8.植物研究
「・・・赤い実は美味しい。」
淑女にはあるまじき行為ではあるけれど、採取した赤い実を手で綺麗にしてから口に含む。
水分が多く、程好い酸味が舌に広がる。飲み込むと喉を潤してくれる果実はまだたくさん枝に成っている。
クリスティーナは学園の温室にいた。
学園の温室は国で1番の大きさと植物の多さを誇っている。
ここの学園長は、学園長になる前は色んな国に行って外交などを担っていた優秀な人間だった。その仕事の合間に趣味だった植物を採集しており、それらをこの温室で育てていた。
学園の温室は食堂の隣にあり、食堂のテラスからは温室で育てられている彩り鮮やかな花を見ることができるようになっている。
けれど、温室は生徒は立ち入り禁止になっていて、入ることができるのは温室の隣に建てられている植物研究所の人間だけだ。時々、花に魅入られて温室に近寄る生徒がいるが当然入れない。
それに、生徒立ち入り禁止の1番の理由として、温室で育っている植物の中には有害なものも多くあるからだった。食堂側からは花が1面に咲いているように見えるが、その奥には様々な植物が育っている。まだ立ち入り禁止でなかった時に、生徒がある植物を触って意識を昏倒させた。よって、生徒は立ち入り禁止になった。
クリスティーナも植物には興味を持っていた。
今までの人生の中でそんな欠片は他人に見せたことはなかったが、侯爵家の書庫は他国の本も多いために聞いたことのない植物の名前を目にするたびに気になっていた。また、気持ちを落ち着かせたい時には実家でもよく庭園に入り浸っていた。
だから、どうせなら学園にいる間は植物について研究しようと考えた。
学力に関してはこれまでの記憶があったから既に卒業に必要な学力を持っていることを示して、講義は免除を認可された。学園長とも面談をして、自分の将来について語り、生徒たちが通う講義棟ではなく研究員たちが日々詰めている研究所に通うことも承認済みである。
クリスティーナは学園に通って寮には住んでいるが、普通の生徒たちとは動く範囲が違うのだ。
クリスティーナを学園で見かけないのは当然だった。
「・・・綺麗。」
「貴女がそれを見て呟くと何だか不気味ね。」
「薔薇は薔薇よ。」
「まあ、そうだけど。」
納得いかないと呟いたのは、エルヴィス・ヴィオレット・ルチダリア公爵令嬢である。
隣国から留学の名の下に学園に彼女がやって来たのは2週間前だ。
1週間だけ真面目に講義を受けた彼女は週明けにホームルームで言い放った。
『こちらの授業って本当に退屈ですのね。』
以降、どこかの講義で彼女を見かけた者はいない。
ある令嬢が第一王子に彼女について意見を求めたが、隣国では授業の進み具合が異なるのだろうから大目に見てやってほしい、と言われたそうだ。
ルチダリア公爵令嬢は様々なところで見かけるが誰も彼女に話しかけることはせず、遠目にこそこそと彼女やその家の良くない噂について囁かれるだけになった。曰く、税を高く掛けて領民の生を奪っては贅沢品を買い漁る浅ましい貴族、と。
学園で有名なルチダリア公爵令嬢とクリスティーナが出会ったのは、彼女が学園に留学して来て3日後の温室だった。
『侯爵令嬢ともあろう貴女が研究者の真似事ですか?』
初対面であるはずなのに嘲笑しているかのような声音で問うたエルヴィスの目は、興味深そうに好奇心の色をしてクリスティーナを映していた。
学園長から隣国の公爵令嬢について少し説明を受けていたクリスティーナはすぐに彼女が当人だと理解した。
ちなみにこれまでの人生の中では初めての出会いだった。
『ええ、今はまだ。』
学園長からの説明通り、普通の貴族令嬢でないこともすぐに理解した。そもそも立ち入り禁止の温室にいるはずがないのだから。
しかし、クリスティーナは当然関わりはなく、関わるつもりも無かったのでその令嬢を無視して採集を再開した。
『第二王子の婚約者がこの時間にここでその植物を採集してるとは思いませんでした。・・・ちなみに、その植物について、これから調べるのかしら?』
『ええ、まだ調べられていないので。』
『そう。・・・・・・取り扱いには十分気を付けてね。』
『貴女はこれが何か知ってるの?』
意味ありげな物言いにクリスティーナが公爵令嬢を振り返った時、彼女何かを我慢するように首元を押さえていた。
目が合った瞬間に、にこりと彼女が微笑んだ。
『さあ?何かしら、ね?』
『・・・・・勝手に動き回るのはいいけれど、余計な人物たちを温室に持ってこないでくださいね。迷惑ですから、エルヴィス様。』
温室の外の様子を指して言ったことが伝わったのか公爵令嬢は1つ息を吐いて頷いた。
クリスティーナは眼前に下がっていた5枚の葉っぱを採って腰のポケットに仕舞った。
それを観察していたエルヴィスは少し考えるように首を傾げ、ふっと息を吐き、一切の表情を無くしてクリスティーナを見た。
『ねぇ、少し興味がわいた。確か同い年でしょう?是非、貴女について教えてよ。大好きで大好きで大好きで仕方がない愛しい人を避けて、貴女は一体どうしたいの?』
触れられたくない話題を振られたことで、クリスティーナは思わずあからさまに嫌な顔をしてしまったのだ。
「花言葉を知ってる?」
「当たり前だわ。だから、好きなのでしょ?」
「好きなわけじゃない。今の私に、ぴったりの花だなって・・・。でも私はこんなに美しく咲き誇れないけれどね。」
クリスティーナの自嘲にエルヴィスは呆れる。
この子は自分の美しさについて客観的に見ることができていないのか。人は盲目的になるとどうやら一つの価値観でしか全てを計ることができないらしい。
まあ、今のは見た目のことではなくて中身のことを言っていることはわかるけれど。
今は昼を過ぎた頃。
しかも今の時間は全学年必修のダンスの時間だった。学年ごとに教師が異なり、あと1時間は全生徒が各学年の練習場で踊っている。
もうすぐで学園主催のパーティーがあり、1年生にとっては初めてのパーティーである。普段は先輩後輩としての立場があるが、初めての出会いの場で誰とでも自由にダンスを踊れる。
クリスティーナの部屋には数日前にノアからドレスが届いていた。クリスティーナの瞳の色に似た薄い青色のAラインのドレスで、腰には少し濃い青のリボンがやや右に結ばれているものだった。
「久しぶりに食堂に行こうと思うのだけどエルはどうする?」
「なら私も行くわ。今は見張りも少ない時間だし、少しくらい気を抜いてもいいでしょ。あ、でも途中から合流するわ。食堂の前の廊下あたりで。」
「・・・貴女って本当に抜かり無いわよね。」
「監視されてる身ですから。」
そう言い残して、エルヴィスが先に温室を出ていった。
暫く待ってからクリスティーナも温室を出て、食堂に向かう。
初めてエルヴィスと会った日。
初対面の印象は悪かったものの、温室にいる間なら、とクリスティーナは植物を採集しながらエルヴィスと話していた。
簡潔に言うと、エルヴィスはしつこかった。それはそれはとってもしつこく、クリスティーナの変化について説明を求めてきたのだ。そもそもどうして隣国の公爵令嬢がそんな事細かい日時の詳細な出来事まで知っているのかというところまで聞いてきた。
あまりにもしつこすぎて思わず自らの身の上話を激情に任せてつい話してしまったのだ。気付いた時には愕然としたけれど、これで頭がおかしい人間だとわかってさっさと離れてくれればいいのに、ともクリスティーナは思った。
けれどもエルヴィスは、
『なんだか・・・・・あ、わかったかも。』
と呟いて、数日後にクリスティーナの研究室に1人連れてきた。
それから3人で色々なことを話した。自分自身について、家のことについて、名前について、過去や未来について。
エルヴィスはあまり話すことはなかったが、2人の話を興味深そうに聞いていた。
似たような境遇の彼女はすでに幸せを見つけて手にしていた。
あの日から張り詰めていた緊張が少しだけ緩んだことをクリスティーナは少し感じていた。・・・友達、と言い表すには微妙なとこだけれど自分にとっては十分な人達だと思っている。
廊下で偶然会ったように挨拶をして、一緒に2階の席に着く。
近付いてきた従僕に紅茶と軽食を頼む。
案の定、いつもなら数人はいるはずの生徒は誰もいなかった。
クリスティーナもエルヴィスもその方が都合が良い。クリスティーナには親しい人間はいないし、エルヴィスも同じで、そして2人が知り合いであることも誰も知らないのだ。
もし今誰かに2人でいるところを見られたとしても、偶然会ったのだと言ってしまえばいいのだが。
エルヴィスもそれからもう1人も寮に住んでいるが寮で会っても3人は無関係を装っている。対外的には会ったことはあったとしても、知り合いではない。
従僕が持ってきた紅茶を揃って口にする。
「やっぱり私、紅茶が好きだわ。」
「私は飲み物なら何でもいい。」
「お昼食べてないのでしょ?いいの?」
「食欲は元々あまりないから 。貴女も今日初めての食べ物ではなかった?」
「そうだったっけ?」
クリスティーナは朝からの行動を思い返して、そうだったと今気付く。
クリスティーナもエルヴィスもあまり食べ物を口にしない。さすがに身体が食べ物を求めている時は食事を取るが、学園に入るまでの生活のように毎日規則正しい時間に食事をすることはなくなった。加えて、クリスティーナの研究室に入り浸るエルヴィスも食べることにあまり関心がない。
この学園に入ってからクリスティーナの体は更に細くなっていた。・・・そう言えば、この前久しぶりに会った学園長にもう少し健康的になった方がいいと言われたっけ?
「クリスティーナ?」
突然の、予想もしていなかった出来事に、時が止まったかのようにクリスティーナの身体が硬直する。
聞こえてきた声は久しぶりに耳にしたものだった。
その名を呼ばれるのも。
窓の外に向けていた視線を声の主に向ける際に、向かいに座っていたエルヴィスを見遣る。
柔らかな微笑みを浮かべた彼女は紅茶に口付けていた。・・・気付いてた。
ため息をつきそうになるのを抑えて表情を作る。忘れることが出来ない程に練習した笑みを浮かべて、席を立ってその人物に挨拶の形を取った。
「第一王子殿下、第二王子殿下、ごきげんよう。お元気そうで何よりですわ。」
少し離れたところにいたアルベルトとノアは、久しぶりに見たクリスティーナに素直に驚いていた。
「少しだけお茶をしておりましたの。偶然、ルチダリア公爵令嬢にお会いしまして隣国のお話を聞いていたところですの。」
「ごきげんよう、殿下方。」
エルヴィスも立ち上がって二人に挨拶をする。
「二人は、知り合いだったのか?」
「いいえ、アルベルト殿下。幾度か姿を見たことはございますが、お話するのはこれが初めてですの。第二王子の婚約者様にこちらからお声をかけるなんて出来ませんもの。」
おほほ、と微笑んだエルヴィスを横目にクリスティーナは初めて会った時を思い返す。
いや、思いっきり向こうからしかも失礼な言葉をかけられたんですけど。
「けれども噂の妖精姫とこうしてお会いしてまさかお話できるなんて・・・ね。私はとても運が良いのでしょう。」
エルヴィスがいかにも嬉しげに発した言葉に眉を潜めたのはクリスティーナだった。
「妖精姫?」
思わず訝しげな声音でそのまま疑問を口にする。
やはり知らなかったのか、とエルヴィスは内心嘆息し、不思議そうな表情をしたクリスティーナを振り向く。
「ええ、そうですよ。入学したはずなのに学園で姿を確かに見ることが出来るのは寮だけ。しかもその寮でもこれまで数回しか見たことがない、一体どこに住んでどこで生活してらっしゃるの?まるで姿を見ることのできない妖精のようね。さすが第二王子のお姫様だわ、・・・と専らの噂ですよ。」
顰めた眉が更に深くなる。
まさか妖精姫と噂されているとは。
クリスティーナが学園に姿を現さないことは、暇な貴族の子供たちにとって格好の餌だっただろう。だが第二王子の婚約者という立場も少なからずあるからこれみよがしな悪意ある噂は出来ない。
故意に学園の些細なことを知ろうとしなかったクリスティーナにとって、これは当然初耳だった。
「姫、愛しの君がいらっしゃってますわ。」
突然、エルヴィスの蠱惑的な声がやけに絡み付いてクリスティーナに響いた。
「やめて」
思わず冷ややかな声で返す。
しかし、クリスティーナの声は震えていた。
今まで聞いたことのない声に驚いたのは王子たちだ。
「クリスティーナ」
先程よりも、しっかりと自分の名前を呼ぶ声にふと我に返る。
心の中で深く息をして、冷静になれと自分に叱咤する。エルヴィスはからかっているのだ。クリスティーナが自棄になる姿をあわよくば見ようとしている。
嗚呼それにしても、名前を呼ぶなんて・・・・・いらいらする。
「エルヴィス様。またお会いする機会があればその時にでも隣国のことを教えてくださいな。」
今すぐにも走って逃げ出したい気持ち抑えて、クリスティーナは足早に食堂を立ち去った。
感想ありがとうございます。
アルバートとアルベルトが同じ名前で、国が異なるバージョンであることに今日確認して気付きました。教えていただいてありがとうございます。
今更で申し訳ないのですが、姓名の語呂も合わせて考えてアルが続いてしまうので、アルバート→ケンジーに変更させていただきます。
誤字報告機能にも大変助けていただいております。本当にありがとうございます。




