MAYその8 昼休みにモヒカンと揉める
四時間目が終わったのは正午で、そこから一時間の昼休みになる。
学食に行く者、弁当箱を机の上に開く者、それぞれだ。
「まおたん、お昼一緒に食べよう」
隣の席のそめっちが、ささげ持った弁当箱を左右に振っている。
水色のバンダナに包まれた弁当箱の動きに合わせて、彼女の左右にはねた髪もぴこぴこと動いている。
どうもこの二人、友だちであるらしい。
言葉の意味は知っているが、そういった間柄の人間関係が俺には無いから、理解できないことだったが。
俺の昼食はいつものレーションだ。
黒パンにミネストローネスープ、レンズ豆の煮物、燻製牛肉が、それぞれ缶詰になっている。
レーションの中で、『蛇』はこの献立が一番うまいと言うが、味に関して俺の希望はない。
必要なカロリーと栄養が摂取できれば、それでいいと考えている。
「うのっちも一緒に行こうよ」
誘われたが、その申し出を受けてもよいのだろうか。
「しかし、そめっち。いいのか?」
男女は一緒に昼食を取らないと聞かされていたが、それは間違いだったのだろうか?
「全然オッケーだよ! 転校初日に一人でご飯食べるなんて、ちょっと寂しいもんだよね」
「友だち? 俺と友だちになってくれると。そめっちはそう言っているのか?」
「そうだよー」
と言って、彼女は小首をかしげた。
「あれ? そう思ってるの、あたしだけ?」
彼女の言葉の意味は不明だが、こういう誘いを断るのは学校生活において、芳しい結果を生まないと事前のレクチャーで聞かされている。
それに俺を友だちと呼んでくれたのは、彼女が初めてだった。
どう返事をしたものか考えあぐねていた俺の様子を見て、馬飼野さんが微笑んでいる。
さらに何かを確認するようにうなずきながら言う。
「こういう人なのです。染谷さんは。私の染谷さんはね?」
よくわからないが、俺が言うべき言葉は知っているつもりだ。
「そういうことなら、喜んでご一緒しよう」
そめっちの顔がほころんだ。
「ではでは、屋上に行きましょう」
そめっちは、振り返ると少し離れた席の少女に声をかけた。
「つむっちゃんもお昼一緒にいかない?」
「あの、あたしは……」
つむっちゃんと呼ばれた女子生徒は、日本人形のように長く黒い髪と細い肩の持ち主で、目を伏せたまま、ためらうような話し方をした。
「中庭で、本を読もうかと……」
『儚い』という言葉があるが、彼女の印象にぴったりだと俺は考えた。
「そっかー。残念。じゃ、また今度いこう!」
断られても、そめっちの表情から明るさが消えることはない。
「じゃ、三人でいこっか。いいよね? まおたん」
「いいですね。屋上でお昼を友だちと食べるのは」
屋上?
そこは学年長が占有権を持つはずだ。
ということは、俺たちが屋上に行くのは、まずいのではなかろうか。
俺がその件について質問しようとした時には、すでに二人は教室から出るところだった。
そこで、そめっちは廊下を歩いていた男子生徒とぶつかってしまう。すごいモヒカンの男子生徒と。
どちらが悪いかといえば、携帯電話を操作しながら歩いていたモヒカンの方が悪いのだが、結果がまずかった。
男の手の中にあった携帯電話が、ポン! と音を立てて二つに割れたのだ。
「おい! 何すんだよ!」
「あっ。ごめーん。わざとじゃないの。あたしの体質で、機械に触ると、たいてい壊れちゃうみたいで」
そめっちはすぐに謝ったが、彼女のせいではない。
だが、モヒカンは俺と同じ感想をもたなかったらしい。
「どうすんだよ、これ。ケー番もメアドもパーじゃねえか!」
男は明らかに怒っていた。
自分に非があるとは微動だに思っておらず、そめっちを怒鳴ることで、さらに興奮しているようだった。
「ちっちぇえのがうろちょろすんな! この寝癖女!」
「ね、寝癖って……」
そめっちは片手ではねた髪に手をやった。
俺はこういう人間が得意ではない。女に対して高圧的な態度を取る男で、さらにモヒカン刈りなら最悪だ。
そめっちは初めてできた俺の友だちだ。
俺が守らねばならない。
そいつが俺より十センチは背が高く、さらにはモヒカンが天井をこすっていたとしても。
二人の間に割って入ろうとした俺より早く、馬飼野さんが動いていた。
彼女の体は全体が金色にうっすらと輝きはじめている。
髪の毛先が風の無い廊下にも関わらず、揺らめいている。
「人語を理解できればいいのですが?」
馬飼野さんはモヒカンに人差し指を突きつけた。
相手が彼女より二十センチは背が高いので、彼女の腕は斜め四十五度に上がっている。
「あなたは何を言ってるのですか、ニワトリくん。携帯電話をいじりながら歩いていたあなたの方が悪い>のでしょう。それがなんですか、染谷さんのせいにするとは、恥を知りなさい」
「ま、馬飼野」
相手が馬飼野さんだと気づいたモヒカンは、明らかに怯えて一歩下がる。
それに対して、馬飼野さんは一歩前に出た。
「カビリアをつけているところを見ると、あなたも学年長決定戦に参戦しているのでしょう? 染谷さんを傷つけるおつもりでしたら、わたしはいつでもお相手しますよ?」
彼女が右の掌を上にして、胸の前まで持ってくると、あたりの空気の密度が一瞬で変わった。
その気圧によって、俺はのけぞりそうになるのを何とかこらえる。
廊下を歩いていた生徒たちも異変に気づいたようだ。
誰かが叫んだ。
「おい! C組の馬飼野がF組の戸坂とやり合うみたいだぞ!」
それで俺たちを囲む人だかりは、がぜん増えだした。
彼女は手のひらに火球を浮かべた。
ずっと昔に見た太陽の写真と同じく、球体の周りにプロミネンスが踊っている。
少し離れた俺でもその熱を感じることができるほど熱い。
「まおたん、やめようよ。あたしが悪いんだからさ」
おずおずとそめっちが止めたが、馬飼野さんの目はモヒカンを捕捉したままだ。
周囲には女生徒もいる。
ここで戦闘が始まれば、怪我人が出る可能性は十分考えられた。
護衛対象の生徒がいないとも限らない。
ここは俺の出番だと考えた。
できることはすべてやっておかなければ。
「そめっち。そのバンダナを貸してくれ」
そめっちが手にした弁当箱を包んだ水色の布を示す。
「え? うん」
差し出されたバンダナを受け取って、俺は自分に目隠しをする。
「トサカくん」
「な、なんだよ」モヒカンくんの声は震えていた。
「君の携帯電話を貸してみろ」
「なに言ってんだ?」
「いいから貸し出せ。俺なら直せる」
数秒の間があったが、モヒカンくんは俺の手に携帯電話をのせた。
組織で受けてきた長く過酷な訓練の一つに、銃器類の分解、および組み立てのカリキュラムがある。
俺はこのカリキュラムが得意だ。
今では目隠しさえすれば、人の手によって作られたものなら、大抵のものは分解できるし、組み立てられる。
掌の重みに神経を集中する。
右手の上の部品を左に合わせ、左の無機質な塊を右手のネジで固定する。
「すごい!」
そめっちが感嘆の声をあげた。
もちろん俺には上手く直せた確信がある。
目隠しを外すと、手の中の携帯電話をモヒカンに押し付けた。
「直っているはずだ。確認してみろ」
「え!?」
あわてた様子で奴は携帯電話を操作した。
「マジかよ。直ってる」
俺は馬飼野さんに落ち着いてくれ、とハンドシグナルを送った。
しぶしぶといったふうだが、馬飼野さんは手を下ろした。
その時には手のひらの火球も消えている。
それを確認して、俺は戸坂とやらに向き直った。
「なおって良かったな?」
「おお」
トサカ頭は、ケータイの画面から目を離さずに俺に返事をする。
「それじゃ、彼女に謝れ」
俺がそう言うと、奴は横目で俺を見た。
「はあ? なんでよ?」
ダメだ。俺は落第の判を押した。
こいつは愚か者だ。
普通の人間は自分の非を認めたら改める。
賢い人間はこのくらいのことで激昂しない。
「それはな。人間は誰しもいわれの無い暴力から自由であるべきだからだ。お前がそめっちに対してしたことはな。言葉の暴力以外のなにものでもないぞ」
俺は感情というものを一切持たないが、信念は持っているつもりだ。
スコープで夜獣に狙いをつけること。
潜入の任務で入り口に立つ警備員に当身を食らわせて眠らせることは暴力であり、矛盾を抱えているにしても。
「もういいよー。うのっち。ぶつかったあたしも悪いんだし」
直近でにらみ合う俺とモヒカンくんを取りなすように そめっちは言うが、これは彼女の為ではないから聞き入れない。
これは俺の信念の問題だ。
「謝罪すべきだな。誇りあるモヒカン族の一員として」
『バカ、それじゃ逆効果だろ』
『蛇』が呆れたように笑った。
どこが問題かと考えたが、モヒカンは興奮し、顔の色が赤いのを通り越してが黒くにごりだした。
「なめやがって! おら!」
俺の顔面めがけて拳を繰り出してくる。
自分の腰で一度ためた拳を相手に最短の距離で打ち込む、日本拳法の波動突きだ。
モヒカンのくせに、なかなか重い突きだった。
だが、当たらなければ意味はない。
俺は左手首で軌道をそらし、自分の腕で奴の腕を絡めとると、奴を壁に押しつけた。
「くそ! はなせよ!」
「いいから謝るんだ。モヒカンくん。あとは息だけ吸ってろ。誇り高きスー族の一員として」
俺たちを取り囲む人の輪で歓声があがる。
「おお! 今度は転校生かよ!」
まったく。
俺は学年長決定戦になど興味はない。やるべきことがあるからだ。
俺はこいつが謝らなければ放してやるつもりはなかった。
俺はこの学校に在籍するのは、特殊な能力を持つ女生徒を護衛するためだ。
モヒカンはなかなか特殊な髪型だが、男だ。
護衛対象ではないから、守る必要性はない。
信念の他に、今こうしているのは別の理由もあり、それは一つの効果を狙ってのものだ。
『C組の宇野零次は、女生徒の為なら体をはる男だ』
今この場にいる生徒はそう思うに違いない。
彼らは何かの拍子にそれを誰かに話す。
情報は伝達され、拡散し、上手くいけば今日のうちに学校中に広まる。
そうなれば、俺が護衛するべき女生徒を守ったとしても、誰も疑問に思わない。
奴はそういう男だと思うに過ぎない。
俺は任務をこなしやすくなる。
「宇野くん。はなしてあげてください」
横から止めに入ったのは馬飼野さんだった。さっきと立場が逆転したようだ。
「しかしな」とだけ俺は言って、戸坂から手を離さない。
「あなたも、謝らなくてもいいのですよ?」
「当たり前だろ! 誰が謝るか!」
壁に押しつけられていても、戸坂くんは威勢がいい。
これだけの生徒がいる前で、謝るのは無様だとでも思っているのだろう。
残念ながら、俺は片手が空いていれば、この姿勢から相当の苦痛を与えることができる。
そう訓練されている。
好き好んで人を痛めつけることはないし、考えたこともないが、今なら訓練の成果を試すのにやぶさかではない。
そう考えて右手の人差し指と親指をかぎ型にしたところで、馬飼野さんが言った。
「あなたが謝ったところで、許しませんのでね。放課後、私は真っ先にあなたを狙います。今のうちに、ご家族や親しい方にメールをしておいた方がよろしいですよ。『今まで、ありがとう』とね。『旅に出る』と。どこに行くかあなたは知らないでしょうし、私もまだ知りませんが、電話もメールも通じない場所です。暗くって寒くって、きっとあなたのような虫には居心地の良いところだと思いますよ」
馬飼野さんの語調は穏やかだったし、浮かべた微笑は宗教画で描かれる聖母のようだったが、途端に戸坂はおとなしくなった。
「わ、わかった。謝る謝る。悪かった」
俺はまた一つ勉強になった。
彼女なら、良い尋問官になれそうだ。
彼女がこの学園を卒業したら、俺の組織に勧誘できないものだろうか?
「染谷さん。いいですか? 許してあげますか?」
「え!? うん、もちろん。ケータイ壊しちゃったあたしも悪いんだし」
それで俺は、戸坂をはなしてやることにした。
人の輪をかきわけ、戸坂が廊下を走り去ると、馬飼野さんは何事もなかったかのように言う。
「さ、屋上に行きましょう。お昼をいただく時間が無くなります」
この場に彼女の用は、もう無いようだ。
そこで、俺は先ほどできなかった質問を彼女にする。
「ちょっと待ってくれ。屋上は、学年長のみ使って良いのだろう? 俺たちが使うのは問題があるんじゃないか?」
立ち止まった馬飼野さんは俺の顔を見上げ、小首をかしげた。
質問の意味が上手く伝わらなかったのだろうか。
ふぁさりと小さい額にかかった前髪を、彼女は薬指でかきあげた。
しばらく俺たちは見つめあう形になる。
「ああ」
と馬飼野さんが合点がいったような声を出した。
「宇野くんは今日が転校初日だから知らなかったのですね。今年度の学年長が決まるまで、屋上の占有権は、昨年度の学年長にあります」
今度は俺が首をかしげる番だ。
馬飼野さんも俺と同じ角度で首を傾げている。
早く正解にたどりつけと言いたいようだ。
そめっちまで同じく首を傾げていて、その口元から八重歯が覗いているが、たぶん、彼女はわかっていない。
俺は考える。
屋上を使用したければ一般の生徒は、学年長の許可を得なければならない。
占有権とはそういう効力を持つ。
許可を得なくても使用できるのは、学年長のみ。
ということは。
「そうか」
俺は合点がいったという意味で、そう言った。
「ええ。そうです」
馬飼野さんがうっすらと微笑んだ。
「昨年度の学年長はね。この私、馬飼野真央です」
なるほど。それなら問題あるまい。
「朝に手合わせしたからわかるけどねー。まおたんは強いよ。相当強いよー」
それはそうだろう。
さっきのモヒカンにしても、一般人と比べれば、十分強いといえるレベルだ。
他の生徒がどのくらい強いのか、まだわからないので早計は禁物だが、奴より弱いということはないだろう。
モヒカンは雑魚、というのは世界共通、暗黙のルールなのだ。
ということは、他の生徒は一般人を遥かに超えた強さであるということになり、馬飼野さんは更に強いと考えていいだろう。
俺は彼女を護衛対象候補とカテゴライズしておくことに決めた。
その時、俺の背筋が濃密な気を受けて粟立った。
出どころは俺の背後だ。
今回は、わかりやすい悪役=モヒカンというバカ一です。
読んでいただいて、ありがとうございます。
次回は2016年3月16日の午後3時15分ころに公開の予定です。