奇跡の交差点
栗尾の改修レッグホバーと青谷先生が新規作製したレッグホバーが完成したのは七月も半ば近い頃だった。青谷先生が社会人チームの浜坂ドルフィンズで使用していた船体も含め、合計三台が浜坂西工業高校レッグホバー同好会の保有数となる。
暫定的に決められた操縦手は三年の青谷汐里、二年の栗尾、一年の絹見。汐里と栗尾は操縦経験者で、絹見は学校で造船工学を専攻しており操舵関係の知識もあるからだ。
三人は鳥取砂丘の海岸線付近で連日の練習を繰り返していた。
各船体は部内でナンバリングされている。栗尾が使用していた改修船体を1番機、浜坂ドルフィンズから降ろされた船体を2番機、新規作製した船体を3番機とし、砲撃機構はそれぞれ違った砲身が取り付けられている。
1番機には操縦席の左側に腔線加工が施された約2メートルの砲身、右側には先端に向かってラッパ状に太くなる約1メートルの砲身で、こちらには腔線加工が無い。
2番機には左右とも同じ約2.5メートルの長さの砲身が付けられており、左側には腔線加工があるが右側には加工が無い。命中率は少し犠牲になったがこの2番機は最も射程距離が長く、無風状態では三百三十メートルを記録した。
3番機には1番機の右側に付けられているラッパ状の1メートル砲身と同じものが左右に二門である。
砲撃機構の仕様は洋史を中心に水根と小鴨の三人で試行錯誤を繰り返しながら、一応の完成に至った。
各機の役割として、1番機は基本的に相手のレッグホバーの撃破を目的に調整されており、2番機は得点の的を狙撃すること、3番機は援護や撹乱を得意とする砲撃仕様になっている。
まだまだ機能的に不十分なところはあるが、射的は追求し出したら終わりが見えない類いの研究であり、予算も時間も限りがある。特に洋史のこだわり方は果てが無く、呆れる水根を小鴨がご機嫌取りにあたるという場面が多々あった。
照準システムは洋史の草案をもとに二年の鳴滝が組んだ。非常に優れたシステムで、青谷先生をはじめ部員全員が感嘆したほどだ。
照準モニターは大会で義務付けられているフルフェイスヘルメットのバイザーの内側に取付ける仕様で、手元はフリーになり煩わしさは無い。無線でデータを飛ばす可動式の小型カメラと望遠レンズは砲身に付けられている。更に砲身の先端には風向きと風速の測定器が付けられており、これも砲手のメット内モニターにデータが転送される。
ただ、これまでの活動で同好会の中には不穏な空気が積もりつつあった。特に強いわだかまりを抱いているのは水根で、鳴滝も似たような嫌な気分を感じている。それは、洋史の態度のことだった。
水根は何度となく顧問の青谷先生に相談を、と言うよりは愚痴をこぼしていた。
「何考えてるのかよく判らないまま突っ走るんですよ、あいつ。何か聴いても、良いのか悪いのか、自分勝手って言うか、無視されることも多いし……」
「そうか? 洋史は人を無視したりなんかしないぞ。ちょっと喋るのが苦手なだけだろ」
「苦手って……こっちの言ってること解ったのかどうなのか、自閉だかなんだか知りませんけど……」
「それは言い過ぎだぞ、水根」
青谷は洋史には敢えて何も言わず、そういった愚痴を全て吸収していた。鳴滝からも、「あれは先輩に対する態度じゃない」と文句が出ていたが、「お前が歩み寄ってやれ」といった助言を返していた。
自分勝手。無視する。空気を読まない。鳴滝や水根に蓄積されていた洋史に対するそんな批判的な気持ちが、ある日の校外練習の時に爆発した。
2番機の腔線加工を施してある砲身が、水球弾の砲身内破裂を連発し始めたのである。砲手をしていた水根が洋史に言った。
「これ外江の設計だろ。なんとかしろよ」
「え、エッジ、み、見て……」
「自分で見ろよ! 研磨した方がいいんじゃないのか!?」
「……お、お、温度……」
「え!? なに!?」
洋史は1番機の砲撃演習をしていた。その日の砂丘は表面温度が五十度を超えており、規定装備に身を包んだ部員は皆フラフラである。
洋史が言おうとしたことは、腔線のエッジチェックもするべきだが、樹脂製の水球弾を日光に晒し続けていると温度で膨張するから砲身内で引っ掛かり易くなる、弾が熱くならない工夫はしているのか、ということだった。
「ちょっと休憩するから砲身チェックしてくれよ!」
水根はメットを脱いで2番機から飛び降りると、テントに戻りスポーツドリンクを飲み始めた。
1番機の方へ視線をやると、洋史は降りる気配を見せない。水根の苛立ちは頂点に達した。
「何やってんだ外江! 早く直せって言ってるだろ! なにもたもたしてるんだよ!!」
「おい、水根!」
テントにいた青谷先生がさすがに口を挟んだ。
だが、水根はペットボトルを砂浜に叩きつけると、「帰ります、すいません!」と言い、歩いて行ってしまった。
3番機の上で薬室角度と着弾座標のデータを取っていた鳴滝も、メットを外しながら言った。
「外江、調整してやるならしてやる、やらないならやらない、ちゃんと言ってやれよ。自分の設計に責任持ってくれないとこっちだってやる気失くすぞ」
洋史は口を開きかけたが、うまく言葉が出ない。
2番機の砲身内径はシビアなんだ……そうしないと飛距離が出ない……もっと寸法設定に時間掛けようとしたのに止めたのは水根君じゃないか……弾だって膨張する……そういうケアも担当砲手の仕事じゃないのか……洋史にも他責の気持ちが、水根への不満が過る。
そして同時に湧き上がる恐怖感。
他人とは自分を責める存在、それは痛切に身にしみている事実。
僕だって一生懸命やってるんだ。
喋れないからって、どうして責められなければならないんだ。
一生懸命やってるのに。
僕が何か悪いことをしたか?
青谷先生みたいに皆んなを信頼したい。
信頼したいんだ。
だけど壊されるじゃないか。
信じようとする気持ちを、お前らが壊すじゃないか。
言ったんだ。
無理だって言ったんだ。
僕には部活は無理だって、ちゃんと言ったんだ。
なのに。
なのに先生に無理やり入れられて……
フルフェイスの中で汗と涙が入り混じり、洋史の頬を伝った。
悔しい。
情け無い。
言いたいことが伝わらない。
思っていることが伝わらない。
どうして。
どうして僕だけ。
どうして僕だけがこんなに苦しまなければならないんだ……
洋史の乗っている1番機を、操縦席にいた栗尾がホバリングを止めた。波打ち際に1番機が静かに着水する。
テントにいた小鴨が砂浜を走ってきた。手にはペットボトルを持っている。
「外江殿、よかったら飲むといい」
洋史はフルフェイスを被ったままチラッと小鴨を見た。そしてすぐに視線を落とす。小刻みな身体の震えを止めることが出来ない。
小鴨さん。
なんなんだ。
この人は一体何なんだ。
何が目的なんだ。
どうして僕にまとわりつくんだ。
いつだ。
いつ僕を責めるんだ。
どう僕を攻撃しようとしてるんだ。
言葉で罵るのか。
暴力を振るってくるのか。
駄目だ。
もう駄目だ。
僕は駄目だ。
上手くやれない。
部活動なんて僕には出来ない……
停泊している1番機から栗尾が飛び降りた。
「先生、暑いし、水根行っちゃったし、今日はこの辺にしときませんか」
栗尾の言葉を聞いた絹見は3番機のホバリングを止めると、鳴滝と一緒にメットを脱いで降りてきた。
小鴨は1番機の横でペットボトルを持ったまま所在なさ気にキョロキョロしている。
汐里はホバリング中の2番機の操縦席でゆっくりとメットを脱ぐと、洋史の方を見てため息をついた。
( やれやれ、水根君も洋史君も、一年生ってまだ子供ねぇ…… )
その日の活動は解散となり、帰宅した洋史は夕食も取らずに自分の部屋に閉じこもった。
母と話したくない。父とはなおさら、目も合わせたくない。
同好会はもうやめよう。悪いのは自分の障害だ。どうにもならない。自分の力ではどうしようもないことだ……寝付けないまま、洋史はベッドで震え続けていた。
翌日、昼休みに洋史は職員室を訪れた。退部届けを提出するためだ。
「んー、その前にだな、水根とは話したか? 揉めたまま退部はさせられないぞ」
「……い、いえ……」
「じゃあまず水根と話してこい。やめるかどうかはそれからだ」
それが出来るなら苦労しない、と洋史は思った。
( 青谷先生はわかってない。急に湧いてくる恐怖感がどんなものか…… )
仕方なく洋史は栗尾を探した。栗尾先輩なら多分味方してくれる、少なくとも水根と一緒になって責めてくることはないだろう、と思ったからだ。
二年の教室にはいなかった。環境化学研究室だろうか……それともまだ食堂にでもいるのだろうか。
「よっ、洋史君」
栗尾を探して廊下を歩いていると、ばったりと汐里に会った。洋史はおずおずと頭を下げ、通り過ぎようとした。すると汐里は洋史の顔を覗き込むように言った。
「今、暇?」
暇ではないけど、忙しいかと言うとそうでもない。どうせもう同好会には出ないし、水根のことは栗尾先輩を見つけてからでいいし……と思った。本音は、水根と会うのが怖くて先延ばしにしたいだけなのだが。
汐里は自動販売機でジュースを二本買うと、中庭に洋史を連れて行った。そして、設置されているベンチに二人並んで座る。ベンチを選んだ理由は、洋史が人と向かい合って座るのは苦手だろうと思ったからだ。
( ええと、この子は質問すると駄目なのよね。答えを要求しないように、と )
父から聞いていることを思い出しつつ、汐里は話し出した。
「朋恵ちゃん、昨日、困ってたね。ドリンク、受け取ってあげればよかったのに」
何の話だろう、と洋史は思った。よくよく思い出してみると、近付いてきた小鴨がペットボトルを持っていた姿が浮かんだ。そうか、飲み物を持ってきてくれたのか、と思い当たる。
「朋恵ちゃんさ、多分好きだよね、君のこと」
それはない、とすぐ様洋史は思った。理由が無い。好かれる理由が自分のどこを探しても、無い。
「あ、私、インテリア科なんだけど、風水とか知って……」
知ってる? と聴こうとして汐里は言葉を止めた。いかんいかん、質問はいかん。
「風水っていうのがあってね、まぁ、工業高校のインテリア科なんか風水を学ぶところじゃないし、座学の時に話題が少し出る程度だけど、地勢とか方位とか、陰陽の気の流れとか、そういうのちょっと興味あってさ」
何の話をしようとしているのだろう、と洋史は思った。こっちはそれどころではないのに……青谷汐里、青谷先生の娘、この人との距離感が判らない。同好会の活動には最初あまり顔を出さない人だったし、砲撃や照準に一通り意見すると、その後の研究や改良には口も出さなかった。
「や、や、やめ、辞めようと、お、おも、思って……」
「へ? なに?」
汐里が聴き返すと、洋史は黙り込んでしまった。
「やめるって、同好会?」
洋史は下を向いたまま頷いた。唐突な話題の変更に、汐里は苦笑してしまった。
手強いぞ。噛み合わない会話、この子は結構手強いぞ。
「私なんかまだ出してないよ、入部届け」
その言葉に、思わず洋史は汐里の顔を見た。そしてすぐに顔を下に向ける。
「マコッチに仮入部ねーって言ったっきり、なんかやらされてるの、操縦手までさ」
この人との距離感。初めて会った時は他の人と同じく恐怖感を覚えたが、今は汐里先輩は自分を攻撃する人とは思えないようになっている。と言うか、凄く遠いところにいる人のように思える。
自分と関わることすら無い、相手にもされない、歳上の女性。
たまたま同じ学校に通っているけど、違う世界に生きている人……そんな感じだ。だから来ないのか、身体に震えが。
「でね、風水の話に戻るけど、環境を変えて気の流れを良くして、運を呼び込むわけ。占いとかそういうの、男の子は興味ないかも知れないけどさ、統計学? 生まれた日とか星の動きとか、風水は環境学だけど、運勢のいい時とか悪い時とかってあると思うんだよね」
( なんだ? 急に子供っぽいこと言い出したぞ…… )
「でもさ、一番運気を変えるのって、人との出会いだと思う」
( それなら僕は一生運が悪いよ。人が怖いんだ。人と会わないで済むなら…… )
「学校ってさ、奇跡の交差点だよね」
「え……」
思わず声を出した洋史は、汐里の横顔を見た。
ふわっと風がそよぎ、女性独特に良い匂いが洋史の鼻をくすぐる。
「って言うか、出逢いの海、かな。偶然この学校を受験した人達が、偶然集まる交差点。洋史君も何かやりたくて、えっと、自動車工学だったっけ、自動車が好きじゃなかったら受けなかったでしょ、ここ」
金縛りにでも会ったかのように、洋史は汐里の横顔を見つめ続けている。
違う世界では無かった。凄く遠いところでも無かった。青谷汐里という女性は、すぐそこにいた。
「なんか上手く言えないけど、良い運気も悪い運気も、人が運んでくる奇跡なんだろうなって思う。だからさ……」
汐里は初めて洋史の方を向いた。洋史は瞬きをしたが、なぜか顔を逸らすことが出来ない。
「この奇跡の交差点での出逢い、もっと大事にしてみたらどう?」
何かが洋史の心に溶けて行く。
汐里先輩の言葉はどこかリアリティがなく、メルヘンチックな感じさえするのだが、不思議な透明感を伴って浸透してくる。
人と接する恐怖感。その“恐怖感”という頑固な黒い結晶が心の中でゆらゆらと漂い始め、裏側や違う角度を見せ始める。平面的な闇だった“理由無き恐怖感”にも様々な側面があるのだということに、洋史は気付き始めていた。