MAYその7 体育の富士見野教官、死す!
俺が組織で受けてきたレクチャーのことを、学校では授業と呼ぶ。
今は生理学の授業で、教卓には南足軍医殿が立っている。
教壇に立つからか、ワイシャツのボタンが外してあるのは、二つ目までだった。
授業の内容は、今まで組織で受けてきたものばかりではあるが、集中して授業を聞いた。
十年前には正しいとされる知識が、今では間違いとされることもある。
それは人間が進歩してきた証だ。
そのことを知らずにいることは、俺の生きる世界では任務の失敗につながる。
その後に待っているのは死だけってことになる。
俺は死んだことがないから、死についての意見は持たないが、回避するべきものであるとは考えている。
いつか必ず来るべきものを、今から手に入れる必要はない。
今すぐにでも行うべきことを、最優先すべきなのだ。
一度正しいと信じたことが、誤っていたと認めて受け入れる能力は、人間だけが持つ能力で、それこそが万物の霊長たる所以であると俺は考える。
授業が終わりに近づいたころ、南足軍医が俺たちに向かって質問を投げかける。
「それでは、血や肉になるものはなんでしょう?」
さっと手を挙げたのは馬飼野さんだった。
「それじゃ、まおた……。いえ、馬飼野さん」
「はい。それは人間です。鋭利な刃物で刺して捻りますと、血がほとばしります。また、鈍器で殴ると人は肉の塊と化します」
なるほど、と俺はうなずく。
確かにそうだ。
南足軍医殿も同意見だったようで、満足気だ。
「そうね。正解です」
ところが、そめっちの意見は違うようだった。
「ちょ~っと、待ったあああ!」
「染谷さん。どうしました?」南足軍医殿が尋ねる。
「まおたんも先生も黒いから! 黒いの通り越して苦くなってるから!」
大声を上げたそめっちに対して、馬飼野さんは冷静だった。
「何を言ってるのですか。人って脆い存在ですよ。儚いものですよ」
「今は人体の組成の話でしょ! 生理学的な!」
そこで、終業を知らせる鐘が鳴った。
南足軍医殿が手を叩いた。
「いろいろ意見はあるようだけど、それは各自でじっくり考えなさい。お互いに納得するまで話し合いもすること。そうして人は育っていくものですからね」
「先生! ちょっといい話っぽくまとめて有耶無耶にしないでください!」
そめっちが抗議したが、南足軍医は耳を貸さなかった。
「はい。今日の授業はここまでよ」
なるほど。
学校とは、なかなか為になるところだ。
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二時間目後の中休みを挟んで、次の授業は体育になる。
男子生徒は教室で、女子生徒は更衣室での着替えをする。
俺の体には任務の際に受けた無数の傷が刻まれていて、それは結局、俺の未熟さをあらわす部分であるのでさらすのは、はばかられる。
今回の体育はデスバレーボールだそうだ。
バレーボールは流石の俺も知っているが、デスバレーボールというのは聞いたことがない。
カリフォルニアあたりが起源だろうか。
ボールの材質はもしかすると黄金かもしれない。
着替えを済ませ、廊下を歩いているところで、そめっちの声がした。
「あ! うのっち!!」
うのっちと言えば俺しかいない。
呼ばれて顔を向ければ、そめっちが俺に駆け寄ってくるところだった。
馬飼野さんがその後ろから、ゆっくりとした足取りでついてきている。
『蛇』が舌打ちする。
『けっ。二人揃ってジャージかよ。ブルマはほんと、希少価値がたけえよなー。まさしく、ブルマは、黒いダイヤモンドだな?』
確認されても俺に答えるべき言葉はない。
いつものように聞き流すだけだ。
「次の体育、男子は何をやるの?」
そめっちの質問に、俺は簡潔に答えることにする。
「デスバレーボールと聞いている」
「デスバレーボール?」
そめっちの俺を見る目がより大きく、丸くなる。彼女の左右にはねた髪が、ぴこぴこ揺れた。
「それってかなり危険だよね?」
「そうなのか?」
知らないものを人は恐れるものだが、あいにく俺には恐怖の感情というものが、生まれつき装着されていない。
「だって、ルール無用の残虐ファイトOKのバレーボールだよ? デスサーブOK、デスアタックOK、デス一人時間差OKなゲームだよ? デス栓抜き、デスゴング、デス鉄パイプ椅子アリアリのバレーだもん。まかり間違ったら、人死に出るよ!」
うわー。おそろしか、いっちょんおそろしか。
と、そめっちは両手で頬を抑えた。
俺はこんな姿を何かで観たことがある。
ゴッホの『ひまわり』だったか。
『ぞう! ぞう!』
と『象』が俺を呼ぶので、彼の右耳を見ると、
『違うよ。ムンクだよ』
と書いてある。
そうだった。
ムンクの『ひまわり』だった。
「しかしだな。それはもうすでにバレーではないな。だが、俺は幾つもの死線をかい潜ってきたのでな。すでに覚悟はできているよ、そめっち」
「女子の授業はね。イヤボンに涙蘇生なんだってさ。うのっちが危なくなったら、あたしがイヤボンして、涙蘇生で生き返らせるからね! 命の恩人がピンチの時は、あたしが助けるかんね!」
人は一度しか死なないし、生き返ることもない。
そう決まっているはずだが。
「イヤボンとは何か、教えてもらえるだろうか?」
「女の子限定の魔法だよー。女の子にしか使えない魔法だよー。イヤー! ボン! で爆発! みたいな?」
女子限定の魔法か。
ということは俺が知らなくても仕方ない。
しかし、爆発して生き返るとは、どういう理屈なのだろうか。
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ところで、デスバレーボールは、文字通り、命がけの死の競技だった。
富士見野教官は体格の良い方だ。
俺が親指と人差し指を使って目測したところによると、身長が二メートルはある。
太い腕とぶ厚い胸板の持ち主で、彼を銀色に塗ったら仮装パーティに出られるだろう。
業務用の冷蔵庫として。
デスバレーボールの簡単なルール説明を体育の富士見野教官から受けたのち、注意事項というものを聞かされた。
「まあ、見ようと思えばこの距離からでも、女子の授業が見えるわけだがな。お前ら、足りない脳みそでよーく覚えとけよ。ちらっとでもまおた…、いや、馬飼野さん見やがったら、元に戻らなくなるまで折り曲げっからな。気ぃつけろよ、ハリガネども」
試合の注意事項ではなかった。
南足軍医殿といい、富士見野教官といい、馬飼野さんとはどういう関係なのだろうか。
体育館は当たり前だが広いし、遮蔽物がほとんどない。
そうした場所が俺は得意ではない。
俺たちがいるデスバレーコートの隣では、女子がイヤボンとやらを実践しているらしく、皆、何事か叫んだあとに爆発するので、俺たちはその都度、爆風を避けることになる。
男子と女子の中間地点あたりで、同じクラスのセリムくんが体育座りで壁にもたれているのが見えた。
ようやくデスバレーボールがゲーム開始となるのだが、試合開始直後のデスサーブで、まず体育館が半壊した。
その後、デスアタックに巻き込まれた富士見野教官が死亡。
だが、金色のヤカンを手にした馬飼野さんが現れ、教官の顔に水をかけると、彼はすぐに息を吹き返す。
あれはきっと特別な能力だろう。
俺は彼女が護衛対象の候補者であることを『象』に記憶しておくように依頼する。
彼女が授業に戻る間際、
「富士見野先生は四天王の中では一番死にやすい存在ですよ」
と言っていたが、四天王とはなんだろうか。
馬飼野さんは仏教徒なのか。
どうもこの学園、力の加減がわからない生徒が多そうだ。
まだ見つからない護衛対象だが、集中しないと、俺は生徒を守り切れないかもしれない。
読んでいただいて、ありがとうございます。
次話は2016年3月15日午後2時15分ころの公開の予定です。
キャラ設定やイラストがある自サイト「BーUNO」もよろしくお願いします。
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