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13.王弟殿下の問い

 


『今度、王宮へ来るようにと。エリザベス様とお茶会を、と王妃様からのご招待だ。』


 一通の招待状には王妃からの直筆で、久しぶりに3人でのお茶会を開こうと思うのでクリスティーナもいかがですかと、とても綺麗な文字で書かれていた。


 王都の侯爵家の屋敷に届いたそれを研究所まで持ってきてくれたのは兄のケンジーだった。

 その時に、ケンジーの婚約が破棄になったことを聞いた。

 婚約相手は3歳下の伯爵家の長女で4年前に決まったものだった。あまり会いに行けてはいなかったが、贈り物や手紙は欠かしていなかったし、参加できる夜会では必ずエスコートをしていた。とても仲が良いとまではいかなくても、友人のような良好な関係を築けていたはずだった。


『幼馴染にね、子爵家のご子息がいたんだよ。お互いに初恋でどうしても諦めきれなかったんだって。駆け落ちまでされたらこちらも考え直すしかないだろう?彼女に特別な想いは抱いていなかったし、これからのことを考えるとまだ独り身の方がいいと思って。』

『・・・・・ごめんなさい。』


 痛みに耐えるように目を伏せた妹の頭をケンジーは優しく撫でた。


『どうしてティーナが謝るんだ?ティーナには本当に感謝してる。お父様と私では、あの証拠を見つけることは出来なかった。』


 幼い頃から変わらない、妹の柔らかな頬を包み込むように手をあてて顔を上げさせる。

 悲しそうな目をするクリスティーナを安心させるようにケンジーは笑顔を浮かべた。


『まさかお祖父様が仲の悪かったお祖母様の部屋の引き出しに隠してるなんて考えもしなかったよ。』


 クリスティーナも無理矢理、笑顔を浮かべた。

 それを見て、兄は妹の頬から手を離した。


『引き出しの細工はお祖母様が作った物らしいけど、お祖母様が亡くなって部屋を片付けようとした時に見つけたのだと思う。』

『それを利用したわけか。お父様はお祖母様が好きだったから、お祖母様の部屋をそのまま残すと言われた時は泣いて嬉しがっていたからな。』

『そうなのね。お祖母様が亡くなった時、私はまだ小さかったから知らなかった。』

『お前はユージニアお祖父様に可愛がられていたからな。』

『・・・お祖父様は、野心の強い方だから。』

『ああ、そうだな。その野心が、領内の経営を健全に栄えさせることに向いていれば良かったのに。お金に執着するようになるなんて。』

『・・・・・私は、お父様やお母様にじゃなくて、お祖父様に似てしまったのね。』


 はっとケンジーが気付いて口を開きかけるが、言葉を選ぶ内に時間が経ってしまい、結局何も言えなかった。

 兄妹の間に、暫く沈黙が流れる。


 クリスティーナが気まずげに招待状を握り締める姿に何を思ったのか、ケンジーはおもむろに口を開いた。


『・・・クリスティーナが急に大人になったこと、私もお父様もお母様もみんなわかっているよ。最初は良い変化だって思っていたけれど、私は、大人になり過ぎたクリスティーナが心配だ。』


 クリスティーナが兄を見上げると、妹の心の疑問を読み取ったのか更に続けた。


『ティーナは私たちに秘密にしている事があるだろう?それを身の内に溜め込んで、多分きっと私たちには言いたくないのだろうけれど、身の内に溜め込みすぎていつか爆発してしまうんじゃないかと心配してるんだ。抑え込もうとすればするほど囚われてしまうことはあるからね。』

『お兄様はそのような経験があるのですか?』

『いや?無いよ。私は諦めがいいからね。なんていうか・・・、自分の範囲外のことになるとどうでもいいんだ。きっと他人(ひと)に説明しても理解してもらえない、自己中心的な自分の範囲外の定義になるからね。』


 その点では私とクリスティーナは似ているのかもしれないね、とケンジーは自嘲気味に笑った。


 クリスティーナは真面目に兄の話を聞いていた。

 これまでの人生では聞いたことのない、兄の話だったからだ。


『だから、真面目にとことん向き合うこともそれはそれで大事なことで、必要なことだということは理解している。けれど、ぽーんと自分が責任を持てる範囲のずっと外に放り投げて見て見ぬ振りをして勇気を出して走り去って行くのも、1つの解決法なんだと兄から妹への助言だよ。』

『・・・・・それはいわゆる逃げなのでは?』

『そうとも言うかもしれない。逃げかそうでないのかは本人が判断することだよ。少なくとも私はその解決法に世話になっている。・・・少し大袈裟には言ってしまったけれどね。』

『・・・・お兄様は、今回は、私のことをお兄様の範囲内に留め置いてくれる?』


 ケンジーは目をぱちぱちさせて、次の瞬間にはクリスティーナを優しく抱き寄せた。


『もちろんだよ。私の大切なティーナ。』








 王宮からクリスティーナを迎えに来た馬車は、クリスティーナとその侍女の2人を乗せて王宮へと向かった。

 その馬車の中で従者からノアの不在について理由を話されたクリスティーナは、おどおどと挙動不審な若い従者の様子を観察しながら、話し終えても焦って怯えた顔をする彼ににっこりと微笑んだ。


 青年は最近、ノアの側近の1人になったばかりだった。

 彼は先輩の側近から、ノア殿下の婚約者であるクリスティーナ・アルデリア侯爵令嬢がどれだけ短気なのか聞かされていた。第二王子と婚約者の不仲である話は彼も知っていて、けれども婚約者はノア殿下に一方的にご執心であることも知っていた。

 さすがに叩かれたり鞭打ちはないだろうと思っていても、自分より年上で殿下の近くで長く働いている人間の言葉は気にしてしまうものだ。

 今回初めてその噂の婚約者の相手をするとなれば尚更に。


 びくびくしながら、迎えに来るはずだった殿下が急な公務でと説明し終えると、それまで無表情だった侯爵令嬢はまるで薔薇が咲いたかと錯覚してしまうほどに見惚れる笑みを浮かべた。

 青年は思わずさっと顔を伏せてどきどきと高鳴る鼓動を落ち着かせようと深呼吸する。


 その様子を侯爵令嬢の隣に座っていた侍女が冷めた目で見ていたことには気付かないまま、3人を乗せた馬車はやがて王宮へ着いた。



 クリスティーナは王宮の庭園へと案内され、テーブルと椅子が用意されたそこには既に王妃とエリザベスが2人で楽しそうに談笑していた。


 クリスティーナに気付いた王妃が満面の笑みで名を呼ぼうと口を開きかけ、彼女の後ろに立っている存在に気付いて目を丸くした。

 エリザベスも王妃の様子に気付いて振り向き、驚いて目を丸くする。


 何も知らないクリスティーナは2人の様子を不思議に思い、視線の先を辿ってようやく後ろを振り向いた時と王妃が名前を呼んだのは同じ瞬間だった。


「リアム!」


 リアムと呼ばれた人物は王妃にゆっくりと頭を下げ、驚いてはいるものの訝しげな目をしているクリスティーナにいたずらが成功したと言わんばかりの笑みを向けた。


「お久しぶりです。王妃様。エリザベス嬢とクリスティーナ嬢も、少し見ない間に随分と成長しているようですね。」


 リアムは喋りながらも、クリスティーナに腕を差し出してエスコートしながら王妃とエリザベスの元に彼女を連れて行った。


 3脚しか用意されていなかった椅子はすぐにもう1脚用意され、お茶の用意がされたテーブルに王妃、エリザベス、クリスティーナ、そして現国王の弟であるリアムが席に着いた。


「王弟殿下がこちらにいらっしゃるなんて珍しいですわね。」


 エリザベスは素直に驚いて、クリスティーナの隣に座るリアムを見ていた。

 リアムは近くの侍女を呼び寄せて何か伝えてから、王妃にまた報告を兼ねたような挨拶をしていた。


「学園も夏期休暇に入ったし、この前まで王都から離れていたからね。国王陛下が顔を出せ会いに来いと煩いから、久しぶりに仕方なく王宮に足を運んだのだよ。」

「ここ何年もまともに陛下の元に来られないからでしょう?いくら仕事が忙しいからって、他国にいるから夜会には出られません、自分は王位継承権は捨てましたからって断り続けて、やっと来たと思ったら最初に定例文通りの挨拶だけして帰っちゃうんだもの。貴方、もう少し陛下と私にも時間を割くべきだわ。」

「そうですねぇ。それがご命令とあらば喜んでお受けいたしましょう。私から仕事を奪って何が残るのか、見物ですね。」

「まあ、家族なのに!」

「私は自分の身よりも仕事を大事にしているのですよ。なのに家族とやらがどうして仕事より優先すべきものなのですか?」


 心底不思議そうに聞くリアムに王妃は大きくため息を吐いて呆れる。

 昔からこの人は変わらない。


「リアムは王族として生まれたのだからそう考えるのは当たり前だけれど、陛下でさえも私と子供たちには時間を作ってくれてるわ。貴方はまだ独り身なのだから、貴方の家族は私たちでしょう?」

「まあ、そうとも言うのでしょうね。」

「仕事が大好きなリアムのことだから、それはそれは真剣にこの国の為に働いてくれていることはわかってはいるけれども。せめて、陛下のお誕生日と年始のパーティーくらいは顔を見せに来なさいな。」

「そうですねぇ・・・。時間が合えば、是非行きましょう。」


 柔らかい笑みをたたえながらリアムは答えた。


 王妃はその答えに不満そうにしながらもこれ以上言っても返事は変わらないと悟ったのか、恨めしそうにリアムを見ただけでお菓子を1つ摘まんだ。


 クリスティーナは紅茶を飲みながら目の前で交わされるやり取りを聞いていて思った。


 聞く気が全く無いな、殿下は。

 あの柔らかい笑みを浮かべている時はいつもそうだ。

 あの気持ち悪い顔はどこから持ってくるのかと、よくぼやいている人を知っている。


「エリザベス嬢はお変わりありませんか?」

「ええ、王弟殿下。殿下はいつもお忙しそうですね。この前の学園のパーティーの時も前日はいらっしゃったのに、当日に突然いらっしゃらないだなんて驚きました。」


 リアムは学園での学期末のパーティーで生徒たちに挨拶をするはずだった。その挨拶の件でノアが前日に確認に行った時には、ちゃんと時間は空けてあるから大丈夫だと言っていたのに。

 当日になってアルベルトとノアとエリザベスの前に現れた王弟殿下は、


『ちょっと急用が出来たから出掛けてくるよ。』


 と、アルベルトの制止も聞かずに飛び出していって本当に戻ってこなかった。


 なんだかんだ言っても戻ってくるだろうとエリザベスたちは思っていたのだが、本当に戻ってこなかった。今年の入学式の時も隣国に旅立っていて戻って来ず、全生徒の前に顔を出すのはこれが初めてだったのに、また学園の生徒は学園長の顔を見ないで終わった。

 2年生以上はいい。学園長を1度は見たことがあるし、学園長がよく学園から離れていることも知っている。

 けれど、1年生は入学してから1度も学園長を見ていない。入学式の一件からよく学園からいなくなる人だと上級生から伝わっているとしても、さすがにどうなのかと思っているのではないかとエリザベスたちは考えている。


 王弟殿下であるリアムが学園長であり、研究所を束ねる存在であることは皆が知っている。研究所に所長はいるが、いわば彼が事務仕事を受けて、リアムが外に出掛けて植物を採集するという役割を担っているのだ。


「それは本当に申し訳ないと思っているよ。前から気になっていた植物が見つかったと連絡があってね、いてもたってもいられなくなったんだよ。」

「・・・・・わかりました。ところで、クリスティーナ。体調を崩していたのでしょう?ノア様からは貧血で倒れたから大事を取って休ませたと聞いたけれど、大丈夫だった?」


 全く反省の色を示さないリアムを横目に話を切り上げ、エリザベスが心配そうにクリスティーナを見た。

 その言葉に王妃も息子たちから聞いて心配していた出来事を思い出す。リアムが急に現れたため、関心がそちらにいってしまっていた。


「そうだわ。クリスティーナ、体調が悪くなったらすぐに言って頂戴ね?倒れるまで我慢するのは良くないわ。」

「はい。エリザベス様、王妃様、ご心配をおかけして誠に申し訳ございません。以後あのような事がないように努めたいと思います。」


 クリスティーナが安心させるように笑うと、2人はほっとしたように安堵の表情を浮かべた。


 隣の王弟殿下は何も聞いていないかのようにカップに口を付けている。

 クリスティーナも内心の動揺を悟られないように、カップに手にした。


「・・・・・本当に、クリスティーナは変わったわね。」

「え?」


 ぽつりと一人言のような王妃の呟きに反応したのはエリザベスだった。その呟きはクリスティーナにもリアムにも聞こえていたが、2人は聞こえていない振りをした。


 王妃の目は複雑そうに揺れていた。


「だって、今までならこんなこと・・・・・・あら、ごめんなさいね。考え事が表に出てしまったみたいだわ。聞かなかったことにして。」


 初めの言葉は本当に小さな呟きで微かにしか聞き取れなかったけれど、クリスティーナにはしっかりとどんな言葉を言っていたのか理解できた。

 それまで表面上の笑みを浮かべていた彼女の顔から一切の感情が消えて王妃を見た一瞬の凍てついた視線に気付いたのは、ずっとクリスティーナの様子を伺っていたリアムだけだ。


 王妃のある種の無邪気さは眩しくもあるし、時には非常に残酷だ。


 リアムの苦い想いは今は過去の思い出に変わり、それを引きずっているから今も独り身というわけではない。

 青年期からリアムの生き甲斐は各国を飛び回って見知らぬ植物を見つけることだった。

 そもそも第二王子として、外交官として、リアムは青年の頃から外国にいることが多くなった。そこで彼は本国では見かけなかった植物の種を片っ端から持ち帰った。どんな姿形を経て育つのか、そこに興味があったからだ。

 それがやがて趣味と認識されて、彼の持ち帰った植物が学園の温室で育ち過ぎて研究員たちは喜び、リアムは研究所の形だけのトップとして認識されてしまい、だったら徹底的にということで各国を飛び回っていたら結婚という考えがいつの間に頭から消えていた。


 国王陛下には2人も子供がいるのだから自分が作らなくてもいいだろう、むしろ不安の種が生まれないのだからいいのだ、と周囲に言っても学園に帰ってみれば送られてきている紹介状には呆れてしまう。


 リアムから見て、国王と王妃の夫婦仲は世の理想なのだろう。

 だからといってそれをリアムにも押し付けられても困るのだが。


「そう言えば、アルベルト様とノア様は急な公務が入られたとか。」


 何も気付かなかったエリザベスは王妃の言葉通りに話を変えて、その時にはクリスティーナはもう元の表情に戻っていた。


「公務というか、陛下に呼ばれて少しお話をしているみたい。もうすぐで・・・・あ、来たみたいね。」


 王妃の目に従者を伴った息子2人がこちらに歩いて来るのが見える。


 アルベルトはエリザベスと目が合ったのか、自然と笑顔になって手を振った。

 けれど隣のノアは、心なしか暗い顔で紅茶を飲んでいるクリスティーナをちらちらと見ている。


 久しぶりに招待したのだけれどよっぽど会うのが嫌だったのかしらと、王妃は考える。

 夏期休暇に入ってからお茶会を開催するのはいつもしていたことだ。リアムが突然来たことは初めてだったが、こんなこともあるのだろう。


「叔父上、お久しぶりです。」


 にこにこと、清々しいほどにこにこしながらアルベルトはリアムに挨拶をした。

 そんなアルベルトと同じように、リアムもにこやかな笑みを浮かべる。


「久しぶりだね。この前は悪かった。次からは気を付けるよ。」

「ええ、是非ともお願いしたいですね。」


 次からは、でなくて入学式の時から気を付けてほしかったとアルベルトは思う。いや、これで何度目だ。


 アルベルトとノアが王妃の近くに行き、国王からの伝言を伝え終わるのを待って、リアムは口を開いた。


「ところで、今日このお茶会にお邪魔させてもらったのは研究の参考としてみんなに聞きたいことがあったからなんです。王妃様、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、いいわよ。」


 王妃の承諾にリアムは椅子から立ち上がり、一歩下がって5人を見渡した。


「王妃様、まずは貴女に伺います。王妃様にとって、恋とは何ですか?」


 突拍子の無い問いに皆一様に目を丸くして、さあと大袈裟に手を振って答えを促す王弟を見る。


 いきなり何を言い出すのだろうと4人の思いが一致したのは言うまでもない。


「皆さんの疑問はわかるのですが、真面目に答えてください。ちなみに、私にとっての恋は感情の錯覚ですね。」


 リアムの答えに王妃は不愉快そうに眉を寄せた。


「それは違うわよ。」

「なら、王妃様にとっての恋とは?」

「私にとっての恋は、自分に勇気を与えてくれるものよ。陛下と育んだ恋は、今は愛に成長しているの。」

「私も王妃様と同じ考えですわ。」


 王妃の答えにエリザベスがすぐに同意し、目が合った2人は嬉しそうに笑い合った。


「恋は、私に勇気と元気を与えてくれます。そして日々の幸せも。寂しい時も苦しくなる時もあるけれど、それを乗り越えた先に愛があるのではないかと思うのです。」

「私も似たような考えだ。」


 静かに婚約者の答えを聞いていたアルベルトが、エリザベスを見て愛しそうに微笑んでいる。

 アルベルトの視線に気付いたエリザベスも、同じ感情を瞳にのせて見つめ、照れたようにはにかんで目を伏せた。


「彼女がいるから頑張ろうと思える。強くありたいと、そうなれるように努力することができる。王族としての役目を放り出すことは出来ないが、出来うる限りエリザベスと共にこれからの人生を歩んで行きたい。」


 アルベルトの答えにエリザベスは思わず笑ってしまった。

 出来うる限りって、そんな正直に言うなんて。


「アルベルト様のそういう現実主義的なところ、好きですわ。ならば私も、出来うる限り、アルベルト様を支えましょう。」

「拗ねないでくれ。私が今更エリザベス以外を選ぶわけがないだろう?」

「どうだか?子爵令嬢にうつつを抜かしていたのは一体どこの誰でしたっけ?」

「まあ、アルベルト!どういうこと!?」


 聞き捨てならない発言に1番に反応したのは王妃だ。

 アルベルトは焦って答えるが、エリザベスはそっぽを向いている。


「勘違いしないでください。うつつを抜かしてなんていません。パーティーの準備をしている時に珍しい元気な令嬢に落とし物を拾ってもらって、エリザベスのことを尊敬していると言われて嬉しくなっただけなんですから。」


 リアムとノアとクリスティーナは、目の前で繰り広げられる些細な喧嘩を穏やかな心持ちで静観していた。


 王妃とエリザベスの責めるような目付きにアルベルトは慌てて隣に立つノアを見る。


「事実だよな?お前だってその場にいただろう?」


 ぴくりと、クリスティーナの指先が震えた。

 まるで心臓が直に握り潰されてぎゅうぎゅうに押し込まれているかのように、痛い。


「ええ。それでその令嬢とはその場で別れましたし、それからも1度も会ってはいませんよ。兄上が壮大な惚気話を話し始めましたからね。だから本当に何も無いので安心してください。」

「ノア様がそう仰るなら信じましょう。」

「エリザベス、そこは私を信じるべきだろう?」

「もちろん信じておりますとも。」

「何なら朝から晩まで、晩までと言わずに朝になるまでずっとエリーに愛を囁こうか?1人がけの椅子に座って膝の上に乗せて離れないように抱き締めて耳元で」

「そういう話は2人きりの時にしなさい。」


 4人が楽しげに話しているのを見ているクリスティーナは、頭を撫でられた感覚に顔を上げるとリアムがすぐ隣に立っていた。

 呆れるような笑みを浮かべて4人を見ていて、クリスティーナもまた彼らに顔を戻した。


「では、次はノアだな。ノアにとっての恋とは?」


 笑い合っていた内の3人が、リアムの問いかけに面白そうにノアを振り向いた。

 クリスティーナもリアムも微笑みながらノアを見ている。


「俺、にとっては・・・・・私にとっては、どう言い表せばいいんでしょうかね。」


 答えに窮するノアに、リアムはゆっくりでいいよと声をかける。


「正直に答えてほしい。研究の参考だからね、嘘を答えられては参考にならないんだ。」

「・・・・・正直に、言います。」


 ノアはちらりとクリスティーナを、どんな表情をしているのか確認するようにちらりと見てから口を開いた。


「俺は今まで恋というものをしたことがないのでわからないのです。母上のような気持ちにも、エリザベスと兄上が仰ったような気持ちになる令嬢に出会ったことはありません。これが恋なのだと、自分で答えを出せるような感覚は今までなかったので、申し訳ありませんが恋がどういうものかわかりません。」


 リアムは眉を寄せながら真剣に答えるノアの姿に笑みを深めた。


「なるほど。それも立派な答えだと思うよ。世間一般的に広まっている言葉はあるけれど、それを誰もが体験するとは限らないからね。」

「そう、ですね。」

「ノアはもしかしたら、これから恋をするのかもしれないね。」


 リアムの言葉にひやっと一瞬の沈黙がその場に降りた。

 けれどそれに気付いていないのか気付かない振りをしたのか、リアムはクリスティーナを見下ろして最後に聞いた。


「クリスティーナ、君にとって恋とは?」


 クリスティーナはリアムを見上げて、次いで自分に注がれている視線を見渡して、考える。


 私にとっての、恋、とは。

 思い出すのは、どの人生においてでもノアと1番最初に出会ったあの瞬間。そしてノアのことをずっと想っている時間。ずっと諦めきれなかった願い。気付きたくなかった事実。


 クリスティーナは自然と心から微笑みながら顔を上げて、恋について答えようと口を開いた。


「私にとって恋とは病です。勘違いから始まって思い込みという過程を経て真実になってしまう病です。」


 リアムは思わず声を出して笑ってしまった。


「病か!なるほどね。面白い見解だね!」

「王弟殿下のお答えも、ある種の恋なのですね。」

「異国で聞いた理論の中に、吊り橋効果というものがあるらしいよ。危険な目に合った時に助けられると、その時の胸の高鳴りを恋と錯覚するらしい。なるほどって、納得したね。」

「ああ、それは私も納得します。物語の中でも、窮地を共に過ごして仲を深める2人が多いのはそのせいなのですね。」


 今まで読んだ恋愛小説や冒険物語の恋人たちになった人物たちをクリスティーナは思い浮かべる。

 去年から読み始めて既に読み終わったあの冒険物語でも、少女の危機を主人公の青年が命懸けで救ったことから2人の仲が急速に縮まっていた。あれを吊り橋効果というのか。


 4人がクリスティーナの答えにどう反応していいのか困っている様子にクリスティーナ自身は気付いていない。


 リアムは、口を微かに開きかけて瞳を揺らしながら真剣な表情でクリスティーナを見つめるノアの様子に苦笑した。

 クリスティーナの恋は、それこそノアにとっては理解できる範疇を遥か遠く越えた不可思議なものだろう。


 ふと空気が変わる様にリアムが周囲をそれとなく見渡すと、視界の端で研究所の所長が到着して自分に合図をして来たのが見えた。

 クリスティーナも同じように所長に気付き、途端に居心地悪そうに肩をすくめて視線を逸らした。


「ありがとうございました。とても有意義な時間でした。私は、今日はこれで失礼します。」

「リアム、次はいつ来てくれるのかしら?」


 リアムがクリスティーナに一言伝える姿を見ながら、王妃は滅多に顔を見せない義弟を見送るために立ち上がって問いかけた。


「そうですねぇ。また、いずれ。」


 いつかと同じ言葉で返したリアムは足早に立ち去って、所長と共に姿を消した。


 それを見送って、アルベルトはクリスティーナに聞いた。


「クリスティーナ、叔父上に何を言われたんだい?」


 クリスティーナは申し訳なさそうに眉を下げて答えた。


「体調は大丈夫かと、心配してくださいました。」




 暫くして終了したお茶会から、ノアはクリスティーナを侯爵家の屋敷まで送った。


 馬車の中でノアはクリスティーナと目を合わせることが出来なかった。

 それでもぐるぐると焦って考えて何か話さなければとそれだけが残って、結局ノアは知りたいことも知らなければいけないことも聞くことが出来なかった。口から出たのはなんてことのない世間話ばかりで、気の利いた話題を持ち出すことも出来ず。

 話していながら自分でも挙動がおかしいとわかっていて、それなのに向かいに座るクリスティーナは微笑みながら楽しそうにゆっくりと答えてくれた。

 その微笑みが偽物なのか本物なのか、ノアはわからなくなった。


 両親と兄とその婚約者の関係を見ていて、愛し合い、愛し合えることこそが男女の関係において最も素晴らしいものだとノアは思っていた。

 ノアにとっての理想の関係とはどんなものなのかと5年前にリアムに聞かれた時のことだ。彼はノアの答えを聞いて声を出して笑い、アルベルトはませてるし自分の使い方を知ってるからなあ、と呟いた。その時は、ムッとしたノアに気付いたリアムが、ごめんごめんと謝ってすぐに話題は変わった。


 夏期休暇に入って翌日、リアムからノアへと手紙が届いた。


『自信を持って答えられるノアだけのものはなに?』


 ただそれだけの言葉をノアはすぐには読むことが出来なかった。もう数十年も前に使われなくなった隣国の古語で書かれていたそれは、たくさんの書物から一語ずつ探し当てて今朝になってようやく読むことが出来た。


『ノア自身の嘘偽りの無い言葉で答えなさい。』


 侍女を通して伝えられ、その後に聞かれた"恋"というものもリアムの言う通りにノア自身の言葉で考えて答えをだしたものだ。


 その場にいた誰もが予想もしていなかった言葉を述べたクリスティーナ。

 クリスティーナにとっての恋がどんなものなのか、ノアに予測できるはずもなかった。


 今のクリスティーナにとって自分は一体どんな存在なのだろうと、ノアはふと考え始めた。



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