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逆さの水平線  作者: 木漏陽
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汐姐

 その日は一日中雨が降り続いており、梅雨真っ只中といった湿った空気が校舎内にも蔓延していた。


 放課後、自動車工学科の実験室でレッグホバーの砲撃機構を分解解析していた洋史ひろふみは、微妙なバランスが上手く保たれているその仕組みに驚くばかりだった。

 “水球弾”と呼ばれる弾は直径十センチ弱の球体が同じ直径の円柱に半分埋まっているような形状をしており、円柱部分には火薬と雷管が仕込まれている。つまり円柱部分が薬莢やっきょうの役割をしているわけだ。薬莢は高さ六センチ程度。弾の本体となる半透明の球に指で触れてみると、少し硬いが若干の弾力があった。


( 着弾とともに球体は破裂、だけど発射の瞬間は破裂しない…… )


 水球弾だけ綿密に規格が決められている理由が良く判る。この規格じゃないと三百メートルも飛ばすことなど出来ないのだろう。

 撃針は弄れるだろうか、と考えてみる。飛距離は命中率を大きく左右するが、命中率云々の前に、雷管を叩く力を変えてしまうと発射せずに砲身の中で弾が破裂してしまう可能性があるかもしれない。


( 撃針も含めて薬室は迂闊に調整出来ないな……照準システムと砲身を弄るしかないか )


 洋史は改良の方針をざっくり決め、青谷あおや先生から受け取った浜坂ドルフィンズの射撃データをパソコンに表示させた。練習でのデータと試合でのデータでグラフが別れており、試合のデータは得点の的や敵機の的に着弾したものだけが記録されている。飛距離が三百メートルに達した砲撃はほとんど無く、追い風の時でも最高着弾距離は三百四メートルとある。

 着弾座標を演算する式はドルフィンズで青谷先生が作ったものがあるのだが、半径一メートルくらいは平気でブレてしまうらしい。


「風向きや風速なんかその場ではわからないさ。レッグホバーは常に向きを変えるし、走行間射撃の時は相対速度も掴み切れない」


 青谷先生が言っていた言葉だが、そんな雑な感覚では命中率など上げられないだろう、と洋史は考えていた。もう一歩踏み込んで干渉するあらゆる因子を制御するべきだ……


 こだわり始めると盲目的に没頭してしまうへきが洋史にはある。小学生のうちは「長所として伸ばすべきです」と心療内科の医師に言われていたが、中学生に上がると「周りを見ながら、物事はバランス良くこなしなさい」と言われるようになった。それを頭では理解しようとしているのだが、気がつくと同級生からは「周りを無視している」とか「空気が読めない」などと指摘されてしまうのだった。

 今も洋史は気付いていなかった。いつの間にかその生徒が実験室に入り、キーボードを打っていた彼のすぐ後ろからパソコンを覗き込んでいたことに。


「着弾座標の演算式?」

「!」


 突然耳元で聞こえたその声に、中腰で机に向かっていた洋史は、振り返った瞬間に腰を机にぶつけてしまった。机が倒れそうになり、その生徒がノートパソコンを素早く掴み上げる。そしてモニターを改めて見た。


「うん……私も散々やってみたけど、帰納法的なアプローチだと限界あるっぽいんだよねぇ」


 洋史は震える手で机を立て直しつつ、その生徒を上目遣いで見た。女子生徒だ。肩より長いワンレングスの髪を頭の天辺だけ一掴み分ゴム紐で留めており、そのため額は全開だった。下は制服のスカートだが、上は体操着にジャージを羽織っている。ジャージの色は三年生を示す青だった。


( 三年生……誰だろう…… )


 洋史は床に拡げてある分解中の砲身に目をやった。

 青谷先生に言われて実験室を使っている……この砲身も青谷先生から預かった物で終わったら片付ける……言わなければならない事は頭に浮かぶが、声が出ない。


( ちゃんと説明しないと怒って騒ぎ出すのでは…… )


 目を伏せたまま顔を上げられず、洋史の手や足は震え出していた。


「風速や向きは確かに重要だけど、試合中は活かせないんだよね。砲撃手がリアルタイムで読み取れるツールがないと……今、風速を測れるアプリあるみたいだけど、あれ使えるのかな」


( この人、なにしに来たんだろう……実験室を使うんだろうな……三年生が大勢来たらどうしよう…… )


 女生徒の言葉は洋史の耳に入ってこない。とにかく床を片付けようと、洋史はバラしてある砲身のところへ行き身を屈めた。


「あ、何か判った? 外江とのえ君」

「え……」


 自分の名が呼ばれた。初めて彼女の言葉が耳に入る。


( どうして僕の名前を…… )


 彼女は洋史の横にしゃがみ込むと、砲身の内側を指で触りながら言った。


「中にはロウが塗ってあるんだけど、これもどうなんだろ。ただ滑りを良くするだけでいいのか、弾道を補正する、もっとこう、何かいいものがあるのか」


 怒っている様子は無い。出て行け、とも言っていない。それどころか、どうやら砲撃機構の話をしているようだ、とやっと洋史は気付いた。まさかとは思うが、この三年の女子は自分を手伝いに来たのだろうか。だとすると、一体どこの誰……


「あ……」


 彼女の胸元、羽織ったジャージの中の体操着。そこに縫い付けられている名札が洋史の目に入った。


『青谷』


( あれ、もしかして…… )


 その時、実験室のドアが荒々しく開き、栗尾誠くりおまことが入って来た。


「悪い、汐姐しおねえ、外江、遅くなった」

「なんだ、意外と早かったね。レポート終わらないって泣きそうになってたのに」

「誰が! 別に泣きそうじゃねーし」


 洋史は目を丸くした。栗尾先輩が来る予定だったとは聞いていないし、この『青谷』という三年の女子は……


「んで? 砲身は付けられそうか? どこまで話した?」

「どこまでって言うか、まだ何も、外江君が着弾座標の演算式を見直してたみたいで」


 洋史は小鴨おがもが言っていた筆談を思い出し、ノートパソコンの所へ行くとメモツールを開いた。それを二人に見せる。


『僕は人とうまくしゃべれません ごめんなさい お二人はどうしてここに来たのですか』

「どうしてって、汐姐、何も言ってないのか?」

「ああ、経験者の意見は必要だろって。そう言えば、マコッチが遅れてくること言ってなかった」

「おいおい……」

『あなたは誰ですか』

「え? 私? 体育の青谷の娘、汐里しおり

「それも言ってなかったのかよ……外江も見たろ、汐姐の試合」


 思い出した。浜坂ドルフィンズの選手紹介欄に載っていた名前。砲手、青谷汐里。


「だって外江君、あまりにも真剣にパソコン打ってて……あ、でもね、私、やらないから、同好会。意見を言いに来ただけだよ」


 淡々とした口調で汐里は言った。それを聴いていた洋史は、無理もないな、と思った。あのスポーツは女の子にはハード過ぎる。だが、栗尾は食い下がるように言った。


「そこをなんとか頼むよ、十月の大会だけでいいからさ」


 この前の一般部門大会では浜坂ドルフィンズは下位の方で終わった。やはり三機ではどうやっても五機のチームには勝てないのだろう。戦略的に考えても自陣の的の守備に船体を割ける方が圧倒的に有利だ。


「無理しないでさぁ、今年は見送って、来年から参加したら? マコッチさぁ、なんでそんなに焦ってるの」


 同じことを洋史も思っていた。これから制作に入る船体もあり、改修する栗尾のホバーの調整もある。これから入る部員の練習も容易ではないだろう。

 栗尾は暗い表情になり、肩を落とすように椅子に腰かけた。


「俺、このままだと、二年で中退なんだ」

「え?」

「え……」


 思わず洋史まで声を漏らした。パソコンを置き、椅子に座る。汐里もゆっくりと椅子に腰かけた。

 栗尾の話では、父親が倒れて入院していると言う。栗尾家は農家を営んでおり、父親が倒れた影響で昨年の冬、今年の春と収穫がほとんど出来ず、収益が大打撃を受けたとのことだった。


「ほとんど親父一人でやってた畑だからさ、お袋まで腰を痛めちまったし、三年進級の学費は借金したとしても、じゃあ来年の農作業は誰がやるんだって話でな。結局、進級は諦めて俺がやらないと、その先、生活自体が苦しくなる」


 競技レッグホバーは高校生大会とは言え、主催の運営方針が他のスポーツと異なり賞金が出る。レッグホバー自体の整備にお金が掛かるという性質から一般部門や大学生部門と同様の扱いという賞金制度で三年前に始まった。これは、部を保有する学校が限られていることから、マイナーな競技として他のスポーツとは一線を引かれる部分でもあった。


「この話をして、賞金は部員全員で分割しようと言い出したのは青谷先生なんだ。準優勝以下では厳しいけど、優勝であれば高校卒業まではなんとかなる……まぁ、趣味でやってたホバークラフトレースもこのままじゃ出来なくなるし、最後の挑戦、みたいな感じかな」


 栗尾が話し終えると、しばらく沈黙が続いた。雨音が窓の外でひっそりと響き、雨樋を伝って流れ落ちる水がびちゃびちゃとコンクリートを叩いている。

 重苦しい空気の中、汐里が静かに口を開いた。


「でも、さ……今年エントリー出来たとして、大会要項見た? 鳥取砂丘会場では最大七機、フィールドも一般部門の三倍の面積だよ。準決勝と決勝が行われる青森の猿が森砂丘では……」

「もちろん見た。各校のレッグホバー保有台数も調べた。三機では歯が立たない学校もあるのは判ってる。でも、やらないで諦めるよりは……挑戦して、負けて納得したい」


 洋史は少し違うことを考えていた。人と接することに恐怖感を覚えるのに、出会って間もないこの栗尾誠という先輩は何か違う。まともに対話出来ない自分と、競技会場で会った時から何か違った。当たり前のように、普通に接してくる。

 エンジンのチューンナップはまだ中途半端だが、どもりながらしゃべる自分の言葉をいつも辛抱強く待ち、お前凄いな、とか、頼りにしてるぞ、といった言葉を返してくれる。

 人の為になにかしてあげたい、自分に出来ることはないか……こんな感情は生まれて初めてだった。伴って、この先輩が中退してしまうのか、来年はもう会えなくなるのか、という寂しさがじわじわとこみ上げてくる。


 改めて洋史は床に拡げてある砲撃機構の分解パーツを見た。これしか無い。自分が手伝えることはこれしか無い。命中率を、威嚇ではない走行間射撃が使い物になるように、機構を改良して進化させるしか無い……そう強く思った。


「負けて納得したいって、納得出来るの?」

「キツイなぁ、相変わらず。勝ちたいに決まってるだろ。だからさ、汐姐も入ってくれよ、同好会」

「ん……」


 カラカラカラ……


 その時、実験室のドアが開き、眼鏡を掛けたおかっぱ頭の女子生徒が遠慮がちに顔を覗かせた。小鴨朋恵おがもともえだ。


「あの……栗尾誠殿はこちらにおられるか、ますか?」

「俺だけど」


 小鴨はニッと笑い、何かぶつぶつと呟きながらつかつかと早足で入って来る。


「おおやっと実験室とか多くて勝手に入るとまた壊すとか触るなとか勝手に入るなとか……」


 栗尾の前に来ると、小鴨は折り畳んでいた紙を広げ、両手で彼に差し出した。紙は入部届けだった。レッグホバー同好会、と書かれている。


「栗尾先輩殿! 入部希望である、ます!」

「あ、ああ、え、君が?」

「青谷先生にお声掛け頂いた。外江殿と同じ同好会なら喜んで参加しよう、です」

「ぅえ!?……」


 洋史が変な声を上げた。同好会に入る、とは一言も言っていない。彼は慌ててパソコンのメモツールに文字を入力し、三人に見せた。


『僕は部員ではない 制作や改良を手伝うだけ』


 すると、三人は訝しげな顔で、口を揃えてこう言った。


「え? 青谷先生がもう部員だって言ってたぞ」

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