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ミイラレ!

ミイラレ! 母たちのこと

 その雨の日、日条 四季は珍しく外出することを決めていた。

 ちょっとそこまで、と口にしていてたもののその荷物はやたらと多い。出先で妙な相手に出くわしたときの備えだろう。

 そこまでしなくても代わりに行ってくるのに、と冬夏(とうか)は控えめに声をかけたのだが、

「大丈夫だから」

 と、彼にしては珍しくキッパリとした調子で断られてしまった。

 靴を履く彼を心配そうに眺めていると、その隣に青白い影が立つ。

「まあ、ご心配なく。外ではあたしが面倒見させていただきますので」

「すいませんねえ、御伽さん。ご迷惑をかけて」

「お気になさらず。むしろ押しかけてきたのはこちらですのでね。なにかお手伝いでもさせていただきませんと」

 そう言って、薄青い肌の鬼女が笑う。そのまま一礼すると、足早に玄関を出て行った。

 懐から取り出したらしい扇子を一振りすると、それが瞬時に唐傘へと変貌する。

 傘を差して静々と息子の後に付き従っていく鬼女を見て、冬夏は思わず溜息をついた。思えば、あの子にも変わった友達が増えたものだ。

 ああした……鬼だの座敷童だのが見えるようになったのはいつからだっただろう?おそらく、ここに引っ越してきてから一年もしない間だ。どころか、最初から息子が彼らを認識していたと知るのも同じ時期。

 もともと病弱だった四季のために田舎へ越してきたのはいいものの、そうした問題にぶつかるとは思いもしなかった。そもそも、そんな存在を信じていなかったのだ。それが急に自分たちの前に姿を現した。はたしてこの土地でうまくやっていけるのか、大いに不安に感じたのをよく覚えている。

 結果はどうか? この通りだ。住めば都とはよく言ったものである。

 日頃から訪れる怪異たちと顔を合わせているうちに、接し方さえ気をつければ彼らとても普通の人間と変わらないことに気づけた。ひょっとしたら向こうも息子に合わせていたのかもしれない。なんにせよ、早くそれに気づけたのは幸いだった。

 というわけで、日条 冬夏の日々にも怪異の存在は至って普通の存在になってしまったのである。

 家の掃除に戻ろうとした彼女は、ふと立ち止まって首を傾げた。それにしてもあの子はこんな雨の中、どこに行くというのだろう?


 ■ ■ ■ ■


 家事も一通り終わり、冬夏は大広間で寛いでいた。時刻は午後三時。一息つける時間帯。

わざわざ居間でなく大広間の方でお茶を飲んでいるのは、もしもの来客に備えるためである。

 配達便や集金を待つ分には居間の方がいいとはいえ、この時間帯ではむしろ『普通ではない』来客の方が多い。

「もし」

「もーし」

 とどのつまり、縁側から一声呼ばわってくるような者たちの方が。

 聞き覚えのある声に、冬夏は立ち上がって障子へ近づこうとした。が、ふと思い直して部屋の中を見回してみる。

 いた。

 いつの間にそこに現れたのか、広間の片隅に少女が正座している。赤い着物、白い肌。綺麗に切り揃えられた黒髪。膝の上には寄木細工の箱。

 無論のこと、冬夏の娘ではない。日条家が越してくる前からこの家に住んでいたという座敷童。名を御影という。

「出ても大丈夫、よね?」

 そうお伺いを立ててみると、少女の怪異はこくりと頷いた。

 冬夏は安堵の笑みを浮かべる。怪異というのは声や姿を真似るものがとても多い。先の耳馴染みのある声も、なにか害意のある怪異が真似をしている可能性だってあるのだ。

 この御影はもちろん、四季にもそうした偽物を見破ることができるらしい。いつの間にうちの子はそんな技術を身につけたのだろう。時々不思議に思う。

 ともかく危険がないとわかった以上、先方をいつまでも待たせるわけにはいかない。

「はーい! 今出ますね!」

 返事をしてから障子を開ける。すると縁側に二つの影が佇んでいるのが見えた。

 どちらも女のように見える。どちらも美人ではあるものの、両者の雰囲気はずいぶんと対照的だった。

 冬夏から見て右手に立つ……否、浮かんでいる女性はずいぶんと瘠せおとろえ、その輪郭も朧だ。だらりと垂れた前髪が左目を覆い隠し、より一層陰気さを増長している。経帷子を身にまとったその足元は途中から霧のごとく霞んでいた。とどのつまり、古典的な方の幽霊だ。

 対して左手に立つ女。こちらは輪郭もはっきりしていれば足もある。一見すれば普通の女性に見えなくもない。

 唯一異常に見える点としては、その胸だろうか。大きい。非常に大きい。あきらかに自身の頭よりも巨大だ。そのせいかまとった着物も肩からずり落ち、ともすれば乳房がこぼれだしそうなほど。かろうじて髪がそれを防いでいるようだが。

 しかし冬夏は知っている。というより、相対すれば否が応でもわかる。この優しげな顔をした女もまた怪異なのだ。その雰囲気がはっきりと示している。

 冬夏は笑みを浮かべた。

「あら、高台寺こうだいじさんに水鏡すいきょうさん! ずいぶんと久しぶりじゃない」

「はい。ご無沙汰しています」

 ぼそぼそと答えたのは幽霊の方。こちらが高台寺だ。

 一方の水鏡はにこやかに二人が挨拶を交わす様を眺めている。

 こちらに来てから親しい怪異も増えたが、冬夏にとってこの二人は特別な親友でもあった。自身の都合で家を留守にしなければならないとき、代わりに幼い四季の面倒を見てくれた相手だからである。

「こんな雨の中、お待たせしちゃって……ちょっと待っててね、今拭くものを」

「あはは、大丈夫だよう冬夏さん。あたしは濡れるの慣れてるし、高台寺ちゃんはほら、幽霊だし?」

「でも、手ぬぐいは、欲しいですね」

 快活に答える水鏡に対し、どこか陰気に高台寺が答える。彼女の視線は庭先へ向けられていた。

 その視線を追った冬夏は「あっ」と小さく声を上げる。

 庭に突き立った長い竿。空に近い先端に泳ぐのは緋色の鯉のぼり。

 これがただの鯉のぼりではない。見れば尻尾を縮め、なるべく濡れないよう苦慮しているのがわかるはずだ。

 つい先日、四季に憑いてきたらしい怪異だった。

「あの子が、かわいそう、なので」

「あーね。ちょっと場所とるかもしらんけど、広間に入れてやってよ。魚ならともかく、鯉のぼりは濡れると大変そうだし。あたしらが呼んどくからさ」

「……わかりました。少し失礼しますね」

 怪異への対応は、やはり怪異に任せたほうがいい。

 そう判断し、冬夏は洗面所へと急ぐ。途中で御影に目配せをしながら。

 

 ■ ■ ■ ■

 

 戻ってくると鯉のぼりが縁側に横たわっていた。冬夏は慌てて高台寺たちと協力し、その体を拭いてやった。

 その途中、鯉のぼりの口から少女が顔をのぞかせたので非常に驚かされた。

「あら、かわいい子じゃないか! 大変だったろうねえ、こんな雨に打たれて」

 目を丸くしている冬夏をよそに、まず水鏡が顔を輝かせて少女に話しかけた。

 少女はややひるんだように首を縮こまらせる。水鏡とは反対側から高台寺が屈み込む。

「このあたりでは、見ない子、だね。名前は?」

「え、えっと……幟穂しほ……」

「幟穂ちゃん、ね。お腹、空いてない?」

「え? えーと」

「飴、あげようね」

 言って高台寺は前髪で隠された左目に、自身の人差し指と親指を突っ込んだ。

 絶句する幟穂を前に高台寺はしばし自分の眼窩をまさぐっていた。ややあってから、彼女は何かを取り出す。

 つままれたそれは、白色の飴だった。

「はい。あーん」

「えっ……」

「大丈夫だよう幟穂ちゃん。高台寺ちゃんの飴、美味しいからね。食べてもなんともないよ。ほら」

 水鏡が笑顔で言う。

 しばし困ったように二人の怪異の顔を見回していた鯉のぼりの少女は、観念したかのように口を開けた。高台寺がその中に飴玉を放り込む。

 口内でそれを転がし吟味していた少女が目を見開いた。高台寺が慈しむような微笑を浮かべる。

「美味しい? ……そう。よかった」

 こくこくと頷く幟穂を見て、高台寺が陰気につぶやいた。しかしその声音にも顔色にも、隠しきれない喜びの色があった。

 つられて微笑んでいた冬夏が手を叩く。

「さ、幟穂ちゃんだったかしら? 天気が良くなるまで、こっちの部屋で休んでてもらっていい?」

「……いいの?」

「もちろん! あなたも四季のお友達でしょう? だったら歓迎しないと」

 きょとんと冬夏を見上げていた鯉のぼりの少女は、小さく頭を下げてから動き出した。蛇のごとく這い、畳敷きの広間へ。

 それが落ち着くのを待ってから、ようやく冬夏たちも机を囲んだ。

 前にはすでにお茶の入った湯呑。御影が台所から持ってきてくれたらしい。

「それにしても久しぶりねえ。最近顔を見てなかったから、心配してたのよ?」

「あっはっは、そいつは悪い。あたしらにもほら、面倒を見なきゃいけない子供たちができたんでね」

 隣に座った御影の頭を撫でつつ、水鏡が笑う。その反応に冬夏は思わず首を傾げた。

「ええと……お子さんができたってこと?」

「違う。あの山には、まだ、幼い怪異たちがいる」

 陰気な高台寺のつぶやきに納得する。

 日条家が所有する裏山には、想像もつかないほど多くの怪異が潜んでいるらしい。その中でも四季と年齢(見た目だけの判断だが)が近い怪異たちは、この家にまで降りてきて遊んでいく。高台寺が言うのはそうしたものたちのことだろう。

「あの河童ちゃんたちとか、鬼の子ちゃんたちとか? どうなの、大変じゃない?」

「まーねぇ。ちょうど遊び盛りの頃合いだからねぇ」

「……けど、最近、なついてくれて。とても、嬉しい」

 青白い高台寺の頬に、わずかに朱が差した。

 微笑ましく眺めていた冬夏が、ふと表情を曇らせる。

「お二人がくるとわかってたら、四季を待たせておいたんだけれど……ごめんなさいね」

「ああ、やっぱり四季坊いないのかい? なんとなくそんな空気は感じたけど」

「あの子も、ずいぶん、大きくなった」

 二人の怪異もしみじみとした様子で頬を緩める。今になっても、彼女らは四季にとって母親代わりのつもりなのだろう。

 実の母は自分なのだから、まあそこは譲れないとして。依然として世話を焼こうとしてくれる彼女らには感謝のほかない。

 不意に水鏡が眉をひそめた。

「けどあの子、最近はあれなんだろう? 百鬼夜行のお頭になったって話じゃないか」

「ええ、そうみたいね。私にはそれがどれだけすごいのか、今ひとつよくわかっていないのだけど……」

「普通の、人間には、無理なこと」

「あの子だからだろうねぇー。けど、それを持ち込んだやつが胡散臭いね」

「あら、御伽さんはいい方よ? いろいろと手伝ってくれるもの」

「……奥さんは、もう少し、怪異ひとを疑ったほうがいい」

 高台寺から難色を示されてしまった。冬夏は苦笑する。

 まあ、用心したほうがいいというのは事実だと思うのだ。自分の力だけでは怪異に対処しようがないというのが問題なだけで。

「そんな噂も聞いたからさ。あたしらもまた一肌脱ごうかと思ってるんだよ」

「本当に? いつもすいません……でも、いったい何を?」

「その、百鬼夜行に、参加しようかと、思ってる」

「あらまあ」

 冬夏は思わず口元に手をやった。

「大丈夫なの?」

「あたしらにゃあ心配いらんよ! もともと怪異の集まりなんだからさ」

「その、御伽とかいう怪異が妙な動きをしたら、ただではおかない」

 高台寺の体が揺らぐ。彼女の周囲が、一瞬だけ仄暗く染まった。

 冬夏は思わず眉間にしわを寄せ、彼女になにか言おうと

「ただいまー!」

 そのときである。玄関から響いてきたのは、彼女たちの息子の声だった。

 どたばたと慌ただしい足音とともに広間までやってきた彼を見て、冬夏は顔を綻ばせる。

「おかえり、四季。ちょうどよかった! けど先に手を」

「後で洗ってくるから! とりあえず、先にこれ!」

 どこかぶっきらぼうに、四季が背に隠していたものを取り出した。

 冬夏は目を見張る。それは綺麗にラッピングされた小箱。

「その、ちょっとしたお菓子だけど。受け取ってくれる?」

「もちろん……けど、どうしたのこれ?」

「どうしたのって……ほら、今日は母の日だしさ」

 照れくさそうに視線を逸らしながらも、四季は言った。

 その一言で冬夏はようやく思い出す。そういえば今日は母の日だったか。

 次いで彼は高台寺らに歩み寄っていく。

「ええと……高台寺、さんたちもいてくれてちょうどよかった。今日中に探すの、面倒だなって思ってたから。はい、これ」

 そう言って、カバンの中から取り出した箱を二人に手渡した。

 高台寺が目を白黒させ四季を見上げる。

「……私たち、にも?」

「そりゃあ、うん……いろいろお世話になったからさ……あと御影にも」

 そう言って手渡された小箱を、御影が怪訝な顔で見上げた。

 四季は慌てて弁解する。

「いや、変な意味じゃなくてね? 御影にも日頃から迷惑かけてるから……ついでだよ! ついで!」

 その顔が真っ赤になっているのを、冬夏は見逃さない。まったく変なところで恥ずかしがる子だ。

 と、その体を掴む手がある。

 水鏡だった。

 あっという間に彼を手繰り寄せた女怪異は、自身の胸に彼の頭を埋めさせる。

「ありがとうねえ、四季坊! ほんと、冥利につきるってもんだよ」

 対する四季は答えない。いや、答えられないのだろう。巨大な胸に埋まって口を開けないのだ。

 暴れる彼に構わず、水鏡はさらに強く彼を抱きしめる。

「ああ、本当に立派になってねえ……! あたしゃ嬉しくて涙が出そうだよ」

「水鏡、さん。あんまり、強く、押しつけると、お乳が漏れる、よ」

「そんなことより四季が苦しがってるからやめてあげて。今すぐ!」

 高台寺と御影の戒めが、はたして届いているかどうか。

 自分も止めに入るべきか迷っているうちに、彼女の傍に青白い影が座る。

「……若旦那からの土産、ちゃんと受け取ってあげてくださいよ奥さん」

 御伽 巡だった。その顔には疲労の色が濃い。

「もちろん。けど、どうしました? ずいぶんお疲れのようだけど」

「いえ、いろいろと計算違いがあったといいますか……若旦那があそこまで悪い虫を惹きつけるとも、街中にあんなに怪異がはびこっておるとも思っておりませんで……」

 疲れたように呟いた鬼女が、崩れるように机にもたれかかる。

 冬夏は目を丸くし、小さく苦笑してから立ち上がった。彼女のためにお茶菓子でも持ってきてあげるべきだろう。

 片手に四季からのプレゼントを持ったまま、冬夏は足取り軽く台所へ向かうのだった。

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