拾う男と拾われる女
ある所に男がいた。
世間から見れば、どこにでもいる様なごく普通の男だ。
しかしその男には、欠陥があった。
人と関わる事に強いストレスを感じてしまうのだ。
それは赤の他人だけではなく、家族や友人までもが含まれていた。
当然職場の人間に対しても同様ではあるのだが、働かなければ生きてはいけないし、社会的な立場も失ってしまう。誰とも会わずに働く事も可能ではあるが、それをしてしまうと、世間との繋がりが一気に希薄になってしまう。それはさすがによろしくないと男自身も理解していた。
結果として男は、自らが持つ欠陥を隠して生活する事を選んだ。
男の偽装は思いのほか優秀で、職場の人間だけでなく家族や友人相手にも十分な効力を発揮していた。同時に男は、お人好しであった為、周囲の人間が男の本性に気付く事はなかった。
とは言え、人との関わりに強いストレスを感じる事は紛れもない事実。偽装の為にある程度の交流は仕方がないにしても、それ以外の時間は自分の殻にこもる事でバランスをとるようにしていた。
そしてある時、男の両親が事故に遭い亡くなった。
その事がさらに男の性質を悪化させた。
こんな人間である為に、男は三十歳を過ぎても独身を貫いていた。過去に何人かと交際した経験はあったが、残念ながらどれも長くは続かなかった。
こうして世間的に見ればごく普通ではあるが、人としての大切なモノが欠落した男が出来上がっていた。
とある休日。
男がいつものように一人暮らしの自宅にこもって本を読んでいると、不意にインターホンが鳴った。
予期せぬ来客だ。きっと碌な者ではない。
せっかくの一人の時間を邪魔された事にイラつき、自然と舌打ちをしていた。
モニターを見れば、女が一人立っていた。映像が荒くて判断がしにくいが、随分と憔悴しているように感じられた。それを見て宗教の勧誘だと勝手に決めつけて、無視をする事に決めた。
しばらくして、もう一度インターホンが鳴り、女の声が聞こえて来た。
「すいません、○○さんはご在宅でしょうか?」
明らかに自分とは違う名前。このまま無視して、何度も来られても堪らない。男は溜息を一つ吐き出して、スピーカー越しに人違いだと告げた。
「そんな……」
モニターに映っていた女が、その場に崩れ落ちた。
尋常ではない様子を感じ取った男は、気配を消すように静かに玄関の前へと移動した。扉に耳を当て、外の様子へと意識を向ける。そのまましばらく様子を伺っていたが、一向にそこから動く気配が感じられない。とっくに去ってくれていればいいのだが、そうは思えない。嫌な予感がした男は、しばしの葛藤の後、覚悟を決めて慎重に扉を開いた。
そこには女が一人、倒れていた。
慌てて声をかければ、辛うじて意識がある事が分かった。僅かに安堵しつつ、救急車を呼ぼうとすると、女に止められた。
さて、どうしようか。
散々迷った上で、女の了解を得て部屋へと招き入れる事にした。
意識が朦朧としている女を、仕方なく自分のベッドに寝かせた。本来なら女の意向を無視して救急車を呼ぶべきなのだろうが、ただの貧血だからと懇願されてしまえば、ムリに呼ぶ訳にもいかない。
安心したような表情で眠っている女を見て、変な拾い物をしてしまったと、そんな事を考えていた。
しばらくして目を覚ました女から事情を聞いた。
女は少し前に夫を亡くしたばかりだと言った。その際に懇意にしていた人に遺産を持ち逃げされてしまったらしく、事前に聞いていた住所を訪ねたら、ここに辿り着いたようだった。
しかし残念ながら男には全く心当たりがない。
前住人の可能性を考えたが、ここに住みだして既にそれなりの年月が過ぎており、時期が明らかに食い違っていた。
「やっぱり嘘だったんだ……」
全ての望みが断ち切られた女は、がっくりと肩を落とした。
詳しく話を聞けば、どうやら女には家族と言える相手が、亡くなった旦那さんしかいないようだった。夫婦揃って、両親は既に亡く、唯一の共通の知人だと言える相手に裏切られてしまったらしい。
気の毒に感じたが、男には何もしてやる事が出来なかった。
とは言え、そのまま見捨てる訳にもいかない。
女は手持ちの金も既に尽きかけており、住む場所さえ失っていたのだ。このまま放りだして死なれてしまっては、後味が悪すぎる所ではない。死ぬまで後悔を繰り返す事が目に見えている。
結局、女が生活の基盤を整えるまでという条件付きで面倒を見る事にした。
さて、受け入れたは良いものの、一人を好む男にとって他者と過ごす時間はストレスを生む。しばらくは気の休まる場所がないと、諦めていのだが、女との生活は意外にも苦にならなかった。
血の繋がった家族と過ごす時間さえ、ストレスを感じてしまっていた男にとって、それは不思議な感覚だった。男にとって女は、まるで空気のような存在だったのだ。
誰かと一緒にいてストレスを感じない。
ただそれだけの事が、男は嬉しかった。
一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして一年が過ぎた。あっという間に過ぎ去っていく年月の中で、男が女を恋愛対象として意識しだしたのは、いつの頃だっただろうか。
気が付けば、当初の約束は有耶無耶になっていた。
何気なく過ごす日常の中、女の存在がどんどん大きくなっていく。
空気のような存在だと思ったのは間違いではなかった。離れる事を考えるだけで、胸が苦しくなるのだ。とっくの昔に諦めたはずの普通の幸せ。愛する人と結婚し、子供を産み育てる。それが目の前の女が相手なら、出来る様な気がしていていた。
「結婚しよう」
二人で出掛けた夕飯の買い物。
その帰り道で、不意に溢れ出たその言葉。
いつの間にか、男にとって女の存在は、掛け替えのないモノへと変わっていたのだ。
「私で良ければ」
「君が良いんだ」
照れたように笑い合う二人の顔が、夕日に照らされ朱に染まる。果たしてそれは夕日だけのせいだったのだろうか。
男はかつてない程の幸せを感じていた。
*****
ある所に女がいた。
女は少し前に夫を亡くしたばかりだった。
銀行から出て来た女は、通帳を開いて溜息を吐いた。
何気なく立ち寄ったコンビニで一人の男を見かけた。
その男は亡くなった夫によく似ていた。それは外見ではなく、男が持つ雰囲気。どうしてそう思ったのかは分からない。しかし女は確信していた。
この男は当たりだと。
男を見る女の口の端は、厭らしく上がっていた。
女は歪んでいたのだ。
その日から男を尾行し、出来得る限りの方法で為人を調べ上げた。
そして結果は予想通り。
見事に女の勘は的中していたのだ。
男は安定した高い収入がありながら、生活は質素で浪費が少ない。
両親は既に他界しており、兄弟はなし。性格は温厚で真面目。さらに人当たりも良くて、かなりのお人好し。それにも関わらず、人付き合いは希薄。
それはもう、女にとってまさに理想的だった。
女は自らが持つ資産を全て隠すと、いつものように準備をした。
安物の洋服に着替え、体調が悪く見えるように化粧を施す。荷物は必要最小限にして、男の同情を誘えるように様々な小細工を施した。
準備が整うと、早速、男の住んでいるアパートまでやってきた。
そしてまた、女の演技が始まる。
何度も繰り返して、すっかり自分のモノにしてしまった迫真の演技が。
女はインターホンへと手を伸ばした。
そしてまた、繰り返される。