11.赤い実が招いた行く末
真夜中、クリスティーナは目が覚めていた。
明日のパーティーのこと、昼間に会ったノアのことを思い出していた。
明日のパーティーでは久しぶりにノアに会うことになっている。婚約者なのだからエスコートをしてくれるのは当たり前なのだが、ノアが寮まで迎えに来てくれるらしい。昨日、そう連絡があった。
当たり前だが女子寮と男子寮は学園の講義棟を真ん中となるように反対方向に分かれている。それぞれの寮の周囲には柵が設けられていて、勝手に脱け出せないように入ってこられないようになっている。
講義棟までの道は綺麗に整備されているので約15分の道のりを毎朝生徒たちは歩いて学園まで通っている。しかしパーティーがある時は馬車を使って行くことが許可されており、家の馬車を使う生徒もいれば、学園側からも定期的に馬車が迎えに来るようになっていた。
その際に友達同士で乗り合うこともあれば、女性側は相手がいる者は迎えに来てくれる。
てっきり会場で待ち合わせるのかと思っていたクリスティーナにとっては、少し驚くような連絡だった。婚約者としてのエスコートとしては当然なのだが、”これまで”のパーティーでは主催者側だとして迎えにまでは来てくれなかった。
ドレスが送られてきた時にも何も言われなかったから、当然のように疑問を抱くこともなく1人で行くものだと思っていたのに。
何か話をされるのだろうか。
もう、何か理由をつけられて婚約を破棄されるのだろうか。
自然と重たくなる心は1度沈んでしまうと中々浮上しない。
気持ちが表情にも時折出てしまっているのだろう。そういう時、エルヴィスはよくクリスティーナにはっきりと言う。
『泣きたいなら泣けばいいのに。』
クリスティーナは今回の人生において、これまで感情のままに泣いたことは無い。過去を思い出した時に思わず涙が零れたけれど、それ以来クリスティーナは泣いていない。
心が重くなった時にはこれまで周囲の人間に当たることが多かったが、今は研究に没頭しようとして気を紛らわす。研究を始めると目の前のことに集中しなければいけないし、自然と他の考え事がどこかにいってしまう。
「・・・・・・。」
一瞬考えて、服を着替えてローブを被る。
暗い色のローブは夜闇に紛れるので、よく目を凝らさなければ見えることはないだろう。
靴を履き変えて窓を開ける。クリスティーナの部屋は学園に頼んで一階にしてもらっていたので抜け出すことは簡単だった。外に誰もいないことを確認してそっと部屋から抜け出し、窓を閉じる。
もう一度辺りの気配を探って、この時間の守衛がいないルートを思い浮かべて研究所へ向かって走り出した。
真夜中と言えども、そんなことは研究所の人間には関係ない。
好きな時に切り上げ、やりたい時には時間を問わず研究を続ける。そもそもこの研究所に勤めている人間は言ってしまえば植物に対して異常に探究心のある者ばかりなので、部屋に明かりが灯っているのは昼夜問わずでおかしな臭いを漂わせているのも日常茶飯事だ。
そういうわけで、研究所は真夜中でも扉は空いており、真正面から入っても誰からも止められることはない。
クリスティーナは真っ直ぐに自分の研究室へ向かい、作業途中だった大量の赤い実を吊るしていた窓際から全て集めて状態を確認した。
生での赤い実はとても美味しく、ジャムにして学園長に振る舞えばとても好評だった。実験に利用されたことは気付かれていただろうが、いつもにこにことしている学園長は今も変わらないので果実としては使えるのだろう。
今はそれを乾燥させた状態にしてある。
重い心を振り切るために急いで来たせいだろうか。
クリスティーナはぼーっとした頭のままで、翌日から取り掛かろうとしていた作業の準備を始めた。
火の用意をして、小皿に一掴み分だけ取り分けた実の中に火を落とす。
しわしわになって少し変色していた赤い実は瞬く間に燃え上がり、それをじっと見ていると、いつの間にか狭まっていた視界を白いもやが占拠しようとしていることに気が付いた。
所長との約束も、今になって思い出す。
その時にはもう遅かった。
クリスティーナの視界は大量の煙で何も見えないのに地面が揺れているのかのようにゆらゆらと暗転し始め、遂には意識を飛ばして倒れた。
「この、バカっ!!」
エルヴィスはクリスティーナの右肩を見て、思わず声を荒げる。
隣にいる学園長は普段は見せない厳しい顔をして無言でそれを聞いていた。
その罵倒はクリスティーナには聞こえていない。何故なら彼女は意識が戻っていないからだ。呼吸は整ってきているものの、先程まで煙が充満していた部屋にいたからなのか顔色はとても悪い。
彼女の右肩には、花の形をした真っ赤な跡がついている。
エルヴィスが研究所の前を通ったのは偶然ではなかったが、外からクリスティーナの研究室を見たのは偶然だった。
夜は寮にいるはずの彼女の研究室に灯りがあり、パーティーのことで眠れなかったのだろうとわかったから、ちょっと顔を見る程度で足を向けた。
それだけのはずだった。
ノックをして扉を開けると、僅かな隙間からでも部屋に充満していた煙が漏れでてきた。エルヴィスはすぐに腰を低くして中に入り、床に倒れているクリスティーナを発見してすぐに閉めきっていた窓を全て解放した。上の階の窓は閉められており、風が強いこともエルヴィスは覚えていた。
クリスティーナの意識は朦朧としていて呼吸が浅かったので、とりあえず廊下の新しい空気の中に運び出した。
まだ煙の残る研究室に戻ったエルヴィスは、燃えていた赤い実にすぐに水をかけて近くにあった布で幾重にも包んでごみ箱に捨てた。
とりあえずの処理を終えた彼女は、もう一度、クリスティーナの容態を確認した。
エルヴィスが恐る恐るクリスティーナの右肩を見ると、そこにはうっすらと花の形のような赤い跡があった。・・・・・今すぐには、命に別状はないはずだ。
しかしそれを確認すると、彼女は急いで学園長に知らせに向かった。
先程まで会っていた学園長はただならぬ気配で入ってきたエルヴィスに眉根を寄せ、伝えられた内容に驚愕して急いでクリスティーナの元に向かった。
エルヴィスに事後処理を頼んだ学園長は、意識のないクリスティーナを医務室に運んでベッドに寝かせた。奥の部屋から出てきた医師は何事かと驚きながらも診察を始めて、時期目を覚ますだろうと言った。
その後、医務室にエルヴィスがやって来て、彼女は学園長に目をくれることもなく、真っ直ぐにクリスティーナの元に向かって上半身を軽く起こして肩の跡を確認した。
消えているか否か。
詳しく事情を聞こうとした学園長に、エルヴィスは自分が見たこと知っていること全てを話した。
翌日になってもクリスティーナは目を覚まさなかった。
身体に異常があるわけでもなく、日々の体調管理を聞いた医師は寝不足が原因だろうと判断した。
学園長とエルヴィスは話し合い、パーティーへの参加は体調不良による欠席をすることに決めた。理由としては、間違いではないのだから。
学園長はパーティーの最終確認で忙しくしているノアを研究所の私室に呼び出した。
しばらくしてやってきたノアは、忙しい時間に呼び出した当人への不満さを隠すことなく現れた。
「この忙しい時間に何ですか?」
「今日のパーティー、クリスティーナ嬢は体調不良で欠席することになった。だから君は彼女のエスコートをしなくていいよ。」
「え?」
やや早口で言われた内容に驚いて、ノアは目を丸くする。
「それは、どういうことですか?」
「クリスティーナ・アルデリア侯爵令嬢は体調を崩している。だから今日のパーティーは参加できない。もし誰か望むのならば、他のご令嬢をエスコートするといい。」
「何故クリスティーナが体調を崩しているということを貴方が知っているのですか?」
ノアは、クリスティーナが学園長と関わりがあるだろうということはわかっていた。気付いたのは隣国の公爵令嬢と話してからだが、今思えばどうしてその考えに至らなかったのだろうとも己の考えの浅さに落ち込んだ。
確かに侯爵令嬢で王族の婚約者であるクリスティーナが講義に出ていないのに、教師たちが何も言わずにノアにも訳を聞きに来ないのはその理由を知っているからだ。
そして事情を最も詳しく知っているとしたら学園長だろうし、教師にもクリスティーナの事情を話したのは学園長なのだろう。
学園での決定権は学園長にあり、講義免除や生徒の処分、編入生の面談などは学園長が行っているのだから。
あれから折を見て学園長に訳を聞こうとしても、当の本人にのらりくらりと躱されていた。
もしかして研究所にいるのでは、とも考えたがクリスティーナが植物に興味を持っているなど聞いたことがなかったからそれは無いだろうと、ノアは結論付けていた。
「彼女が研究所で倒れたからだよ。実験中に、誤って毒を吸ってしまったんだ。だから、今日のパーティーには参加できない。命に別状はないが、まだ意識が戻っていないからね。」
ノアのエメラルドの瞳が、これでもかというほど驚愕して見開かれる。
クリスティーナが、毒を吸い込んだ?
「な、ぜ・・・・毒なんか、」
「まだ誰も手を付けていない植物だった。実験の方法は彼女に任せていたから、運悪く毒が発生してしまう方法で行ってしまったんだ。」
クリスティーナがどうして実験を行っているのか、どうして研究所にいるのか、何故学園長はそんなにも落ち着いているのか。
ノアの頭の中に色んな疑問が駆け巡る。
ノアはクリスティーナを嫌っている。
それは本当だけれども毒を吸ったと聞いて平然としていられるほど冷淡になれる相手ではない。
逸る鼓動を抑えてクリスティーナを見舞おうと何処にいるか聞き出そうとした時、その心を読み取ったかのように学園長はノアを真剣な目で見つめていた。
「ノア、君はパーティーの準備があるだろう。クリスティーナは大丈夫だ。命に別状はない。日常生活で寝不足だっただろうから、今はまだ眠っているだけだろうと医師は言っている。」
「しかしっ!」
「ノア、パーティーに戻りなさい。毎年のこのパーティーを新入生は楽しみにしている。王族として、務めを果たしに行きなさい。」
研究所の仮眠室でクリスティーナは眠っていた。
未だ意識は戻っていないらしい。けれど呼吸は安定しているから、ただ眠っているだけだろうと学園長と同じ事を医師はノアに伝えた。
身体の線が細くて顔色が白いクリスティーナを、ノアは寝台の側に座って見つめていた。
パーティーが終わって、アルベルトとエリザベスには事情を話して後片付けを任せた。すぐに学園長の元に向かってクリスティーナの居場所を聞き出し、ノアは嫌な鼓動を刻む心臓を落ち着かせようとしながら婚約者の元に向かった。
夜中に寮を抜け出したクリスティーナは実験中に意識を失った。その実は生だと普通の果実だが、乾燥させると毒を持つものらしい。口宛てをしていなかったクリスティーナはその毒を思いきり直に吸い込んでしまったらしい。
偶然通り掛かった研究員が曇る窓ガラスを見て怪しいと思い、クリスティーナの研究室に入って見つけてくれた。後少し発見が遅れていれば助からなかったかもしれないと、学園長は言った。
異常な程の執着を見せているかと思えば、今度は極端な程にノアから距離を取って離れて何も言わないで研究所に入って、今度は実験中に不注意で毒を吸い込むなんて。
額に手をあてて大きなため息を吐く。
クリスティーナが一体何を思ってどうしたいのか全くわからない。
『クリスティーナはずっと研究室にいたよ。僕は学園長だからね、生徒の望みは叶えられるものなら叶える。それに研究所を束ねる人間でもあるから、研究所で働いてくれる優秀な存在は大事にするよ。』
クリスティーナが望んで研究所に置いてほしいと頼んだのだと、学園長はノアに言った。
侯爵家に多くの書物があってそれには色んな植物が載っていたから興味があるのです、と。
学園長から聞いた話によると、貴婦人の間でも噂の侯爵家の庭は侯爵夫人ではなくクリスティーナの指示によって造られているものらしい。庭師と話しながら、季節ごとに花を植え替えて、その花と相性の良い植物の場所を変更して、花言葉と景観をその都度気にしながら。
そんな話聞いたことすらない。
いや、話し半分に聞いていたこともあったからもしかしたら今までの会話の中にそんな話もあったのだろうか。
クリスティーナが趣味とするものの中に、読書があることは知っている。
何故なら王宮の図書館の中では熱心に本を読んでいて、去年初めて入った侯爵家の書庫でも集中して本を読んでいた。
クリスティーナが手にしていたあの本は何の本だったか。
クリスティーナの様子を見ようと足元から顔を上げて、ぎょっとする。
「クリスティーナ・・・・?」
そっと呼び掛けても反応がないことに、彼女がまだ眠っていることを理解する。
ノアはふらりと右手をクリスティーナに近付けようとして、指がぴくっと動いて躊躇い、さ迷わせながらも彼女の頬に近付けてそっと指先で閉じられた瞳から流れる涙に触れた。
けれどその手の感触で起床を促してしまったのか、クリスティーナの涙で濡れた瞳が徐々に開かれていって、ぼんやりとノアを映した。
ノアの呼吸がはっと止まる。
それはたった数秒のことで、すぐに焦点がはっきりしたクリスティーナは慌てて起き上がったから、本当に少しの間だけのことだったのに、ノアにはとてつもなく長い時間のように思えた。
「申し訳ございませんっ・・・!パーティー、終わってしまいましたよね・・・?」
「いや、大丈夫だ。学園長から事情は聞いてるから、体調不良なら仕方ないだろう。」
「本当に、・・・・・本当に申し訳ございませんでした。」
頬を流れていたものを拭いていた手がノアの言葉によって若干動きを止めた。
クリスティーナはあまり働かない頭で考える。きっと学園長がクリスティーナを助けてくれて、ノアに体調不良であることを伝えてくれたのだろう。
ノアの格好はパーティーの礼服姿だった。
「今日はもう遅いから休むといい。すまないが明日から公務が入っていて、忙しくて、だから、」
「わかってます。ただの婚約者なのに、夜遅くに見舞っていただいてありがとうございました。」
立ち上がって背を向けたノアに、クリスティーナは定まらない微笑みを浮かべながら頭を下げた。
頭上からノアが遠ざかる足音と仮眠室の扉が開いて閉まる音が聞こえて、それからこの部屋から遠ざかっていく足音に耳を澄ませる。。
クリスティーナはそのまま力を抜いてばたんと寝台に身体を倒した。
なんとなく熱いような気がして、首元に手をあてながら。
「っ・・・・・・・!」
ノアはまだ後片付けをしているはずの会場へ戻ろうとしていた。
夏の夜の、本来なら熱気を感じるはずの外を歩いているのに冷や汗をかいているのはどうしてか。
ノアの頭の中を占めていたのは、今まで向けられたことのなかった、憎々しげにノアを睨み付けるクリスティーナの瞳だった。
彼女の瞳の氷は、まるでノアの心臓を永久に凍らせて溶けないものに変化させていくようだった。
翌日から寮に住んでいた生徒たちは、夏期休暇を過ごすために各々帰るべき場所へと帰っていった。
アルベルトとノアは早朝に王宮へと戻った。
寮に残っていた最後の生徒、伯爵家の兄弟を乗せた馬車が学園の正門を出て通りを曲がった所を見送って、門番は正門に鍵をかけた。
作中に出て来る赤い実について作者の創作物です。
学園長が他国の森で見つけて実を持ち帰り、温室に放っておいたらいつの間にか成っていた植物です。
詳しくは活動報告に書いていますが、一旦感想の受付を停止させていただきます。




