MAYその2 朝の学校は交戦地帯
門をくぐると、その先に広場のようになっていた。芝生が広がり、その中央には校舎へと続く道がまっすぐに続いている。
昔から、俺の頭と体に叩き込まれていることだが、こうした広く視界の開けた場所に来ると、つい狙撃に適した場所を探してしまう。
すべてを克明に覚える必要は無かった。
覚えるべきことは、『象』が全て覚えていてくれる。
途中、白い噴水台があり、その付近には白く塗られた木製のベンチが幾つか置いてある。
朝もまだ早い時間だから、そこに座る生徒はまだいないようだ。
さらに奥には学校名の通り、校舎が正面中央を起点として、左右に八の字を描いている。
校舎は、この国の戦国時代に戦闘で使われた鶴翼の陣を模しているらしい。
正面にある校舎の高さは、先ほど塀の比では無い。
鶴が翼を広げたように伸びた両側の建物は、白い壁の五階建てで、さらに屋上にあたる部分は、規則正しく凹凸が続き、緑色のフェンスで囲われている。
あれを銃眼として屋上に立てこもれば、校庭のどこに目標がいても照準を合わせることができるだろう。
俺は広い場所が得意ではない。
無機質な壁や木立、藪、そして人間、そういった遮蔽物のない場所を、理由が無いのに歩きたくない。
せいぜい平静を装って、目の届く範囲をざっと見渡す。
建物の配置を、象が記憶している校舎見取り図と、俺の脳内で立体的に合致させる。
しばしの静寂を気にしたか、密城副司令が俺に話しかけてきた。
「今、歩いているところが、校庭です。お昼休みや放課後は、自由に使っていただいて結構です。食堂は全学年が共同で、正面の建物二階にあります」
次に教頭は、右手の建物を指差した。
「体育の授業や競技に使われるグラウンドは別にあります。右側の校舎は一学年棟で、その向こう側ですよ」
俺が目をやったのを確認すると、今度は左側を指差した。
「こちらの建物が二学年棟です。あなたがこれから授業を受けるクラスもあります」
知ってはいたが、あえて口にすることはない。
「わかりました」とだけ答えることにする。
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俺は密城教頭に案内され、校舎沿いの歩道を歩いた。
きれいに刈られた芝生は、緑色をした五月の輝きを放っている。
どこかで爆発音が聞こえ、地面が一度揺れる。
立ち止まって、音の源を探ると近そうだ。その根拠として、校舎の向こうで白煙が上がっているのが目視できた。
さらにその直後、別の方向からも爆発音がする。こちらは黒煙だった。
学校というものに通うのは初めてだが、どこもこんなものなのだろうか。
「密城副司令。現在、この学園は交戦地域でありましょうか?」
「今、この学園は学年長決定戦の最中です」
密城副司令はこともなげに言う。
「そうそう。宇野くん。これをつけておいてください」
彼女のポケットから出てきたのは白いバッジだった。
彼女のほっそりとした指先からもたらされたものを確認するに、表面には浮き彫りで鶴翼学園の校章が彫られていて、裏にはピンがついている。手触りからすると貝殻に近かった。
「カメオですか?」貝殻から作られたシェルカメオのようだ。
「それは『カビリオ』といってね。学年長決定戦に出る生徒は、全員これをつけることになっています」
「はい」
「私たち教師が守護魔法を込めて作ったものです。これをつけて戦闘をすれば、明らかに命を失う攻撃が加えられた際、一度だけこの『カビリオ』が身代わりになってくれます。いわば守護魔法が詰まったお守りというわけね」
いわれてみれば表面の彫刻一つとっても手の込んだ高級な品だ。
裏市場に出せば、ドル換算で四桁後半はいくだろう。
だが、こんな高いものをもらう謂れはない。
それにだ。
「自分には必要ありません」
「決定戦に出ないの?」
「この学校には自分の本分を全うするために転校してきましたので」
俺の任務は、ニ学年女子生徒の護衛だ。
しかも対象者をまずは見つけることから始めなければならない。
無駄に戦闘をしている時間は無いのだ。
組織の人間と露見しない程度、学生らしく生活できればそれでいい。
「宇野くん。その考えは、大変立派です」
俺は失礼に当たらぬ程度に首を振る。
「はい。しかし、お褒めいただくほどではありません」
「いえ」
メガネをはずし、密城教頭は目元を抑えた。
「久しぶりに立派な生徒に出会えました」
密城副司令が、なぜ目元をおさえているのか、俺にはその理由がわからない。
「まだ立派かどうか、自分にはわかりません」
「この学校の生徒は、毎日毎日、左腕に封印されし暗き獣が暴走したり、やれ怪獣が現れた、それ暇つぶしの魔法合戦と、本当に騒がしくてね……」
うつむいたまま密城副司令はしゃべっているが、次第に肩がわなわなと震えてくる。
それが寒いからか、泣いているのか、怒りを自制しようとしているのか、俺には判断がつかない。
わからないうちは対処のしようがないので、俺は少しばかり距離をおいた。
突然、密城副司令は顔を上げる。
「その後始末をするこっちの身にもなりなさい!」
彼女の体が黄緑色の光に包まれ、その光は四方八方に飛ぶ。
俺は地面に伏せた。
物心ついた頃から俺はさまざまな訓練を受けてきている。
攻撃を受けた時に回避しようと動くのは、訓練によって培われた俺の反射神経によるものだ。
そんなことをしても無意味なことも、わかっている。
網膜で捉えたときには、すでに光は観察者に到達しているわけだ。
思考はパルスの速さで脳細胞を駆け抜けるが、光にはかなわない。
だが、諦めるという選択肢を選ぶべきではない。
地獄の門を潜る時、考える男の股下を通り、足が地獄を踏みしめるその瞬間まで。もしかすると、その後でも。
そこかしこから、爆発音が聞こえてくる。
それは水中で音を聞くときのような、くぐもった音だ。
遠くで人の声がする。少年のようだ。
「おわっ! 浸透魔法か! やべえ! アッコちゃんが怒ってんぞ!」
少女の声も聞こえてくる。
「また教頭先生が爆発したんだ。つ、続きは放課後ってことで」
「そうだな。うん。今はやめとこうぜ」
しばらく待ってから顔を上げると、俺の前にいるのは、激昂する前の密城副司令だ。
ゆっくりとした動作でメガネをかけると、彼女は伸びをした。
「ちょっと、すっきりしました」
ちろっと舌を出した密城副司令は、大人の女性ではなく、少女のように見えた。
「たまにストレスは発散しないとね」
一兵卒である俺は、副司令に返す言葉を持っていない。
彼女が生徒でなくてよかった。護衛対象の候補には入れなくてよい。
「さ、職員室に行きますよ」
密城副司令にうながされ、歩き出した俺の耳に、どこか高いところから、「アチョーッ!」という怪鳥音が届いた。
その直後に「あら?」という声も。
それは、少女の声だった。
突然、俺の足元から数歩先の地面に、一つの黒い影が現れる。
何事かと顔を上げた。
一人の女子生徒が青い空から、俺に向かって落ちてくるところだった。