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逆さの水平線  作者: 木漏陽
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カーブドライブ

 浜坂西工業高校には体育館に併設された体育準備室がある。各学年を担当している体育教員のデスクがあり、一年生担当の青谷あおやのように職員室で事務仕事をしている教員は少なく、他の体育教員は主にこの体育準備室のデスクを使用していた。

 放課後ここに呼び出されると生徒指導室よりも恐ろしい説教地獄が待っている、などと噂する生徒もいるので洋史ひろふみは少し躊躇したが、今日はここに青谷先生がいると言うのであれば仕方がない。レッグホバー砲撃機構の改良案を持って相談しに体育準備室を訪れた。

 体育館の外側に面している方のドアを黙って開けた洋史は、睨むような視線を向けた他学年の体育教員に一瞬たじろいだが、青谷先生の一言がそれを救ってくれた。


「お、洋史か。こっち来て座れ」


 下を向きながら恐る恐る青谷先生のデスクへ行き、ノートパソコンを立ち上げると印刷した資料を手渡す。彼は時折頷きながら洋史の資料を見た。


腔線こうせんか……ライフリングってやつだな。溝のエッジを丸く削って弾の砲身内破裂を防ぐ、か。まず、どうしてレッグホバーの砲身は腔線が省かれているかと言うとだな、水球弾というのは……」


 青谷先生は言葉の途中だったが、洋史はメモツールに書き込んだ文字を彼に見せた。


『その前に、僕は同好会に入るとは言っていません』


 それを見て青谷はふっと小さく溜息を漏らし、洋史の肩を軽くぽんと叩いた。


「俺といる時くらい、少し頑張って言葉で話してみないか」


 言葉がうまく出てこないことは洋史自身にとっても大きなストレスだ。そういう障害なんだ、仕方がないじゃないか、と思った。しかし、青谷先生はそのことで苛立ったり怒り出したりしないことは判っている。喋ることが出来るように努力してみろ、ということか。喋る努力、という言葉だけで洋史は息苦しいものを感じる。それでも、信頼出来る青谷先生が言うのなら……


( ん、信頼?…… )


 洋史の思考の中で刹那、“信頼”という言葉が頭に引っ掛かった。信頼している人、青谷先生、母、心療内科の先生……


「で、なんだ、まだ出してないのか、入部届け。マコッチに出しておけよ」

「あ、は、はい……で、でも、ぶ、部活、は、は、入らない、て、き、決めて、るし……」

「なんでよ」

「め、め、迷惑、かけて、い、あ、む、無理、だし……」

「迷惑? 誰がそんなこと言った。マコッチか?」

「い、いえ、い、い、いえ……」

「まさか体力的にきついとか言い出すんじゃないだろうな。そんな健康な身体を親から貰っておいて」


( キツそうってのはあるな…… )


 レッグホバーを試乗させてもらった時、洋史は浅瀬へ投げ出された。しばらく肩が痛かったことを思い出す。だがそういう事ではない。部活動などそもそも自分には無理なのだ。集団生活の中で人とコミュニケーションが取れない自分がどうして部活など出来ようか。


「ほ、他の、せ、生徒と、う、う、うまく、で、出来ない、し……」

「出来るできる。何事も為せば成る、だ。そうそう、船舶免許取らせるからな。確か講習は二日で終わる。小鴨おがもさん達と行ってこい。取得料は学校で持つ」


 小鴨。そうだ、彼女はなぜレッグホバー同好会に入りたいと言い出したのだろうか。青谷先生に誘われたようなことを言っていたが……洋史がそれを聴いてみると、最初は「入部しない」と即答だった、と青谷先生は答えた。

 小鴨の話では、中学生時代に部活を六つも転々とし、七回目の入部届けはどこの部からも拒否されたらしかった。発想が何かと独創的で人と足並みを揃えた活動が苦手らしく、先輩の言うことを聴かない、とどの部でも怒られて追い出されたらしい。


「ほら、この前、洋史が言ってただろ。備品を壊すから“クラッシャー小鴨”ってあだ名が付いたって。そのことを小鴨さんに聴いてみたらな、彼女なりの理由というか論理がある行動なんだとわかったよ」


 駆動系のデファレンシャルは急発進の時にどこで力を緩和させているのか、ディーゼルエンジンの燃料噴射量はトルクにどう影響を与えるのか、それぞれ確かめてみたかったらしい。


「まあ、ちょっと抜けてるんだけどな。冷静に構造を追っていけば解ることだし、模型に及ぼす悪影響の予測もな。ただ、それを自分の目で確かめようとする行動力は彼女の長所だと思って、新たに制作するレッグホバーだけでも手伝ってもらえないか聴いたんだ。これなんだけどな……」


 青谷は自分のデスクのパソコンにレッグホバーの設計図を表示させた。船体は既に制作を始めているらしく、作りかけの胴体の画像もあった。


「マコッチのホバーを改修している話もしたら、エンジンを洋史が見ているって話に食い付いてきてな。同好会はチームプレイでピットの整備員も必要だと言ったら、入部したいと言ってくれたんだ」


 いきさつは大体わかったのだが、一つだけどうもよく分からない。栗尾くりお先輩のエンジンに自分が関わっていること、それに食い付いた、という点。自動車工学科の授業でも自分と同じ班に変えてもらったという理由、その辺が今一つ判らない。自分の何が彼女をそうさせたのだろう……そんなことを考えていると、体育準備室の体育館側に面しているドアがノックされた。生徒が三人入ってくる。


 彼らは三人とも卓球部だった。青谷先生が呼んだとのことで、洋史は紹介を受けた。


「掛け持ちになるが、レッグホバー同好会に参加してくれる三人だ。二年の鳴滝なるたき、専攻は情報技術科だから砲手の照準システムで力になってくれるだろ。それから、一年の絹見きぬみ、彼は造船工学科。そして、一年の水根みずねで設備工業科だ。マコッチは環境化学科だからこの三人の方が頼りになるだろ」


 青谷先生はニッと笑って見せた。

 卓球部の三人が会釈し、洋史もお辞儀を返した。だが洋史は顔を上げられず、下を向いたままだった。こういうのがとにかく苦手だ。運動部の人が三人も、上手くやっていける自信が全くない。仲間意識を持つ集団は一人が敵意を持つと嵩にかかって皆が攻撃的になることを洋史は知っている。過去の苦い経験が恐怖感を伴って背筋をじわじわと浸食していく。


「絹見は船舶二級、持ってたよな」

「あ、はい、学校で取らされましたので」

「じゃあ鳴滝と水根の分だな、申請しておく。洋史の砲撃機構資料は今日中に見ておくからな」


 青谷先生はまだ仕事が残っているとのことで、洋史は体育準備室を後にした。

 やはり卓球部の三人には恐怖感が残る。複数の人から攻撃的に問い詰められると、言葉で言い返せない洋史は手を出してしまうことも過去にあった。自分では暴力を振るっている意識は無いのだが、違う、そうじゃない、という気持ちがどうしようもなくそういう行動に変わってしまう。

 高校に入ってまで問題を起こすのはもう嫌だ。同好会はやはり断ろうか……そんな迷いを抱えたまま洋史は帰宅した。


 自宅に帰った後、夜七時頃に玄関の呼鈴が鳴った。父は帰宅時に呼鈴は鳴らさないし、誰だろうと思っていると、母の驚いたような声が部屋のドアの外から聞こえた。


「ちょっと! 洋史! お友達っていう方が来てるわよ!」


 友達なんてもちろんいない。恐る恐る玄関に出てみると、栗尾くりお先輩だった。


外江とのえ、こんな時間に悪い。エンジンパーツの事で、急いで聴きたいことがあるんだ」


 栗尾は玄関口で何枚かのカタログのコピーを広げた。

 母がおろおろした表情で洋史と栗尾を交互に見ながら言った。


「あの、お友達って、お、お友達、なの? ですか?」


 洋史がぎこちなく頷くと、母は素っ頓狂な声を出した。


「ええ!? まあ! お友達さんなのね!? 上がって、上がって頂きなさい! お、お菓子、お茶、すぐ出しますね……」

「ああ、お構いなく、用事が済んだらすぐ帰りますから」

「え、だって、お友達さんなんでしょ? ちょっと洋史、上がってもらいなさいって」


 興奮気味の母に気圧され、栗尾は洋史の部屋に通された。母の慌てぶりは無理もない。息子の友達が家に来るなど、いや、友達が出来たことさえ初めてだったからだ。


 栗尾は購入する中古部品について相談に来ていた。ホバークラフトレース用のチューンではなくレッグホバーのトータルバランス調整にターゲットを変えたのだが、今日の夜八時までに注文すれば取置きしておいてくれるという格安パーツを見つけたらしい。予算の都合で無駄な買い物は出来ないとのことで、洋史は必要なパーツを選別していった。

 パーツの選別が済み、洋史は今日紹介された卓球部の人の話を栗尾に伝えてみた。


「ああ、鳴滝達だろ。一年のことはよく知らないけどな。操縦手と砲手はなんとかなりそうだな。汐姐しおねえがやってくれればだけどな。ピットにも三人くらい必要らしいからまだ足りないけど」


 洋史は自分の不安をちゃんと話すことは出来なかったが、栗尾が鳴滝という二年生を知っているならそう問題は起きないか、と少し恐怖心が薄らいだ気がした。


 自分が曲がりなりにも対話が出来る相手とは、すなわち自分が“信頼”を置いた相手……では、その“信頼”とはどうすれば形成されるのだろう……多勢に飲み込まれれば、人は簡単に裏切る。この栗尾先輩だって、まだ“信頼”が確立されたわけではない。


( 信頼って何だろう…… )


「またいつでも来て下さいね、栗尾さん」


 玄関の外で何度も頭を下げている母の後ろ姿を見ながら、洋史は“信頼”というものの本質について思いを巡らせていた。


 翌日の放課後、青谷先生からフィードバックされた所見付きの砲撃機構改良案について、洋史は検証実験を行っていた。

 小鴨が手伝ってくれると言うので、映像の録画を頼んだ。弾の進行方向へ向けて砲身の後ろから撮影する形で、どういう方向にどう変化していくかを見る。

 水球弾の弾道は野球の変化球のように様々に変化していた。結果、着弾座標は当然ブレる。球体の弾だから腔線を付けたところで影響が少ない、という定説が青谷先生の所見にあるが、弾道の変化を制御しない限り命中精度は上がらない、と洋史は考えている。撃針が叩く位置を変えても弾道変化のランダムさが大差無いのであれば、あとは砲身の長さと腔線による回転を付けるしかない。


 洋史は砲身内の腔線加工を製図し、加工依頼書を作成すると職員室に向かった。青谷先生に提出するためだ。とにかく弾を真っ直ぐ飛ばさないと始まらない、そればかり考えていた。

 加工依頼書を見た青谷先生は首を傾げていたが、好きなようにやってみろ、と言い書類を回送してくれた。


 職員室から検証実験をしていた体育館裏に戻ってみると、小鴨が男子生徒と何やら話している姿が目に入った。どうやら昨日会った卓球部の生徒のようだ。テストしていた砲撃機構は、根元から砲身が外されている。


「外江殿、ちょっとこれを見てくれるか」


 小鴨は今撮ったばかりの映像を再生して見せた。その映像では砲身が外されており、薬室から直接弾が打ち出される映像だった。

 砲身無しでまともに弾が飛ぶか! と思った洋史は、思わず声を出した。


「か、ま、また、かっ、勝手なことっ、ばかり、か、勝手に……」


 すると、一緒にいた卓球部の生徒が口を挟んだ。確か水根という一年生だ。


「あ、あの、俺が言ったから、カーブドライブの打ち方。試してくれたんだよ、小鴨さん」


 カーブドライブ?……何のことか判らず、洋史は口を噤むと再び映像のモニターに目をやった。


「もう一回戻すぞ。二発撃ってる。飛んだ先を良く見てくれ、外江殿」


 一発目の射撃は真っ直ぐ打ち出されたが、発射直後から大きく弧を描き、右へカーブしながら正面よりかなり右の体育館の壁に当たった。


( ブレ過ぎだ。こんなにブレたら照準も何もあったもんじゃない…… )


 二発目は少し左向きに発射され、同じく右カーブの弧を描きながら正面に近い位置の壁に当たった。


( ん? 弾道はかなりカーブしているけど、着弾位置は…… )


薬莢やっきょうの部分をわざと斜めにセットしてな、斜めに撃針が当たるようにした」

「卓球で言うカーブドライブってのは……ちょっと体育館に来て」


 水根が手招きした。洋史と小鴨が彼の後に着いていく。

 体育館の中に入ると、水根は卓球台の所へ行き、ラケットを振りながら説明し出した。


「これが、ラケットの角度はこう、これで打つと……普通のスマッシュ」


 次は手首をクッと内側に向けて固定し、ピンポン球にラケットが斜めに当たるようにして打つ。


「……これがカーブドライブ。ほら、こう、角度こう、凄い斜めに当たってるわけ。わかる? こう」


 球は卓球台の外側から急にカーブして台の上に落ちた。

 洋史は衝撃を受けていた。卓球の技も凄いと思ったが、水球弾の砲撃、狙った座標に着弾させる方法は一つでは無いと気付かされたことに。

 真っ直ぐ飛ばさないと始まらない……と思っていた洋史の脳裏に、幾つかの方法論が浮かんでくる。応用の仕方によっては油断している相手に被弾させることが出来るかも知れない。


「す、す、凄い、凄いよ、小鴨さん、水根君……」


 夢中で声に出たその名前は、ほとんどどもっていなかった。


 洋史と小鴨は一旦片付けるために体育館を出た。小鴨はテストに使用していた砲撃機構の薬室に外した砲身を取り付けようとしたが、なかなか上手くはまらない。ボルト穴の位置も上手く合わない。

 どうやら弾と撃針を斜めにした二発目の時に……彼女は顔を歪め、泣きそうな顔で言った。


「外江殿……また壊した、です……」

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