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逆さの水平線  作者: 木漏陽
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熱砂の二人

 八月半ばを過ぎ、夏休みも後半に差し掛かった。

 栗尾くりおはショップに立ち寄り新しいライダーグローブを購入すると、学校に向かった。レッグホバーの操縦を本格的に始めてから一ヶ月ちょっと、グローブを買い換えるのは既に三度目になる。

 ホバークラフトレースの時は一年以上換えずに使えたが、レッグホバーでは両手とも人差し指と中指が擦り切れて穴が空いてしまう。脚の操作スイッチに触れる部分だ。


 グローブ無しで操縦桿を握れればもっと細かい操作も出来そうなのに……とも思うが、穴の空いてしまった部分は指の腹に水膨れや豆がすぐに出来てしまう。それに装備規定でもグローブ着用は義務付けられていた。

 学校に着くと栗尾はテーピングで補強されたボロボロの古いグローブを改めて見た。


( やっぱり左手の方が擦り切れが早い…… )


 旋回方向の癖がそうさせるのか、それとも別の理由で左脚を使うことが多いのか……偏りの理由を考えつつグローブをゴミ箱へ投げ入れと、造船工学科倉庫へ向かった。


 栗尾が倉庫に入ると既に洋史ひろふみが来ており、レッグホバー1番機をクレーンで吊り上げているところだった。

 1番機の操縦手に固定となったのは栗尾で、相方となる砲手は洋史が担当している。1番機は敵のレッグホバー撃破を主な役割としているため、必然的に最も激しい動きが求められる機体で、脚部の消耗もその分激しい。栗尾も点検を手伝い始めた。


 天井クレーンの都合でレッグホバーは一台づつしか底部点検が出来ない。そのため、夏休み中の部活登校時間は交代でずらすようにしていた。2番機担当、3番機担当は一時間づつ遅れて来る。それまでにパーツの交換などは済ませておかなければならなかった。


 レッグホバーの脚はスカート部から見て最大五十センチくらい下方へ伸ばせるよう調整されている。ボールジョイント式の関節が二つあり、人の手で横へ強めに引っ張ると関節部分で曲がり、手を離すと元に戻る。付け根の部分で脚の角度は可動するが、通常必ずしも真下へ垂直に向いているわけではなく、角度のセッティングは操縦手により様々だった。大抵四本とも後方へ向けて少し角度を付けてある。


( この角度も神経質に弄り過ぎると身に付かないんだろうな、感触が。 )


 栗尾は自分の操縦に合った最良の角度をまだ掴めずにいた。砂丘の起伏は様々に変化し、突き刺す深度を見誤るとあっさり船体がひっくり返る。

 栗尾は黙々とパーツ交換を行っている洋史に視線をやった。何度彼を焼けた砂上に投げ出してしまったことか。そういうスポーツだと言えばそれまでだが、試合となると簡単に横転させるわけにはいかないのだ。復旧ロスは大きいし、重大な故障を起こしたらそこでリタイアだ。

 彼はしばらく脚の角度は変えずにいこうと決め、付け根のボルトの緩みを点検し始めた。


 しばらくすると倉庫の外にトラックのエンジン音が聞こえてきた。倉庫シャッターが開き、青谷あおや先生と汐里しおりが入ってくる。

 搬送用のトラックはレッグホバーを一台づつしか運べない。往路は砂丘まで二往復半することになるが、今日は夜間演習も行うため、帰路は社会人チームの浜坂ドルフィンズが手伝いで回収に来てくれることになっていた。


 点検の済んだ1番機がトラックに積み込まれる。磨かれた砲身がキラッと真夏の太陽を反射させた。

 トラックが倉庫から出ると、汐里は3番機の上へクレーンを移動させる。

 栗尾と洋史はそのままトラックの助手席に乗り込んだ。運転席の青谷先生が言う。


「一般立ち入り禁止の区域を使うけど、俺が戻るまで発砲はしないようにな。砂丘走行をどこまで安定させられるかやっていてくれ。んじゃ行こうか」


 搬送車も足りないが人手も足りないな、と栗尾は思った。青谷先生はいつも機嫌良さそうな顔をしているが、社会人チームに頭を下げたり海岸の立ち入り禁止区域に使用申請を通したり、一人で大変だろうなと思う。先生は口にしないが、3番機の制作費もいくらか足が出てしまったはずだ。


( 言い出したのは俺だ。負けられない。結果を出さないと…… )


 まず自分の操縦技術。そして大会までに部員をあと最低二人。試合開始時のピットの設置は全員でやるとしても、前後半で陣地交代する時のピットの移動は出来ればスタッフ部員にやってもらいたい。前半を終えた選手の疲労と消耗はかなりのものだろうことは簡単に想像がつくからだ。


( 部長を引き受けてくれた汐姐しおねえにも感謝しないとな )


 部員名簿や緊急連絡網などを作ってくれたり、消耗品の手配や活動内容プランも全て汐里がやっている。せめて部員の勧誘くらいはやらないと申し訳がない……と、栗尾はうつむき加減で眉間にしわを寄せていた。


 トラックから降ろした1番機を海岸線まで走行させると、栗尾と洋史はユニフォームとなる耐水性のつなぎに着替え、ライフジャケットと関節のサポーターを身に付けた。着ているそばから全身が汗ばんでくる。砂の表面温度は五十五度を表示した。


 二人はフルフェイスヘルメットに内蔵されているトランシーバーのチャンネルを合わせ、洋史は更に照準システムを立ち上げる。メットの内側にあるスイッチを入れると、右目にあてがう小さな長方形のモニターに映像が映った。映像は砲身に付けられている小型カメラから転送されているもので、半透明になっておりメットの外が透けて見える。洋史はそれを頭に被った。

 被った直後は直射日光が避けられて一時的に涼しく感じるが、数分も経てば蒸れて汗まみれの地獄に変わる。


 右目のモニターにはフラフラと移動する四角い枠と、中央辺りで点滅している丸い枠があり、モニター上部には点滅する数字が、下部には忙しくチラチラと数値を変えている数字とアルファベットが表示されている。上部の点滅数値はロックオンした目標との距離、下部の数値は風速と風向きである。


 二人はお互いの準備完了を確認すると練習コースの軽い打合せをし、レッグホバーに乗り込んだ。

 操縦席のシートは台形の土手状のものが縦に計器類まで延びており、その両脇に足を置くかたちになっている。膝を折った正座の中腰のような姿勢で、後方に向けた足の裏と膝で踏ん張り、身体を支える。人によっては太腿の両脇に緩衝材のようなものを詰めて横Gに耐えたりする。


 操縦席の後ろに位置する砲手は、基本的にうつ伏せで寝ているような姿勢を取る。それが一番振り落とされるリスクが低い姿勢だからだ。

 太腿の辺りには足の太さに沿った数センチの深さの溝があり、爪先の部分には更に深い穴が設けられている。砲手も足の裏で身体を押さえるかたちだ。

 両手の手元には手摺りがあり、そのすぐ外側に位置するのが砲撃機構の薬室になる。水球弾を装填する場所だ。

 自分の胴体の左右には弾倉になる溝があり、片側に十二発、左右で合計二十四発の水球弾が格納出来る。


 操縦席にも砲手席にもこれといった規定は無く、それぞれのチームで競技に有利な姿勢が模索されているが、船体の両側面には必ず弾除けとなる壁状のものを着けることが義務となっていた。至近距離からヘルメットや身体に弾を受けてしまうと事故に繋がる可能性があるからだ。


 栗尾はまず海上に機体を向けた。

 水上の旋回も推進プロペラの後ろについているラダーのみよりは、脚を海水に沈ませた方が回頭性の切れが良い。水しぶきを上げながら8の字に機体を滑らせていく。


『左の砲身を45度まで起こしてくれ、どうぞ』


 洋史のヘルメット内スピーカーが栗尾の無線連絡を伝えた。


『ジッ……』


 ほとんどノイズだけの洋史の返事……らしきものが栗尾に返ってくる。これも栗尾の不安要素の一つだった。

 二人だけの時ならまだいい。試合では味方の選手全員が共有するチャンネルだし、審判員も同じチャンネルを使う。ピットに入る宣言は無線連絡で行うからだ。ピットイン宣言は操縦手だけが行うわけではない。むしろ燃料補給より弾切れの方が回数は多いはずだ。


( 自分が誰であるか、誰に向けた連絡か、発言を終えた時の“どうぞ”、出来るようになってもらわないと )


 ウィーン、という電子音とともに砲身が上がった。若干左右のバランスが変わり、操縦桿が軽く引っ張られる。右回り、左回りと旋回を試した後、右側の砲身も上げてもらう。同じように旋回を繰り返す。


 十五分ほど水上練習をした後、栗尾はレッグホバーを砂浜へ向けた。海岸線をまたぐ瞬間、水しぶきと伴に機体が上下に波打つ。

 ほんの緩やかな傾斜でもエアクッション艇は暴れ出すが、この程度はホバークラフトレース経験のある栗尾にとって大した事はない。きつい勾配、三十度以上の壁のような傾斜を、機体を斜めに保ったまま走り抜けられるようにしなければならない。


 海岸線から徐々に離れ、起伏の激しい砂丘に挑む。


 ズザッ……ザッ……


 機体を上下にうねらせながら、スカート部が接触した砂を跳ね上げる。

 右前方に小高い丘が迫ってきた。


( 右に傾斜がある場合、右側のスカートが砂に当たる……直前に右前脚! )


 ズザザザッ、ザザッザッ、ザザッ……


( 続いて右後ろ脚と左前脚をほぼ同時に伸ばす! ……右前脚を少し戻して…… )


「うっ!……」


 右前脚を戻し過ぎた。右前のスカートが砂に接触し、ザラザラと機体が擦り付けられている。

 慌てて右前脚を少し伸ばす。脚の状態を想像してみる。関節はどの程度曲がっているか、脚の先端は何センチ砂に埋まって走っているのか……計器類の両脇についているバックミラーに目をやる。洋史の身体が少し左に引っ張られ傾いている。


( 荷重感覚もまだ目で見ないと、掴み切れてない、か…… )


 操縦桿の重さ、引っ張られる方向、船体を通して足腰から伝わってくる振動、そこから読む脚の挙動……

 栗尾は一旦推進プロペラを止め、浮揚タービンも停止した。

 ヘルメットを脱ぎ、今の傾斜で“脚”が砂に着けた溝の状態を見にレッグホバーを降りる。洋史も栗尾を追うように降りてきた。


「んー……」


 レッグホバーの脚が砂に着けた跡を見て、栗尾は唸るような声を漏らした。

 青谷先生が着ける跡と違い太さがかなりバラついている。おまけに蛇のようにうねうねと暴れている“脚跡”だ。

 どうしてこうも不安定な挙動になってしまうのか。


( 深く伸ばすに従ってブレーキが強くなり後部が持ち上がる、それを抑え込むために後ろ脚を突き刺して一瞬砂を掴む、そのままだと左に船体が曲がる、そうなる前に前後とも少し戻す…… )


 教わった理屈を何度も頭で反芻する。操縦桿のスイッチに触れる指先の感触が繰り返し頭を過る。

 これほど毎日のように繰り返していて、グローブを幾つも擦り切れさせて……さすがにこれは他に原因があるのではないか、と栗尾は考えてみる。


 太陽は日陰の一切無い砂丘を容赦なく照りつけ、焼けた砂は熱気を立ち昇らせる。ポタポタと落ちる汗は、次々と砂で蒸発し続けていた。

 それでも栗尾は考え続ける。我を忘れたかのように考え続けている。

 原因……他の原因……


外江とのえ、お前は乗らないで、俺一人でやってみる」


 洋史は首を横に振った。


「の、乗って、ないと、荷重、結局、む、無駄に、なるよ」

「やってみないと判らねぇだろ。って言うか、無駄ってなんだよ」

「し、試合、か、か、必ず誰か、砲手の、の、乗るし、い、意味ないよ」


 例え砲手無しで上手く操縦出来たとしても意味は無い。そんなことは今までも議論したことだし判り切っているだろう、と洋史は思った。そして、実際それは正論だった。砲手を乗せていないレッグホバーはある意味正常な荷重バランスではないからだ。


「意味無いかはやってみてから考えればいいだろ! お前にわかるのかよ! え!?」


 栗尾が声を荒げた。

 操縦が上手くいかない気持ちは良くわかるが、何をそんなに焦っているのだろう、と洋史は思った。

 いつもの栗尾らしくない。立っているだけで目眩がするようなこの暑さのせいもあるかも知れない。


「す、少し、う、うみ、海に、涼んで、休憩、し……」

「休んでる暇なんか無いんだよ! 一秒でも無駄に出来ないのお前もわかってんだろ!!」


 栗尾が怒鳴り声を上げた。その目は血走っている。

 理屈に合わないことを言っているのは栗尾先輩の方だ、と思った洋史は、つられて言葉が荒くなった。


「わっ! わっかってなっ無やならっくっ! くらっ栗尾せんぱっじゃらっかっ!」


 言葉が上手く発音されていないことは自分で気付いているが、そんなことはどうでもいい。栗尾先輩の頭を少し冷やしてやらないと今日の演習が全て無駄になりかねない、と洋史は必死になった。

 そこへ、3番機を海岸線へ自走させ終えた汐里と水根が歩いて来る。栗尾も洋史もまだ二人に気付いていなかった。


「なんだよ外江、遂にマコッチ先輩まで怒らせたのか?」


 喧嘩を止めようと、水根は栗尾と洋史に近付こうとした。だが、汐里が手でそれを制する。


( ふぅん、洋史君、そこまでやれるようになったのか )


 栗尾と口喧嘩する洋史。それも、洋史の方も唾を飛ばしながら大声を出している。こんな彼は初めて見た。

 汐里は口元で軽く笑みを作ると、喧嘩中の二人に近付き、それぞれの首筋にペットボトルを当てた。


「つめっ!……」

「ひあっ……」


 そして二人にペットボトルを握らせると、煽るように言った。


「どした? もう終わり? もっとやれやれーい」

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