吐いて座ると向かい側に立った老執事と客間の扉近くに立ったウィリアムが顔を見合わせて頷いた。


「この度はこちらの国に来ていただいて誠にありがとうございます。そして、突然お出迎えに行きましたこともお嬢様に代わって謝罪させていただきます。ご同行されていた侍女の方は、クリスティーナ様に書いていただいた手紙と共に王都のアルデリア侯爵家の屋敷へとお送りいたしました。また、こちらの使用人のお仕着せに着替えていただき、無礼なお願いを聞いていただいたことにも感謝しております。」


 老執事は一気にそう言うと、クリスティーナに深く頭を下げた。


 クリスティーナは姿勢を正してそれを聞いていたが、突然謝られたことに慌てた。


「大丈夫ですから、どうか頭を上げてください。ある程度の事情は伺っておりましたし、それでもいいから行きたいと望んだのは私の方なのですから。お忙しい中わざわざお迎えに来てくださったこと、私の方こそ感謝しております。」

「いいえ、本当に、本当にありがとうございます。まさかお嬢様にご友人が出来るなど、勝手な思い込みではありましたが思ってもおりませんでした。クリスティーナ様方のことをお話していただいた時、久しぶりにお嬢様の心からの笑顔を目にすることが出来て私は本当に嬉しかったのです。やはり、まだ生きていて良かった。」


 未だ頭を下げたままの老執事の声も肩も僅かに震えている。


 エルヴィスは大事にされているんだな、とクリスティーナは安心した。



 クリスティーナが隣国に行こうと決めた時には既にエルヴィスは帰国していたため手紙を書こうとも思ったのだが、教えてくれた連絡先は今はまだ使うべき時ではなかったのでアンジェリカからもらった魔石を使って連絡を取ることにした。

 少し長めに切り取ったチェーンの先に通した赤い魔石に触れて、声が届くように祈りながら何度か呼び掛けると、不意にエルヴィスの驚いた声が聞こえてきて、まず驚嘆と安堵で笑ってしまった。魔石は仄かに赤く光っていた。


『夜中にどうしたの?』


 彼女に聞かれて、クリスティーナは思わず外の様子を見てもう夜中になっていることに初めて気付いた。無意識に点したのか、灯りはきちんとついていたので部屋は明るかった。

 だがそんな様子が向こうにも伝わったのか、今度はエルヴィスがくすくすと笑い始めた。

 貴女は変わらないわね、と呟いて。


『隣国に行きたいからエルヴィスの所でお世話になれないかな?』


 単刀直入にそう聞くと彼女は少しの間押し黙って、それは侯爵家の人間として公に行くのかそれとも個人で行くのかと聞いてきたので、あくまでもクリスティーナ個人として行くのだと答えた。


『公爵家の屋敷では無理だから他の屋敷を紹介するわ。私が信用して安全を必ず保証する屋敷だから安心して。それからある程度の自由は構わないけれど基本的にはこちらの言うことを聞いてもらわなくてはいけないわ。衣食住も保証するけれど、でも隣国の侯爵家の人間としての手厚い待遇は出来ないから期待しないで。1人で出来ることを増やしたいって言ってたから丁度いい機会でしょう。貴女は辻馬車で乗り換えながら指定の宿屋で待ってて。信頼している者を迎えに寄越すから、その迎えに来た者の言葉には必ず従って行動して。でなければ、隣国でクリスティーナを見かけても私は何も出来ないし、しないわ。』


 口早に話すエルヴィスに、クリスティーナはわかったと即答した。

 エルヴィスはまさか即答されるとは思っていなかったので、


『本当にいいの?二言はないわね?』


 と、聞き返してしまった。

 しかしクリスティーナは、エルヴィスの言うことは必ず聞くと答えたので待ち合わせの宿屋までの道筋と日程を説明した後、


『その日を過ぎたら迎えには行けない。必ず遅れないように。』


 と念押しして会話は終わった。



「私も、貴方のお嬢様のことはとても大事なかけがえのない友人だと思っています。」


 壁際にいて外の様子を伺うようにじっと扉を見ていたウィリアムがクリスティーナをちらりと見て、今度はふっと微笑んでまたすぐに視線を扉に戻した。


 頭を下げたままクリスティーナの言葉を聞いていた老執事は思わず涙が零れそうになるのを堪えながらも、瞳には堪えきれずに水の膜が張っているのがよくわかった。


 隣国から帰って来たエルヴィスは老執事に会うなり、学園で出会った2人の令嬢についていつもよりも饒舌に話してくれた。小振りな赤い石に触れながら思わず笑ってしまったのだろう笑みは、今やもう見ることのないものだった。

 その現在を選択させたのは他ならぬ老執事だったが、その一瞬だけでもお嬢様にとって素晴らしい人たちに出会うことが出来たのだと理解した。


『クリスティーナに貴方の連絡先を渡したわ。たった1回だけしか使えないと言ってある。だから、もし連絡が来たら絶対に、必ずクリスティーナの力になってほしいの。』

『・・・・はい、必ず、必ずクリスティーナ様のお力になりましょう。隣国に迎えに行くことも厭いません。』


 エルヴィスは老執事に小指を出すように指示すると彼女も小指を突き出して、彼の小指と絡ませた。


『約束をする時に交わす、指切りって言う契約なんですって。アンジェリカが教えてくれたの。』


 そして、老執事はエルヴィスと約束をした。


 そのクリスティーナが突然隣国に来るとエルヴィスが知らせてくるものだから、老執事は慌てて屋敷を一斉に掃除したのだがこの年で1人での掃除はきつかったものだ。もしウィリアムが改めて泊まりに来ると伝えられてもわざわざ掃除はしないだろう。


 お嬢様の友人。

 だから、老執事は出来る限りの歓迎の意を示すために老体に鞭を打って屋敷を綺麗にした。


 クリスティーナが屋敷に到着して中に案内した際に、隅々までピカピカにされて花まで飾ってある屋敷の様子をじっくり眺めて物言いたげな視線を向けてきたウィリアムなど老執事が気にする必要はない。


 また、老執事はクリスティーナのことをお嬢様の友人だからという理由だけで会う前から気に入っていたが、先程の彼女の言葉を聞いて更に好感を持つようになっていた。

 それはずっと外の様子を伺っているウィリアムにも言えることだ。


 "お嬢様"、とクリスティーナは敢えてエルヴィスという名前を言わなかった。

 ウィリアムも老執事も、エルヴィスの名前の代わりに”お嬢様”と言うようにしていた。名前は特定される危険性があるが、お嬢様はこの国を限定しても数えきれないほどにいる。

 エルヴィスは友人2人にも詳細は話していないと言っていたが、もしかしたら友人にはエルヴィスがどんな訳を隠しているのか悟っているのではないかと老執事は考える。


 何はともあれ、クリスティーナはちゃんと2人の意図を汲んで”お嬢様”と言ってくれたのである。


 さすがお嬢様のご友人、とでも言うべきか。


 老執事は深く呼吸をしてゆっくりと頭を上げると、目が合った瞬間にクリスティーナは楽しそうに笑った。


「それでは、この国ではクリスティーナ様のことを恐れながらリズと呼ばせていただきます。」

「ええ、よろしくお願いいたします。私はお嬢様のことをエル様と、なるべく小声で呼ばせていただきますね。」


 愛称はセカンドネームから、というのがこの国の常識である。

 エルヴィスの愛称はヴィオラであり、クリスティーナがエルと呼んでも誰もエルヴィスのことを呼んでいるなどとは思わない。誰もがセカンドネームにエルを連想する名前を入れている者を思い浮かべるだろう。例えば、この国の第一王子であるルイス・エルマー・クラッスラ、とか。


 本当に素晴らしいご友人が出来て良かったと、老執事はこの日何度目かの感動を噛み締めた。








 ケンジーは周囲の様子をさりげなく伺いながら王宮内を歩き、これから1週間の休暇を取るために早く王宮から去ろうとしていた。


 この1週間の休暇を使って、アルデリア侯爵家の行く末を決めるために父親のギルバートと母親のシェリーと話し合いをしなければならないからだ。ケンジーは既に両親に自分の最終的な意向は伝え、両親もそれに賛成してくれていた。


「ケンジー!」


 ちっ、と舌打ちしそうになるのをケンジーは堪える。外面を偽っているわけではないのだが、普段ケンジーは舌打ちをするような人間ではない。

 出来るなら今は会いたくなかったのに見つかってしまった。


 ケンジーは立ち止まって1度目を閉じて、焦燥を安定させてから背後から駆け寄ってきているだろう第二王子のノアを振り返った。


 振り返った先に見えたノアは焦ったような迷っているようなどこか頼り無さげな顔をして、ケンジーの目の前で止まった。


「お久しぶりです、ノア殿下。どのようなご用件でしょうか?これから休暇なので、とても楽しみにしているのですが。」


 笑顔で言いながらも、言外に早く終わらせてくれという意図を伝えることも忘れない。


 その意図をちゃんと汲み取ったノアは、いつもは温厚なケンジーが焦っているのだと悟った。

 ケンジーを探して騎士団に行くと、ケンジーが所属していた騎士団長から明日から休暇で足早に帰っていきましたよと言われて追いかけてきたのだ。後ろ姿からも足早に王宮を去ろうとしているのが見て取れたので慌てて呼び止めた。


「聞きたいことがあるんだ。財務大臣とも忙しくて時間が合わず、ケンジーも昨日まで遠征訓練に行っていたから聞くことが出来なかった。」

「そうなのですか。それは何でしょうか?私で答えられることでしたら、すぐにお答えしましょう。」

「・・・クリスティーナは、元気だろうか?」


 それまで笑顔だったケンジーの表情が険しくなり、迷い子のような表情をしていたノアを見据える。

 それを真正面から受けたノアの心がかちっと定まり、先程までの言葉の迷いが嘘のようにすらすらと言葉が流れ出ていく。


「クリスティーナがどこにいるのか、ケンジーは知っているのだろう?隣国に行ったことは知っている。だが隣国のどこにいるのかまではわからない。」

「申し訳ございませんが、それはお答えすることは出来ません。」

「彼女とその侍女らしき女性2人を乗せた辻馬車が隣国との国境の関所まで送り届けたことはわかっている。2人がその関所を通るのを確かに見送って引き返したと、辻馬車の御者は証言している。」

「ノア殿下、申し訳ございませんが私も時間が無いのです。」

「隣国の国境のシルレイク領の宿屋で彼女たちに似た女性が泊まっていたという証言も掴んでいる。だが2人の女性が泊まっていたはずなのに、翌朝出てきたのは1人だけだったと。連れはどうしたのか聞くと、身内に不幸があったから朝早くに置き手紙を残して家に帰ったのだと残った女性はそう言って、何処から手配したのか中年太りの男性が御者を務める馬車に乗って行ったとも言っていた。御者を調べても宿屋の人間は皆揃えて中年太りの男で不細工な鼻をしていたと言って、馬車のことを聞いてもそこらへんの馬車と何ら変わりない馬車だったと言う。けれどそこからクリスティーナの足跡が掴めない。3日前に関所をクリスティーナと共に通った侍女が1人だけでこちらに帰ってきていることも侯爵家の屋敷にいることも知っているんだ。」

「殿下。」

「クリスティーナはどこにいる?彼女は無事なのか?どうしてケンジーは侯爵家は1人で彼女を隣国に行かせたんだ?その様子だとケンジーたちは今クリスティーナが1人で行動していると知っているんだろう。どうして彼女が1人だと知っていて探して連れ戻さない!?彼女に何があったらどうするんだ!彼女は侯爵家の大事な娘で、私の婚約者だろうっ・・・!!」


 一気に言い募って呼吸を荒くするノアを、ケンジーは静かに見つめていた。

 周囲には誰もいないのか物音1つ聞こえない。


 ケンジーはノアの呼吸が整うのを待ってから口を開いた。


「ノア殿下。誠に申し訳ございませんが、今現在のクリスティーナの居場所について、何をしているのかについて貴方にお答え出来ることはありません。しかし、クリスティーナは無事です。もう少しで帰ってきますので、何もご心配されることはありません。」

「それはお前の視点からの発言だろうっ!」

「当たり前です。私は全ての問い掛けに対して、相手の観点から答えようとする努力は出来ても相手と全く同じ観点から言葉を導きだすことは出来ません。」

「だからっ!そういうことを」

「そういうことを聞かれているわけではないことはわかっています。だから、今現在、私が答えられるとしたら2つだけです。クリスティーナは無事であること、クリスティーナ自身が望んで隣国に行って現在の状況も彼女が望んだことであること。」


 ノアが目を見開いてケンジーを見た。



 クリスティーナは隣国に行く前に王都のアルデリア侯爵家の屋敷に戻ってきていた。王宮のお茶会へと招待された2日前のことだ。

 その日、クリスティーナは家族と執事のヘンリーを集めて隣国に行くことにしたのだと伝えた。勿論、ケンジーも両親も大反対した。しかも侍女1人だけを連れて行くなど、そんなことをはいそうですかと易々と承諾できるはずがない。


『でももう学園長には手配してもらっています。』


 それを聞いたギルバートはすぐさま立ち上がり、リアムのいる学園へ向かおうとした。


『お父様、学園長は明後日まで他国におります。この国にはどこを探してもおりませんよ。』


 ギルバートは平淡に伝えた娘を思わず睨み付け、くそっ!と拳で自らの腿を叩いて席へと戻った。


 シェリーは夫と娘を心配そうに交互に見ていたが、やがて娘へと疑問を口にした。


『どうして急に隣国に行くの?せめて護衛を付けてくれたらまだいいのよ?』

『シェリー。』

『でも、あなた。クリスティーナは本気で言っているのよ。そうでしょう?』


 母親の問いかけにクリスティーナは困ったように微笑んで同意した。


『勿論です、お母様。』

『クリスティーナ!』


 諫めるように自分の名前を叫ぶ父親をクリスティーナは真っ正直から、真っ直ぐに見つめた。

 その瞳に宿る意志の強さにギルバートは思わず心が怯んだ。


 あんな娘の目は1度も見たことがない。


『お父様、どうかお許しください。必ず侯爵家に無事に帰ってくることを誓います。決して危険な真似はしませんし、もし危険な場面に遭遇しそうになった時はすぐに逃げ出します。ご迷惑はかけません。大丈夫ですよ。学園に入学してから、私は随分と走ることが得意になりましたから。』


 そんなことは聞いてないと、ケンジーは思った。誰もクリスティーナの走りが速くなったことが聞きたいわけじゃない。


 ギルバートはクリスティーナを呆然と見つめていたが、シェリーは久しぶりに会う娘の成長を間近に感じて感動していた。


 もう無理だと、ギルバートと共に諦めていた矢先に出来た待ち望んでいた女の子。ケンジーにとっては歳の離れた幼いかわいい妹。ユージニアにとっては王族の婚約者候補として育てることが出来る、自分の血を受け継いだ孫娘。

 それぞれがそれぞれの思いを持ってかわいがっていたが、ユージニアの影響を1番受けて傲慢に育ち、接する時間が少ないからと甘やかしていたが故に自分が1番優先されるべき人間なのだと勘違いしたまま育ってしまった。

 そして初恋の人に振り向いてもらえていないとわかっていても、婚約者という立場に甘んじた言動で彼女自身の評価を下げ続けていた。


 正論であることをちゃんとわかっているからなのだろうか、クリスティーナは人にとやかく言われるたびに癇癪を起こして反発するような子供だった。


 1年前に突然領に帰ったかと思えばユージニアの不正の証拠を持ってきて、学園で学びたいことがあるからしばらくは好きにさせてほしい、人材の確保が出来るまででいいからまだ国王陛下には伝えないで、最後に時間を下さいと頼み込んで来たのには本当に驚いた。

 その時のクリスティーナもなんとなく大人になったような感じがしていたけれど、今回もまただ。


 大人になったのだ。いや、なりつつある。

 それはどこか寂しい気持ちもするけれど、それを見送ることも親としては必要なのだ。


『かわいい子には旅をさせよ、なんて言うものね。』

『シェリー!?』


 隣に座る妻の呟きにギルバートは驚いて味方だと思っていた妻を振り向く。

 するとシェリーは驚愕する夫を安心させるように微笑んで、成り行きを静かに見守っていた息子と執事を順に見て、最後にやはり不安そうにこちらを見ていた娘をしっかりと見据えた。


 クリスティーナは母親の視線に気付き、真っ向から意思を強く宿した目を合わせた。


『いいわ。クリスティーナ、許しましょう。貴女が無事に帰ってくるのであれば、隣国に行くことを許します。けれど、これだけは守りなさい。必ず私たちの元に戻ってくること。』

『はい、必ず。』

『ある伯爵家の三男の助手がね、絶対って言い聞かせても1日も経たない内に約束を破ってしまったのですって。何が原因かは知らないけれど、使者から知らせを受けた時に甥があのくそが!って珍しく本気で怒ってたってあそこの伯母様とこの前話した時に聞いたわ。クリスティーナはそんなことがないようにしましょうね?』

『うっ!・・・・・はい。』


 クリスティーナはにこやかな笑みを浮かべるシェリーから恐る恐る目を逸らして返事をした。

 聞き役に徹している男たちは侯爵夫人の迫力に恐れを抱きながら、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。


『声が小さくて聞こえないわ。クリスティーナ?』

『はい!出来る限り守ります!必ず手紙を書きますから!』

『・・・よろしい。クリスティーナが何を考えているのか私たちはわからないけれど、必ず私たちの元に戻ってくることを誓うのならば、ある程度のことは目を瞑りましょう。王弟殿下もきっと力になってくれるでしょうから。』


 そして、クリスティーナは本当に侍女1人を連れて隣国へと向かった。

 しかし、早々に侍女が1人だけで侯爵家へ泣きながら戻ってきたことは皆がさすがに想定外だった。


『突然現れた輩に眠らされたのです!』


 侍女はそう泣き叫びながら崩れ落ちたが、彼女はクリスティーナの手紙を持っていて、その手紙の筆跡は確かにクリスティーナのものだった。


 中身は、秘密の友達に会いに行くから侍女は連れていけないこと、侍女を怒らないでほしいということ、自分は大丈夫だから安心してほしいこと、隣国での衣食住も確保済みであること、必ず帰ってくるということ。


 手紙を読んで慌てて出ていこうとするケンジーとヘンリーを止めたのはシェリーだ。


『クリスティーナは私たちに誓ったわ。必ず戻ってくると。クリスティーナを信じましょう。』

『しかし、』

『大丈夫よ。女性はね、確かにか弱い方が美徳とされるけれどいざとなれば男性より強いのよ。だって、例え男性に押し迫られたとしても蹴りあげればいいのですもの。』


 それはとても素晴らしいきらきらした笑顔だった。

 ケンジーとヘンリーは思わず身震いしたが。


『大丈夫。クリスティーナはちゃんと無事に帰ってくるわ。』



 ついこの間起こった出来事を思い出しながら、ケンジーは呆然としているノアを不思議に思って見つめる。


 ノアは既にクリスティーナを嫌っていて、もはやそれは変えることのできない事実だと思っていたが違っていたのだろうか?それとも学園で何かあったのだろうか?ケンジーはクリスティーナが学園に、研究所にいる間どんな生活をしていたのかまでら知らない。ケンジーの知らない間に、ノアがクリスティーナを隣国に調べていってまでも気にするほどに気持ちが変化する出来事があったのだろうか?


「クリスティーナ・・・・・。」

「っ!」


 ノアが呟く声音に驚いて、ケンジーは信じられない気持ちで目の前で立ち竦む妹の婚約者を凝視する。


 ノアはケンジーから視線を下げて、エメラルドの瞳には地面が映っているはずなのにまるでそこにいない存在を見ているようにも思える。


「失礼いたしますっ・・・!」


 早く立ち去らなければならない。

 ケンジーはそう思い、ノアに頭を下げると同時に背を向けて逃げるようにその場を後にした。


 クリスティーナは無事だ。

 もうすぐで帰ってくると、2度目の手紙が昨日送られてきた。


 そして、アルデリア侯爵家の問題も既に解決できるように手筈は整っている。

 この半年でケンジーとギルバートは、領の経営に関しての代わりの人材確保ばかりに時間を割いてきたわけではない。

 ずっとユージニアの右腕である執事のマイケルを説得してきた。マイケルはさすが祖父の右腕らしく一筋縄でいかなかった。だが、不正の証拠は持っていることとユージニアの罪が日々重くなって財務大臣として国に貢献してきた彼が無惨な最期を迎えてもいいのかと、半ば脅しのような文句を使いながらこちら側に心が傾くように説得を重ねていた。


 そして、ようやく、つい最近になってマイケルから了承を得た。裁判になった暁には、ユージニアの不正を手伝った者として証言台に立つことを。

 そしてもう1つ、ユージニアにギルバートとケンジーを取り成すことを。

 この休暇を使って2人はアルデリア領に戻り、ユージニアに罪を認めるように説得する。


 そしてクリスティーナが帰国したら、クリスティーナに準備は整ったと伝える。



『侯爵家の問題が本当だと知れ渡ったら、私たちが罪人ではなくても、私はもう王族の婚約者ではいられなくなる。私の方から婚約を破棄する理由をあげるの。そうしたら、ちゃんとノア様は正統に婚約破棄できるわ。そうしたら心から笑ってくれるかしらね?ノア様は嬉しいと思ってくれるかな?ノア様は・・・・・。』


 ケンジーの元に不正の証拠を持ってきた日に、クリスティーナは兄にそう言った。


 哀しそうに嬉しそうに泣きそうな表情と楽しそうな表情を繰り返しながら、最後には相手が何を考えるのかわからないと同意を求めるように兄に微笑んで。


 クリスティーナの呟きとノアの呟いた声音は、限りなく近い感情がこもっているように聞こえた。

 ただ違うのは、クリスティーナはノアの考えをある程度予想出来ていたようだが、ノアはクリスティーナの考えていることが全くわからずに予想すらも出来ないで心底困っているかのようだったことだ。








 クリスティーナは無事に国に帰って来た。


 その知らせを聞いた時、ノアはほっとしながらも何故自分に知らせに来ないのかと苛立った。


 その知らせを聞いた直後のことだ。


 アルデリア前侯爵のユージニアが領の経営において不正を行っていた。

 賄賂を受け取り、一部の商会にかけていた税を下げて優遇していた。または粗悪品であることを知っていながら見逃していた。税の収入を正規より低く記して、余剰分を自らの懐に入れていた。それを財務大臣を辞任して、息子であるギルバートに補助を申し出て領経営を全面的に任せられるようになってからずっと続けていたこと。


 謁見の間で国王にそう伝えたのは、現当主であり現財務大臣のギルバートとその息子で第二騎士団所属のケンジー、そして当人のユージニア。


 国王はユージニアの不正に驚いていたが、それ以上に不正を働いていた本人が国王の前で罪を認めてどんな罰でも受ける覚悟はあると宣言したことに驚いていた。


 ギルバートは国王に奏上した。

 着服していた金額の返済、粗悪品を持っている者には現物と交換すること、その後の財務大臣辞任と侯爵位の返還、代わりに領を経営するに相応しい人物の名前を挙げて人材は確保済みであること、そして第二王子ノアとクリスティーナの婚約破棄。


 国王は宰相と相談した後、平身低頭に謝罪を続ける彼等に告げた。


 まず着服していた金額の返済と粗悪品の交換はすること。そして、ギルバートを財務大臣から解任し、爵位は伯爵に降格。領を今までよりも小さくして隣接する領の管轄にすること。しかし、領民からの意見があれば考え直すこと。今すぐに領に戻って、領内の浄化に努めること。ユージニアは牢屋に入れること。

 最後に、第二王子ノアとアルデリア侯爵家の娘であるクリスティーナの婚約を破棄すること。





 ノアが急過ぎる出来事に驚いている間に、王都のアルデリア元侯爵家の屋敷はもぬけの殻になっていた。





整理すると、

クリスティーナ、赤い実の毒を吸い込む。

アンジェリカに病んでると指摘される。

クリスティーナは黒い実に解毒作用があることに気付く。

隣国に行くことを決める。

王宮でお茶会の開催。

恋とは、とリアムに聞かれる。

数日後にクリスティーナは隣国に旅立つ。

夏期休暇の間に隣国に行って帰ってくる。

クリスティーナが帰国して、侯爵家の罪の告白。

ノアとクリスティーナの婚約破棄。


時間が入り乱れているのでわかりにくかったらすみません。

また侯爵家の処分については作者の想像なので、厳し過ぎるのか甘過ぎるのかわかりません。すみません。

多分ですが、閑話含めて全28話くらいで完結予定です。

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