閑話 始まりへ向かった終わり
はめられた。
クリスティーナはそう思う。
それ以外には考えられない。切り捨てられたのだ。家族に、・・・・・・いや、祖父にだ。
祖父の横領を知ったのは偶然だった。
祖父とある商会の人間が話しているのを偶然聞いてしまい、クリスティーナはその場から逃げ出してしまった。祖父がまさかそんなことをするなんてという思いと最近の父と兄の祖父への態度から察するに本当のことなのかもしれないという思いとで混乱していた。
だが、最後にはこう結論付けた。
自分が知っていることは誰も知らないはずだ。言わなければいい。祖父は頭が良い。きっといいようにやっているのだろう。ばれなければいい。だって、今ばれてしまったら、クリスティーナはノアと別れなければいけなくなる。そんなのは嫌だ。絶対に、嫌だ。
クリスティーナが言わなければいい。
クリスティーナは何も知らない。
祖父でさえも、クリスティーナが知っているということは知らない。
そのはずだったのに。
『ユージニア殿が白状したよ。ユージニア殿の執事であるマイケルとクリスティーナとの共犯だったとね。クリスティーナに賄賂を受け取っていた所を見られて、脅されて、一部を貴女に渡していたのだとね。』
婚約者の声はクリスティーナを軽蔑していた。
その時からじゃない、ずっとだ。
でも、好きな人が他人に奪われそうになって嫉妬しない人間なんていない。
その他人に接触しないで警告しないで、羨まない人間なんていないはずない。
あの令嬢と出会ってから婚約者は更にクリスティーナを遠ざけ始めた。
それが嫌だったから婚約者とずっといるようにした。令嬢には婚約者に近付くなと釘を刺して、次近付いたら虐めを助長させて家を潰してやると脅した。
あの令嬢と出会ってから婚約者は更にクリスティーナを嫌いになった。
それはわかっていたけどわかりたくなかったから、気付いていない振りをした。これ以上嫌われないように、クリスティーナはいつも笑顔でいるようにした。
あの令嬢と出会ってから婚約者は、更にクリスティーナを嫌悪の目で見るようになった。それはもう明らかに隠しようもなく。
婚約者の側にあの令嬢を見ない日が続いていてクリスティーナは機嫌が良かった。食堂で一息付こうと2階の窓際に座って、ふと温室を見た。食堂側の温室は花が1面に咲いているから、クリスティーナはその様子を見たかった。
けれど、視界の端に捉えた光景にクリスティーナは絶句して息が止まった。
婚約者とあの令嬢が2人で楽しそうに温室の花を眺めていた。
婚約者が令嬢に花の説明をしているのだろう。目の前にあったのは、カトレアだ。花言葉は貴女は美しい、優美な女性、純粋な愛。
婚約者に何かを囁かれた令嬢が頬を真っ赤に染め上げて笑う。それを見たクリスティーナの婚約者も、嬉しそうに笑った。クリスティーナには決して向けることの無い表情で。
呆然としているとカトレアの近くに咲いていたポインセチアに気付いて、次の瞬間にはクリスティーナは食堂から走り去った。
クリスティーナが立ち上がった瞬間に紅茶を持ってきた従僕とぶつかって彼にそれが被ってしまったことなど、クリスティーナは気付きもしなかった。
ポインセチアの花言葉を知っている自分が嫌で、そんな考えに結び付けてしまった自分の頭を嫌いになりそうだった。ポインセチアの花言葉は祝福だ。
まるでポインセチアがあの2人を祝福しているみたいに綺麗に咲いていたことが、どうしようもなくクリスティーナの癪に障った。
消してやりたい。
あの子さえいなくなれば。
クリスティーナは確かにそう願っていた。
でも実行には移してない、絶対に。
クリスティーナはその日も機嫌が悪くて、いらいらしながら階段を下りていた。足を踏み外してバランスを崩し、運悪く下から上がってきていた生徒とぶつかって、その生徒もちょうど足を上げて片足で立っていたからバランスを崩して2人は階段から落ちてしまった。
クリスティーナが上で、相手の生徒が下敷きになってしまったのはその順で階段にいたからだ。
決して、あの令嬢をわざと巻き込んだわけでも狙って階段を落ちたわけでもないのに。
周囲の生徒は証言した。
クリスティーナ様が子爵令嬢を突き落としました、と。
クリスティーナはそんなことはしていないと言っても、誰もが信じなかったし、婚約者は憎々しげに自分を睨み付けて、意識を失っている子爵令嬢を抱き上げて医務室へと足早に向かった。
信じない、信じてくれない、でも信じてほしかった。
クリスティーナの心はわかっていた。
婚約者の心は、あの子爵令嬢に向かっていることに。
その後すぐにクリスティーナは王宮へと呼び出され、祖父に罪を擦り付けられたことを知った。
父と母と兄からは複雑そうな目で見られていることはわかっていたが、クリスティーナは何も言えなかった。クリスティーナ自身は、断じて祖父と共犯して罪を犯していない。けれど、祖父の罪を知っていながら誰にも言わなかった。自分の思いを優先した。
クリスティーナは知っている。
祖父に1番可愛がられているのは自分だけれど、所詮は利用できる駒として可愛がられていたことに。
だから、道連れにされて、捨てられた。
クリスティーナは牢の中で処分を待っている。
婚約者の、あの日見た愛しい人の笑顔を思い浮かべながら。
扉が開く音がして、入り口の方からコツコツと足音が響き、次第に大きくなっていく。
誰かが近付いてきている。
クリスティーナは簡素な寝台に背中をつけて固くて冷たい石の上に申し訳程度に敷かれている薄い絨毯の上に座り込み、じっと地面を見つめている。
「クリスティーナ。」
「・・・・・。」
指がぴくっと動いただけで、クリスティーナは目を伏せたまま視線の先を変えない。
名前を呼んだ元婚約者は、はぁと深いため息を吐くともう一度だけ名前を呼んだ。しかし、クリスティーナは何も反応を返さない。
今は牢の中にいる元婚約者である令嬢の処分は既に決まっていた。
子爵令嬢をわざと突き落としたのなら許さなかったが、後から元婚約者に付けていた騎士に確認するとタイミングが悪かっただけだと聞いた。
わざとタイミングが悪いように見せかけたのでは?と聞くと、ずっと考え事をしているようで前が見えているようには見えなかったと第二騎士団の副団長が言うのだからそうなのだろう。
だが、横領に関わっていたのだ。祖父であるユージニアに可愛がられていたのに、その祖父でさえも脅すような女だったのだ。
ケンジーは何かの間違いではと言葉を濁しながら言ったが、不正の書類にもクリスティーナが関与した記述はあった。ユージニアは昔からきちんと記録を取る人間で、書類を隠した場所には自信があったのだろう。領の屋敷に戻ったギルバートが亡き母親の部屋に行って偶然見つけなければ、見つかることはなかっただろう。
兄のアルベルトに最後なのだから少しくらい話をしてみたらどうだと言われて、ノアは元婚約者がいる牢に向かった。
その元婚約者は地面を見据えたまま反応を示さない。
屈辱に堪えかねているのだろう。
侯爵令嬢という身分から一気に罪人に落ちてしまったのだ。それは元婚約者自身が選んだ結果でもあるのだが。
「・・・・・・・第二王子殿下は、」
「なんだ。」
ノアが元婚約者を見ると、先程と変わらないように見えたが彼女の地面を見据える青くて暗い瞳は揺れていた。
「あの子爵令嬢に恋をしているのですか?」
言葉を聞き取れることが不思議な程、クリスティーナの声は震えていた。その震えを抑えつけているような力強い声だった。
しかし、ノアは元婚約者の問いの内容に不愉快な気分になった。
「それを聞いてどうする。今の貴女に出来ることは何もないし、させるつもりもない。」
「私も、何もするつもりはありません。・・・ただ、単純に、聞いてみただけです。」
ノアはこちらを1度も見ない元婚約者を睨み付けるように観察しながら、あの子爵令嬢を思い浮かべて、自然と表情が柔らかくなる。
「・・・・・恋なのかはわからないが、あの令嬢は俺に温かくて優しい気持ちをくれる。」
「・・・・・幸せなのですか?」
「そうだな。」
わずかに目を上げたクリスティーナに気付かないまま、別の方向を見ていたノアは子爵令嬢との時間を思い出して思わず微笑んだ。
ぽたりと、音にもならなかった音がくすんで薄汚れたドレスに吸い込まれる。
クリスティーナはドレスのポケットに手を入れて、それがあることを確かめた。
王宮の広間で断罪され、呆然とするクリスティーナの横をユージニアが堂々と去っていく時に落としたものだ。偶然落としたのではなく、クリスティーナに向かって落とされたものだ。小さな物だったから周りの人間には見えていなかった。
「あんな気持ちになったのは初めてだ。」
ノアの幸せそうな声が聞こえた瞬間、クリスティーナはそれを飲み込んだ。
ノアはクリスティーナの挙動に気付き、訝しげな顔をしながら牢に一歩近付いた。
その元婚約者を、クリスティーナはこの日初めてしっかりと見上げた。
「私がノア様を幸せにしたかった。けど・・・もし生まれ変わるとしたら、次は必ず、ノア様のいない世界に生まれ変わります。」
伝え終えると同時に喉の奥から沸き上がる衝動を抑えることができず、口に手をあてるも血は大量に溢れ出してクリスティーナの手を腕をドレスを牢の絨毯を汚して広がっていく。
「おいっ!!」
ノアを幸せに出来たのはクリスティーナではなかった。
クリスティーナはノアを幸せに出来なかった。
クリスティーナでは、ノアを幸せにすることは出来ない。
好きな人の幸せを喜ぶことのできない私なんて要らない。
薄まり行く意識の中、遠くで愛しいと思っている人の声が聞こえる。
もう2度と、ノアと同じ世界に生まれたくない。
同じ世界に生まれたら、きっとまた、ノアに恋をしてしまう。
その人生の最期に、クリスティーナは確かにそう願った。
「・・・・また、同じ世界、か。」
クリスティーナは前回の人生のことを思い出し、実験中の手を止めた。
必ずと言ったのに、クリスティーナはまたノアと同じ世界に生まれてノアに恋をしてしまった。
「どうしたの?」
いつの間に研究室に来ていたのか、エルヴィスが不思議そうにしながらクリスティーナの横に立つ。
「うーん、・・・私、馬鹿なのかなって。」
「え?今さら?」
「そうそう、今さらですね。」
「愚か者と言っても過言ではないわ。」
エルヴィスのはっきりとした物言いに、クリスティーナは苦笑する。
「傷つくなあ。」
「本当のことでしょう?」
「はいはい。」
適当に返事をしたクリスティーナは机の端に一纏めにしてあった黒ずんだ実を見つけて、これは何だろうと思いながら匂いをかいで、臭いと思った瞬間にごみ箱に投げ捨てた。
自分の研究室を見渡してふと思う。
・・・少し片付けた方がいいのかもしれない。
所長の悪い癖がうつってしまったと思いながら、クリスティーナはまた実験を再開した。
参考文献
「花言葉ラボ」,〈http://hanakotoba-labo.com〉2018年12月28日アクセス
誤字報告、本当にありがとうございます。感謝の心でいっぱいです。
レビューを書いていただきました。詳しくは活動報告に書いてありますが、ありがとうございます!
12/30、予約投稿しています。
どうぞよいお年をお迎えください。




